プロが教えるわが家の防犯対策術!

妊娠10ヵ月で原因不明の死産をしてしまいました。
その時は、産婦人科がきちんと健診をしてくれなかった、とか高齢妊娠だったから、など原因と思っていました。
でも1年たった今、原因は自分にあるのではないかという思いが強くなってきています。
ヤブな産婦人科に行ったことも、結婚が遅かったことも自分の責任です。

「子々孫々に祟る」とか「子孫が途絶える」などの言い方があるように、自分が罰せられているように思います。
肉体的作用だけならいいのですが、子孫が途絶えるという出来事はとても恐ろしい出来事だと思うのです。

私も単なる肉体的作用だと思いたいのですが、分娩はとても痛く苦しく壮絶なものでした。(阿鼻叫喚地獄絵図でした。皆さん大変な思いで出産されると思いますが、喜びに変わり幸せな気分を味わうのだろうけど、私は苦しく悲しいだけでした。)

私は倫理的・道徳的にも正しく生きてきたつもりです。
でもそれが独りよがりで、本当は悪い人間なのではないかと自分が恐ろしくなってきました。
本当に肉体的・精神的に極限な体験だったし、子孫が途絶えるという絶望的に思える状況なので・・・。

この世の中には、悪いことをしている連中が幅をきかせ自由を謳歌し楽しんでいるというのもあります。でも10年、20年、30年のスパンでみると帳ジリのあっている現実になっているのだと思います。

私のこの出来事も、過去に私がしてきた結果が巻き起こした事なのでしょうか?

そしてこれからどうしたらそんな自分に気づいて、改善していけるのでしょうか?

ご回答宜しくお願い致します。

A 回答 (4件)

それは大変お辛い経験をなさいましたね。


心中お察し申し上げます。

まず、今回の赤ちゃんの件は
医者のせいでも、婚期のせいでも
あなたのせいでも、
誰のせいでもないと思います。

『なぜ?』というお気持ちが強いと思われますが
文字通り【原因不明】の
悲しくて辛い出来事だったのだと思います。


>私は倫理的・道徳的にも正しく生きてきたつもりです。
>これからどうしたらそんな自分に気づいて、改善していけるのでしょうか?
→文章から察するとあなたは自分の信じる正義を貫く
 とても自分に厳しい人のように見えます。
 
 だから、今回のことも原因はあるはずと見つけようと必死になって
 結果、自身の因果応報という結論にたどりついたのだと思います。

 しかし、先ほども申し上げたとおり
 私は誰のせいでもないと思います。

 なので、これ以上自身の因果応報だと思いつめ
 自分の首を絞めるようなことはどうか止めてください。

 あなたの言う因果応報があり、今のことが将来に影響するなら
 そのような思いつめた負の感情が
 将来に良い影響を与えるとは思えません。

 今は難しいかもしれないですが少しづつでもいいですから
 明るく前向きになれるように考えていければいいですね。

 
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
おっしゃるように、因果応報と過去の事を考えてクヨクヨして負のオーラを放つことが、将来に負の出来事を作ってしまうような気がしました。

まだ自分のせいで一人の人間が死んでしまったと思ってしまいますが(分娩した子がちゃんとして女の子だったので)、明るく楽しい将来を作っていけるように、家族を大切にできるようにというのを根本に据えて生きていきたいと思います。

ありがとうございました。

お礼日時:2013/11/06 12:45

私は生後5ヶ月の長女を突然亡くしました。


今から5年前の出来事です。

質問者様はまだお子様を亡くされてから1年しかたっていませんよね。
まだまだ気持ちの整理がつかなくて当然だと思います。

私が娘を納骨できたのは3回忌を過ぎてからでした。
3回忌を過ぎた頃にやっと私の父が重い口を開き、いつまでもあの子を
あのままにはしておけないよ。ちゃんとしてあげないと・・・と言う言葉を
素直に受け止め、納骨に至りました。

もし四十九日で無理矢理納骨されていたら、きっと周囲のみんなを恨んだと思います。

そこからやっと次の段階に目を向けることができ、明後日から妊娠週数37週を迎えます。
ここに至るまでの約1年でも「もしかしたらまた・・でもきっと大丈夫!」の
気持ちを行ったり来たりです。
一度子どもを奪われると、誰よりも妊娠を強く望んでいる気持ち、恐怖、希望などが
いつも胸に強く渦巻いています。

私も娘を奪われた後当然「なんで?」がいつもつきまとい、それこそ因果応報も考えました。
でも結局私は娘の後を追うことも許されず、生き続けるしかなく、少しずつ前に
進むしかなかった。
苦しくてもがいても、もがく力もなく悲しみの沼の奥でただただ横たわろうとも、
それでも主人と共に苦しさや悲しさを共有して、共に涙を流し、抱きしめあい、
ほんとに少しずつだけど前に進むしか道は残されていなかった。

そうこうしているうちにふとある日から娘がいた喜びの日々に目を向けられるようになり、
あの子がいて、私たちとても幸せなんだ。こんな形になってしまったけど、でも
親子であり家族であることは何も変わらないんだ。と思えるようになりました。

その結果がもうすぐ生まれてくる娘です。
長女もあと少しでお姉ちゃんになります。

質問者様はお子さんを亡くされてまだ1年。
気持ちに整理がつかなくて当然ですよ。
今はただただ、傷が癒やされるのを待って下さい。
傷はとても深く、傷跡が消えることは絶対にありません。
その深い傷跡と共に今後の人生を生きていく覚悟ができたとき、
次のステップに進むことができると思います。

質問者様に心の安らぐ日が訪れることを祈って・・
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この回答へのお礼

生後5カ月で赤ちゃんを亡くされたなんて、本当に悲しいことだったと御察し申しあげます。
いえ、察せられないほどのことです。そんな中、ご回答くださりありがとうございます。
もうすぐ出産予定とのこと、本当におめでとうございます。

今までどんな嫌な経験があっても「なかったことにして、前に進もう」と頑張ってきました。

でもこればっかりはなかったことにできないんですよね、、、

でもそれを乗り越えて、幸せな現在を送っていらっしゃるのをみて、因果応報ではないかと過去をクヨクヨ考え負の感情を持つよりも、家族の大切さや深い傷跡を認めてこれからの人生を生きていく覚悟を持つことの方が大切なのではないか、と思ってきました。

でもどうしてこんなことが起こったのか、、、と考えても分からない事を日々考えてしまいますが、明るい未来を信じる思考を徐々に持っていきたいと思います。

お辛い体験から教えていただきまして、ありがとうございました。幸せなベビちゃんとの生活楽しみですね。

お礼日時:2013/11/06 12:38

そんなわけありません。


因果応報なら、質問者さまにのみ不幸が訪れるはずで、お腹の子は関係ありません。
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この回答へのお礼

きっぱりと因果応報ではないとのご回答、目が覚めました。
抽象的な思考で悶々と悩んでいたので・・・。
「まだ私のせいだ」という考えは消えませんが、お腹の子が死んでしまうというのは、自分に不幸が訪れるよりも辛いことだったので、「神様が私を高度な方法で懲らしめた」と思ってしまうのです。
でも4件のお答えをもらい、皆さんが因果応報ではないとおっしゃっているので、ノイローゼ状態を脱せるように頑張ろうと思います。

お礼日時:2013/11/06 12:19

いやいやそんな風に考えてはいけません。



全てはその子の運命なのです。

順風満帆で幸せな生活を送りながらも
子宝にも恵まれる人もいれば、

ふんだりけったりの悲惨な人生で、
子供もまったくできない人もいます。

今できるのはなくなったお子さんの菩提を
弔うことくらいでしょう。

お気落としなされませんように。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

「その子の運命」というのはやはり魂というものがあって、私の所に何らかの事情でこれなかったのか、来たくなかったのかということでしょうか?
それとも単なる肉体的作用なのでしょうか?
「順風満帆な人生で子宝あり」と「悲惨な人生で子宝なし」の違いは何なのでしょうか?できることなら順風満帆人生になりたいものです。
いくら考えても結果が出ない問題ですが・・・・。

お礼日時:2013/11/06 12:14

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