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死刑制度の是非を巡ってある人が次のように書いていました。

>凶悪犯罪者とはいえ、被害者遺族でない者が、軽々しく他人の命にかかわる問題である死刑制度について論じるべきでないと思う。

この文章の主語は省略してありますが、それはこの文章の書き手(敢えていうならば「私」)であることはすぐにわかります。「私は」「思う」で一つの文章として成立します。しかし、わからないのは、「論じるべきでない」のは「誰」かということです。

「被害者でない者」が「軽々しく」「論じるべきではない」というのはわかるのですが、「凶悪犯罪者とはいえ」がどの言葉にかかっているのかということがわかりません。

この「凶悪犯罪者とはいえ」という表現は不適切ではないかと思うのですが、皆さんはどう思われますか。この文章を書き直すとしたらどう表現しますか。

A 回答 (6件)

いち私案です。



>凶悪犯罪者とはいえ、被害者遺族でない者が、軽々しく他人の命にかかわる問題である死刑制度について論じるべきでないと思う。


凶悪犯罪者とはいえひとりの人間である。、被害者遺族でない者が、軽々しくそういった他人の命にかかわる問題である死刑制度について論じるべきでないと思う。

この回答への補足

>凶悪犯罪者とはいえ、⇒ 凶悪犯罪者とはいえひとりの人間である。

この方が文章としては完成しています。

やはり「凶悪犯罪者とはいえ、」は言葉足らずですね。

納得です。

補足日時:2013/10/12 10:56
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
まさに的確な回答だと思います。

お礼日時:2013/10/22 23:11

たとえその対象が、凶悪犯罪者であるとはいえ、被害者の遺族でも無い者が、軽々しく命に係わる


死刑制度について論ずるべきかどうかは疑問である。

でも明日は我が身かもしれません、。またその犠牲者の無念さを思えば、死刑制度について
決して軽々しく論じている訳では無いと思います。

この回答への補足

>犠牲者の無念さを思えば、死刑制度について決して軽々しく論じている訳では無いと思います。

同感です。

補足日時:2013/10/12 22:49
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大いに参考になりました。

お礼日時:2013/10/22 23:10

死刑制度については、学者を含めて、あらゆる人たちの議論を要する。

特殊な限定された人々だけの議論で良い筈が無い。そういう誤った文脈の中で誤った国語表現など些細なこと。

この回答への補足

>死刑制度については、学者を含めて、あらゆる人たちの議論を要する。

同感です。

自分には関係のないことだとは誰も言えないはずです。いつ、自分が、自分の家族が、凶悪な犯罪に巻き込まれるかわかりません。決して他人事ではありません。

補足日時:2013/10/12 10:26
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大いに参考になりました。

お礼日時:2013/10/22 23:10

意味不明な文章を書く人は世の中にいくらでもいます。

一々気にしていたら身が持ちませんよ。

この回答への補足

>意味不明な文章を書く人は世の中にいくらでもいます。

本当にその通りです。

問題なのは、書いた本人はそのことを意識していないという点です。つまり、自分の書いた文章は立派に通用すると思っているという点です。そういう人にとっては、読者が理解できないとなると「どうして理解できないのか!!」と読者を非難します。自分の文章表現に問題があることを棚において(そもそもそういう認識がないために無理もないのですが)。

意味不明な文章を私が指摘するのは、そういう人に少しでも気付いてほしいと思うと同時に、訳のわからない文章を通じて批判する力を身に付けるという目的もあります。つまり、意味不明な文章でも反面教師として活用できるということです。

補足日時:2013/10/12 10:23
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この回答へのお礼

適切な回答ありがとうございました。

頂いた回答をブログに引用させて貰いました。

重ねて御礼申し上げます。

お礼日時:2013/10/12 12:46

>凶悪犯罪者とはいえ、被害者遺族でない者が、軽々しく他人の命にかかわる問題である死刑制度について論じるべきでないと思う。



を書き直すとしたら、

私は、 議論の対象が凶悪犯罪者とはいえ、被害者遺族でない者が、軽々しく その犯罪者 の命にかかわる問題である死刑制度について論じるべきでないと思う。
 では如何でしょうか?

この回答への補足

「なるほど」と思います。

補足日時:2013/10/12 02:05
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
大いに参考になりました。

お礼日時:2013/10/22 23:11

「論じるべきではない」のは、「被害者遺族でない者」です。

ただ、これは表面的にはそうなるので、執筆者は「素人が軽々しくこの議論に参加する事を」排除したのではないかとも読めます。
「凶悪犯罪者とはいえ」条件を示したものですから、特定の語にかかると云う読み方はせない方が良いと思います。「被害者遺族・・・・・・ないと思う」全体にかかると読んだ方が良いと思います。

「凶悪犯罪者とはいえ」は前後関係がないので判然とせないのですが、場合によってはこの儘でも良いと思います。
敢えて書き換えるならば「凶悪犯罪を犯した者の場合とはいえ」とでもなるでしょうか。社会的にも影響の大きい凶悪犯罪を犯した者についてだからと云って部外者の素人が勝手な事をいうなと云う趣旨でしょうか。

死刑廃止論に対する反論でしょうか?

この回答への補足

>凶悪犯罪者とはいえ

私はこれを、

>凶悪な犯罪であっても

と理解しました。ですので「凶悪犯罪者とはいえ」という表現はおかしいと思いました。

>死刑廃止論に対する反論でしょうか?

この文章は、死刑問題について「反対」であっても「賛成」であっても軽々しく論じることに対し忠告するものだと思います。

補足日時:2013/10/12 01:10
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この回答へのお礼

>「論じるべきではない」のは、「被害者遺族でない者」です。

私の文章そのものに間違いがありました。確かにご指摘の通りです。

適切な回答ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/12 01:31

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