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広島への原爆投下は少なくても,1週間前には予告できたはずです。

そうすれば日本は事前に降伏していた可能性があります。

10万人の尊い命が救えたはずであります?・・・・・・・・・・・

A 回答 (20件中1~10件)

質問者様のような正常な感覚からは、当然そのような疑問が湧いてきます。



しかし、相手の生命の価値が全く顧みられることのない状況で、敵を大量に且つ無残に殺戮しその効果を宣伝したい、或いは新型爆弾を敵の上に実際に落として検分してみたいというただならぬ衝動に従えば、予告することなど愚かなことと考えるのでしょうね。
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予告などしたら、世界的非難を浴びて投下できなくなるからです。

日本が降伏するのは時間の問題でしたので、終戦前にどうしても核実験をかねた原爆投下をしておきたかったのです。もともと人体実験を目的としていたのですから、日本人の命など考えてはいなかったでしょう。

この回答への補足

原爆の威力と脅威は当時の日本国軍幹部及び昭和天皇陛下閣下は十分に認識していたはずであります・・・・・・・・・・・

補足日時:2013/08/05 16:56
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予告は愚かな行為だよ。


仮に「予告」したら「投下後の無条件降伏」は無かったはず。
ズルズルと今でも戦争をしてるかも知れない。
止めさせる意味の「投下」ですよ。
なぜご質問者様は
>そうすれば日本は事前に降伏していた可能性があります。
この判断が出来たと考えるのかが良く判らん。
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 連投のような気もしますが…。



 仮に「一週間後に新型爆弾を広島に落とすよ、大威力だよ」ってアメリカが事前通告したとしたら、さすがに日本軍も全力で迎撃体制を整えたでしょうね。なけなしの機体と燃料をかき集めてでも。
 いかなB-29といっても、5トンもある爆弾を抱えていたら鈍重になります。なんでわざわざ作戦の成功率を下げるような真似をしますか、と。
 それから先ほどの質問でも、「人体実験」という回答が複数寄せられましたよね。だったら理由は明白です。実験動物が逃げちゃったら実験にならんでしょうが。

 ちなみに戦時中は双方とも「尊い命」なんて感覚はありません。日本だってアメリカを「鬼畜」と呼んでいたんだし。
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>そうすれば日本は事前に降伏していた可能性があります。



予告しても大本営は降伏なんかしなかった筈だよ。

相手から「1発で数万人が死ぬ爆弾を落としますよ」って言われたって、普通は「そんな爆弾なんて存在する訳ないだろ。落としたかったら落としてみろよ。ほれほれ」って思うのが普通。

大本営は、原爆が落ちて無かったら「国民が最後の一人になっても戦いをやめるつもりは無かった」んだから。

広島に落とされて、何十万人も死んで、その後、長崎に落とす前なら、予告の効果はあるかも知れないけどね。

今、核兵器が抑止力として働いているのは「実際に1発で数万人が犠牲になった事があるから」なんだよ。
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>そうすれば日本は事前に降伏していた可能性があります。



原爆投下の前に、『ポツダム宣言』という、日本軍に無条件の全面降伏を求める宣言が発表されたのを、日本軍が聞き入れなかったために、原爆投下に至った、というのが一般に戦史として言われていることです。

明日は広島原爆の日。
原爆投下時刻の8時15分に、1分間の黙祷をお願いします。
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原爆とは書いてませんが、


広島、長崎、小倉、新潟などには、
事前偵察時に
「近日中に、戦略目標を爆撃するかもしれないので
非戦闘員は疎開されるよう、勧告する」というチラシが
投下され、一般市民の手に拾われてますよ(^-^)/

※2000年12月24日、産経新聞
「予告されていた原爆投下」この記事(社会部・野崎貴宮)より


 ・・・岡山市在住の黒木勇治さん(77)=元安治川鉄工建設和歌山工場長=は、中国南部にあった第五航空情報連隊の本部情報室に勤務していた。連隊では敵機の行動を監視するとともに、中国・重慶放送と、インド・ニューデリー放送を傍受。ニューデリー放送は、ロンドンのBBCを中継した内容で、原爆開発、投下の情報も伝えていた、という。
 黒木さんは著書『原爆投下は予告されていた!』(光人社)でも当時を回想しているが、ニューデリー放送の中で最初に原爆という言葉が登場したのは、昭和20年6月2日だった。スティムソン委員会が日本に原爆投下を勧告したことを伝えていた。・・・

 ここで黒木雄司の『原爆投下は予告されていた!』の「まえがき」の部分を紹介する。この本が原爆に関する本の中でも異彩を放つ本であることはこの「まえがき」証明している。

 ・・・毎年8月6日、広島原爆忌が来るたびに、午前8時に下番してすぐ寝ついた私を、午前8時32分に田中候補生が起こしに来て、「班長殿、いま広島に原子爆弾が投下されたとニューディリー(ママ)放送が放送しました。8時15分に投下されたそうです」といったのを、いつも思い出す。
 このニューディリー放送では原爆に関連して、まず昭和20年6月1日、スチムソン委員会が全会一致で日本に原子爆弾投下を米国大統領に勧告したこと。次に7月15日、世界で初めての原子爆弾爆発の実験成功のこと。さらに8月3日、原子爆弾第1号として8月6日広島に投下することが決定し、投下後どうなるか詳しい予告を3日はもちろん、4日も5日も毎日続けて朝と昼と晩の3回延べ9回の予告放送をし、長崎原爆投下も2日前から同様に毎日3回ずつ原爆投下とその影響などを予告してきた。

 この一連のニューディリー放送にもとづいて第五航空情報連隊情報室長・芦田大尉は第五航空情報連隊長に6月1日以降そのつど、詳細に報告され、連隊長もさらに上部に上部にと報告されていた模様だったが、どうも大本営まで報告されていなかったのではないだろうか。どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ。・・・略・・・
 この記録は私が現在の中華人民共和国南部の広東において、昭和20年3月(11)日付で野戦高射砲第五十五大隊第二中隊より転属し、第五航空情報連隊情報室に勤務、情報室解散の昭和20年8月21日までの約5ヵ月間の日々を記録したものである。したがって人物名、場所名などはすべて実名実在のものである。・・・中略・・・
 私もようやく今年は数え年でいうと古稀となり、老の仲間に入ってゆくので、惚けないうちにと書くこととした。書いているうちに先ほども書いたように、原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか。なぜもっと早く終戦に持ってゆけなかったかということをいろいろと考えさせられる。とにかく人の殺し合いという戦争は人類の史上にはもうあってはならない。・・・

 この「まえがき」の中の「どこかのところで握りつぶされたのだろう。だれが握りつぶしたのか腹が立ってならぬ」「原爆に関する報告をだれが握りつぶしたのか」という文章に接し、私も黒木雄司氏同様に腹が立ってならない。
 広東の第五航空情報連隊情報室が得た情報は、第二総軍の情報室に間違いなく届いていた。この情報は有末精三の陸軍参謀本部第2部から、有末中将か三笠宮中佐のルートで大本営に伝わり、そこで握りつぶされたのはまちがいのない事実である。どうしてか? 答はいたって簡単至極この上もない。第二総軍傍受室は24時間交代勤務でアメリカ、マリアナ諸島、東南アジアにいたる放送を傍受していた。しかし、この貴重な情報を広島の指揮下の下級軍司令部に全く伝えていないからである。それゆえに数十万人の軍人や市民が、第二総軍によって殺されたのである。
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>原爆の威力と脅威は当時の日本国軍幹部及び昭和天皇陛下閣下は十分に認識していたはずであります・・・・・・・・・・・



生ぬるいこと書かれていますね。
原爆の威力は知っていますが、そんなものは当時は机上のものだけです。
日本軍も作っていたという記録がありますが、とても効率が悪く、作るのに大変な期間がかかるという状態でした。
そんなもの落とすと言ったって、日本軍にはまだ実験のものですら作れていなかったのです。
そんなもの落としますよと言ったって、どうせ嘘だろう。で終わりです。

一般の人向けにビラを巻いたところで、軍がそれを回収します。
下手に拾ってたら、非国民として捕まったりします。

戦時下というのには、今の平和ボケしたような考え方は通用しないんですよ。
上空1000m以上を飛んでいる飛行機に向かって、竹槍で応戦しろといえば、それをやるしかないのです。
どうせ届かないからやんないよ!なんて言ったら、それこそ非国民として周りからはつまはじきにされます。

そういう状況は解らないかも知れませんけどね。
白い物でも軍が黒だと言えば、黒だと答えなければ殺されるんです。
そんな中でもあなたは白だと言い張れますか?

勿論、軍が間違っていてそれに従わなかったとして殺されても、軍には責任はないとされ、従わなかったあなたが悪い。で済まされるんです。

そういうのが戦時下というものなんです。
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#2です。

補足拝見しました。原爆投下は何も日本に原爆の威力を見せつけたいが為にやった訳ではなく、アメリカが自国の利益の為に核兵器に関する出来るだけ多くの科学的、医学的情報を集める為に行ったのです。この頃のアメリカは核兵器の開発に成功したてで、臨床実験を元にした詳細なデータまでは把握していませんでした。1945年7月16日に人類初の核実験をアメリカ国内で行い、同年8月6日に広島、9日に長崎に原爆投下。これが2発目、3発目の核爆弾です。そして、翌年の1946年7月1日、25日にビキニ環礁で4番目と5番目の核爆弾を投下しています。その後も頻繁に核実験を繰り返していたのはすでにご存知だと思いますが、実験初期の人体実験も含めた広島、長崎の資料は、アメリカにとってとても稀少であり、国家機密レベルの重要なデータになったはずです。

現在残されている広島、長崎の原爆投下時、投下後の写真やフィルムのほとんどは、原爆投下直後にアメリカ兵が撮影した資料です。核兵器が投下された直後に日本に上陸すれば、当然放射能における危険がアメリカ兵士にも及ぶことも認知していたでしょうが、それでも原爆投下に関する膨大な資料が残されているのは、もともとそれを目的に投下されたものだったからです。広島の原爆投下時間8時15分は、出勤、登校などで市民が最も街路に出ている時間帯を狙っています。偶然ではありません。
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世界協定違反ですから、ありえません。



原爆自体が大量破壊兵器で、民間に攻撃してはいけないルールです。

アメリカは台湾でも虐殺しています。

南京大虐殺は中国共産党がやりましたし・・・ま~勝てば官軍ですから。
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