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仏教の開祖・《ゴータマ》さんは、《解脱者》なのかどうか?

ゴータマさん出家の動機が、《生・老・病・死》という《四苦》の克服であったことは、
多くの仏伝の伝えるところです。
しかし、
ゴータマさんは、
《老》い、《病》気になり、その病気がもとで《死》亡しています。
実際問題として、四苦を克服していない!!

はてはて、
これはどうしたことか???
という疑問が、
数日前、わたしの頭に浮かびました。

1 ゴータマさんは、《苦》を克服、超克できたのか?
2 《解脱》は何からの解脱であったのか?
3 ゴータマさんは、本当に《解脱者》であったのか?
4 成道後のゴータマさんに、《煩悩・klesa》はあったのか?

教えてください。
よろしくお願いします。


大乗的な観点、南伝上座部的観点、原始仏教的な観点、
スピリチュアルからのアプローチ、
わたしの《ゴータマさん論》、《ゴータマ観》、
「仏教の説く《苦・duhka》とは」
などなど、
この質問に多少なりとも縁のある回答ならば、
大歓迎です。

よろしくお願いします(ペコリ)。

A 回答 (16件中1~10件)

解脱と言うのは平たく言えば、迷いの束縛を受けなくなる事です。



煩悩は生涯消える事はありません。

それの最たるものが『生老病死』です。


生の苦しみを受け入れる。

老いの苦しみを受け入れる。

病の苦しみを受け入れる。

死の苦しみを受け入れる。


そして苦しみの意味ですが、喜怒哀楽、及びその感情を引き起こす存在全てが苦しみです。


ちなみにお釈迦様が解脱者かどうかはお会いした事が無いのとご本人の言を直接聞いた訳ではないので、私には断言する事は出来ません。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


☆そして苦しみの意味ですが、喜怒哀楽、及びその感情を引き起こす存在全てが苦しみです。
◇苦しみとは、主観的なものではなく、心外に存在する客観だという意味ですか?


☆ちなみにお釈迦様が解脱者かどうかはお会いした事が無いのとご本人の言を直接聞いた訳ではないので、私には断言する事は出来ません。
◇YESかNO、どちらだとお考えですか?
このどちらでもない、
あるいは、
「わたくしは、解脱者であると信じています」でも結構です。


わたしは、皆さんがどのように考えていらっしゃるのか、そのことを知りたいもので。

お礼日時:2013/10/29 15:55

>◇苦しみとは、主観的なものではなく、心外に存在する客観だという意味ですか?



すみません、説明があやふたでした。

もちろん全ての事は、自己の認識で起きていますので、苦しみが外にある(自分に理由が無い)と思う事も苦しみです。


>◇YESかNO、どちらだとお考えですか?

もちろん私の思いとしては、Yesですが、ただ、『解脱者』と言う単語はどうも好きになれません。

どうしても『解脱』と言う単語には、物理的な響きを感じてしまうのです。

私だけかもしれませんが。

生きている限り、肉体・生命からついて回る苦しみを逃れる事は出来ません。

『解脱』には『身解脱』と言う言葉があるように、死後に輪廻から外れる時に使う言葉の様に私には感じられるのですよ。

もちろん『心解脱』もありますから、間違いではないのですが、単に『解脱』では片手落ちなのです。

それに『心解脱』と言う言葉も誰が考えたのか知りませんが、変な言葉です。

だって心は体と不可分なのですから。

つまり『解脱』は死後の世界に触れる言葉なので、本来の釈尊の教えとは乖離しているのです。。

『超人思想』の響きを感じてしまうのですよ。

仏教は本来、死後の世界を約束する宗教では無く、あくまで生きている間の「快楽主義」の宗教です。

ですんで『解脱』の思想自体何時からあるのか私は疑問ですし、誤訳じゃないかと思います。
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この回答へのお礼

こんばんは。


☆>◇YESかNO、どちらだとお考えですか?
もちろん私の思いとしては、Yesです
◇これで十分です。


☆ですんで『解脱』の思想自体何時からあるのか私は疑問ですし、誤訳じゃないかと思います。
◇英語ですと、「release」や「being free」くらいの訳語を当てているようです。
日本語ですと、「自由」や「自在」くらいの意味になるのでしょうか。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/29 21:27

13だよ。



レッツチチをもげダンスだ。

解脱とは、苦しみから解放され、あんた達は相変わらずのたくってるけど、私ばっかりは幸せよーん、と言う境地だ。
したがって苦しみもがく人々をしり目に、あーらかわいそーねーなんて口先からこぼれるほど余裕があったのだ。
私からの助言だが、他者の苦を理解してはならない。
他者の幸福を理解しろ。
ただしこれは救いたいと願う者の心得だ。
君達の場合、自らが苦のさなかにいる事だろう。
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この回答へのお礼

う~ん、
掘り下げなければよかった・・・、
と後悔しています。

NO12の回答より、
13、15とヴァージョンUPするたびに、
ダウングレードしているように感じてしまうのは、
わたしだけでしょうか。


回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/29 21:33

12だよ。


レッツチチをもげダンスだ。

君に周囲に君よりも明らかに心清らかな人がいるとするだろう。
君とは親しくはないがたとえば私のような人だ。
君はその人の行いを到底まねできないと感じるだろう。
その辺りがおおむね、私にとっては苦しいからまねできないとか何とかだろう。
こういうのが身近な例で、お釈迦様の生き方は尊敬を集めるほど、苦行の延長であったのではないかな。
けらけらと笑っていたからそれでも幸福だと認識されたのだろう。
たとえば私の様にだ。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。

あれこれ質問したいところは、数多く存在しますけれども、
 ☆けらけらと笑っていたからそれでも幸福だと認識されたのだろう。
の一点に絞ります。

釈尊は、目の前に困っている人がいたとして、
「けらけらと笑っていたからそれでも幸福だ」ったのでしょうか?
あるいは、そのように、他の人たちの目には映っていたのでしょうか?
矛盾や葛藤、懊悩はなかったのでしょうか?

お礼日時:2013/10/29 00:23

一切皆苦が娑婆のおきてで、それから解き放たれて死すらも苦と思わずにくたばっちまったんなら解脱者だよ。


自らの死さえも釈迦の幸福を揺るがすことはなかった。
今ではお釈迦さまでなくても珍しい事ではないよ。
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この回答へのお礼

あまりにアバウトな回答なので、弱ったな・・・。
遅れましたが、
回答、ありがとうございます。

確認します。
釈尊といえども、他者から見ると《苦》と思えるような状況はある。
しかし、
そのような状況、境遇も、釈尊の《心の平安・zAnti:シャーンティ)を揺るがすことができない。
その意味において、
釈尊の境地は、《苦》から自由であり、《苦》から《解脱》している。

このように、おっしゃりたいのですか?

では、
この時の《苦》とは何ですか?
仏教でよく言われる「思い通りにならない《苦》しみ」の意味ですか?
この意味の《苦》は、
釈尊にあったのか、なかったのか、
どのようにお考えですか?

お礼日時:2013/10/27 22:57

回答者のみんなが心優しいとは限らんやろう。


確かに猫君はいろいろ知識が豊富なようやが、賢いという印象は受けないな。馬鹿とも思わないが。
まぁそれはともかく。
流れで言えば、俺もこのことには懐疑的だが、俺が仏伝を読んだり聞いたりした限りでは、仏は人間ではないというのが妥当なんやろうな。
大人と子供の違いの様に、仏と人間は違うと。
心の話やけど、心が心によって終滅されているということやから、もはや心というものがないということになるんやろうな。どんな境地なんかは俺にもわからん。
なんかの仏典にも書いていたが、伝承によらず、自ら励むのが仏道のような気がするな。さとりも、こんこんと調べをつけるよりも、自分で考えた方が案外近いところの理解にたどり着くかもしれん。
俺のゴータマ観と言えば、前言と矛盾するようやが、彼以前の伝統的なヴェーダの下地あっての彼の思想のような気がするな。決して唯我独尊ではなくて。
俺のさとり観と、ゴータマ観は特別な関係にある訳じゃない。俺のさとり観は雑食の上に培われたみたいなもんやから、伝統的な仏教からはほど遠い。それを披露するまでもないと思うし、ここでの主題は、ゴータマのさとりやしな。

1、人格的には諸行無常とは別の世界に住んでいた
2、迷いの生存、苦しみからの解脱
3、知っていなければ語れないようなことを多く語っているので、俺は解脱していたと考える。
4、ない
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


☆回答者のみんなが心優しいとは限らんやろう。
◇わたしの質問に回答を寄せていただける方は、皆さん、心やさしい方だと思っています。



☆確かに猫君はいろいろ知識が豊富なようやが、賢いという印象は受けないな。馬鹿とも思わないが。
◇猫をかぶっているだけかもしれませんよ(ニコニコ)。



☆俺のゴータマ観と言えば、前言と矛盾するようやが、彼以前の伝統的なヴェーダの下地あっての彼の思想のような気がするな。決して唯我独尊ではなくて。
◇はい。ゴータマの教えとされるものの多くは、ヴェーダやウパニシャッドのそれを踏襲しています。
ゴータマさんのオリジナルしそうといえるのは、
《中道》と《縁起説》くらいでしょうか。



☆俺のさとり観と、ゴータマ観は特別な関係にある訳じゃない。俺のさとり観は雑食の上に培われたみたいなもんやから、伝統的な仏教からはほど遠い。それを披露するまでもないと思うし……。
◇それで構わないのではないでしょうか。
でも、時々、立ち止まって、もう一度、よく考えてみることは、必要なのかもしれませんね。

~~~~~~~
1、人格的には諸行無常とは別の世界に住んでいた
2、迷いの生存、苦しみからの解脱
3、知っていなければ語れないようなことを多く語っているので、俺は解脱していたと考える。
4、ない
~~~~~~~
で結構でございます。
借り物の思想や言葉ではなく、
回答者さんたちの、自分の言葉で語った、皆さん一人一人の回答が欲しかったもので。



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/27 19:50

 お早うございます。



 やはり ニルワーナが鍵でしたか。ニルワーナへの批判が 理論的な主要な批判になるもののようです。
 ◇ (No.6お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  ☆《不老不死のファンタジー》をゴータマ氏は 少なくとも字面の上で 求めたということを示そうとしたものです。
 ◇いわゆる、《輪廻》説を抜きにしては、
 ゴータマさんの説く《解脱》はありえないし、語り得ない。
 成立し得ないと?

 ゴータマさんの《解脱・mukti》は、
 《release from rebirth》、
 つまり、
 《再生からの解脱》であると。
 悟りを得て、もはや、再生が起きないから、
 ニルヴァーナすることによって、
 その後、
 生老病死は成立しえず、
 《四苦》から解放される。
 これが、ゴータマさんの得た結論であると。

 であるならば、
 再生を信じない現代に生きる多くの日本人にとって、
 ゴータマさんの教えは、まったく無意味であり、役に立たない、
 ということになりそうです。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~

 輪廻を――自分はそれから解脱したと言っても 一般には――前提として話をしているということ そして その解脱には しばしば・またはおおむね自分以外のひとについては懐疑的であったと見られること このふたつの事由において その人の言う解脱は 何の意味もない。役に立たないの前に 何の意味もない。こう結論づけられるのでなければ じんるいの七不思議がもうひとつ増えると言うものです。


 やはりゴータマにとって 生老病死の苦の原因である無明(割愛・煩悩・無知)は 永遠の苦であり不治の病であるようです。

 無明の明知への変換は 口先だけであるようです。
 自分だけは 成就したと言っているようです。



 

 なぜそのようなゴータマに人びとは従ったか。
 なぜこのような理解できない事態が起きたか。

 ふたつあると考えました。
 その後後世において ブッダターなる神の霊が人間にやどるという信仰個条がかかげられる以前と以後とに分けられるのではないか。

 その以前では おそらく古代インド人のものの考え方が いわゆる《灰身滅智》でもかまわないといったような信条があって それとゴータマ説とは響き合ったのではないか。『髑髏となってもかまわない』のだそうですから。


 その以後では アートマンの復活とも言うべきブッダターの命題を得てからは けっきょく《無明は これも移ろいゆくものであって 明知へ相転移する。いや そう言うよりは すでに生まれた初めから ブッダの素は霊としてやどっている。心配ない》というコペルニクス的革命が起きた。それゆえだろうと考えられます。





 ただし あかるい側面だけでもないようです。

 なぜって すでにブッダターの遍在をそれとして知っているにもかかわらず人びとは いまだに《さとり・解脱》にかんして その周りを延々とまわり続けているだけだからです。

 家を建てるというのに その足場だけを半永久的にこしらえ続けている。家のことを 放ったらかしにしてしまっている。

 《家》は 人間であり個別にわたしであり その生きる動態であるしかないと見ない。見ようとしていない。
 《足場》は 組んでは壊し 壊しては組み シジフォスのような作業に人びとは 歓喜の笑みを浮かべてさえ追従している。

 これは どうしたことか。
 だれか蔭で糸でも引いているのだろうか。全日本ぼうず協会? それとも ゴータマの呪いだろうか。

 あるいはそれとも 現実の社会と生活に不条理を見たゆえのアキラメから来るものだろうか。
 《成仏》は 死んでからというアキラメ。そしてそのクウキ。

 さいごはクウキ論に行き着くのでしょうか。


 苦も煩悩も それらは――という意味は ゴータマの闇なる呪いは―― ブッダター革命によって乗り越えられた。ブッダターの実践は 一人ひとりけっきょくこの世における地道なあゆみにしかない。そういう意味での《只管打坐》。死んだあとのことについては何も言わないというのは これだけはゴータマも言っていたことだった。

 この遺産が活用されるには こんどはおそらく生活の問題としての社会の――実際問題としてはその形態の――革命が 日から日へと成されて行くよりほかにないかと思われます。
 社会形態の革命には 宗教組織の自己解体もふくまれるかと思います。


 これが それでもなお受け継いだところの《解脱》の実践であると考えます。そのとき ゴータマ氏も成仏することでしょう。
 すべては あわれみの心から出発するものと思われます。
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この回答へのお礼

こんにちは。


☆ その以前では おそらく古代インド人のものの考え方が いわゆる《灰身滅智》でもかまわないといったような信条があって それとゴータマ説とは響き合ったのではないか。『髑髏となってもかまわない』のだそうですから。
◇一般的に、
《再死・再生》への恐怖から、宗教的な意味における、解脱だ、涅槃などという考えが生まれた、
とされているようです。

死後、神々の住む世界に行ったとしても、そこで、再び死ぬのではないか?
そして、
この世に再び生まれるのではないか?
という恐れから、恐怖から、
バラモン教をはじめに、
《再死・再生》からの解脱を求める、
《解脱》教とも呼べるものが誕生した。

で、
ゴータマさんは、少なくとも表立っては《アートマン》を説いていないから、
《灰身滅智》にならざるを得ない。
いわゆる、小乗仏教の目指す境地は、この《灰身滅智》!!
阿羅漢さんは、死んじゃうと、《灰身滅智》しちゃうんですよ。
完全な死、これこそが、最高の境地!!
完全な絶滅、これこそが、不死の境地!!

─────────
けしん‐めっち 【▽灰身滅×智】

《身を灰にし、智を滅する意》仏語。煩悩(ぼんのう)を断ち、身も心も無にして執着を捨てること。上座部仏教の理想とする境地。灰断(けだん)。灰滅(けめつ)。

http://kotobank.jp/word/%E7%81%B0%E8%BA%AB%E6%BB …
─────────



☆ これが それでもなお受け継いだところの《解脱》の実践であると考えます。そのとき ゴータマ氏も成仏することでしょう。
 すべては あわれみの心から出発するものと思われます。
◇《無住処涅槃》、《大悲闡提》ということで(ニコニコ)。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%80%E9%97%A1% …



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/27 14:16

解脱者は死王に見られない、生存する者として数えられないと言われるし、仏は人間じゃないという言も聞く。

喜怒哀楽の作用が静まっていて、人間とは異なる境地にあると。
これ系の話は難しいから答えるのも難儀やけど、仏教でいう苦は、楽に対する苦ではなくて、世俗の快楽も苦と見なす。それは、子供のおもちゃで大人は遊べないようなもんやと言われる。
名称と形態のうち、余計な部分が脱落するというのは信憑性のある話やと俺は考える。感官を制する、つまり感覚器官を制御するなんて言葉も原始経典にはあるし、解脱が生理的なものに関与しているというのはあり得る話やないかな。
シッダールタの人柄を調べて、それを元に彼が解脱者かどうかを判定したいというアプローチには反対ではない。質問者が悟りたいのではなく、ブッダに興味があるというのなら、それも一つの筋やろう。
因みにスジャータとは善友という意味らしい。善友によって人は悟るとも言われている。なんせ奥の深い話やで。
後は煩悩か、煩悩は本能に基づく心の動揺のことを言うと聞いたことがある。又聞きの話ばかりで悪いが、心を解脱せしめた人に心の動揺はないやろう、きっと。だから4つ目の質問にはないと答えるのが俺の回答になるかな。
こんなところで回答になってるかな?猫くん。
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この回答へのお礼

こんにちは。

ニコニコニコ。

《スジャータ》さんというのは、
餓死寸前のゴータマさんに、乳粥を施したという、心やさしい女性のことですか?

《sujAtA:スジャーター》と発音するの正しいようです。
意味なのですけれども、
《よい生まれ》
とか
《吉兆の星座のもとでの生まれ》
などです。


☆後は煩悩か、煩悩は本能に基づく心の動揺のことを言うと聞いたことがある。又聞きの話ばかりで悪いが、心を解脱せしめた人に心の動揺はないやろう、きっと。だから4つ目の質問にはないと答えるのが俺の回答になるかな。
◇心を解脱したら、人ではないのでは?
幽霊にもなれない(ニコニコ)。

回答者さんのおっしゃっている《心》は、
《有心》の《こころ》の意味ですか?

《有心》とはなんぞ!!
とわたしに質問しないでくださいよ。
わたしは、心やさしい、スジャーターさんのような回答者の皆さんから、
《オシエ》を請う、おバカなネコですから。

お礼日時:2013/10/27 13:47

>歴史上実在したゴータマさんは、《ブッダ》でも、《解脱者》でもなかった。


>せいぜい、
>欲望などの征服者という意味での《勝者・jina》程度である

少なくとも創作に出てくるような神通力を使いこなす超能力者ではなかったことは確かでしょうね。
それをどういう言葉で表現するかは個々人の自由ではないかと思います。
悟りにも解脱にも具体的にこういうものだという実体は存在しませんので。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


☆悟りにも解脱にも具体的にこういうものだという実体は存在しませんので。
◇経験事象で、悟りや解脱は、語れるものなのか?
経験事象においては、
苦もあれば、病もあり、老死もあるのでは?

経験事象として、
ゴータマさんは何から解脱したのでしょうか?
仏教の出発点が、生老病死という経験事象であるとするならば、このことを問うことは当然だと思います。

で、
ゴータマさんは、《何から》解脱したのでしょう。
経験事象で語っているので、
解脱に実体があるないは、関係がないのでは?

お礼日時:2013/10/27 13:23

苦を克服するとはどういうことやろね。

そもそも苦とはなんやろう。
余計な代物、名色の脱落が解脱であると聞くが、余計な名色とはなんであろう。
解脱とはそもそもなんであろう。
煩悩を吹き消すとはどういうことだろう。
仏教の概念はことさらに難しいが、推測するに、解脱やさとりと言ったものは、かなり生理的な現象でもあるように思われる。脳や脊髄などの主要器官に変成が起こることによって、解脱が起こるんじゃないかと。
解脱は蛇の脱皮に例えられるが、それの人間版、つまり心的現象として解脱は起こるんやと考えられるねん。
シッダールタがどうやったかを論じるより、さとりとは、解脱とはを問う方が、賢いように思うな。
まぁ、俺もわかったようなことは言われへん。参考までに。
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この回答へのお礼

回答、ありがとうございます。


☆苦を克服するとはどういうことやろね。そもそも苦とはなんやろう。
◇わたしは、質問者ですよ(ニコニコ)。
回答者の皆さんから、《おしえ》を請おうとしております。
教えてくださいな(ペコリ)。


☆余計な代物、名色の脱落が解脱であると聞くが、余計な名色とはなんであろう。
◇《名色・nama-rupa》が脱(ぬ)け落ちたら、それは、もはや人間ではないですよ。
それは《お化け》、《幽霊》の類(ニコニコ)。
ゴータマさんは、水掻きを持っているので《河童》ですけれども、肉体(nama-rupa》はもっていますよ。
《UMA》ではありますけれども、
《お化け》や《幽霊》ではありません。
そもそも、
《心身脱落》は、そんな意味ではないのでは?


☆解脱とはそもそもなんであろう。
◇わたしの《し・つ・も・ん》!!
もったいをつけず、教えてくださいませ(ペコリ)。



☆煩悩を吹き消すとはどういうことだろう。
◇《ニルヴァーナ・NIRVANA》ですか・・・。
1980年代後半から90年代前半に活躍したアメリカのバンドですよ♪

すめるず・らいく・てぃーん・すぴりっと♪
https://www.youtube.com/watch?v=R3XIGon2RjY



☆仏教の概念はことさらに難しいが、推測するに、解脱やさとりと言ったものは、かなり生理的な現象でもあるように思われる。脳や脊髄などの主要器官に変成が起こることによって、解脱が起こるんじゃないかと。
解脱は蛇の脱皮に例えられるが、それの人間版、つまり心的現象として解脱は起こるんやと考えられるねん。
◇たとえば、《クンダリーニ・ヨガ》とか?
日本だと、《真言立川流》?
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E5%B7%9D% …


☆シッダールタがどうやったかを論じるより、さとりとは、解脱とはを問う方が、賢いように思うな。
◇《さとり》や《解脱》がどのようなものであるか知るためには、
仏教の開祖、ゴータマさんの《人となり》を知る方が速いのでは?
正直なところ、仏典や論書から、《さとり》や《解脱》がどのようなものか探ろうとすると、
かなり大変。

それはそれとして、
名前からして、ゴータマさんは変なんだよな~♪

gautama:最上の牛(バラモンの由緒ある家系の「うじ・な」)
siddhArtha:成就者



回答、ありがとうございました。

お礼日時:2013/10/27 03:00

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