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 全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
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 ☆ この命題について 別様に問います。

 《全ての存在》のなかで 人の存在は
 ▼ 量子的な不確定性に基づいており
 ☆ と言えるか? 

 すなわち 世界を おそらく心としての自己と そして自然および社会としての環境(時空間?)とのふたつに分けて捉え これらのものが 相互に補完するようなかたちであると言えるか?

 すなわち 自己つまりワタシが この世界において《すべての国家は その執行部たる公民が 生活者市民に 大政奉還すべし》とうったえ そのように実践しようとするとき 相手の環境たる政府について何も認識し得なくなるだろうか?

  また 政府じしんも その自己の意志決定が出来なくなるほど 相手つまりワタシのことが認識できず 見えなくなると言えるだろうか?

 言い得まい。







 たとえモノにかんしては その現象が 相補性なるあり方をしていたとしても 人間にかんする世界としての現実は そうではあるまい。それにちなんで 次のような仮説を示します。

  ○ 人間にとっての《現実》 ~~~~~~~~~~~~~~~~

   (あ) 人間存在= 自然本性(身と心)

    一般に 心(精神)において 現実を捉える。
    身(感性)において知覚したものをも 心で認識して概念として扱う。

   (い) 人間としての《現実》= 世界事実 + 主観真実(*)

     * 主観真実= 事実認識 +ウソ(想像・虚構)

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 ☆ すなわち このワタシの《主観真実》は 環境をそして自己をもすでにそのつどの時点で捉えている。その捉えた中身についての正否を超えて この主観真実として ワタシは意志行為を成し 相手も同じくそうする。試行錯誤でもある。

 つまり 世界は 認識〔のみ〕の問題なのではなく 一般に主体と見なされる存在が――主体ではなくても現象する自然とともに―― つねに問いと答えを繰り返しつつ その意味での対話としての動態過程をあゆむ。

 自己(心)を測定すると 環境が測定できなくなるといった情況にはない。測定だけではなく意志行為もが行なわれる。

  つまり認識および判断決定をともなってワタシたちがあゆみ生活するとき その測定や意志する内容が 正否の問題を超えて たえず互いに問い求められ その動態として社会的世界的な実践が成されて行く。


 これを問います。

A 回答 (13件中11~13件)

こんばんは。



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全ての存在は、量子的な不確定性に基づいており、無限に詰め込むと存在確率の山が平らになって、無と等しくなります。
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 《全ての存在》のなかで 人の存在は
 ▼ 量子的な不確定性に基づいており
 ☆ と言えるか? 
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の是非は別にしまして、
 ☆人の存在は 自己(心)と環境とが相補性の下にあるか
については、
こういう考え方もありかな、
と考えます。

《ココロ》の発生のメカニズムはあまりに複雑で、難しいので、
環境について考えれば、
法則のようなもの、規則のようなものがものがあって、概ね、それに従っているように見えるからです。
人間、一人一人は、色々な性格や行動様式があって、それらは一人一人異なっているけれども、社会という大きなマクロ系で考えると、そこには一種の規則性のようなものが発生することはありますし、実際にある。
(一人一人の人間が、この一種の規則性にしたがっているのではなく、社会というトータルで見ると、そこに規則性のような構造性があるの意味!!)
そして、
わたしは、わたしの《ココロ》と《環境》という二つの変数によってある、成立する、
と考えればいいんですよ。
───ただし、《ココロ》と《環境》が与えられれば、わたしの行動が一意に定まるという意味ではない。そこには自由度がある───
《環境》も、自分一人のこともあれば、二人の時もある。町内会のような小さな集団から、国家レベルまである。
ここに《環境》の多様性も出てきます。
組織の構造が違うのですから、その規則性のようなものも、それぞれ、異なってくる。

といったふうに考えてみては、いかがでしょうか。

であるならば、
 ☆また 政府じしんも その自己の意志決定が出来なくなるほど 相手つまりワタシのことが認識できず 見えなくなると言えるだろうか?
とはならないと思います。
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この回答へのお礼

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 であるならば、

  ☆ また 政府じしんも その自己の意志決定が出来なくなるほど 相手つまりワタシのことが認識できず 見えなくなると言えるだろうか?

 とはならないと思います。
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 ☆ ですよね? つまり 言えない。つまり 心と環境とは 同時に認識し得て それなりに(主観としてながら)どちらをも確定しうる。ですよね?


 ねむりねこさん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 
 つまり このいま扱っている命題は 階層現象というんでしょうか それによって世界が――モノとしての要素は同じだとしても――ミクロの次元とマクロの次元とに分かれるとき それでも 両次元は つながっている。こう言っているのだと思います。

 つまり
 ▼ 量子的な不確定性に基づいてお
 ☆ るのであるなら マクロの次元でも どちらか一方の測定・認識しか出来ないと言っているのだと思います。

 それは どうしてそうなるのか? というのが この質問の趣旨です。


 ○ 政府じしんも 自分自身についての事実認識を 相手たるワタシについての認識と同時に 得ることが出来る。

 こうですよね。つまり 量子的な不確定にもとづいては いない。と。







 ☆ 人の存在は 自己(心)と環境とが相補性の下にあるか
 ◇ については、 / こういう考え方もありかな、 / と考えます。
 ☆ これについてのご説明がいまひとつ読み取りにくかったのですが そうですね。

 まづ この・こちらの命題については わたしの物言いとしては そもそも《自己(心)と環境》に二分すること自体が おかしいと考えています。

 人間の存在は 身と心とであって 身はワタシにとってすでに環境のごとくであるとも考えられます。食べ物が胃袋に入るまでは ワタシにとって《外》ではないかとも考えられます。

 心は 身と けっきょく一体であろうし(つまり 身ないし細胞組織という基礎の上にその心的現象が繰り広げられる)  身体の組織活動を認識するとき 社会や自然としての環境についても 必要ならばやはり同時に認識します。

 心を決めるなら 身や外部の環境のことを認識し得ないというのは どう見てもおかしい。そういった環境についての認識にもとづき知解し判断し 行動をも決める――つまり 心を決める――のですから どう考えてもおかしい。



 ◇ 環境について考えれば、 / 法則のようなもの、規則のようなものがものがあって、概ね、それに従っているように見えるからです。
 ☆ それは けっきょく因果関係の類似するものを言うのでしょうか?


 満員電車で 急ブレーキをかければ 人びとは一斉に倒れます。隣の人から押され 別の隣の人を自分も押します。
 あるいは やはり満員電車で 乗降口近くにいると 止まった駅で自分は降りるのではないとしても 降りる人たちに押されてドアの外に押し出されます。

 こういった不可抗力によるからだの移動という法則があるはずです。

 ですが だからと言って 自分の心 とそして環境としての・この場合は人びとの動きや流れ とのあいだに どちらか一方をしかいっぺんには認識できないというたぐいの問題でもないはずです。
 自分の意志やそれにもとづく行動が ままならないからと言って 何も《心と環境とのあいだに相補性が成り立つ》などという問題にはなりません。



 ◇ わたしは、わたしの《ココロ》と《環境》という二つの変数によってある、成立する、 / と考えればいいんですよ。
 ☆ いえ。わたしは そういった意味での変数を取り上げたり扱ったりする必要はないと思うのです。

 心のとおりに行動できるかどうかを別とすることが出来るはずであって そうであっても 心は――意志は―― 認識と判断また行動の決定を成し得る。こう考えます。環境は この心が取り扱う対象です。心は およそワタシのことです。それは 意志行為が中軸を成していると見ます。



 ◇ 《環境》の多様性
 ☆ これは ごくふつうの現実だと見ます。

お礼日時:2013/11/18 20:45

bragelonneの存在は、心と環境の破壊をもたらしている。



これまでの複数の方々から病院に行って専門家による治療を受けるように勧められているにもかかわらず、これらに全く聞く耳を持たず心優しい人々の心と良質なネット環境を破壊し続けている。

【つまり認識および判断決定をともなってワタシたちがあゆみ生活するとき その測定や意志する内容が 正否の問題を超えて たえず互いに問い求められ その動態として社会的世界的な実践が成されて行く。】

 エゴむき出しでたえず自己主張しか行わない bragelonne がこの種の書き込みを平然と行える精神性には治療が必要。

 何度か通報はしてはみたものの、今の法律では、強制的に隔離することはできないらしく当局も困惑しているが何とか前向きに検討して頂きたい。
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この回答へのお礼

 ☆☆(趣旨説明欄) ~~~~~~~~
  《全ての存在》のなかで 人の存在は
  ▼ 量子的な不確定性に基づいており
  ☆ と言えるか? 
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 ★ 時間


 ご回答をありがとうございました。

お礼日時:2013/11/17 12:09

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