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日本人が西暦というものを認識したのはいつごろでしょうか?
江戸時代ぐらいまでは元号表記だった気もしますが
そのころには西暦というものの認識はあったのでしょうか?

A 回答 (3件)

西暦の存在を知ったのは、日本にキリスト教の布教に来たザビエルが、


各地の有力大名に渡した手紙の記載からだと言われてます。

もちろん、広く使われるのは、明治の改暦以後ですが、
江戸時代の鎖国下でも、長崎でオランダ人と交渉する役人や特許を得て貿易にあたる御用商人、
西洋の科学技術を学ぶ蘭学者には、必要不可欠な知識でした。

オランダ語の権威者であつた江戸屋敷詰め仙台藩医の大槻玄沢は、
寛政6年(1794年)閏11月11日が
西暦で1795年1月1日に当たることから、
江戸三十間掘で主宰していた私塾・芝蘭堂で、「オランダ正月」と称する西暦での新年会を開いた。
オランダ正月はそののち数十年にわたって毎年開かれ蘭学者・蘭癖(おらんだオタク)が一堂に会しました。

 天保6年(1835)に刊行された『蘭学重宝記』は、西暦と年号の対照表やオランダの地図、曜日や星座など、蘭学を学ぶうえで便利な知識が集められています。
 この重宝記の著者を見ると賀寿麻呂大人、、校閲は篤麻呂大人と、一風変わった名前が記されています。
実はこの賀寿麻呂大人は、津山藩の洋学者・宇田川榕菴。
校閲を行った篤麻呂大人は、シーボルト先生だそうです。
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この回答へのお礼

さすが釧路市さん
参考になります
ありがとうございました

お礼日時:2013/12/16 20:11

おそらく種子島に1543年にポルトガル人が漂着した時には確実に認識していたでしょう。

このときには中国人を通訳としてやり取りしたそうなので、中国を介してもっと早くに知り得たかも知れません。

使われ出したのは明治の改歴からでしょうが、一般の人が使い出したのは第二次大戦後からぐらいでしょう。

明治の改歴からとは書きましたが公文書はいまだに元号による表記になっているはずです。

認識と言うのが、「知っている」なのか「使っている」なのかはっきりいたほうがいいかも…。
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この回答へのお礼

ありがしーとうございます

お礼日時:2013/12/16 20:11

詳しくないですが、鎖国してた頃は西暦は使わないでしょう。


明治維新からかと思いますが。
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この回答へのお礼

ありがとうございます

お礼日時:2013/12/16 20:12

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