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 公式サイトから検索して 次の文章を読みました。

 △ 大川隆法総裁 教え
  http://happy-science.jp/ryuho-okawa/teaching/
 

 その中で 次の項目があります。《特徴的な教え》の章の四つ目の事項です。

 △ 霊的人生観 永遠の生命と転生輪廻 ~~~~~~

 目には見えない世界、霊界やあの世がある、という考えに基づいた人生観のことです。

 人間の本質は、同じ仏の光から分かれ、永遠の生命を与えられた霊・魂であり、自らの魂修行と地上ユートピア化を目的に、様々な国に幾度となく生まれ変わり(転生輪廻)をくり返しています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 すなわち 問いは

  ● 人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられるからには 過去に自分と同じ存在があったとは 考えられない。

 のではないか? すなわち《生まれ変わり(転生輪廻)》は あり得ない。これを問います。


 みなさんは どう受け取りますか? もっとあからさまに言えば どう扱ったらよいのでしょう?

A 回答 (11件中1~10件)

>これは すでに名誉棄損にあたる可能性のある発言です。


例示して どういう理由によってそう言うのか? これを示さないと 違法行為のうたがいが出て来ます

だから訴えて下さいよ。

是非w

別に私はかまいません。


で、貴方の定義は成立しないので、輪廻転生は否定出来ないと認める訳ですね。


自己投影で、まるで小学生の様な事しないでねw
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いつも貴方の方が荒らしているのですし、反論出来なくなると使う常套句ですね。



>人間の本質は、同じ仏の光から分かれ、永遠の生命を与えられた霊・魂であり、自らの魂修行と地上ユートピア化を目的に、様々な国に幾度となく生まれ変わり(転生輪廻)をくり返しています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これについて問うています。話をそらさないように願います

別にこれを正しいなどとは私は思いませんよ。

>人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられるからには 過去に自分と同じ存在があったとは 考えられない

そしてこれも転生の否定となると言うのは戯言でしかないです。

貴方の有りえないと言う定義も、有ると言う(この場合は)幸福の科学もどちらも心の安定の為に考え出した戯言です。

第一、定義が双方で全く違いますから、それを持って互いを否定する事は野球の試合にマグロの解体ショーで挑んで、それをどっちがよりM16か尋ねているようなものです。

貴方は世界中で皆が当然扱わない自分勝手な「定義」を自慢げに振りかざし、自分だけが真理に到達したと悦に入っている非常に矮小な行為をしているのですよ。

だから私はどうでもいいと「答え」を言っています。



これは私にとっては瑣末な事なので敢えて突っ込まずにいたのですが、貴方はDNAに拘っていますが、貴方の転生観とは同じ肉体を持って生まれ変わるキリスト教での「復活」を指しているのですか?

それとも貴方はDNAが全てであり、且つ魂の存在を否定する考えなのですか?

別に私にはそれもどうでもいいのですが、貴方の言葉を単純に読むと、単細胞生物はどうなるんでしょうね?

一卵性の多胎児であれば、同じ人間が同時間軸に複数存在してしまいますよ。

DNAの同じ個体は全て同一の人間だと?

それともまさか、魂は同じDNAの肉体にしか宿れないと言う意味で言ってます?

まぁ、「単細胞生物は生まれ変わりを続けている」と開き直られたら、何も言い返せませんがw

元々言い返すつもりも無いんですけどね。

だから「どうでもいい」と何度も発言しています。




貴方の定義はインチキなのですよ、何時も。

貴方の行為は箱の中のペットにルールを押し付けて、噛み付いたら腹を立てる程度の行為です。

本当は貴方の部屋の小さな窓から外を覗いているだけなのですがね。

判りますか?貴方の発言が「アラシ」なのですよw



自分があるならば、他人に問うな

見えない自分を他人に聞くな

自分を尋ねるな、訪れるな

己に聞け
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この回答へのお礼

 ★ いつも貴方の方が荒らしているのですし、反論出来なくなると使う常套句ですね。
 ☆ これは すでに名誉棄損にあたる可能性のある発言です。

 例示して どういう理由によってそう言うのか? これを示さないと 違法行為のうたがいが出て来ます。


 あなたの文章は おおよそ花一匁のせりふです。
 あの子が欲しいと言っても あの子ぢゃ分からんのです。

 結論だけ述べても 回答にはなりません。まるで小学生が これが欲しい あれが要らないとだけ言っているようです。

お礼日時:2014/01/29 22:55

>すくいは 人間である状態では 相対的なものでもあります



ならば「輪廻転生」のある幸福の科学も「相対的」に救われている。


別にどちらでも良いと言っているのは、有るも無いも証明出来ない事だから。

だから私は貴方の「無いのでは」と言う問いにどちらでも良いと言っている。


貴方はご大層に「DNA」を掲げるが、それが何故、未来永劫出てこないと言い切れるのか。

何も地球上に限るとは、何処にも規定は無い。

何時までに生まれ変わらなければいけないと、期限も切られていない。

大体、時間の流れ方も一定ではないし、第一正直に過去から未来に流れているのかさえも、絶対かは判らない。

貴方のは狭い範囲の定義で全てと思い込んでいるに過ぎず、これで『無い』とは証明出来ない。


だから貴方の質問に私は「どちらでもいい」と言っている。

「どちらかわからない」と言い直しても良い。


そんな所でウロウロしている貴方が「救われている」のであれば、間違いなく幸福の科学も「救われている」。

貴方が心配する必要は無い。


どう扱った良いかと聞いているが、貴方が自分の主人になるのが先だ。
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この回答へのお礼

 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~~~
  >すくいは 人間である状態では 相対的なものでもあります

 ならば「輪廻転生」のある幸福の科学も「相対的」に救われている。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 意味が分かりません。

 まづは ご回答をありがとうございます。

 どういうことでしょうか?
 幸福の科学の会員が 自分はすくわれていると言えば そうなのだという意味でしょうか?
 いまは 転生輪廻という生まれ変わりを説いているが これはマチガイではないかと問うています。

 すくわれている・いないは わたしに対して 別の話として問われたのでそれとして答えたまでです。質問とは別です。




 ★ 貴方はご大層に「DNA」を掲げるが、それが何故、未来永劫出てこないと言い切れるのか。
 ☆ 議論に・反論になっていません。
 
 あちらでは すでにこれまでの歴史において《生まれ変わり》が起きていると言っています。それについてマチガイだという疑問を投げかけています。未来は どうでもよいのです。

 あるいは もし未来のことについての話であるのなら そのようにきちんと述べていなければなりません。そういう注意を わたしにではなく あちらに向けておこなうべきです。

 あなたは ほんとうにこの質問にまじめにこたえようとしていますか? ただの冷やかしではないのですか?
 つまりこれで何度になりますか? くだらん要らぬ話ばかりをならべて。





 △ 霊的人生観 永遠の生命と転生輪廻 ~~~~~~

 目には見えない世界、霊界やあの世がある、という考えに基づいた人生観のことです。

 人間の本質は、同じ仏の光から分かれ、永遠の生命を与えられた霊・魂であり、自らの魂修行と地上ユートピア化を目的に、様々な国に幾度となく生まれ変わり(転生輪廻)をくり返しています。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これについて問うています。話をそらさないように願います。

 ひとつの解決へ向けた流れは 《生まれ変わり(転生輪廻)》ではなく あたかも宇宙の主宰神ブラフマンの霊が 人間に――アートマン(霊我)として――降臨するといった見方として捉え直し その説として議論しなおすという道です。(No.1お礼欄→No.2お礼欄)。

 もっともその場合には すぐさまそれでは 既存の思想と変わりないのだと反論しています。(No.2お礼欄)。
 つまり このいま例に出した《梵我一如》ということと中身は変わらないのですし あるいはそれと《仏仏一如》とも何ら変わりないとも述べました。
 次のようです。

 A. ブラフマニズム:梵我一如
   梵:ブラフマン・・・・・マクロコスモス。神
   我:アートマン・・・・・ミクロコスモ。霊我

 B. ゴータマ・ブッダ:無梵無我一如
   無梵:空・シューナター・ゼロ
   無我:アン‐アートマン;ニルワーナ

 C. ブディズム:仏仏一如
   仏:アミターバ / マハーワイローチャナ
   仏:如来蔵・ブッダター(仏性)

 D. クリスチアニズム:霊霊一如
   霊:神・聖霊
   霊:《神の宮なるわれ》

 E. (プラトン?):霊霊一如
   霊:宇宙霊魂(プシュケー・コスムー) / 世界霊魂(アニマ・ムンディ)
   霊:《われ》

 F. 《もののあはれを知る》
   霊:かみ(自然および超自然)
   霊:われ(自然本性)

 


 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 だから貴方の質問に私は「どちらでもいい」と言っている。

 「どちらかわからない」と言い直しても良い。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ 主唱者の側に説明がある限りでは 《どちらかが分かる》のです。また分かるように説明を求めています。その結果 ひとつに 幸福の科学は 輪廻転生のことを言っているのではないとはっきり分かるのです。マチガイだと分かるのです。

 




 これ以上は もし同じ内容の投稿であれば アラシと見なします。

お礼日時:2014/01/29 11:42

>もうすくわれています



では、答えは己に聞け
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。

 すくいは 人間である状態では 相対的なものでもあります。


 ○ 転生輪廻は じっさいには あり得ない。のではないかと問うています。

 ○ 幸福の科学に拠るひとびとのたましいをすくってやってください。






 輪廻転生は 一般に・と言いますか しばしば 因果応報の説と一緒にして説かれます。

 かんたんに言えば 自業自得が いわゆる過去世から現世へ 現世から来世へと 永遠につながって実現するといった意味です。

 転生輪廻だけなら 要するに自分という人間が 生まれる以前の過去にいた誰かと 生まれ変わりの関係にあるということを言っています。

 この生まれ変わりということの判定基準は 早い話が DNA が同じだということを持ってくればよいのではないか。こういう考えに立って 幸福の科学が説いている《生まれ変わり(転生輪廻)》について それは 実際のことなのか またどういう意味があるのかなどを検証しようとしています。



 もしこの判定基準について疑問があるのなら そう言ってください。そう言ってもらっているようですが その根拠はいっこうに分かりません。
 
 ほかに判定基準があるというのでしょうか。ないけれど それは判定基準になり得ないということでしょうか。

 もっとも次のようにその課題についても説かれています。
 
 ▼ (ヰキぺ:DNA型鑑定)~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/DNA%E9%91%91%E5%AE%9A

  § 6 DNA型鑑定の課題 (省略)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ☆ 転生輪廻について確認します。

 ▼ ( goo辞書:輪廻転生) ~~~~~~~~~~~~~~
  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E8%BC%AA …

 人が生まれ変わり、死に変わりし続けること。

  ▽仏教語。「輪廻」は車輪がぐるぐると回転し続けるように、人が何度も生死を繰り返すことを指す。「転生」は生まれ変わること。「転生輪廻てんしょうりんね」ともいう。

 ▼ (kotobank:輪廻) ~~~~~~~~~~~~~
   http://kotobank.jp/word/%E8%BC%AA%E5%BB%BB

 [名](スル)《「りんえ」の連声》
 1 《(梵)samsara の訳。流れる意》仏語。生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと。
 
  三界・六道に生まれ変わり、死に変わりすること。
  インドにおいて業(ごう)の思想と一体となって発達した考え。流転。転生。輪転。「六道に―する」

 ▼ (ヰキぺ:輪廻転生) ~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB% …

  死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ この転生輪廻は じっさいには あり得ない。のではないかと問うています。






 ★ だから別にどうでもいいのですよ。 / あっても無くても。
 ☆ 話がそれています。


 幸福の科学に拠るひとびとのたましいをすくってやってください。

お礼日時:2014/01/28 06:06

>幸福の科学に拠るひとびとのたましいをすくってやってください



まず、自分を救いなさい。
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この回答へのお礼

 もうすくわれています。

お礼日時:2014/01/27 22:09

だから別にどうでもいいのですよ。



あっても無くても。


しかし貴方の大前提は「『DNA』が同じでなければ生まれ変わりでは無い」らしいですが、何故、『DNA』が同じ人間が生まれないと言い切れるのですか?

それこそ唯の観念論ですよ。


しかし貴方にとってもっと根本的な大事な事は、輪廻転生があったら、貴方の人生は変わるのですか?

無かったら安心出来るのですか?


少なくとも貴方の人生は輪廻転生に振り回されているのだけは、確実に断言出来ます。

貴方の人生は貴方のものでは無く、輪廻転生の所有物である事は疑う余地がありません。

何故なら貴方が貴方の奴隷だから。
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この回答へのお礼

 ご回答をありがとうございます。


 輪廻転生は 一般に・と言いますか しばしば 因果応報の説と一緒にして説かれます。

 かんたんに言えば 自業自得が いわゆる過去世から現世へ 現世から来世へと 永遠につながって実現するといった意味です。

 転生輪廻だけなら 要するに自分という人間が 生まれる以前の過去にいた誰かと 生まれ変わりの関係にあるということを言っています。

 この生まれ変わりということの判定基準は 早い話が DNA が同じだということを持ってくればよいのではないか。こういう考えに立って 幸福の科学が説いている《生まれ変わり(転生輪廻)》について それは 実際のことなのか またどういう意味があるのかなどを検証しようとしています。



 もしこの判定基準について疑問があるのなら そう言ってください。そう言ってもらっているようですが その根拠はいっこうに分かりません。
 
 ほかに判定基準があるというのでしょうか。ないけれど それは判定基準になり得ないということでしょうか。

 もっとも次のようにその課題についても説かれています。
 
 ▼ (ヰキぺ:DNA型鑑定)~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/DNA%E9%91%91%E5%AE%9A

  § 6 DNA型鑑定の課題 (省略)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 ☆ 転生輪廻について確認します。

 ▼ ( goo辞書:輪廻転生) ~~~~~~~~~~~~~~
  http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/idiom/%E8%BC%AA …

 人が生まれ変わり、死に変わりし続けること。

  ▽仏教語。「輪廻」は車輪がぐるぐると回転し続けるように、人が何度も生死を繰り返すことを指す。「転生」は生まれ変わること。「転生輪廻てんしょうりんね」ともいう。

 ▼ (kotobank:輪廻) ~~~~~~~~~~~~~
   http://kotobank.jp/word/%E8%BC%AA%E5%BB%BB

 [名](スル)《「りんえ」の連声》
 1 《(梵)samsara の訳。流れる意》仏語。生ある者が迷妄に満ちた生死を絶え間なく繰り返すこと。
 
  三界・六道に生まれ変わり、死に変わりすること。
  インドにおいて業(ごう)の思想と一体となって発達した考え。流転。転生。輪転。「六道に―する」

 ▼ (ヰキぺ:輪廻転生) ~~~~~~~~~~~~~~~~
  http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BC%AA%E5%BB%BB% …

  死んであの世に還った霊魂(魂)が、この世に何度も生まれ変わってくることを言う。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


 ☆ この転生輪廻は じっさいには あり得ない。のではないかと問うています。






 ★ だから別にどうでもいいのですよ。 / あっても無くても。
 ☆ 話がそれています。


 幸福の科学に拠るひとびとのたましいをすくってやってください。

お礼日時:2014/01/27 21:56

>みなさんは どう受け取りますか? もっとあからさまに言えば どう扱ったらよいのでしょう?



あからさまに回答していいのか。
しかし、ずいぶん転生輪廻に興味があるんだな。

来世は、出臍の豚が似合っていると思うぞ!白豚が暉彦にぴったり!

毎日、次は豚に生まれてこれますようにと祈れば、大川隆法総裁が望みを叶えてくださるぞ。
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私は別に輪廻転生を信じているわけではないが....



>みなさんは どう受け取りますか? もっとあからさまに言えば どう扱ったらよいのでしょう?
これは簡単。
DNAは肉体に属するのであって魂に属するのではない、と考えればよい。(それがふつうだと思うが.....)
よて、かりに生まれ変わった場合、肉体は別モノだからDNAが別物であっても何の不思議も無い。

そもそも、
>人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられる
の部分が間違いで、1卵生双生児とかクローンの場合はDNAは同じ。
DNAが魂に属し肉体に属するのではないとするなら、1卵生双生児の場合でもDNAは違っている必要がある(双子のおのおのは、明らかに別人格。)のですが、そうなっていません。
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この回答へのお礼

 ★ かりに生まれ変わった場合、肉体は別モノだからDNAが別物であっても何の不思議も無い。
 ☆ 《肉体は別物》であってよいでしょうが 要するに DNA が違ったら わたしなる人の存在も 違って来ます。つまり それでは《生まれ変わり》ではないということのはずです。


 こんばんは。ご回答をありがとうございます。



 あとは 何を言っているのか分かりません。

 《生まれ変わり(転生輪廻)》はあるか? という問いです。

お礼日時:2014/01/26 21:52

私は仏教の専門家ではないのですが、確か仏教の考えでは、「人の肉体は神様から借りているもの」でしたよね。

だから、自分や相手の体を傷つけてはいけない。殺人も自殺もやってはいけない。何故ならその肉体は、自分のものではなく神様から一時的に借りているものだから。と言う教えですよね。


DNAでそれを証明しようとしているようですが、仮に一致したとしても、それは「借り物の器が他の器と、同じものだった」というだけの話しで、その器に入っている魂が同一人物であると言う証明にはなりません。

一致しないからあれは嘘だ。と言う主張も同時に無意味です。





因みに、科学的観点で言うと、同じDNAを持つ確率は4.7兆人に一人でしたっけ。つまり、4.7兆人の人口が出来たら一人「存在する」と言うのは理論上ありえます。あくまでも理論上の話しであって、輪廻の話しとは無関係です。


私個人の輪廻の存在の有無に関しては、まだ人類の科学はそれを検証するだけの科学力を持っていないと思います。あるかどうかは「分かりません」。
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この回答へのお礼

 かんぞう001さん こんばんは。ご回答をありがとうございます。


 ん?
 ★ DNAでそれを証明しようとしているようですが、仮に一致したとしても、それは「借り物の器が他の器と、同じものだった」というだけの話しで、その器に入っている魂が同一人物であると言う証明にはなりません。
 ☆ 《仮りに一致したとしても》というより――まれに一致することがあるようなのですが やはりそれは例外として措いておきます―― 一致することがないというお話です。

 ん?
 ★ 一致しないからあれは嘘だ。と言う主張も同時に無意味です。
 ☆ 一致しないなら 過去の誰々という人物と現在のわれとは 生まれ変わりだということはない。こういう話です。

 ですから 転生輪廻ないし生まれ変わりは それがあると言うなら 明らかにマチガイである。こう言えるはずです。ただこれだけのことを言っています。よ。





 

お礼日時:2014/01/26 18:52

>>人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられるからには 過去に自分と同じ存在があったとは 考えられない。


のではないか? すなわち《生まれ変わり(転生輪廻)》は あり得ない。これを問います。

論理の展開が変ですよ。AからBは自明のものとして導けません。

A)人は同じ DNA を持つ者がいないと考えられる 
  ----> 全く同じDNAを持つ人がいるか居ないか、私は知りませんが、それが正しいとして・・・

B)だから《生まれ変わり(転生輪廻)》はあり得ない。
  ----> この結論は導けない。

「DNA」は肉体の設計図です。例えていえば、車の設計図みたいなものですね。
転生輪廻をするのは「魂」です。車を例にすれば、運転手であり、ドライバーといえます。

ある運転手が、カローラ->フェアレディZ->プリウスと乗り換えたばあい、それぞれの車の設計図は違います。
運転手が同じだとしても、それぞれの車の性能によって、走りは変わってくると思います。
でも、運転手は同じです。

つまり、転生輪廻は、ドライバが、自分の乗る車を変えていくようなものだといえます。それぞれの車のDNAが違うことで、あるときは、最高速度が高いし、ある時は、乗れる人数が多かったり、悪路走行が得意だったりするわけですね。
でも、常に運転手は同じといえます。運転手は、それぞれの車体性能によって、さまざまな場所を走って、ドライビングテクニックの向上を図ることが可能になります。

ちなみに、普通の魂であれば、金持ちの家庭が良いとか、きれいな体の家系が良いって条件で母体を選ぶかもしれませんけど、音楽家の魂は、「良い耳」を持つDNAの肉体を欲しいと思ったりするようです。
人間に生まれることの有り難味が判らない魂は、例外的に猫や犬として生まれることがあります。この場合、DNAとしては、大きく違ってくるでしょうけど、同じ魂となります。

まあ、少なくとも、DNAを持ち出すことによって、「転生輪廻はあり得ない」ということを論理的に否定することはできません。
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この回答へのお礼

 えるゐーふぉーゆーさん こんにちは。

 みづから〔の仲間〕のとなえた理論について みづからの側が説明するのは いちいち要請されなくてもおこなうふつうのことです。いやしくもオシエをとなえるのならば 率先しておこなってもバチは当たりません。

 まづこのコミュニケーションにとっての当たり前の心得を わざと嫌味たらたらに述べます。

 でも勇気をふるって回答を寄せてくださいました。まづは ご回答をありがとうございます。



 ★ ~~~~~~~~~~~~~~~
 「DNA」は肉体の設計図です。例えていえば、車の設計図みたいなものですね。
 転生輪廻をするのは「魂」です。車を例にすれば、運転手であり、ドライバーといえます。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ ええっとですね。そんなむつかしいことではないのです。

 たとえば
 ▼(ヰキぺ:転生) ~~~~~~~~~~~~
 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BB%A2%E7%94%9F

 転生(てんせい, てんしょう)とは、死後に別の存在として生まれ変わること。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ これです。いいですか。《死後に別の存在として生まれ変わる》なら 
 ▼ 肉体・記憶・人格などの同一性が保たれない
 ☆ としても DNA は 同一であるということになるのではありませんか? と問うています。ただこれだけの問いです。

 けれども 過去の人物に同じ DNA の存在はないと現代の科学は言っている。なら 生まれ変わり(転生輪廻)はあり得ない。こう帰結されるはずです。そうではないですか? という問いです。

 そちらは 《幸福の 〈科学〉》ですよね?



 ★ クルマ本体と 設計図と 運転手と・・・
 ☆ そんな要因分析をしても――してもいいですが―― 問題は 大川隆法ならその名のひとりの人間が それらシャシーと設計図と運転手などなどをぜんぶひっくるめた存在であるということです。その存在を確かめるために DNA による識別は 有効であるでしょう。こう言っているのみです。






 ただし もし次のようであるとしたら:
 ★ ~~~~~~~~~~~~~~
 つまり、転生輪廻は、ドライバが、自分の乗る車を変えていくようなものだといえます。それぞれの車のDNAが違うことで、あるときは、最高速度が高いし、ある時は、乗れる人数が多かったり、悪路走行が得意だったりするわけですね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ だとしたら それは いくぶんわたしがNo.1でのやり取りで次のように言ったこととかかわります。


 ☆☆(No.1お礼欄) ~~~~~~~~~~~~~
  ● ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 いまある人間が 過去に具体的なだれのたれべえであったということは ない。
 そうではなく・つまり同じ人間が生まれ変わったりするのではなく 《仏の光から分かれ 永遠の生命を与えられた霊・魂》が 人間という人間につねにどこかで接している・または部分的に重なっているということ。

 つまり 実際には《生まれ変わり》などではない。
 人間は つねにその人ひとりであり 後にも先にも掛け替えのない唯一の存在である。その人間のすべてに対して ただし《霊魂》は 何らかのかたちでかかわっている。ゆえに あたかも輪廻転生しているかのように見える。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ こうでしょうか?

 もしそうであっても 《生まれ変わり(転生輪廻)》という用語は つつしんだほうがとよいでしょうね。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



 あるいはつまり
 △ (主エル・カンターレ) ~~~~~~~~~~
  http://happy-science.jp/el-cantare/

 § エル・カンターレの地上下生の歴史

 天上界においても神秘のベールに包まれていた存在、地球の最高神主エル・カンターレ。

 主エル・カンターレは、その魂の分身を地上に幾度も送り、過去のさまざまな文明を創造されました。

 ゴータマ・シッダールタ(お釈迦さま・仏陀)、ヘルメス、オフェアリス、リエント・アール・クラウド、トス、ラ・ムーは、主エル・カンターレの魂の一部、分身です。
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 ☆ もしこのようなかたち(内容)を考えているようでしたら これは 決して《生まれ変わり(転生輪廻)》ではありませんから 用語をあらためなくてはいけないでしょうね。


 ★ まあ、少なくとも、DNAを持ち出すことによって、「転生輪廻はあり得ない」ということを論理的に否定することはできません。
 ☆ そうではなく 《運転手が性能の異なるクルマを替えて行く》ことと言うのであれば それを生まれ変わりとは 決して言わないのです。どこが《科学》なのですか?


 ところで その
 ★ 運転手
 ☆ とは 霊魂だという推測が立ちますが それは おそらく少しでもふつうの経験合理性による理解を求めるならば おそらく《生命》といった言葉がよいのでしょうね。

 しかもそのときには 生命が 万人にかかわっているのだとしても それを《運転手》にたとえたりすることも どうかと考えられます。人間には分からないのですから。あるいは 運転手だというのなら むしろそれこそ DNA の問題になるかとさえ思われます。


 いづれにしても その運転手たる霊魂について分かったのだというなら 人びとを説得しなくてはなりません。


 言いかえると 人はだれもが 宇宙の主宰神ブラフマンに――おのれの非思考の庭なるアートマン(霊我)において―― 接している。と言っても同じことでしょうし。

 あるいは 一切衆生にはブッダター(仏性)がやどるという言い方をしても 同じことでしょう。ブッダターとは アートマンとひとしい。こう言っても 差し障りはありません。

 つまり こういった《梵我一如》なり《仏仏一如》なりの〔信仰にもとづく〕思想とどう違うか? これを明らかにしなくては その《幸福の科学》という行き方の存在理由は ゼロとなるでしょうね。


 こういった議論――問い求め――が 取り敢えず今の段階でも 出来ましょう。

お礼日時:2014/01/26 16:29

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