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この前、修学旅行で神社に沢山行ってきました。
お守りを買いたかったのですが、母に「うちはお守りを買うと嫌な事が起こる」といわれていたので、怖くて買うことができませんでした。
ですが、どうしても買いたいお守りが一つあったので、つい買ってしまいました。
正直、少し怖いです。
受験生なので、嫌なことって受験に落ちるとかじゃないかって。
母曰く、嫌なことっていうのは大きいことから小さいことまでで、お守りを買ったその年に嫌なことは起こるらしいです。
お守りを買ってから嫌なことが起こるってあるんですか?
考えすぎかもしれませんが、ネットで調べてみても私の家のようなケースは見つからなかったので。

ちなみに、私は神様を信じていないわけじゃないです。信仰とまではいかなくとも、いたらいいなと思っています。
でも、母の話も経験からなので、少し怖くなってしまいました…。

A 回答 (6件)

お守りは買うものではありません、授かる物です。


お守りはまじないではありません。信仰心がなければただのみやげ物です。
そしてテレビ等のインチキ霊能者や占い三文芸人が宣伝しているデタラメを信じているから誤解しているんです。(最近では、そのデタラメを信じている怠惰な儲け主義神主まで居ますから困ったもんですけどね)

神道と言っても一つじゃありません。ここでは日本で最も多い神社神道について言います。
神社で祝詞をあげて貰った人なら誰でも理解できる事なんですけど、神社の祈願は願いを叶えるのではなく、自分が進む道筋にある邪魔者を取り除くのが目的です。そして障害に対しては「大難を小難に、小難を無難に」とするのです。
この世に生きる動植物はすべて災害や障害を乗り越える事によってのみ進化してきました。文明も同じです。障害も何もなく思うようになったら生物は進化せず、弱体化、堕落するだけです。神道では障害を避けるという志向はありません。障害を乗り越えられるレベルにして下さい、乗り越えられるように助力してくださいと願っているんです。
だから何が何でも、努力もなしに思い通りになるべきと考えているなら、大難が小難になっても「悪い事が起きる」と思うでしょうね。

神は将来自分の為になることを与えます。金持ちになりたいと思っていても金を持つことで堕落するなら与えはしないでしょ。だから、目先の幸福だけを善しとするなら、願いが叶わない事で神なんて居ないというでしょうね。
要するにいい事があるかどうかは、お守りを買うかどうかなんて関係ないんですよ。
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この回答へのお礼

神様について、詳しくありがとうございました。

お礼日時:2013/12/28 11:23

   私は住宅建築業の仕事をしてきた者ですが、今は昔、私が担当の御施主さまの地鎮祭をやってもらった宮司さんから言われた話。


「地鎮祭はやった方がいい。やるといいことがあると思ったのに、いいことなかった、よくないことがあったと言う人もいるけれども、そう考えるものじゃない。もし、やらなかったら、もっと悪いことがあったかもしれない。地鎮祭をやったのにいいことなかったと言うかもしれないけれども、それは、地鎮祭をやったから大厄が小厄になったのかもしれない。 小厄じゃないと言うかもしれないけれども、もし、地鎮祭をやらなかったら中厄ではなく大厄だったかもしれない。 地鎮祭をやったから、中厄が小厄になったんだ、大厄が中厄になったんだと、そう考えるものだ。」と。

   だから、かつて、お守りを「買った」か「授かった」後に、「よくないこと」があったとしても、それはそのお守りのために「よくないこと」があったのではなく、もし、お守りがなければ、それ以上に「よくないこと」があったのが、お守りのおかげでその程度のことですんだ、相当に大きな「よくないこと」があるところをお守りのおかげで比較的軽い「よくないこと」ですんだのかもしれない・・と考えることもできるわけです。
   実際には、どうなのかはわからないと思いますが、もし、お守りを「買う」か「授かる」かした後で「よくないこと」があった場合でも、お守りがなければ、もっとひどい程度の「よくないこと」になったかもしれないところが、お守りのおかげでその程度ですんだ・・・と考えることができるなら、お守りを「買う」なり「授かる」なりしていいと私は思います。 

   受験については、昔、受験番号が3の倍数だと縁起がいい、合格するという「お話」がありました。今となっては何十年も前、私が高校を受ける時、受験番号が3の倍数(3で割り切れる数)でした。それでかどうか合格しました。 大学を受ける時、またもや受験番号が3の倍数でした。これは縁起がいいと思ったのですが落ちました。これは受験番号が悪いのであって私が努力不足だったのではない? かというと、けっこう努力はしたのですが、受験番号のせいでもないと思います。 
   受験について、できる限り公正で適切な試験をするべきだと言う人がありますが、そうではなく、入学試験には「くじ」的要素があった方がいいと思うと、たしか、遠山啓が『競争原理を越えて』(太郎次郎社)で述べていたと思います。 落ちた人間にとっては、厳正で絶対に間違いのない試験で落とされた、というのでは、救いようのない気もちになってしまう。 たとえ、落ちても、その後も人生を歩んでいくのだから、落ちた場合でも、「運が悪かった」という面が残った方がいい、と遠山啓は述べていたと思います。 だから、受験は実力でやるもの、自分の努力でやるものであって、「神頼み」でやるものではない、と言う人もいるけれども、「神頼み」をして、うまくいかなかった時には、もしも、学問の神さまでない神さまにお願いした時には、「しまった。専門の違う神さまにお願いしてしまったのがよくなかった」と考えて、そこで気持を切り替える、学問の神さま〔一般には、天神さん(菅原道真)でしょうか。〕にお願いした場合は、うまくいかなかった時には、「天神さん、もっとがんばって応援してよ。応援たらないよお。」と思って気持を切り替える、ということで「神頼み」をするのも必ずしも悪いことではないと私は思います。 

   大阪の今宮戎神社では、社殿の前で拝んだ後、参拝者は社殿の後ろにもまわり、後ろから社殿を手でこつこつとたたき、「えべっさん、よろしうお願いしまっせ」と再度頼むという話が、『古社名刹 巡拝の旅 なにわ庶民の心のふるさと 通天閣と天王寺』(2010.1.19. 集英社)に出ています。 今宮戎神社の神さま「えべっさん」というのは大変庶民的な神さまで、「えべっさん」は耳が遠い、「えべっさん」はしょっちゅう居眠りしている、と言われるそうで、そのために、社殿の前から拝むだけでなく、後ろにまわって、再度、「よろしゅうお願いしまっせ」と念を押すらしいのです。 そうやってお願いしてもだめだった場合、「えべっさんは、また、居眠りしてはったんやなあ。しゃあない神さんやなあ、ほんまに。」ということで、再度、希望を持ってお願いするということで、「えべっさん」がだめなようにしたとは考えないようです。
   「えべっさん」は商売繁盛の神さまで、学問・受験の神さまとしては菅原道真を祀る「天神」・「北野」・「菅原」系の神社にお願いすることが多いのではないかと思いますが、その場合でも、うまくいった時には、道真さん(天神さん)、ありがとうございますと思い、うまくいかなかった時でも、残念ながらうまくいかなかったけれども、道真さん(天神さん)が応援してくれた上でのことだから、まあ、しかたがないと思って人生を先に進むことができるのであれば、「天神」・「北野」・「菅原」系の神社に参拝してお守りをいただいてきて悪くないと私は思います。  もし、うまくいかなかった場合に、お守りを「いただいた」ためにうまくいかなかったんだ、と思うようなら、お守りをいただくのはやめた方がいいのかもしれません。 宮本武蔵は剣術の勝負におもむく時に、道端に何の神さまかわからないが祠があるのを見かけ、それに手を合わせて勝負に勝つことをお願いしようかと考えたが、「神頼み」をするのは自分が弱気になっているからで、そうあってはならない。あくまで、自分の力で勝ってみせるのだと考えて、拝むのをやめた、というお話があります。 もし、うまくいかなかった場合、お守りをもらったからだ、と思いそうなら、お守りを「いただく」にしても「買う」にしても、それはやめて、宮本武蔵のように考えてみてもいいかもしれません。

   私の友人で、栃木県佐野市の佐野厄除け大師(春日丘山惣宗寺)に「厄除け」に参拝したわりにいいことなかった、という男がいまして、その男が言うには、「しまった。 年末に行ったからだ。 厄除けに行くなら年の初めに行くべきだった。年の終わりに行ったために、厄除けの効果がすぐに終わってしまったんだ。今度は年の初めにいかないと。」ということで、次は年の初めに佐野に行って、「厄除け」をやって佐野ラーメン食って帰るそうです。
   何の願いであれ、うまくいかなかった時、「えべっさん、昼寝したはったんや。 今度は間違いなく聞いてもらうようにせんといかん。」とか、「えべっさん、耳遠いもんやから、聞こえんかったんやろ。もっと大きな声でお願いせんといかん。」ということで再度お願いしようという気持になるか、「しまった。年の終わりに厄除けに行ってしまった。 年の終わりに行ったのが悪かったんだ。今度は年の初めに行こう。」と考えるか、そのように考えることができるなら、参拝もすればいいし、お守りもいただいてきていいのではないかと思います。 そのような考え方はできず、うまくいかなかった場合、お守りのためにうまくいかなかったと考えそうなら、やめて、宮本武蔵のように考えた方がいいかもしれません。

   問題は、もし、うまくいかなかった時、自分がどう考えるだろうか、という点ではないでしょうか。

   「お守りを粗末にするとよくないことが起こる」という話は聞くことがあります。だから、あまりいくつも持ちすぎるのではなく、ここと思ったところのもの1つか2つにした方がいいかもしれません。もっとも、天神さん(菅原道真)も他の神さまも、お守りを粗末にしたから御利益がないということはあっても、お守りを粗末にしたからといって、だからといって「たたる」ようなそんな了見の狭い方ではないと私は思うのですけれども。
   「霊能者」の宜保愛子さんが何かの本で書いていたのですが、お守りには有効期限のようなものがあって、一般に1年だというのです。1年を過ぎたお守りは神社に返すか焼くかするものだと宜保さんは書いていたと思うのですが、私は、有効期限については、「1年」ではなく「1年程度」と考え、「1年程度」を過ぎたお守りは、返すか焼くかしないと害を及ぼすと考えるのではなく、1年を過ぎたお守りは役割を果たしてくれたありがたい友人のように考えて自宅に保存し、新たに別のお守りを「いただいて」お守りとして持っています。

   イスラム教やキリスト教の信者で神社のお守りは持たないという考えの人はあるでしょうけれども、すでに「買った」か「いただいた」お守りについては、だからといって「害を及ぼす」ものではないはずです。
   但し、私自身の経験を言いますと、昔、私が大学受験の時、浪人中に、父が勤め先の部下の人から知り合いの「宗教家」を紹介され、その人から「お守り」を渡されたことがありました。 単に「お守り」を渡されるだけなら良いのですが、それだけでなく、名前を変えろとか、家族関係について誰が悪いとか何とか言われ(要するに、父はいついかなる時もすべて正しく、諸悪の根源は私だと言われたのです)、迷惑な話で、そのような「お守り」を持たされたということこそ「嫌なこと」でした。
   かつての勤め先で、静岡県の方広寺に強制的に行かされお守りまで作らされた事があります。これは信教の自由の侵害で、気分の悪いことこのうえないし、そのような「お守り」は害があると考え、自宅に帰ってからはさみで細切れに寸断してやりました。ざまあみろと思っています。 意に反し強制されるお守りは嫌なことがあるというより持たされる事自体が嫌な事です。意に反して持たされるお守りは良くないと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
考え方を変えてみます。

お礼日時:2013/12/28 11:24

まずは、どんな不幸を思っていられるのでしょうか?


 受験に落ちる?いじめられる?
こういうときは、まず、具体的におこりえる不幸を考えて見てください。
 次は、もらったお守りの用途、縁結び?合格祈願?厄払い?
 そのお守りの用途とあなたの思う不幸とやらは一致してますか?
 一致してるならともかく、そうでないならまずは落ち着きましょう。
 そして、お母さんの言う買ったお守りの用途と、起こった不幸は一致してますか?
 薄毛に悩むひとに、あなたは安産のお守りをあげないでしょ?もらった人も怒りますよね?何故ですか?
効かないからです。
 これが一致してないなら、お母さんの勘違いの可能性が大きいですよ。
 例えると、お母さんがテレビを見ているときに、あなたがスマホをしているとテレビの映りが良くないと、言われたら、そのまま鵜呑みに信じてしまいますか?一旦消したとしても、原因を調べるでしょ?だって、テレビの電波と電話の電波は違いますから。
 経験して、何かがあると言うと信じてしまいます。例えば、ディズニーランドに行くと別れる。と、言うジンクス。確かに調べると沢山の経験談があります。が、一人の女性が旦那さん以外の男性5人とデートでいったとしたら、4回は別れたことになりますよね?つまり、それほど驚くことでも無いわけです。
 今回のジンクスも、一年とは長すぎますよね。毎日の占いですら、良し悪しがあるのに、一年ならなおさらです。その一年間の幸福についての統計が曖昧ではありませんか?お守りを買った年は、一年間不幸のどん底だったのでしょうか?
 それを正確に調べなくては、お母さんの経験は穴だらけですよね?
 恐怖に震えるほどの価値はありません。
 それに、お守り嫌いのお母さんは、どうしてお守りを買ったりしたのかしら?なにか、不安や願いがあった、つまり、無意識に不幸を予感して買っていた、と、言うこともあり得ます。
 だからといって、何も知らない人間を信じて無視しても行けません。
 例外として、一族が行けない神社、と、言うのも実在します。
 秀吉の時代の国替えで、村人から殿様まで移動させられたりしました。その時、新しい殿様が、神社の跡地に変なものを建てて祟られたり、戦国時代に皆殺しにした殿様がその土地の神様をうち捨てて、自分の氏神様をまつったりして呪われたりしてる場合です。
 史実では、そんな書き方はしないのですが、いろんな不問律を作って伝えている場合もあるからです。
 これらを調べるのは、なかなか興味深いものですが、江戸時代だけでも400年も過ぎているので、理由も知らずにただ、駄目だと伝えられているケースです。
 お母様が、そんなタブーをもとに思い込んでいるようなら、少しは用心が必要ですが、その場合、特定の神社、その系列があるはずです。
 その上、確率的には、呪いの系は男系で、父方のジンクスの方が強く作用しますから、母方のジンクスなら、あなたへの影響は、お母さんより弱いと想像出来ます。
 買ってしまったのだから、むやみに怖がらず、これを機会にお母様と先祖や家系の話など、してみてはいかがでしょう?案外、面白いものですよ。
 問題のお守りは、お母さんには内緒にした方が無難です。子供は嫌でも親の言葉の影響を強く受けますから、洗脳されたように、親の願いを叶えようと無意識に自ら不幸を選んでしまうことがあるからです。
 とりあえず、近くのおみくじのひける神社にお参りして、おみくじを引いてみてください。何かあるのなら、それなりのものを引くでしょうから。
 それから、どうするか考えても遅くないと思います。なお、どうしても怖い、処分したいと思うなら、その神社の系列の近くの神社にお願いするか、封筒に小銭と一緒に入れて、買った神社に送ればいいと思います。
 この時、交通安全等のお守り部分と、飾りの部分を取り外し、ただのストラップとして使う事もできるようです。(最近、ゴミ分別も大変で、予め書いてある神社もありますし。)
 どちらにしても、落ち着いて生活できるよう祈ってます。
 
 
 
 
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この回答へのお礼

鵜呑みにしてしまった私も悪いですね。反省します。

一応一族の行けない神社はないと思います。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/28 11:26

気しないで下さい。

お質問様は自分の気持ちに込めて買って良いよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。そうします。

お礼日時:2013/12/28 11:26

気の持ちようですね。


お守りを買おうが買うまいが、
いい事もいやな事もあるでしょう。
それを無理矢理お守りに結びつけてもしょうがない気がします。

……そうだ、こうしましょう。
お守りを買ってから悪い事がおこったら、それは、お守りを持っていたからその程度で済んだのです。
買っていなかったらもっと酷い事になっていた…と思いましょう。


まぁ、母君様は修学旅行であんま無駄遣いしないようにとか、変な宗教に引っ掛からないようにとか心配されてかまかけたのかもしれません。
もし、どうしても買いたいお守りってのが恋愛成就とかなら、その辺も心配だったのかも知れんしのう…

何にしても、あんまり気にしないほうがいいんじゃあないですかね?
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この回答へのお礼

気にしないようにします。
ありがとうございました。

お礼日時:2013/12/28 11:26

お守りを買えばいいことしか起きなくなるんですか?

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この回答へのお礼

そういうわけじゃないと思います。
お守りは悪いことから払ってくれるものだと思っています。

お礼日時:2013/12/28 11:27

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