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なぜ日本は第二次世界大戦に参加しなければならなかったのですか?
避けることは出来なかったのですか?

A 回答 (14件中1~10件)

No11、13です。


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B:>避けることは出来なかったのですか?

回答B:世界中が努力すれば可能だったかもしれません。

私は、過去の日本が何も過ちを犯していないとは思っていません。
それは日本以外の国についても同様だと思っています。

可能性については、以下のようなものが考えられます。

1:日本がハルノートを受け入れる。
2:アメリカが(蒋介石の言う事を真に受けず)日本の状況を理解して資源の禁輸をしなかった。
3:国際連盟が満州国を承認する。
4:日露戦争後の満州に中国の国民党が侵攻しない。
5:日英同盟が破棄されない。
6:近衛文麿が生まれていない。(←重要)
7:アメリカが蒋介石に支援をしない。


1の「ハルノートの受け入れ」は、戦争責任とやらを追及して日本の為に努力した先陣を貶める事で自分だけは過去の過ちを反省しているごりっぱな人間を気取る方がよく主張しているようです。

私はその場合は、国際社会でそれ以前の地位は維持できないと思います。
(ハルノートは、アメリカに例えるとハワイやカリフォルニア・ニューメキシコ・テキサスを捨てて、東部13だけの時代に戻ることと同じです)

ハルノートは満州を日本が侵略したという前提で、それ以前に戻れと言う内容でした。
しかし当時の世界恐慌が起こっており、満州はあらゆる意味で生命線でした。
そして、あの地域で治安が維持されていたのは日本軍がいた満州だけでした。




それに、ハルノートを受け入れたから戦争にならないとは限りません。
戦争をしない事が他の戦争の原因になる場合もあります。

日本が参戦しないことによるWW2の変化が、日本の他の戦争の要因になるかもしれません。

ハルノートを受け入れた場合、日本は混乱して急激に貧困化すると思います。
そして、貧困はあらゆる問題を生み出します。
最悪の場合、共産革命やそれらの勢力との内戦が発生するかもしれません。
(外国勢力の介入により、朝鮮半島のように分断されるかもしれません)
実際ソ連は終戦後の日本に「暴力による革命」を起こそうとして、国内の共産主義者に支援をしていました。

【GHQが『戦後唯一の非常事態宣言』を布告した在日朝鮮人と日本共産党による大規模テロ事件】
http://hosyusokuhou.jp/archives/40460742.html
《阪神教育事件(はんしんきょういくじけん)は、1948年(昭和23年)
4月14日から4月26日にかけて大阪府と兵庫県で発生した在日朝鮮人と
日本共産党による民族教育闘争、大規模テロ、逮捕監禁・騒乱事件で、

GHQは、戦後唯一の非常事態宣言を布告した。 》


他の可能性についても、どのような理由と経緯で起きるか を考える必要があります。
そして、どれを選んでもそれ以外による結果とは全く違う世界になると思います。

たとえば、7の場合ですが、
中国は共産化しなかったかもしれません。
チベットやウイグルでの「いろいろなこと」も起きなかったかもしれません。
それにより、朝鮮戦争でアメリカ人がわざわざ日本より遠い国で死ぬことも起きなかったと思います。《満州の国境でソ連と日本(+西側)が睨みあっていたかもしれませんが》
WW2後の冷戦の構造も全く違っていたと思います。
世界の植民地の独立については遅れたかもしれませんが、それによりベトナム戦争も起きなかったかもしれません。



>第二次世界大戦は避けられないの?

ところで、あなたはどれだけの「原因」を調べた上で、他人様に「結果」についての考察を要求しているのでしょうか。
調べているなら、不明な点を文章で明確に表現できると思います。
他人様の好意としての回答を求めるなら、それをするべきだと思います。
あなたが知っている事までわざわざ文章を打つような無駄な事はしたくありません。
聞いていない事を答えなかったという理由で文句を言われたくもありません。
怠け者を甘やかす事を親切と思ってもいません。
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No11です。


回答順に表示 をお勧めします。

同盟について誤解している方が多いように思います。
同盟=無条件に一緒に戦うではありません。
(ヒント:日英同盟 日露戦争)


急いでいる理由は何でしょうか。期限はいつまででしょうか。
他人様を急がせるなら、それに足る理由を示していただきたいと思います。
私は時間切れの回答をするような無駄な事はしたくありません。
ここは宿題の駆け込み寺やあなたの奴隷の待機所ではありません。



A:>なぜ日本は第二次世界大戦に参加しなければならなかったのですか?

まず、日本はWW2参加したのではなく、アメリカと戦争をしたにすぎません。
(同時期なので、同じ戦争として一括りにされているだけです)
当時の日本は「大東亜戦争」と呼んでおり、欧州の戦争と同一のものとは考えていません。

回答A:蒋介石の国民党の侵略と戦っていたら、アメリカに侵略だと言い掛かりをつけられて戦争を仕掛けてきた為。(詳細は以下)

日本は日露戦争の勝利により、ロシアから満州鉄道を譲り受け、旅順、大連の租借権を得ました。
同時に、これらの防衛や現地邦人保護のため、満州へ軍隊を置く権利も得ています。
(当時の満州は、清国の政策に拠って住人のいない空白地帯で、更にモンゴルの領有権は中国ソ連も主張しており、日本は国防上の理由から満州を放置できませんでした。)

一方で、当時の中国は清が滅亡し複数の政権(馬賊や地方軍閥など)が争っている内乱状態で、彼等にはまともな行政・司法・警察等の能力は無く、国際条約の知識や理解も薄く、それらの遵守は期待できませんでした。(実際何度も一方的に破棄されています。)
そして、当時の世界では、外国人の生命・財産の安全を保証できない国は、それにより被害にあった国が保護監督下におくのも仕方が無いと言う認識が持たれていました。

中国の軍閥政権は大陸の日本領内にも侵入して、破壊活動やテロなどの挑発を行っており、日本人も犠牲になっており現場の緊張は極限状態に達していました。
満州事変はこのようなこれらの結果、現地の部隊が暴発し独断で行動を起こした為です。
これを侵略とするなら、その原因となった中国の行為も侵略であるはずです。

当時の中国領ですが、多くの国が投資しており、日本人以外にも在中外国人が多数住んでおり、日本政府は彼等の保護を中国に要請してもいました。

共産党が勢力を伸ばしており、日本はその脅威も受けていました。

満州国の独立は、以上のように国防上の為のものでありましたが、同時に南満州鉄道を守る為でもありました。
当時の鉄道は、最重要のインフラです(軍事的にも)
(満州事変以前の国境線のままだと、中国のテロや破壊活動から守れません。)

満州国を傀儡政権とかいう意見もありますが、中国に乱立していた政権も清国の後継政権を自称しています。
しかし、その統治は圧政と略奪でしかありませんでした。(満州に人が流れたのはそれが理由です)
そのような彼らが認められるなら、傀儡であっても清国の正当な血統である皇帝であり、治安も良く発展していた満州も認められるべきだと思います。
(というか、満州政権の方がよりふさわしいと思います)

日本が統治していた満州国は治安が維持されていた為に各地から人口が流入し繁栄しましたが、
再びそれを狙った中国が、またテロ活動が始めました。
日本軍は前回と同様、領土内で対応していましたが、そうすると彼らは中国内に逃げて、その後また侵入して同じ事を繰り返しました。
日本は中国奥地にある彼等の本拠地(南京、重慶)を叩かなければ、根本的な解決にならないと判断し、中国領内に攻めていきました。
これが日中戦争に発展します。


↑の日本の行動について、アメリカは「侵略」と決めつけて、蒋介石に支援をする一方で日本には↓のような経済制裁を行いました。

1938年 航空機の対日輸出に同義的禁輸を実行
1939年 通商条約の半年後の失効を通告
1940年 多くの対日輸出に統制を行う
1941年 米国人が蒋介石の政治顧問になる。フライングタイガース派遣。
1941年7月26日 日本人の在米資産凍結。

これにより紛争が長期化し、大東亜戦争に発展します。

上記のアメリカの行為について、ローガン弁護人(東京裁判の日本側弁護人)は、

「これらの経済制裁は武力による戦争行為とかわらず、むしろより激烈なものであり、対中・対日政策は、交戦状態にある他国に対する、中立国の行為として公平なものではない」

と述べています。

パール判事(東京裁判裁判官)も同様の事を語っています。

【「宣戦布告」をせずに戦争を仕掛けたのはアメリカだった フライング・タイガース】

《1:05 「国際法の基本原則によれば、もし一国が武力紛争の一方の当事国に対して、武器、軍需品の積み出し禁止し、他の当事国に対して積み出しを、その積み出しを許容するとすれば、その国は必然的に、そのその紛争に軍事干渉することになるものであり、宣戦布告の有無にかかわらず、戦争の当事国になるものである。」
(東京裁判裁判官ラダ・ビノード・パール※国際法の世界的大家)》

(↑と同じ内容の動画)
http://www.nicovideo.jp/watch/sm30717527

URLを2つ貼っている理由は↓の回答No25をご覧ください。
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/10634091.html



対米戦争については、日本がだまし討ちの真珠湾攻撃は始まりだと言う意見をよく聞きます。
しかし、私は以上の事から、戦争を仕掛けてきたのはアメリカの方だと思っています。


アメリカが日中戦争に関与した理由は、蒋介石に協力する事で世界で最後に残った「市場」としての中国と、欧州戦争に参加する理由を得る事です。

欧州については、それにより連合国は勝利できました。
しかし、アジアでは戦後に中国が共産化してしまい、アメリカの計画は失敗しました。
更に朝鮮戦争が起きて、戦前の日本が共産主義とも戦っていた事に(今更のように)気が付きました。
アメリカと戦勝国は、その選択の後始末を未だに続けることになってしまっています。
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日清、日露、第一次大戦と、続けて勝つ側にいて、若干の戦利品がありましたから、心理的に、今回は棄権ってワケにはいかなかった。

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戦争については、過去の日本の軍部はアメリカとの開戦に積極的だったという思い込んでいる(思わせたい)方がいるようです。



しかし、当時は政府も軍も開戦は反対していました。
開戦前の昭和16年に、当時の日本政府は、「総力戦研究所」を作り、各分野の有識者を集めて対米戦のシミュレーションを行っています。
その結果は、現実と殆んど変わりませんでした。(原爆・ソ連の参戦は除きます)
それでも開戦したのは、僅かな可能性に賭けなければならない程、アメリカのハルノートが厳しいものだったことと、マスコミが世論を煽ったからです。


そのハル・ノートですが、「中国からの撤退」が一番の問題だと言われています。

(ハルノート 全文)
http://www.chukai.ne.jp/~masago/hullnote.html
(3. The Government of Japan will withdraw all military, naval, air and police forces from China and from Indochina.
日本国政府は、支那及び印度支那より一切の陸、海、空軍兵力及び警察力を撤収すべし)


↑の文中の「支那」ですが、最初の案では以下のように満州は含まれていませんでした。

【ハルノートを書いた男】(須藤眞志 文春新書)
『米国の22日案では米国政府の採るべき措置と日本政府の採るべき措置が分割されていますが、それを整理して11箇条にしたのが24日案です。そして最終案(ハルノート)では「(米国政府が)中国政府および日本政府に対し、両政府が満洲の将来の地位に関し平和的交渉に入るぺく示唆すること」という項目が削除され10箇条の提案となり、第三項「全ての陸、海、空兵力および警察力を中国(満洲を除く)および印度支那より撤収する」の“(満州を除く)“が削除されました。』


ハル・ノートを書いたのはハリー・ホワイトですが、戦後にソ連のスパイであったことが明らかになりました。
更に、ルーズベルト大統領の周囲には、他にも多くのソ連の工作員がいたことが、ソ連の情報文書(『ヴェノナ文書』)の解読により判明しています。

当時のソ連は、ドイツにモスクワのすぐ近くまで攻め込まれており、アメリカの参戦を望んでいました。
しかし、アメリカの世論は開戦に否定的だったので、自分から宣戦布告はできませんでした。


支那についての日本の解釈以前に、↑からは「彼ら」が日本の満州統治を認めるとは思えません。


私は「支那の範囲」という重要事項を明記していないのは、それ自体が「彼ら」の目的(日本を追い込む)だからだと思います

1:「満州を含む」と解釈した日本が戦争を仕掛ける→計画通り
2:「満州を除く」と解釈した日本が満州に居残れば、それを理由に禁輸を続ける。→戦争を仕掛けさせる。
3:満州から撤退→ありえない(アメリカはこの時点で日本が最悪の事態に備えて開戦の準備をしていたことを知っている)


以上から、私は「満州を除く」が削除→実質的に「満州も含める」に変更 ではないかと思います。

この件で「アメリカが満州を含めていなかった」という意見を聞くこともありますが、その根拠が語られたことはないように思います。
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ハルノートで、アメリカに仕組まれた。

それと日本はその前から、日支事変などで中国大陸でずっと内戦や戦争をしていた訳で。
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夏休みの宿題?


まぁ、それはともかく日独伊三国同盟があるので、ドイツがイギリスとアメリカに宣戦布告したので、同盟国は共に戦う!
他国との条約は同盟より下なので事実上無効です。
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開戦の決断に大きな影響を与えたことで有名なハル・ノートですが、これのどこが一番問題だったかというと、中国からの撤退と言われています。

しかしながら、当初はこれを受け入れる方向で話が進んでいました。というのも、その”中国”の範囲に満州国は入っていないと考えられたためです。実際に米国側も、満州国はその”中国”の中にいれていない考えであったことが分かっています。
ところが頭のいいやつがいて、その”中国”の中に満州国が入っているのではないか(つまり満州国からも権利を放棄して撤退しろという意味)と言い出したのです。さらに、今は入っていなくても後になって入っていたと言ってくるかもしれない、いや絶対にそうに違いない、などというように考えをエスカレートしていったようです。これにより、日本は(満州国を放棄する選択肢ではなく)開戦に踏み切ったと言われています。

今にして言えば、開戦しようとする勢力より、懸念する・躊躇する人のほうが多かったのかもしれません。
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>なぜ日本は第二次世界大戦に参加しなければならなかったのですか?



当時の覇権主義(欧米の植民地政策)に対する恐怖心からですね。

>避けることは出来なかったのですか?

出来なかったでしょう。
歴史とは、そういうものだと言ってしまえば、それまでですが・・・

日本人の国民性(体制主義、長いものには巻かれろ、責任回避主義などなど)も大いに影響していたと思います。
血液型診断の正当性については議論しませんが・・・
国民にA型人間が多いのも大きく影響していると思います。
少数派(戦争反対派)の意見(特に変わり者のB型などの、)は、無視されたのです。

フランスのように真に国民主権の革命も起らなかったことも大きく影響していると思います。
(尤も、フランスはドイツから攻められ、戦争に巻き込まれましたけどね。)
現代の日本はマッカーサーから押し付けられた民主主義の上に成り立っています。
自分達で勝ち取った、真の民主主義ではないという事です。

明治維新後の治世も、基本的には武士の残党達が実権を握っていました。
武士は戦争をする集団ですから、アメリカに戦いを挑むことしか選択肢はなかったのだと思います。

そして無謀な戦いを挑み、アメリカに徹底的に叩きのめされたのが、今の日本です。
アメリカの強さを、嫌と言うほど思い知らされたのです。
原爆を落とされて何十万人も一度に殺されたのに、アメリカの核の傘下に居る方が善いと判断しています。
だから核禁止条約にも棄権するのです。

安倍晋三が、お友達にどれだけ便宜を計ってあげても、他の奴よりましだと思い込み、内閣支持率がゾンビのように復活する国民性だから第二次世界大戦にも突入するのです。
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こんばんは!



>なぜ日本は第二次世界大戦に参加しなければならなかったのですか?
 避けることは出来なかったのですか?

そうですね…、第二次世界大戦が始まったのは、1939年9月1日にドイツがポーランドに侵攻し、3日に英仏が独に宣戦布告をして始まりました。ドイツは、ポーランドに侵攻する前の8月に、ソ連と独ソ不可侵条約を結んでいます。ソ連と東欧諸国の分割統治の密約を結んでいたと言われています。独は、背後から攻撃されない布石を打ってから、ポーランドに侵攻しました。そして、1940年9月に日独伊三国同盟を結びました。この同盟を結ぶ前の日本は、日中戦争をしていました。満州の利権争いで、アメリカとの関係が悪化していたという伏線があります。
このヨーロッパでの戦争は、英国が独にやられて、かなり苦戦をしていました。というのも、1940年6月に仏は、そうそうに独軍の侵攻に抵抗できず降伏してしまい、英国は孤立してしまいます。そのため英国のチャーチルは、米国に助けを求めますが、国内世論は戦争反対で、ルーズベルトは難色を示していました。そこでチャーチルは、ルーズベルトに入れ知恵をします。「日本に米国を攻撃させれば、国内世論は戦争反対から参戦に変わると!」それを承諾したルーズベルトは、ABCD包囲網を敷き、ハルノートで、最後通告をしたため、戦争回避で動いていた日本政府は開戦止む無しという結論に達し、1941年12月8日に真珠湾攻撃で参戦という流れになりました。
日本は、米国との戦争を避けながら、戦線を東南アジアに延ばし、フィリピン、インドネシア、マレーシア、ビルマと侵攻し、フランス、オランダ、英国をアジアから追い出していました。ここまでは、破竹の勢いで突き進んでいましたねぇ。

ということで、『日独伊三国同盟』を結んだ時点で、参加せざるを得ない状況になって行ったと見るべきです。この同盟は、反対派の意見も強くありましたが、賛成派に押し切られました。反対派は、ドイツが共産主義のソ連と不可侵条約を結んだ事に、懸念を持っていました。その日本も1941年4月に日ソ不可侵条約(日ソ中立条約)を結んでいます。
日本は、前線がアジアに移動している為、背後から攻撃されない為の布石であり、ソ連もドイツが不可侵条約を破る事を英国からの情報で、分かっていたため、ドイツと日本からの挟み撃ち攻撃を避ける為の布石でした。日露戦争で敗れた悪夢がソ連には残っていました。

結果的に、日本は戦争に敗れましたが、当初の戦争目的であった欧米列強からの「アジア解放」は、成されました。終戦になっても、日本に帰国しなかった日本兵がアジア各国に残り、現地人に軍事教練を施して、独立運動を支援した結果、「アジア解放」は果たされました。今では、親日国になっています。

参考になれば、幸いです!(^o^)丿
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ルーズベルト大統領が日本を戦争に追い込んだと言われています。


ですので、別の大統領が就任していたら、あるいは日米開戦前に病死していたら戦争は避けられたかも知れません。
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