『ボヘミアン・ラプソディ』はなぜこれほど人々を魅了するのか

イギリス人に「どんな歴史上の事実を恥ずかしいと思う?」
と聞いたら、「いろいろあるけど、ボーア戦争はひどいね。」という答えが。

たしか、高校の歴史では、「金やダイヤモンドをめぐる、イギリスとボーア人の戦争」とあったような気がします。
どこが、そんなにイギリス人にとって恥と感じるところですか?

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A 回答 (5件)

ボーア戦争(あるいはブール戦争)は、1899年に勃発しました。


当時、南アフリカのボーア人の国トランスバール共和国とオレンジ自由国で金とダイヤモンドの豊富な鉱脈が発見されました。
これに目をつけたイギリスによる両国への典型的な侵略戦争です。
ボーア人は、もともとオランダから南アフリカに入植した人たちのことを言います。
トランスバール共和国とオレンジ自由国は同盟しますが、約2万のボーア軍に対し、英国はカナダ・オーストラリア・ニュージランドなどからの50万の大兵力で侵略し、ボーア人はゲリラ戦に転じて抵抗しますが、結局1902年に敗北します。
この間、現地の黒人たちは両軍に強制的に徴兵され犠牲者となりました。
悲惨なのは、イギリス軍がゲリラの根拠地一掃のため、老人婦女子などの非戦闘員を強制収容所に容れ、村落を焼き、虐待して死亡させたことです。
12,000人以上の民間人が強制収容所で死亡したといわれます。
現地の黒人から見ると、この戦争はイギリスと、アフリカに居付いたオランダ人入植者たちの間の戦争です。
イギリスはボーア人の住む両国を占領して植民地とし、1910年に南アフリカ連邦を建国しました。
しかし、この戦争でイギリスは軍事力が低下し、日英同盟を結ぶ要因にもなります。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。
どなたかが紹介してくれたBBCのニュースサイトに書かれていたことで、疑問に思っていた点がこの答えを読んで解決しました。
やっぱり、日本語のほうが分かり易い~。

お礼日時:2004/04/23 15:32

3の方に 補足なのですが、19世紀末 20世紀頭に置いて



「文化の優れている、ヨーロッパ人が 遅れている 人種を征服することは 恥ずべき行為ではない」

という前提がありました。
その前提を裏切って、オランダ人の子孫であるボーア人(オランダ語の農民という単語がなまったもの)を征服したので「恥ずべき行為」となったわけです。

アヘンを無理矢理押し込んで、それを捨てたからと言って始めた アヘン戦争の方が もっと 恥じるべきだと思いますが、相手が中国だったので 恥の度合いが低いんでしょうね。
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No.2再登場です。

気になって調べ直しましたら、
No.3さんのご指摘の通りでした。
ブラッドリバーの戦い(1838)
 現地ズールー族2万人 VS ボーア人464人
 これが近代兵器対やり&弓の最初の戦いでした。
 ズールー族(死者3000人):ボーア人(けが人数人)
第一次ボーア戦争(1880)
 ボーア人対イギリス人
 ボーア人善戦し休戦協定を締結、独立回復
第二次ボーア戦争(1899)
 ボーア人対イギリス人
 (混血の人たちは、ボーア人に協力) 
 ボーア優勢->イギリス逆転->ゲリラ戦->
 イギリスによる虐殺行為->イギリス勝利
 
3つの戦いを、ごちゃ混ぜで記憶していたため失礼しました。
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ボーア戦争のことについてはもう回答が出てますが、なんでひどいかといったら、何の大義名分もないのに金やダイヤモンドほしさに侵略するいやらしさが明白に出てるからでしょうね。

強盗と同じですから。
もっとも英国は海賊の国だからちっともおかしくはないけれど、近代になっても同じことをやったからでしょう。

あと、No2さんが、ボーア人は混血と書いていますが、混血は「カラード」で別です。普通はカラードとは有色人種のことですが、南アフリカではボーア人と現地人の間の混血をそういいます。
また、ボーア人と現地人が協力と書いていますが、現地人は協力などしていません。強制的に徴兵されただけです。
ボーア戦争はあくまでオランダ系入植者の子孫のボーア人と英国人との間の白人間の戦争とされています。
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近代兵器が大規模戦闘に使用された初めての戦いですね。

ブーア(ボーア)人とは、入植者と現地人との混血の人たちの名称だったと思います、入植者とブーア人と現地人が協力して、イギリスと戦いました、初戦ではブーア人(ほぼ現地人の部族で編成)が優勢でしたが、イギリスが本腰を入れて近代兵装の部隊を送り込んだ後は、武器の性能が段違い(槍や弓が主で一部旧式の銃を持っていたそうです)で、ほぼ虐殺に近い状態で軍同士の戦闘は終了しその後は、ゲリラ戦に移って行きました。
イギリス人の中でも評価は分かれる所で、シャーロックホームズを書いた、コナンドイルは、肯定派でワトスン博士は、ブーア戦争に軍医として従軍したという設定で作品の中でたびたび、ブーア戦争を肯定する発言が出てきます。また、映画になった「鷲は舞い降りた」では、イギリス本土に降下したドイツ兵の手助けする婦人は、イギリス人なのになぜドイツに協力したのか尋ねられて、「私はブーア人です」と答えるシーンで小説は終わります、この一言でヨーロッパ人はその心情を察する事ができるのです。雑学的には、ボーイスカウトを作ったベーデンパウエルは、ブーア戦争に従軍し、現地では少年兵が斥候(スカウト)として戦地で戦っていたのに、イギリスに帰還したら、イギリス人(ロンドン)の子供たちの軟弱さを嘆き、鍛えなおす為にボーイスカウトを作りました。”ブーア戦争では、まさか子供が斥候だと思わないので、捕まっても逃がしてもらえるので、有効だったとか・・・当時のイギリス人って、汚い手を使いますねぇ・・・”

この回答への補足

YUZURUさん
ありがとうございました。
私には、この戦争はあまりなじみがなかったので、ホームズやワトスン博士、ボーイスカウトのことなど、まさに「へぇー、へぇー、へぇー」ものでした。

BBCの記事には、「ボーア人の開拓民」と「50万の英国軍」と書かれていて、一体どんな戦争だったんだろう?と不思議に思っていました。
なにか?読むのにお勧めの本などありますか?

補足日時:2004/04/23 15:42
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Qイデオロギーって何ですか???

イデオロギーとはどんな意味なんですか。
広辞苑などで調べてみたのですが、意味が分かりません。
どなたか教えてください。

Aベストアンサー

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオロギ-には賛成・反対といった概念がないのです。

例えば、環境破壊は一般的に「やってはいけない事」という一定の考えに
組織されています。つまりみんなが根本的な共通の考え(やってはいけない事)として組織されているもの、これがイデオロギ-なんです。
しかし、社会的立場によってはその「やってはいけない事」を美化して
公共事業と称して環境破壊をする人達もいますけど。
ここでイデオロギ-という概念に対して色んな論説が出てくるわけです。
一応これは一つの例ですけど。

というかこれくらいしか説明の仕様がないですよ~~・・。
こういう抽象的な事はあまり難しく考えるとそれこそ分からなくなりますよ。
この説明で理解してくれると思いますけどね。

イデオロギ-というのは確かに色んな解釈をされていますけど、
狭義ではそれぞれの社会階級に独特な政治思想・社会思想を指します。

つまり分かりやすく言えば、人間の行動を決定する根本的な物の考え方の
体系です。一定の考え方で矛盾のないように組織された全体的な理論や思想の事を
イデオロギ-と言うんです。

例えば、人間はみんな千差万別であり色んな考えを持っています。
だから賛成や反対といった意見が出てきますね。
しかし、イデオロギ-というのはみんなが認める事象の事です。
イデオ...続きを読む

Qエルサレムに、なぜ3宗教の聖地が在るのですか?

エルサレムでは、紛争が延々続いていますね。
あんなに狭い所に、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教という3宗教が聖地を持っているから、トラブルが起きるのは当たり前だとは、とは思います。その3つの宗教は、ユダヤ教、それから発生したキリスト教、そしてそれらと影響のあるイスラム教、という関連のある宗教ですね。
世俗的には、エレサレムの街自体は、たとえば交通の要所とかではなく、たいして重要な街とは思えません。
それなのに、、なぜ3宗教は、エルサレムに聖地を持っているのですか?
たまたまエルサレムに3聖地が混在するだけなのですか? あるいは、歴史上や宗教上で、何か慨依性を持っているのですか?

Aベストアンサー

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ(イスラエル)の地にやってきて、神様は「よーしお前ら、ここをお前たちに与える」と畏れ多くもありがたくおっしゃいました。しかしそこは当然先住民がおりまして、「なんか、先に住んでる人がいますけどこれはどうすればいいですか?」と伺いましたところ、「お前たちに与えたから殺しちゃってオッケーよ」とおっしゃいました(本当)。かくして彼らはそこにユダヤ人国家を作りました。ユダヤ人がイスラエルを「約束の地」と呼ぶのはそういうことです。
そんなこんなの経緯は旧約聖書に書かれています。

さて、ユダヤ教徒はエルサレムに神様を祭る壮大な神殿を作りました。その頃がユダヤ教とユダヤ王国の絶頂だったといえるでしょう。その後神殿は破壊されてしまい、その一部が残るのみとなりました。その遺跡が「嘆きの壁」と呼ばれるところで、そこでは常に敬虔なユダヤ教徒が祈りをささげていますが、そのお祈りの内容は、「神様、あの栄光の日々がまた訪れますように」というものです。その「また訪れてほしい栄光の日々」とは3000年くらい前の話なんですけどね。

ユダヤ人の国は、あんなこんながイロイロとありまして分裂したりして、やがてローマ帝国の属州となりました。ローマ帝国ってところは実は非常に寛大な帝国で、帝国に従うなら信教の自由も認められていました。日本人レベルでいえば、「それならいいじゃん」というものですが、「この世で神様とお呼びしていいのはおひとりだけ」と信じる彼らにとって異教徒がウロウロしているのが非常に気に障って障ってしょうがないのです。イスラエルでは、ローマ帝国に対するテロ活動が盛んでした。
ユダヤ教徒の歴史では、そういう「ユダヤ人受難のとき」にはエリヤとか神様の言葉を預かる「預言者」が登場して人々を導きました。ユダヤ教徒たちは、そういう「救世主」が出てくることを待ち望んでいたのです。

そういったタイミングに登場したのが、ナザレ生まれのイエスでした。イエスはユダヤ教史上、というか宗教史上において革命的な言葉を発しました。「ベイベー、愛だぜ」と。彼は、あの神様のことを「父ちゃん(アバ)」と呼びました。後になんだかんだでイエスは神の子となりました。マリア様が処女のまま神の子を受胎したお話はご存知でしょ?
それがどれだけ革命的であったのはまた別の機会に譲るとして、「憎みあうより、愛し合おうぜ」と言い出したイエスは人々からローマ帝国を排除する指導者となることを熱望されましたが、「だから俺は憎みあうのは嫌なんだよ。愛し合おうぜ」といって人々を失望させ、エルサレムからすぐ外に出たところのゴルゴタの丘で十字架にかけられてしまいました。
その後、実は一度もイエスと会ったことがないパウロが「イエスは救世主(キリスト)だったー!」と言い出してキリスト教が誕生します。なお、旧約聖書では「救世主はベツレヘムに生まれるよ」と書いてあったので、イエスはベツレヘムで生まれたことになりました。
当然のことながら、キリスト教にとってエルサレムは「イエスが十字架にかけられた場所」ですので極めて重要な聖地であります。

そのイエスが十字架にかけられて50年くらい経ったとき、「もう我慢ならねえ、ローマ人は出ていけ!」とユダヤ人は反乱を起こしました。それ以上にブチ切れたのはローマ人です。「人が下手にでてりゃあ属州のくせにでけえ態度をしやがって。ローマ帝国の恐ろしさを骨の髄まで教えたるわ」と本気で怒り、反乱を鎮めただけではなく、何かとややこしい神殿を破壊し、「ややこしい神を信じてるお前らはこの辺りに住むんじゃねえ」とユダヤ人をパレスチナから追放しました。
これがディアスポラです。以来約2000年、ユダヤ人はイスラエルの地に再びユダヤ人の国を再興することを願いながら世界中でお金を稼ぐこととなります。

時代はずーっと下りまして、メッカの洞窟で、青年ムハンマド(マホメット)の前に大天使ガブリエルが現れて「君が預言者だよーん」と告げました。イスラム教の誕生です。ムハンマドの元にガブリエルを派遣したのはあの、例の、何かとややこしい「神様」でいらっしゃいます。そういや、マリア様の前に「あなたは神様の子を宿したよ。おめでとう」と告げに来たのもガブリエルでした。ガブリエルさんはどうもややこしいお仕事を何度もされているようです。
ムハンマドのあまりに偉大な足跡に関していちゃもんをつけると冗談抜きでアルカイダから死刑宣告されてしまいますので、それについては割愛します。
イスラム教にとって最も重要な聖地は、ムハンマドが神の啓示をうけたメッカです。しかしムハンマドは一神教教徒なわけですから、「死ぬまでに偉大な神殿があったエルサレムで死にたいなあ」と当然といえば当然で、ややっこしくなることを願います。
そして、そのエルサレムの地で天に旅立ってしまったのです。エルサレムはイスラム教にとっても「教祖様が入滅された場所」となってしまったのです。

かくして、エルサレムの地はユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒が俺の場所だ、いいや俺の場所だと大変にややこしい場所となってしまいました。

まずですね、一神教ってのが興るんです。「世の中に神様と呼ばれるお方はおひとりだけ」という考え方です。
この一神教の神様は、ユダヤ教が呼ぶヤハウェ、キリスト教が呼ぶゴッド、イスラム教が呼ぶアッラー、全て日本語に訳せば同じ「神様」です。
この神様はモーゼさんの前にそのお姿を現したときに、「俺以外の神扱いされてるやつは全部ニセモノのまがいもののファック野郎だ!」とおっしゃいました。そこを起源にしてユダヤ教が始まりました。
ま、いろいろ経緯はありましたが、ユダヤ人一行は今のパレスチナ...続きを読む

Qリベラルとは?

・左派、革新、社会主義
・右派、保守
という分類ができると思うのですが、
リベラルや自由主義は、どう考えたらいいのでしょうか?
よろしくお願いします。

Aベストアンサー

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共和党政策が旧保守主義(右派リバタリアン)で、それ以後を新保守主義(ネオコン)といい保守と名乗っていますが、実態は左派リバタリアン(左派が保守に転換し、現状を保守する為に革新的手法(戦争など過激な改革を許容する)を執ると言う主義)です。

 自由主義の反対となる統制主義も左派だと共産主義や社会主義、比べると右派に成るイギリスの「ゆりかごから墓場まで(高福祉政策)」などが有ります。

 簡単に言うと、積極的に変えようとするのが左派で、変わらないように規制するのが右派です。そして変える方向(変えない方向)が自由か統制かで分類できます。

 日本には明確に保守を謳う政党が無いので、イメージがわき難いのかも知れませんが…。
 (自民・民主党は中道で、共産党は左派統制主義ですから…。)

 政治思想は、下記のXY軸に表す事が出来ます。(リベラルを日本語に訳したのが「革新」あるいは左派です。)

 Y軸 Libertarian(自由・市場主義 = 小さな政府) - Statist(統制主義 = 大きな政府)
 X軸 Liberal(革新) - Conservative(保守)
 真中 Centrist(中間主義)

 各派の解説は下のURLの解説部分を参照してください。
   http://meinesache.seesaa.net/category/719933-1.html

 自由主義と言うとリバタリアンの範疇になりますが、アメリカの政治に例えると、レーガン大統領より前の共...続きを読む

Q第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由は?

先日、池上彰さんのテレビ番組で「第2次世界大戦のソ連の戦死者は2000万人を超えている」「その恐怖からスターリンは、隣国を共産国にした」ということを知りました。

日本の太平洋戦争での戦死者は300万人くらいと聞いてますが、日本の戦死者と単純に比較できるのかどうかわからないのですが、日本の7倍の戦死者の数には、とても驚きました。

第2次世界大戦のソ連の戦死者が多い理由をお教えいただけましたら助かります。

よろしくお願いいたします。

Aベストアンサー

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭であり戦略予備といえるシベリアの部隊はありましたが、ノモンハンのときに日本の帝国陸軍と正面衝突を初めてして大損害をうけた経験から、軽々しく欧州戦線に移動させるつもりに、ソ連軍指導部はなれなかったのです。
そのノモンハンのソ連軍総司令官が、スターリン直々に任じられたジューコフでした。

ジューコフは、

1 ソ連軍は弱い

2 だから勝つためには、敵より多くの兵器と兵士を前線に惜しみなく投入し、その重みで押しつぶすしかない

3 だから、兵士も戦車も大砲も、とにかく数をあつめる

ということを、理解していたので、必要なだけの兵力を敵がつぶれるまで投入しました。当然ながら自分より強い相手を数でつぶすのですから、犠牲はふえます。
さらに、この考えをスターリンも支持したので、党、治安組織、軍事思考、動員体制、といったソ連という国家の戦争体制そのものが、勝てるまで人命も装備も前線に突っ込むように構築され、上から下まで人命軽視というより、人命より目的達成、のドクトリンが徹底しました。目的達成が勝利なら、なおよし、です。

そのような体制のもとで運用されたソ連軍の基本的ドクトリンは、

最低でも幅50kmの線に分厚く、最低でも敵の3倍、普通なら5倍、理想は7倍の二陣の部隊を結集させ、

まず砲撃と航空攻撃だけで相手の6割に損害をあたえ、

そして第一陣が弱った敵に突っ込みその第一陣が自分の損害を省みず敵をなぐるだけなぐったら、

味方第一陣の残骸を乗り越えて無傷の第二陣が第一陣と戦ってボロボロになった敵を蹂躙する、というものでした。

装備は更新されたし、戦車・武器も疎開した工場と米英のレンドリースでそろえてはいるが、兵士の教育が低い軍隊にむずかしいことはあまりできません。字の読めない兵士が珍しくないどころか、ロシア語がわからない兵士も珍しくありません。
なので、時には下級将校は選挙で選び出され、そのような将校には反抗するものを軍法会議抜きで「処分」する権利はあたえられました。戦争をしている国家と党に異を唱える者はいらない世界です。
また、女性が前線で銃をとったり、戦車兵をやったり、戦闘機・爆撃機パイロットをしたりしたのも、ソ連軍だけでした。

この残酷な単純化となりふりかまわなさが、精鋭のドイツ軍相手に血を流しつつも、ソ連軍を勝たせたのです。

まあ、漫談です。

ソヴィエト軍はバルバロッサ作戦当初にその主体が壊滅したので、1941年のタイフーン作戦を乗り切って以降の部隊が、みな新兵、という特徴がありました。
また旧式の機械装備も壊滅したので、結果的に機械装備が新式のものにいれかわりました。
T-34は名高い戦車ですが、他につかえる戦車が当初はなくなってしまっていたから使った、というのが実態です。
最新装備と新兵がまぜこぜになった軍隊が、モスクワ正面の戦いを乗り切った、1942年当初のソ連軍でありました。

もちろん精鋭...続きを読む

Q夫がネオナチです。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました。

私の結論は言うまでもなく、ヒトラーはコンプレックスを大きく抱えた異常者であるということです。(差別感をあのように現実化する)

どんな言い訳も、通用しないと思います。

また、形式美をたたえる向きもありますが、愚の骨頂です。

もう何年も夫を説得してみましたが、変わりません。
この際個人の思想は尊重します。

子供に悪影響を及ぼすことだけが心配でなりません。
ヒトラー崇拝の方、なぜ?どんなきっかけでそのような思想に?

教えてください。

また、同じ境遇で、子育てされた方、経験談、アドバイスなどいただきたく思います。

40代の夫は、いわゆるネオナチです。

もちろん結婚するまで、このような強い思想を持っているとは知りませんでした。

ヒトラーを崇拝し、自らもそのような人物になりたい。
自分の子供に、「ハイルヒトラー」と叫ばせたいと。
私もいろいろ勉強しました。
現在でも、賛否両論、喧々囂々、さまざまな解釈がされていますね。

無知なときにはただ、独裁者であることと、大量虐殺を行った人物であることしか知らず、ただ恐れていましたが、少し勉強して、彼の生い立ちや、歴史的背景などがわかりました...続きを読む

Aベストアンサー

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由のネオナチは少数派なんですね。
アメリカの有名なネオナチ指導者なんて父親が黒人に殺されたからという
理由でネオナチの活動家になっただけですしね。

御主人が立派なネオナチなら華僑が経営する中華レストランや在日朝鮮人が
経営する焼肉屋への破壊活動は当たり前に実践しているはずでしょう。
そういうことをしないで家でヒットラー最高といっているだけであれば
単なる「オタク」です。心配ありません、この手のオタクはたくさんいます。

軍服を見るとワクワクしてくるというかなんというか
細かい政策云々よりもその時代に対する憧れが中心ですからね。
私の中学時代の同級生にも強烈な国粋主義者がいました。彼の部屋は
日章旗はもちろんのこと満州国の地図、軍刀をたずさえた自分の写真も
貼ってありました。

軍事関係の雑誌を見ればナチス関連のグッズを扱う業者はたくさんいます。
それだけナチス好きな日本人がいるということでしょうが、日本では
あまり外国人排斥活動は見当たりませんね。(たまに在日朝鮮人に対する
いやがらせはありますけど、リンチがあるというわけではないし)
みんな、家やサークルの中で「ハイル・ヒットラー」といっているだけの
ナチスごっこにすぎません。たぶん、女性にはこの手のマニアぶりが
理解できないでしょうが、そんなに実害はないでしょう。

子供は親だけと過ごしているわけではありません。少なくとも両親が
違う思想であれば、成長するにしたがって「アホちゃう」と思いますよ。
ただ、御主人が実際に外国人排斥に対して行動をおこしていて
外国人へのリンチをしているようであれば、それは別の問題ですが。

ナチスについて勉強されているようですが、再度、優生学について
勉強してみてください。ナチスの場合は公衆衛生学と言う場合が多いのですが
この法律を題材に御主人に同意できるかどうか、できるのであれば
堂々と選挙に立候補するように勧めてみて下さい。選挙公約には
「ハンセン病訴訟の国家賠償の反対」として。ヒットラーは権力者では
ありますが、それ以前に政治家です。彼がまともと言える点は自分の主張を
選挙で訴えて権力を握ったことです。御主人がヒットラーのようになりたいのであれば
ちゃんと政治家として活動するべきだと思います。それができないようであれば
やはり、オタクとしか言えず、心配する程のことでもないと思いますよ。

繰り返しますが、問題はネオナチとはヒットラーに対する個人的な評価ではなく、
ナチスが提出した法律、政策の問題です。ヒットラーがどいう人物であったかを
議論するのではなく、政策面で話し合った方が有意義だと思いますよ。

ネオナチといってもいろいろあります。
いわゆる「あのころは良かった」というナチス残党組と
失業者を中心とした外国人排斥思想組、若者を中心とした白人至上主義組等ですね。

日本の場合は移民自体が少ないために外国人排斥活動は見かけませんが
若者を中心とした弱者排斥思想は日本でも同じです。いじめや浮浪者刈りは
その典型ですよね。こうして現状に対する不満を外国人や弱者にぶつけるのが
最近のネオナチであり、その大義名分がナチスの政策なんです。
なので単にヒットラーが好きという理由の...続きを読む

Qアメリカの南北戦争って結局は黒人奴隷の取り合いだったの?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、なぜ戦ったのか不思議に感じていました。  普通考えるとあり得ないですよね。  あまりにもキレイゴトすぎるというか ・・・ もし自分が北部の白人兵士だったら、黒人奴隷を開放するために戦場に行って南部の白人と戦えますか?

結局は62万人もの犠牲を出して戦争は終結したのですが、朝鮮半島のように同胞どうしが国内で戦う悲惨な歴史をアメリカはもっているわけですよね。

そこでお聞きしたいのですが、有体にいってアメリカの南北戦争とは結局は 「黒人奴隷による安価な労働力」 を南北で取り合ったというのが正しい考え方でしょうか?

もしそうなら、リンカーン大統領はなぜ偉人というか歴史に残る大統領として今でも語り継がれるのでしょうか?

仮に 「たしかに労働力の取り合いだったとしても、結果的に奴隷制の廃止、またその後、黒人奴隷の人権も認められるキッカケになったじゃないか」 という意見があったとしても、実際にアメリカで黒人が白人同様の人権を認められるのに南北戦争後、約100年以上もの時間を要しているわけすよね?

つまり奴隷解放、人権回復というのは南北戦争がなくても20世紀に入ってからの時代の趨勢で実現されていたというか ・・・

それとなぜ英語では南北戦争ではなく、Civil War (市民戦争?) と表現されるのでしょうか?

様々な歴史書で紹介されていますが、アメリカの南北戦争は、黒人奴隷制に対する南北間の主張の対立が原因だったと聞きます。

つまりプランテーション農業に要する奴隷の固定化を主張する南部と、工業化が進み労働力の流動化が求められる北部という対立ですね。

子供の頃に読んだ偉人伝で、リンカーン大統領は黒人奴隷を解放しようとして南部に戦いを挑み、その結果勝利し、黒人開放へと歴史は進んだと教えられました。

でもハッキリ言って、当時小さいながらもアメリカ白人が黒人奴隷を解放するために、...続きを読む

Aベストアンサー

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですから自由貿易を望みます。
ところが新興工業地域の北部にとっては、まだ生産性が低い自国製品では進んだ英国製工業製品に太刀打ちでがきません。
イギリスからの輸入品との競争に弱い北部工業地域は、保護貿易を主張します。
南北戦争とはこのような国内産業のあり方、対外政策のあり方をめぐっての戦争だったわけです。
だから南北戦争では北部は南部に打撃を与えるための戦術として奴隷解放を主張したと思われます。(現に「勝つためなら奴隷のことなんてどうでもいい」というような発言も残っています。)

そして北軍の勝利となり、国内産業保護的な政策をとることができるようになり、これを背景としてアメリカ国内における工業が飛躍的に発展するわけです。
これがいわばアメリカ版産業革命です。

Civi lWarと呼ばれるのは多分対外戦争ではないからでしょう。

リンカーンが語り継がれるのは別に奴隷解放を主張したからではなく「人民の、人民による、人民のための政府」という演説が有名になったためでしょう。
日本でのリンカーン人気は、有色人種差別に苦しんだ明治の頃の日本人が、「奴隷解放宣言」を真に受けて広く紹介したためと思われます。

南北戦争の原因は諸説いろいろありますが、非常に単純化すれば、北部の新興工業地域と南部の大規模農業地域の対立ということです。

アメリカの農業は既に工業化が発達しているイギリスへ原料となる綿等の原料農産物供給をすることにより発達しました。
南北戦争以前から南部ではイギリスへの輸出のための綿花栽培のプランテーションが大規模に行われていました。南部の大規模農業は奴隷制に支えられ、非常に生産性が高く、安価な農産物を大量に生産できました。競争力ある南部の農業は自由に輸出したいですか...続きを読む

Qユダヤ人はどうして嫌われているのでしょうか?

映画「ホテル・ニュー・ハンプシャー」で、
「このホテルにユダヤ人がいるんじゃあるまいな」という
発言がありました。
シェイクスピアの「ベニスの商人」もユダヤ人です。
チャップリンの初期の映画にもユダヤ人をばかにする人種差別的ギャグがあるそうです。
ヒットラーにも嫌われました。
どうしてユダヤ人は嫌われるのでしょうか?
イエス・キリストがユダヤ人なのですが、白人はそう思ってないのでしょうか?

よろしくお願いします。

Aベストアンサー

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様です。気をつけたいものです)。

さらには独自コミュニティを形成してそれを崩そうとせず、あくまで頑なにユダヤであるということを固持してきました。
これは、キリスト教という緩やかなつながりでつながっていた西ヨーロッパ圏では、ユダヤという存在は異端という点がその場に存在しているようなものです。
日本でもそうですが・・・自身たちとは違う風貌、習慣を持つ人は少なからず煙たがられる傾向があります。
さらには、銀行業などの当時「卑しい」とされていた職業で設けていました。余所者に自身たちの金を吸い上げられるのですから、決して面白いわけはありません。

もう一つが、政治的要因。
政治で、国民の不満をそらす方法に、悪役をつくる、というのがあります。
簡単に言えば、こじつけでも「~が悪い」というのをつくれば、そこに国民の不満がいきますから、政府とかそういったお上に攻撃がこなくなります。
で、ユダヤはキリストを十字架送りにしたというのがありますから、非常に悪役に仕立てやすいのです。上に書いた民族的な特徴も仕立てやすい理由です。

大体、嫌われる、あるいは嫌われている人、民族には共通項があります。
1.お金にうるさい(理由はともあれお金をためる人全般)
2.異文化的である。または異文化の性質を強く持っている
3.異郷の地でがっぽり稼ぐ人
4.郷に入らば郷に従えを実践しない人
5.自分たちのほうが偉いと少なからず思っている人
などなど・・・
ただ、こうやって見るとわかるように、どこぞの民族も似たようなことをやっています(車をアメリカで売りまくって、ご当地の車会社から白い目で見られたりする国です。まあ、いまはあまりやらないのかな・・・?)。
結局、嫌われる民族か、そうでないかというのは、ある意味紙一重なところがあります。
ユダヤが嫌われているのは、これらを満たしてしまっているせいと、国を持たなかったという地政学的悲劇のためと考えています。

いくつかありますが・・・
ユダヤ教の中における考え方に「選民思想」があります。簡単に言えば自分たちが優勢人類だ、という代物なのですが・・・
これをもっている民族はたいがい他の民族と仲良く出来ません。
理由は簡単です。本来同等の立場であるにもかかわらず自分たちのほうが上であるという態度を取っているのですから、嫌われるのはある種当然といえましょう(この選民思想に近い思想を持っている民族はすべからく嫌われています。このごろは減りましたがまだそういったのを持っている日本人も同様で...続きを読む

Q1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核

1980年のソ連軍と現在の自衛隊が戦ったら自衛隊は勝てるでしょうか?核兵器は除きます。

Aベストアンサー

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイル駆逐艦で、あとの32隻が砲のみ。
フリゲート艦は180隻で、このうちミサイルフリゲートが72隻で、あとの108隻は砲のみ。
他にミサイル艇128隻。魚雷艇220隻。哨戒艇111隻。
潜水艦は核抜きという事なので弾道ミサイル潜水艦は抜きにして・・
原子力巡航ミサイル潜水艦が47隻。巡航ミサイル通常型潜水艦が22隻。攻撃型原子力潜水艦が52隻。攻撃型通常潜水艦が138隻。
これに対し、海上自衛隊は護衛艦が50隻、通常型潜水艦が16隻。

難しい話は抜きにして、ただ単純に戦力をぶつけあったなら自衛隊は高性能な兵器により多大な損害をソ連軍に与えるでしょう。しかし、最終的には数の差で圧倒され敗北すると思います。

ちょっと小難しい話をすると、自衛隊に日本が守れるかというと、無理です。日本の弱点は海上交通路です。貿易ができなければ日本の命取りです。そしてペルシャ湾、インド洋、南シナ海、太平洋の広大で長い海上交通路をわずかな海上自衛隊の戦力では守りきれません。ソ連の大潜水艦隊の通商破壊戦に敗北するのは必至です。

ですが、それはまあ置いておいて・・もしソ連軍が日本に侵攻するとしたら・・
まずは準備でしょう。西から極東に戦力を移し、航空基地を幾つも建設し、全ての揚陸艦をソ連太平洋艦隊に配属し、沿海州沿岸にスカッドC地対地ミサイルを数百基集結させます。
そして、まずは千歳基地にミサイルでの一斉攻撃を行います。沿海州沿岸から千歳までは500キロに達しません。スカッドCなら十分に射程内です。また、潜水艦発射巡航ミサイルも使用します。長距離爆撃機から発射する長距離空対地ミサイルも使用します。このミサイルは射程が300キロもあるので、長距離爆撃機はミグ戦闘機の援護を十分受けられます。バジャー、ベアといった長距離爆撃機は460機もあります。
ミサイルの波状攻撃、飽和攻撃により千歳基地を無力化します。
いかに高性能の戦闘機、対空ミサイル部隊でも数が多すぎて対処できないのではないかと思います。戦闘機も基地と滑走路が無ければ戦えません。他の基地に行くか、民間空港を利用するしかありませんが、そこで補給・整備の体制を整えるのは大変でしょう。
千歳の次は三沢です。
北海道の制空権が取れそうなら上陸作戦を開始します。イワン・ロゴフ級揚陸艦1隻、アリゲーター級戦車揚陸艦14隻、ロプチャ級戦車揚陸艦12隻、ポルノクヌイ級戦車揚陸艦52隻を中心とする揚陸艦隊です。この艦艇の数なら一度に720両の戦車を運べます。二往復すれば、早くも質的にはともかく数的には自衛隊の戦車の数を凌駕します。三往復すれば自衛隊の倍の数の戦車です。
ソ連太平洋艦隊はその援護です。日本の潜水艦対策には機雷原を構成し揚陸艦部隊に近寄らせないようにします。あとは空と海上の対潜部隊に厳重に監視させれば十分でしょう。
そして、南下し順々に攻略していきます。
スペツナズなどの特殊部隊を日本各所に侵入させ破壊工作も行います。
数の少ない自衛隊は非常に苦戦を強いられるでしょう。
つまりはソ連軍の勝利という事で。

無理です。

イギリス国際戦略研究所の発行する「ミリタリーバランス1981年~82年版」によると・・
(1980年とは1年違いがありますが、そう戦力に開きはないと思います)

ソ連陸軍の兵力は182万5千人で、戦車の数は4万5千両。
現在の陸上自衛隊は約15万人で、戦車の数は900両。

ソ連空軍の戦闘機数は5300機で、航空自衛隊は攻撃機を入れて約370機。

ソ連海軍の艦艇は・・
巡洋艦37隻。このうち原子力巡洋艦は1隻。またミサイル巡洋艦は27隻で、あとの10隻は砲のみの旧式艦。
駆逐艦は73隻で、このうち41隻がミサイ...続きを読む

Qフィンランドは冬戦争でどうやって戦車を捕獲

冬戦争のとき、フィンランド軍はソ連軍と比べて質・量ともに遥かに劣っていたにもかかわらず連戦連勝して戦車を何台も捕獲したりしていますが、一体どうやって戦車を捕獲したのですか?

Aベストアンサー

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。

フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち構え、先頭のトラックと、最後尾のトラックを攻撃して、動けなくさせます。このときできれば野戦炊飯車に数発撃ち込むそうです。

ソ連兵は森に追跡に入っても、スキーで逃げたフィンランド兵を補足できるわけもありません。で、先頭と最後尾のトラックがやられた部隊は、道で立ち往生です。戦車も装甲車も。

夜になると、零下40度になります。もし野戦炊飯車がやられていたら、温かい物を口にすることすらできません。寒空の下で凍傷患者がでると、移動すらできなくなります。なので、装備を捨てて、歩いてソ連兵は退却せざるをえません。

残ったソ連製装備は、雪の作業になれたフィンランド軍が、こわれた車両はさっさと修理して、こわれていない車両はさっさとエンジンを起動させて、もっていってしまう、というオチです。
戦車も、装甲車も、マキシム機銃4丁つんだ対空トラックも、もっていき放題です。

ヘルシンキの軍事博物館に、ソ連軍のフィールド・キッチンがありました。200人分のスープが作れるそうです。ただし、釜の部分に穴があいていなければ、ですね。

フィンランド軍の作った陣地にやってくるように、デタラメな標識をたてたり、極めつけはロシア語ができるフィンランド兵がソ連軍の服を着て、ウソの道を教えたりしたそうです。

真冬のフィンランドに行って、極北からスノーモービルでロシア国境が見えるところまで行ってきた経験がありますが、多分にもれず軍事にも興味ありました。

フィンランドの戦場は森が多く、その多くは道が一本でしかも舗装されていませんでした。冬戦争のとき、気温は零下40度になったそうですが、とにかくソ連軍は不確かな地図(作戦地図が完成したのが、冬戦争が終わったあとという体たらくです)しかないので、その一本道を進軍するしかありません。

フィンランド兵は地元出身者中心に勝手知ったる森で待ち...続きを読む

Q本日天気晴朗ナレドモ波高シ……は何故名文なのか?

東郷平八郎が丁字戦法を使ってバルチック艦隊を破った時、
秋山参謀という人が東京にこんな打電をしたそうです。

「敵艦見ユトノ警報ニ接シ 連合艦隊ハ直チニ出動 コレヲ撃滅セントス、
本日天気晴朗ナレドモ波高シ」

高木彬光先生の歴史小説の中で「名文中の名文」と謳われていましたが、
どうもしっくりきません。

だって、単なる指令と天候を伝える平叙文じゃないですか。
これだけシャープに必要なことをまとめた、ということが
賞賛されているのでしょうか?

教えてください。

Aベストアンサー

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連合艦隊は予定どおり、故障艦も脱落艦もなく、直ちに出撃し敵を撃滅することを前文で伝えています。後半の天気の文章も海軍の現場の人にはいろいろな情報を伝えています。即ち、本日は天気に恵まれ海上の見通しは非常に良い。砲撃戦に理想の天気である。しかし、海上には高波が見られるので、魚雷艇などを使った細かな作戦を実行するには難がある。本日の戦いは砲撃で決着がつくだろう。

ようやく近代国家の仲間入りをしたばかりの日本の存亡を賭けた戦いを前にして、七、五調の短い電文でこれだけの情報を送れるのは名文でなければ出来ません。しかし、これが決意表明ではなく作戦の変更や指示を仰ぐ電文であれば、決して名文とはいえないでしょう。読む人によって理解が異なるような文章は戦時に使用すべきではないでしょう。やはり戦争に勝ったということと決意表明の電文だったからこそ後世まで語り継がれたのでしょう。

この電文はロシアの大艦隊を迎え撃つ前に打電されたものです。大国ロシアを相手に小国日本が寄せ集めの軍艦で海戦を挑む直前の決意を示したものです。

名文として後に有名になったのは
1.先ず海戦に勝ったこと。(負けたら名文も残らない)しかも世界が驚く一方的といってもいいくらいの勝利をおさめた。
2.これから出撃します。と短く報告すると同時に海の実戦経験者だけに分かる短い言葉で、これから起こる戦闘がどのようなものになるかをうまく伝えているからです。

つまり、兼ねて準備していた連...続きを読む


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