アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

 ○  神(宇宙なる非経験の場:マクロコスモス)および信仰(わが心なる非思考の庭:ミクロコスモス)ならびに〔信仰の偽造物たる〕宗教にかんする一般理論
 
 第五章 多神教は その一まとめとして一神教である

 補論 § 5‐d アマテラスによるアシハラ統治を宣べる神勅は 独り善がりである。


 1. 父イザナキは 子のアマテラスにタカ〔ア〕マノハラをおさめよと宣べた。タカマノハラ(高天原)は おそらく空の上のどこかの場であろうから この統治の委任は まさしく神話の世界での話であると捉えられる。それにとどまる。

 2. ところが タカマノハラを主宰するアマテラスは ふつうの地上の国であるアシハラ(葦原)を その孫であるホノニニギに治めなさいと宣べ伝えた。この統治委任は 無効である。または 独り善がりであって 部分的にしか有効ではない。

 3. アシハラにはすでにスサノヲの系譜でもあるオホクニヌシが住んでいる。無主地ではない。先占の法理にかなわない。

 4. いや だから よこせとは言ったが オホクニヌシらが 《くにゆづり》をしてくれたのだと言うのなら そのホノニニギの統治権は ゆづられたものである。アマテラスの統治せよという委任によって 有効となったのではない。民主的な話し合いによる。アシハラの人びとの善意によるものだ。いまもその恩恵の上にある。

 5. けれどもしかし それは このアシハラの土地の中でも オホクニヌシらのほかの先住民であるアイヌの人びとのことが まだ問題である。けっきょく ゆづられていないので 征服した。ただそこはおれたちの土地だと言ってだだをこねつづけた頑固一徹の単なる帝国主義である。民主主義に悖った。無効である。

 6. あの島々は 昔むかし大昔に 天命によってわれわれの天子がおさめることを任された土地だ。きさまらが何を言うか。返せ。出て行け。だまって言うことを聞け。うんぬんと言ってごり押しするのは 有効か?

 7. 王権神授説は 有効ではない。ただの精神錯乱である。ローマ教会も 右に同じくだ。



 行き届かず到らぬところを よろしく ご教授ください。

A 回答 (4件)

>行き届かず到らぬところを よろしく ご教授ください。



 もはや、ただの精神錯乱ではなくなった。
 あれほど早く病院へ行くように勧めたのに手遅れ。自分自身が妖怪化しはじめたぞ。

 年明けに、名古屋に行くことになったので、友人帳を持参して取り付いているアヤカシを取り除いてやる。
 
    • good
    • 0

> たとえば


 ☆☆ 6. あの島々は 昔むかし大昔に 天命によってわれわれの天子がおさめることを任された土地だ。きさまらが何を言うか。返せ。出て行け。だまって言うことを聞け。うんぬんと言ってごり押しするのは 有効か?
 ☆ この問いについて お答えいただければさいわいですけれど。


・・・これに答え得る人物がいるのかなぁ・・・?

基本的に『奪っている』『奪取』しているというスタンスで質問していますよね。

「国譲り」の神話は世界に類を見ない内容です。

色眼鏡を外してから、見る事をお勧めします。

もっと日本を知りましょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 「国譲り」の神話は世界に類を見ない内容です。
 ☆ ですから 《ゆづりあい》を成し得たオホクニヌシら市民がえらいということでしょう。次のような議論としてです。

 【Q:日本人はなぜ礼儀正しいでしょうか】 ~~~~~~
  http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa8022666.html

 〔回答No.10=ぶらじゅろんぬ〕
 社会のあり方として 次のように分類してみます。

 (α) 対話型:日本・ごちゃまぜ類型
 (ω) 競争型:西欧・遊牧民類型
 (κ) 民衆暴君型:アフリカ・線形論理類型



 競争型では 単純に言って 《人は人に対して狼なり。 / 万人の万人に対するたたかい》という意識が根強いものと考えられます。
 この意識の流れが 社会において人と人とのあいだで関係し合っている。意識の対立とその弁証法的展開が ふつうに見通されているのだと思われます。


 対話型は まづ 何よりも先に 相手にゆづります。道をゆづります。
 だから そのあとぎゃくに懐柔の手をやおらあからさまにして繰り出して来るのではないかという事情も すでに現代人にとっては おそれられますが ともかくまづ最初は互いに控え目に振る舞います。
 
 意識の対立がないというわけではありません。虫の好かんヤツというのも 誰でも一人や二人いるものです。でも とにもかくにも まづは 話を聞くという姿勢です。


 競争型でも というよりは 競争型においてこそ 話し合いはむしろ活発だとも思われます。
 ただしたぶん ひとつの土壌としては 互いにその話し合いは 経済的にせよ政治的にせよ(かつては 軍事的にせよ) チカラ関係の問題であるという意識がつよいのではないかと推し測られます。


 ちなみに 日本社会は――その神話をも加味して捉えるならば―― 市民社会がいま言っている西欧社会の競争型(あるいは 遊牧民ないし騎馬民族型)における典型としての《チカラづくでの対話》にも遭いました。いまのお二階さんと言うべき公民圏――いまでは 市民政府を標榜していますが――を形成したアマテラス族からの言い寄りです。

 つまり スサノヲ市民たちは この《意識の対話》において けっきょく《くにゆづり》をしました。それだけ優秀で品行方正なるあなた方であるのならどうぞ思う存分に くにを経営してみてくださいと言って 道をゆづりました。
 これが こんにちにまで来ています。

 ・・・・

 * アフリカ型を割愛しています。この引用のあとに書き込んでいます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 ★☆ もっと日本を知りましょう。





 ★ 基本的に『奪っている』『奪取』しているというスタンスで質問していますよね。
 ☆ 《奪おうとする意志》つまりそういう意味での覇権主義ないし帝国主義だと捉えるスタンスです。

 神ないし天子ないし独裁政党の命令だから チベットもウイグルも満州(トゥングース)も おれんとこの土地であると思い込んでいます。


 別の質問での考えをもかかげておきます。

 (あ) 主宰神による統治の委任を内容とする神勅は けっして独自のものではなく また人間の有効な意志行為をみちびくものではない。

 (い) つまり 王権神授説とひとしく同罪である。ローマ法王についても 同じくである。いくら神勅だからと言っても その委任なる命令は 当然のごとく 相対的な効力をしか持たないから。人びとのいだく神の数だけ 神勅があり得ます。つまり 相対性のもとにあります。

 (う) つまり 相対的な効力をしか持たない思想を 絶対であると見なしてそのまま行動するなら けっきょくほかの神勅とのあいだに互いに相手の意志を踏みにじるという不法行為が 必然的に現われる。ゆえ。


 ☆ すなわち 王権神授だと言ったとたん・つまり統治命令が出たとたん 覇権を追い求める思想と行動の形式が決まります。言いかえると ほかの人間は おれがいだく神のもとにしたがう存在であると 《おれ》の主観において決まります。これが 独り善がりの無効なる意志です。

 ★☆ 色眼鏡を外してから、見る事をお勧めします。

お礼日時:2013/12/28 08:15

★ 聖書もそうなのですが、神話の内容は「記録」なのであって理解・解釈するものであって、批判に意味は無いですよ。


 ☆ 記紀神話を思想や歴史の問題としてあつかうのは なじまない。ということでしょうか。

?歴史として扱うべき物だと言ったのですが?


 ★ 古事記や日本書紀や聖書は、そもそも真理に導く為のモノでは無く、教えるための物で仏教の経典等ではないですよ。
 ☆ 《仏教の経典等》として扱ったつもりはないのですが。

批判するのは自由ですが、そもそも教義ですら無いものに、答える力はありません。

と言うか、誰が答えてくれますか?

せいぜい自己満足で終る話ですから、時間の無駄です。

自己満足で良いなら、聞くまでもないし、聞いても無駄です。


 ★ まぁ、批判するのは勝手ですが、答えられるだけの知識を有している方はそもそも相手にしない内容の質問ですし、ここで質問しても何も得られはしないです。
 ☆ 《批判するのは勝手で》あるなら 思想や歴史の問題としてあつかってもよいはずだとも考えられます。

いや、まぁ、そう思うならそれを私が否定しても意味ないですし、答えてくれる親切な方が居ないとも限りません。

いいんじゃないでしょうか?

 ★ そもそも相手にしない内容
 ☆ であるなら 《思想の問題として扱う》にはなじまない。

前文と同じで、親切な方が居れば・・・・

 ★ 答えられるだけの知識を有している
 ☆ というひとつの見方が成り立つのなら 思想の問題として扱うことが出来ると言っている。

思想的な答えは無いですよ。

ほざく方は居るかもしれませんが、古事記を理解している人間なら在り得ません。

大体、武田信玄や織田信長の伝記を読んで思想批判をします?(居るかもしれませんがw)

古事記や日本書紀は歴史書なのですよ。

内容が正しいかどうかは別ですが、教義を説いたモノでは無いのです。

故に設問は的外れです。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 たとえば
 ☆☆ 6. あの島々は 昔むかし大昔に 天命によってわれわれの天子がおさめることを任された土地だ。きさまらが何を言うか。返せ。出て行け。だまって言うことを聞け。うんぬんと言ってごり押しするのは 有効か?
 ☆ この問いについて お答えいただければさいわいですけれど。

お礼日時:2013/12/28 00:16

ん~・・・・



判って言ってるのか、ホントに知らないのか・・・・

聖書もそうなのですが、神話の内容は「記録」なのであって理解・解釈するものであって、批判に意味は無いですよ。

創作が多分に混ざっているのは事実ですが、だからこそ分析して古代の解明の為の記録として扱う物なんです。

どこかの新興宗教のトンデモ神様ではないですよ。

『国譲り』の項は世界的に見てもまれな内容です。

まぁ、批判するのは勝手ですが、答えられるだけの知識を有している方はそもそも相手にしない内容の質問ですし、ここで質問しても何も得られはしないです。

古事記や日本書紀や聖書は、そもそも真理に導く為のモノでは無く、教えるための物で仏教の経典等ではないですよ。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 ★ 聖書もそうなのですが、神話の内容は「記録」なのであって理解・解釈するものであって、批判に意味は無いですよ。
 ☆ 記紀神話を思想や歴史の問題としてあつかうのは なじまない。ということでしょうか。


 ★ 古事記や日本書紀や聖書は、そもそも真理に導く為のモノでは無く、教えるための物で仏教の経典等ではないですよ。
 ☆ 《仏教の経典等》として扱ったつもりはないのですが。


 ★ まぁ、批判するのは勝手ですが、答えられるだけの知識を有している方はそもそも相手にしない内容の質問ですし、ここで質問しても何も得られはしないです。
 ☆ 《批判するのは勝手で》あるなら 思想や歴史の問題としてあつかってもよいはずだとも考えられます。

 ★ そもそも相手にしない内容
 ☆ であるなら 《思想の問題として扱う》にはなじまない。

 ★ 答えられるだけの知識を有している
 ☆ というひとつの見方が成り立つのなら 思想の問題として扱うことが出来ると言っている。


 というように感じを持ちますけれど。

お礼日時:2013/12/27 23:38

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!