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語は音の組み合わせで表示する記号のひとつですが、狭義の記号である文字やマークなどとはどのような違い、または共通点がありますか?

例えば語は発音、表記いずれでも表すことができますが、モールス信号は表記しないという違いがありますが、他になにがあるのでしょう?

A 回答 (8件)

 ★(No.5お礼欄) わかりづらいです。

これらの説明について、何か例を挙げてください。

 ☆☆(回答No.5) 音韻とそして一定の概念の励起とが対応する〔ようになる〕という見方は 語の意味が変遷を経るという事実を ほとんど説明し得ません。
 ☆ 《めし》は もともと《見(め)し》つまり 見せるという意味でした。

 それは いわゆる高貴なひとは 自分で身の周りのことをせずに 仕え人によってやってもらっていた。

 つまり 着物を着たりご飯を食べたりするときに ふだんは見せない自分の顔やすがたを《見せる= 見(め)す= 召す》ことをおこなった。

 つまり 着物を着るのは《着るときにすがたを見す》のであり 食べ物も《食べるときにすがたを見す》のであり それらのために仕え人を《召す》のであったわけです。

 つまり 《お召し物》は着物のことであり 《飯(めし)》は 食べるものであり 用があって人を呼ぶのは《召す》というふうに意味が広がりました。

 もともと 尊敬語のごとく成った《飯》という言葉は いまでは あらあらしく言うときの言葉に成り下がっています。

 ここで 《 mesi 》という音韻は 《見し(見せる)》という意味を表わし しかも一定の《召し や 飯》といった概念をも励起するようですが それでも《見せる》という意味から 《着る物》や《食べる物》という意味への移行変遷は どのように説明するのか?

 という議論です。



 ☆☆(回答No.5) 言語によって 《音韻と概念との慣れとしての対応》が異なるのは あり得ると見ることが出来ますが 同じひとつの言語のうちで 語義に歴史的な変遷があるという事態は ほとんど説明し得ないと見られます。
 ☆ すなわち
 ◆(回答No.4) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  言語とは、特定の発音や図形を、特徴的な経験の蓄積に
 おいて形成された特定の概念と、条件反射的に結びつけ、
 その「特定の発音や図形」の感受において、脳内に「特定
 の概念」を励起させるものである。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ という定義をあたえるのは 一面的である。こう考えるという物言いです。

   発音 ←―→ 概念

 という対応が 経験的に蓄積されて言葉が用いられるという見方は 一面的である。なぜなら その音韻と意味との対応は 《めし》で見たような語義の変遷については 説明しえないから。という物言いです。
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この回答へのお礼

「mesi」 の音韻には「見し」「飯」「召し」などの表意で表わせるが、あるひとつの文化による、ある音素の組み合わせに対応する様々な表意文字として表わされてきたということですね。
そのような歴史的な変遷があるが、

>《着る物》や《食べる物》という意味への移行変遷は どのように説明するのか?

ということですね。

ゆえに、回答No.4の「経験的に蓄積されて言葉が用いられるという見方は一面的である。」ということですね。

お礼日時:2013/11/28 15:51

NO6の付け足しです。



☆語と比較したとき、文字やマークの特徴は?ということです。
◇これは、難しいですね。
記号(サイン・sign)を思考や感情、意思などを仲間に伝えるものとすると、
犬や猫の鳴き声、ミツバチの尻振りダンスなどもサインの一種ですよね。でも、これは抽象にはかわわらず具象的なもの。

もちろん、文字やマークなども、感情や意思などを仲間に伝えるものですから、サインの一種です。

でも、文字などは、犬や猫の鳴き声とは異なって抽象的なもの、抽象思考、概念的な思考にかかわる《シンボル(symbol・象徴)》としての一面を持っている。

たとえば、
雨音は、雨という自然現象のサインではあるけれど、シンボルにはならない。
ベルの音は、バブロフの犬にとっては、食事という具象と結びついているので、サインではあるけれど、シンボルではない。
しかし、人間の言葉や文字、マークは、概念、抽象にかかわる要素を持つのでシンボルになる、
みたいなことを書いてある本を読んだ記憶があるような・・・。

こうした考え方に従うならば、
抽象度を有する、あるいは、抽象度の深いものが、シンボルということになる。


もちろん、《意味の有無》といった観点から考えることもできると思うんですよ。
ただの物理的な音は、意味を有していない。
もちろん、表音文字一つ一つも意味を有していない。
でも、表音文字を連ねることによって、単語となり、意味を有するようになる。
ですから、表音文字と、それから表現された単語は、異なる種類の存在となる。

また、雨音も、ただの音ですが、これが雨という現象などと我々の頭の中で結びつくと、これはただの音ではなく、意味のある音になる。

みたいな感じ・・・。
意味という観点から考えた方が、筋がいいのかもしれませんね。
こっちの方がスッキリしていますし、漢字などの表意文字にも拡張できますので。


ということで。

この回答への補足

>抽象度を有する、あるいは、抽象度の深いものが、シンボルということになる。

同意します。

>意味のある音になる。

物理的な音に意味(概念)を付与するとシンボルになる。ということですね。

>単語は、異なる種類の存在となる。

文字は単語の補助的な存在とされていますね。

音の組み合わせによって語となり、それらの過程でシンボル化されるが、イメージを想起させて意味があるものを認識させるためのです。
文字での認知(視覚言語)は、音を聞いたとき(聴覚言語)よりも、概念を具体的にイメージしやすくなるのではないかと思いました。
言語の歴史的に、文字は後天的に発生したものですが、そのような意味でも文字は語よりも二義的であるといえます。


>表音文字一つ一つも意味を有していない。

これについては「あ」という言葉は例外だと思います。
例えば「あ」という母音のみの音素であり、または仮名であり表音文字でありますが、驚いた時の意味を表しますが、いかが思われますか?

補足日時:2013/11/27 20:55
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お礼、ありがとうございます。




☆そうでした。これが符号化ということですか?
◇符号化(エンコード・encode)ですね。
音という情報を、ある規則に従って、0と1からなる数字の列に変換、符号化する。
でも、これは《音》そのものではないので、
0と1の数字列を符号化とは逆の方法で、《音》に復号(デコード・decode)しなくてはなりませんけれども。

CDに刻まれている、0と1からできる数字の列は、音でも何でもない。
CDをいくら見つめても、音はしない。
CDを耳に当てても、音はしない(笑い)。



☆コンピュータ言語ということですか?
◇では、ないです。
これは、情報・データですね。

音がわかりやすいので、音を例に説明しますと、
音を一定の時間間隔でマイクなどを通じて取り込みます。
マイクで電気信号に変えて、電圧や電流の強さに応じて、数値化します。
 0(ボルト)→00
 1(ボルト)→01
 2(ボルト)→10
みたいな感じで、電圧を0と1からなる数字の列に変換します。
音にするときは、これと逆ですね。
 00→0(ボルト)
 01→1(ボルト)
 10→2(ボルト)
と復号します。
これを増幅して、スピーカーにつなげば、音という情報に復元できます。
あくまで、これは、タトエですよ。実際に1ボルトが01という2進数というわけではないですよ。


☆コンピュータ言語は、数字やアルファベットでなければ何故ダメなのですか?
◇コンピュータは、0と1から出来た数字の列以外理解できません。
なので、コンピュータがわかる言葉は、すべて0と1という数字の列で書かれています。
こういう言語を、機械語、マシン語といいます。
あまりに人間には理解しづらいので、
 機械語→奇怪語
 マシン語→魔神語
と呼ばれたことがあるそうな・・・。

でも、この言葉は人間には分かり辛い。
そこで、人間にわかりやすい言葉、人間の言葉に近いコンピュータ言語が生まれました。
アルファベットが使われているのは、コンピュータ言語が、アメリカで生まれたからです。そして、コンピュータ言語は、英語に近いものになった。
別に、コンピュータ言語は、平仮名や漢字で構成されていても構いませんし、現に、日本語に近いコンピュータ言語も存在しています。
でも、日本でコンピュータやコンピュータが生まれたとしても、たぶん、アルファベットが使われたでしょうね。平仮名に比べて、アルファベットの方が数が少ないから。

でですね、人間の言葉に近いコンピュータ言語で書かれたプログラムは、こんどは、そのままではコンピュータに理解できない。
ですから、0と1の数字の列からなる機械語に翻訳しなければいけない。
で、コンピュータは、実際にこの作業を行っています。
こういうプログラムを、コンパイラやインタプリタといいます。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

デコードすれば音が鳴るというのが不思議ですねー。

>機械語→奇怪語 マシン語→魔神語

なるほど!(笑)

お礼日時:2013/11/27 20:12

 余計なことですが。



 音韻とそして一定の概念の励起とが対応する〔ようになる〕という見方は 語の意味が変遷を経るという事実を ほとんど説明し得ません。

 言語によって 《音韻と概念との慣れとしての対応》が異なるのは あり得ると見ることが出来ますが 同じひとつの言語のうちで 語義に歴史的な変遷があるという事態は ほとんど説明し得ないと見られます。

 ことばの発生についても 説明しえませんが そのことは どの学説や理論についても同じようですので 触れません。

この回答への補足

>音韻とそして…ほとんど説明し得ません。

>言語によって…ほとんど説明し得ないと見られます。

わかりづらいです。これらの説明について、何か例を挙げてください。

補足日時:2013/11/27 20:09
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言語とは、特定の発音や図形を、特徴的な経験の蓄積に


おいて形成された特定の概念と、条件反射的に結びつけ、
その「特定の発音や図形」の感受において、脳内に「特定
の概念」を励起させるものである。

脳内に「特定の概念」を発生させる原因は、複数の経験に
共通の要因が伴う事により、それは存在の背後にある階層
現象性(個体>細胞>分子>原子>素粒子>クォーク>
超弦(量子))と、その階層を生じさせる進化(物質進化~
生物進化)の過程における系統性による。
「犬」と聞いて何となく平均的な犬のイメージが可能なのは、
過去の犬に関わる経験において、共通の形質が伴った
からであり、それは進化において遺伝的に近い距離に
それらの生き物があるためである。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

言語、平均的なイメージについての説明は理論的で分かりやすいです。しかし

>階層現象性

これは脳内の細胞による…のだと思いますが、

>階層を生じさせる進化

について分かりませんので、もう少し具体的な回答をお願いします(難しい概念でも分かりやすく伝えることが本当の回答だと思います)。

補足日時:2013/11/27 20:04
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 No.2です。



 ★(No.2補足欄) ~~~~~~~~~~~~
 nage

 naga

 は ge と ga の違いはありますが、「同じ語根」というのは na という理解でよいでしょうか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これは 

    / nVgV /

という形態素が 《同じ語根》を成すという意味になります。

    / --gV / : -ge ∽ -ga

 というふうに母音の交替が起きていると理解することになります。

  (3) 《和ぎ nagi 》関連。母音の交替を加えて。
   ・・・
   negi 祈ぎ・労ぎ・禰宜   (障害の消滅を希求)
   nega-u   願う      (障害の消滅を希求)

 ここにも母音の交替が見られます。 na- ∽ ne- 。
 ですから 母音( V )は アイウエオのいづれにも変化しうると見ています。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >このシニフィアン(≒音素)が同じなら シニフィエ(≒意味)も同じであって この場合は《障害の除去》という意味

 「障害の除去」がポイントになるかと思いますが、
  「nVgV」
 V のところには、音が入る。それによって音節のひとつとなる。

 たとえば
 それぞれの V が「a」「i」だったら「nagi」「nage」「nagi」(母音の交替)となる。

 という理解は正しいと思いますが、これに対して「障害」というのは何を指すのですか?
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ たしかに音素としては《障害》といった意味はありません。しかも そこから じっさいの言葉(単語)と成るときには 意味合いがともなわれるといった事態であると考えます。


 つまり 子音としての音素の / n / は 一般に《否定の相(見え方・意味合い)》を帯びると見ます。

   na-si 無し (否定相。 / s / は指定相)
   -na ‐な (禁止法=否定命令法)

 の / n / です。おそらくモノゴトを《否定》の相で捉えたということは その主観にとってそのモノゴトは 嫌いなもの・嫌なものと見ているのではないかと思われます。そこから 《障害や邪魔》といった意味をさらに帯びるのだという推理になります。

 ちなみに 子音の音素の / g / は モノゴトの進行・過程の相だという見立てです。(いま論証を省略します)。

 したがって これらふたつの子音だけの結合としても / n - g / が 《否定したいものの進行・過程》を表わすのではないか。さらにそこから 《障害の除去》という意味合いが出て来るのではないか。という推理になります。

  そこで

   (1) / nagi / なぎ =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ (切り払うべきもの・波風・
   心の動揺がそれぞれ順に障害ないし邪魔と見做され これを除去する・
   これが消滅する というシニフィエとなっている)

 ということですが この場合 ではなぜ《なぎ倒すべき草や たいらかになって欲しい波風や 心の動揺》がそれぞれ選ばれたか? これは まったく分かりません。そのように用いられたというナラワシのことしか分かりません。








 有声音(濁音)と無声音(清音)とを同列に扱うとしますと ガ行はカ行と交替し得ますので / nVgV / の事例に / nVkV / を加えることができます。

(4)naki/ naku  無き/無く    (否定。障害の消滅)

(5)
 niko   にこ(和・柔)      (障害の消滅した状態)
 niko-niko にこにこ(微笑む状態) (同上)
 niko-ya-ka にこやか(同上)    (同上)

 nuku/nuke-ru 抜く/抜ける      (障害・邪魔の除去・離脱)

 noku/noke-ru 退く/除ける     (障害・邪魔の離脱。除去)

 nugu/nuge-ru 脱ぐ/脱げる      (同上。要らないものからの離脱)

 nugu-u/nogo-u 拭う         (同上)

 nige-ru/niga-su 逃げる/逃がす     (同上。次項で 注釈)
 noga-su/noga-reru 逃す/逃れる (同上。ただし 障害や邪魔は 離脱する
            者のほうではなく 相手などほかの者の側に 設定さ
            れている。)

 noko-ru/noko-su 残る/残す   (同上。上の注釈と同じように 視点の移動
            が見られる。消滅したもの・除去されたもの〔A とする〕
            のほうではなく 以前の状態のままに留まったもの〔A の
            否定=つまり 非A 〕のほうに焦点が移ってしまった。)



 《留守》と言うのは 初めは 家から出かけた人ではなく その人の代わりに《留守居》している者を言ったようですが のちには 《家を離れている人 もしくは その人の状態》を言うようになりました。つまり 音韻の対象とするモノゴトが 自己か相手かあるいは第三者かで その視点が移りゆくものと考えられます。


 こんなひとコマでした。
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この回答へのお礼

再度のご回答ありがとうございます。

子音としての音素の / n / は 一般に《否定の相(見え方・意味合い)》

「ない(nai)」「なくす(nakusu)」「なし(nashi)」等々、確かに否定系ですね。

>なぜ《なぎ倒すべき草や たいらかになって欲しい波風や 心の動揺》がそれぞれ選ばれたか?

確かにそれらは否定を中止したいこと、です。つまり「nagi」という音に対応する表意文字が、障害の消滅を希求するのだが、その理由は不明ということですね。

語根や子音とその母音の入れ替えによる音の世界(表意文字)と表意文字との面白い法則を知りました。

お礼日時:2013/11/27 19:45

 こんにちは。



 記号と言いますか 記号のあらわす音韻が 意味をも帯びているのではないかという奇妙奇天烈な仮説をご紹介します。あまりよい回答ではないかも知れません。





 / nVgV /という形態素を取り上げます。このシニフィアン(≒音素)が同じなら シニフィエ(≒意味)も同じであって この場合は《障害の除去》という意味だという例です。

 (1) / nagi /なぎ =薙ぎ・凪ぎ・和ぎ (切り払うべきもの・波風・
  心の動揺がそれぞれ順に障害ないし邪魔と見做され これを除去する・
  これが消滅する というシニフィエとなっている)

 (2) 《投げる nage-ru 》と《流す naga-su ・流れる naga-reru 》と《長い naga-i 》の三語は すでに互いに同じ語根から発生していると説かれている。

  nage-ru  投げる  (障害なく 延びて行かせる)
  naga-su  流す   (障害を避けて 延びて行かせる)
  naga-reru 流れる  (障害を避けて 延びて行く) 
  naga-i   長い   (障害なく延びた状態にある)

 (3) 《和ぎ nagi 》関連。母音の交替を加えて。

  nago-ya-ka 和やか    (障害が消滅した状態)
  nago-mu   和む     (障害が消滅していく)
  nagu-sa-mu 慰む     (障害を除去させる)
  negi 祈ぎ・労ぎ・禰宜   (障害の消滅を希求)
  nega-u   願う      (障害の消滅を希求)

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

なるほど、このような研究もあるのですね。音素は意味がないと言われていることを覆す例ですね。
ですが、ご説明が分かりづらいところもありますので補足質問します。

nage

naga

はgeとgaの違いはありますが、「同じ語根」というのはnaという理解でよいでしょうか?

>このシニフィアン(≒音素)が同じなら シニフィエ(≒意味)も同じであって この場合は《障害の除去》という意味

「障害の除去」がポイントになるかと思いますが、
「nVgV」
Vのところには、音が入る。それによって音節のひとつとなる。

たとえば
それぞれのVが「a」「i」だったら「nagi」「nage」「nagi」(母音の交替)となる。

という理解は正しいと思いますが、これに対して「障害」というのは何を指すのですか?

補足日時:2013/11/20 12:41
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こんにちは。




☆語は音の組み合わせで表示する記号のひとつですが、狭義の記号である文字やマークなどとはどのような違い、または共通点がありますか?
◇音は、0と1の数字列に置き換えができま~す。
音は、数値化、ディジタル化が可能で、CDやDVDなどを通じ、ディジタ信号化かされた音を聞いています。
で、0を「あ」、1を「い」と平仮名に置き換えても問題は生じません。
ただ、これだと、コンピュータの処理に適していないというだけ。
ですから、
音という記号を、狭義の記号と分けて考える必要はないのでは?

で、
違いは、処理に適しているかどうか、でしょうかね。
記号は所詮、手段に過ぎませんので、目的にあった手段・記号を選べばよいということになるのではないでしょうか。

共通点は、記号であるということ(笑い)。



☆モールス信号は表記しないという違いがありますが、他になにがあるのでしょう?
◇モールス信号、モールス符号は、線の長さと、区切りを表す空白の組み合わせからなる記号です。
図示できます。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC% …


というこで。

この回答への補足

ご回答ありがとうございます。

〉狭義の記号である文字やマークなどとはどのような違い

質問の仕方、間違ってしまいました。
語と比較したとき、文字やマークの特徴は?ということです。

◇音は、0と1の数字列に置き換えができま~す。

そうでした。これが符号化ということですか?
コンピュータ言語ということですか?コンピュータ言語は、数字やアルファベットでなければ何故ダメなのですか?

補足日時:2013/11/19 20:44
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