プロが教える店舗&オフィスのセキュリティ対策術

私はものすごく人の言う事を信じてしまいます。
十代の頃に「真面目に生きないと、人を疑うのは最低なことだ」という考えで生きていたので、社会に出てから通用しなくなってしまいました。
職場、友人の建前と本音が全くといっていいほど見抜けない、この調子では詐欺にあうのは運の問題で、特に自分で一番問題だと思っているのは、相手は「そんな深い意味で言ったつもりがなかった」というちょっとした一言ことまで真実だと思い込み、律儀に守った結果失敗することです。

ちょっとしたことだけど私にとっては深刻な悩みの例をあげます。
例えば家族が一日職場でイライラしたときにたまたま話しかけたとき、「誰々さんは節操のないだらしなくて嘘つきな人だ!」と言っていたとします。
家族はイライラしていたので、私の話の中で「誰々さん」が出てきたときに、イライラと過去にちょっとだけ気に食わなかった出来事がリンクして、一時的に「すごく悪い人」と言ってしまったとします。
それに対して「ふむふむなるほど」と信じこんでしまい、「あの人から頼み事をされたら、絶対に断ろう!だって悪い人なんだから!」という結論が出てしまいます。
こうやって文字に起こしてみるとすごく単純なことだなと自分でも恥ずかしいくらいなのですが、いざ実際に言われると、微塵も疑わないんですよね…。
「誰々さんが悪い人」というのは一応例なのですが、心配性というのもあいまって、こういった悪い情報を与えてくる人も「私にとって重要な情報を教えてくれているんだ」と瞬時に頭が判断してしまうんです。

私は良くも悪くも嘘をつけません。仕事だと思っているときは、頭のなかでパターン化したことをひたすら守り続けて生活しています。アドリブでは仕事ができないんじゃないかってくらいです(^^;
でもこの「なんでもかんでも信じよう」という若いころからのクセが、そろそろ社会人になりはじめの自分には悪いもののように思えてならないのです。
「人を信じすぎるなら逆に疑ってかかればいいでしょ」と思われるかもしれませんけど、疑いはじめるとさすがにしんどいですし、何か新しく始めることもむずかしいです。

A 回答 (10件)

こうして世の中を見ているとほとんどの人が大きな嘘はつかなくても、


自分の良いように物事を相手に伝えているように思えてなりません。

だから、私は相手の話を半分削減して聞いていますが、
質問者様には、相手の嘘を見抜こうとする思考回路が働いていないのかな~。

私も嘘は大っ嫌いなほうで正直に自分の素性とかプロフィールを、
仕事上で新しく知り合った人とかにお伝えしてきましたが、
今まで、そういった会話になると、決まって
皆、自分のお給料の額や出身校、学歴、その他もろもろ、
本当に聞いていて嫌になってしまうくらいの嘘をつくので、
だんだん、私も彼らの話を半分くらいしか聞かないように
なってきてしまいました。

別にその人がどういう生き方をしていたとしても、
私としては関係ありませんし仕事上の関係だったら、
その人と私の共通点は仕事なので、
仕事さえ円滑に進めてくれたら相手の素性は関係ないように思うんです。

けれど、こちらが聞いていないことをベラベラとしゃべる。

聞いていて見苦しいほどです。

質問者様もご自身が嘘をつかなければいいんですよ。

自分は嘘を付かないけれど、人は嘘をというか、
適当なことをいうものだ!!と、そういった割り切りが必要に思えます。

周りは延々と嘘をつき通すかもしれないけれど、
自分の考えがしっかりとしていれば、別に相手の言ったことを信じなくても
何も問題はないと思うんです。

それに人のことを疑いながら過ごすのも苦痛でしょう?

だったら、最初から「きっと本当のことを言ってくれているのかな~」
と半分くらいに削減して、相手と話をすればいいのではないでしょうか?

あと、見るからに嘘つきは、やはり嘘つきですよ。

悪い人云々ではなくて言動がバラバラ。

そういった人間とは、極力、関わらないことです。


本人は悪気なくそのような言動をしてしまっているんですから、
変えようがないでしょう??

だから、黙認することです。

相手のことを見てイラつくのは、まだまだ、経験が足りない証拠です。

逆にこれからは相手のことを諭すくらいの寛大な気持ちを
養っていくことが課題なのではないでしょうか?
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キーワード かなあ


詐欺
どんなおいしい話でも「金を出せ」=詐欺と思っていて間違いありませんよね。

>「誰々さんは節操のないだらしなくて嘘つきな人だ!」
これを丸ごと信じて自分の行動も倣い、人に言ってたりしてたら
「あの人って○○なんだって~」「え~」と皆で避けたりするクソババアと
同じ事をしていますね。
それが本当だろうが嘘だろうが、クソババアにはなりたくないよな。

>「私にとって重要な情報を教えてくれているんだ」
それは情報でしかなく、信憑性は別の問題であり、検討の余地は必ずあります。

他にも、信用するべきかどうかの判断をするキーワードは別の事例でもあると思います。
これとは別に前述のクソババアは
信用して行動した結果が美しくないから、単にそうしたくないという美学的なもの。
他にも色々と考えてみましょう。
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質問文に登場する「すごく悪い人」に関しては、「あの人から頼み事をされたら、絶対に断ろう!だって悪い人なんだから!」という結論ですと、「疑ってかかればいい」になってますよ・・。



なぜ、そう言う矛盾が生じるか?と言いますと、質問者さんの「信じる」は、「人を信じる」では無く、失礼ですが、判断などを「他人に依存している」だけの様に思われます。

「人を信じる」って言うのは、本来は「揺るぎない自分」が存在しなけりゃ、出来ないことです。
また、相手を本当に信頼していれば、その人のためになる場合、自分の心を偽ってでも、「嘘がつける」のですよ。
逆に、人を心底信じるためには、相手の嘘なども見抜くことが出来なければ、相手を信じることなど出来ません。

自分の判断などに自信が無いから、それを他人に依存していませんか?
それは非常に楽ですが・・・他人を信じる以前に、「自分」を信じていないのですよ。

なぜ楽か?と言うと、他人を疑わなくて済むし、「人を疑うのは最低なことだ」みたいな理想が、簡単に実現出来るからです。
あるいは、たとえば詐欺に遭わないために、詐欺の手口などを勉強しなくて良いからです。

理想的な状態なんてものは、そんな簡単に手に入るモノでは無いと思います。
簡単に得られる理想状態に満足しちゃえば、そりゃ社会じゃ苦労するでしょう。

家族などは、信じて良い存在だし、物事を考える上で、上位に置いて当然の存在です。
ただ、信じたり、それを「上位に置く」なんて言う格付けは、あくまで自分でやるものです。

その自分が信じられなければ、自分が信じるものに価値は、ありますか?

また「何がなんでも、いかなる状況でも、家族を信じる」と言うなら、それはそれで良いですが。
「家族はイライラしていた」なんて言う前置きがある場合まで、「何がなんでも・・」なんてのは、薄っぺらい信頼関係じゃありませんか?

「人を信じる」なんてことは、そんなに軽々しいモノでしょうか?

私の知人は、親友に高級外車が2台くらい買えそうな、大金を貸したんですけどね。
その親友は、別件で警察に逮捕され、もう社会復帰しているでしょうけど、その後は音信普通です。

周囲は知人に「詐欺に遭ったんだ!」と言ってますが、それでも知人は「アイツはきっと返しに来る!」と言い張り、信じてます。
今では周囲まで「そう思ってるなら、どうでもいい・・」と言うか、「もしかしてホントに返しに来るかも?」などと、淡い期待まで持っちゃってますよ。

たとえダマされてても、本人が死ぬまで信じ続けられたら、それはそれで良いし、幸せなんじゃないですかね?

そこまで人から信頼されてりゃ、どんな悪党でも、一度くらいは「あのカネだけは返さないと・・」くらいは思ったかも知れず、わずかでもそう言う気持ちが芽生えたなら、その信頼関係には、大いに価値は有った様な気もします。

「信じる」なんて言う行為は、「愚か」と言っても良いくらい愚直で、崇高な行為なのかも知れません。
私も信頼とか友情なんてのは、多少は経験していますし、日常的にも使ってる言葉ですが、自分の人生を左右するくらいの大金を貸し、それが返済されなくても、「まだ信じ続ける」なんてのに比べると、「未だ人生で、心から人を信じたことなど無いのでは?」と言う気がしますよ。

それと比べて、質問者さんは、どんな「信じる」でしょうか?
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 自分の信念を持つことです。



 信じるか信じないかは、それと照らした上で判断します。

 その時に、新たな考え方であれば学び、自分の信念として取り込みます。

 生きていくということは、人との関係の中で学んでいくことだと思います。

 疑わないということは、その学びを放棄していることです。

 疑ってかかるのは論外です。

 笑顔で朗らかに楽天的積極的にいきましょう。
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最初から疑ってかかるのもね・・


自分は守れても相手は気分よくありませんね。

>いざ実際に言われると、微塵も疑わないんですよね…。
噂話もそうですね。
自分の事ならすぐに嘘だとわかるし適当でいい加減な話が流れているのを実感できますが、他人の事だとそうもいかない。
疑わない原因として、話し手が自分と親しい人である事も背中を押すのかもしれません。

初対面なら取り敢えずは聞き流す程度でしょうが、まぁ普通はその人が感情的にものを言う人なのか冷静に話す人なのか付き合っていくうちにわかるものだと思います。
物事の捉え方は勿論、言葉の意味や使い方も人それぞれ違います。
それを情報の信憑性の判断材料にするのではないでしょうか。
何度も嘘をつく人を信じるのは単に学習能力がないだけだと思いますが・・
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この回答へのお礼

こんばんわ。回答ありがとうございます。

>最初から疑ってかかるのもね・・
>自分は守れても相手は気分よくありませんね。

そうなんですよね…。

>疑わない原因として、話し手が自分と親しい人である事も背中を押すのかもしれません。

あ~、そうですね…。
私の信じている人って、何らかの信用できそうと思わせる肩書がひとつはあります。例えば、「親や長年の友人が嘘をつくわけないんじゃないか」とか、「この人は多くの人を見てきたトレーナーやカウンセラーだから、正しいことを言うに違いない」といった思い込みがだいたいあります。
そのへんの知らないよくしゃべるおじいちゃんに言われたことまで信じることはあまりないですから…。

さすがに、何度も「嘘だと確定できる」嘘までは何度も騙されません。でも、その嘘が嘘だって確証できるまでは私にとっては嘘ではないんです…。
信ぴょう性のハードルが非常に低いと思います。またTPOを意識していないかもしれません。この人は「今日も」正しいに違いない、という感じで。

お礼日時:2013/11/05 20:52

性悪説で考えることだ。



人は本来悪であるという前提。

オレはそっちのほうがおもしろいんだけどね。

疑ってほうが、ほかの人が見えないものが見えてくる。

要は好きで疑ってるわけ。

あなたは信じてて楽しいの?

それなら、今のままでいいよ。

でも、苦しいなら、相手の言うことに
「ほんとうは?」って考えてごらん。

自分なりに考えて、自分なりに仮説を出すのは、
けっこうおもしろいよ。

脳を鍛える訓練にもなるしね。
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この回答へのお礼

こんにちわ。回答いただきありがとうございます。
「おもしろい」って思えることは、正しいとか正しくないとかってことをするよりも、もっと高等な考えだと私は思っています。
悪い人間が闊歩してても「おもしろい世界だ」と思えるって人の数倍も人生を楽しめてるように思います。

信じてて、楽しくないです!
「あんなただの愚痴をいつまで信じてるの!バカじゃないの!」って言われて楽しい人なんて(例外はありますけど…)いないじゃないですか。そんなことばっかりの人生、楽しくないです。

回答者さんはとても(本当に良い意味で)ユニークな脳を持っているんじゃないかなって羨ましくなります。
自分なりのオリジナルの理論を持っていて、それに自信を持っていられている…

自分なりの理論とか理想とか、そういうのを時間をかけて考えるのも大切ですね。

お礼日時:2013/11/05 20:44

基本的に短絡的なんだと思います。

まあ、一度、心療内科か
神経内科の専門医と相談するべきでしょう。素人判断は禁物です。
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この回答へのお礼

こんばんわ。回答いただきありがとうございます。

うーん・・・?
短絡的っていうだけで、お医者さんが相手してくれるでしょうか?
「そんな性格の問題ぶつけられても困る…」って感じになりそうなのですが(^^;
素人判断は確かに禁物ですが…
どうでしょう、私の行動などに病的なものは感じますでしょうか?

お礼日時:2013/11/05 20:45

人を見て信じるかどうかというより、あなたが初めから人を信じるスタンスなのだと思いました。



人を疑うことがいけないというより、「相手の言葉や状況を判断した上で信じるかどうかを決める」ということが、仕事上必要になってくるのかではないかと思います。
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「○○さんは節操のないだらしなくて嘘つきな人だ!」と△△さんに言われたとしたら、「ふむふむなるほど、『○○さんは節操のないだらしなくて嘘つきな人だ』と△△さんは思っているのだな。

さて、実際のところはどうなんだろう、機会があれば自分の目と心で確かめてみよう」と思っていればいいのではないですか。別に全てを信じる必要も、全てを疑う必要もありません。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

なるほど・・・
私には数学でいう「証明」が欠けていたのかも。
真実かどうか?結論を自分で考えず、その人の回答だけが正しいから答えに書く。カンニングですね。
知らず知らずのうちに怠けていたのかも、と気付かされました。

とりあえず、結論はすぐに出さない!
本当かどうか自分の体や耳で確認してこよう!
ということを意識的にやるのは非常に大切なことだと思いました。

お礼日時:2013/11/04 23:41

ことわざとか  哲学の本を少し読んだほうがいいですね。



たとえば、世の中の人 すべて うそつきです。
証拠があります。

「話半分」という言葉があるからです。

話してることがすべてではありません。

そうです そうなるとこの「話半分」という言葉自体もうそですよね。

あとは多少、そのひとの性分が加わります。
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この回答へのお礼

早速の回答ありがとうございます。

本はたくさん読まないといけないなと思います。

世の中の人は嘘つき、という考えがそもそも私の中にあまりないです。
たくさんの人を見ていないせいかとも思うのですが、スタートラインは一緒なのに学生の頃も今もちゃんと裏を読める人たちがいることに違和感を感じていました。

とりあえず先人の知恵を借りるのは大切なことですよね。
読書はさっそく取り入れてみようと思います。

お礼日時:2013/11/04 23:39

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