dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

宗教についての質問ですがカテゴリがないのでこちらで質問させて頂きます

仏教において菩薩が修行して解脱し如来になりますが
阿弥陀如来や薬師如来、大日如来などの大乗仏教の如来たちも
元は人間で菩薩を経て如来になったのでしょうか?
クグッても人間のときのエピソードなどが出てこないんです

A 回答 (7件)

tbx様、こんにちは。




お好き、な、ように。「信教の自由」です。(人権侵害は、不可能)


ただ、私個人は、
「あれにも、これにも納得出来ず、ついに、至った」
というのが、なるほどと思って居ますが、(人権侵害は、しないでね)
    • good
    • 0

>クグッても人間のときのエピソードなどが出てこないんです


出てきません。
出てきたらインチキです。

>阿弥陀如来や薬師如来、大日如来などの大乗仏教の如来たちも、元は人間で菩薩を経て如来になったのでしょうか?
はじめからお経の中で仏として生まれた仏様です。
人間が修行してなられたのではありません。
いうなれば、小説の主人公やお伽噺のおじいさんやおばあさんと同じです。
いちいち履歴は書かれていません。

ここでややこしくなるのは、大乗仏教の基本的な考え方が原因です。
人間として生まれた釈迦が悟りによって仏となったのだから、おれ達も悟れば仏になれるはずだ、というのが基本的な考えかたです。
悟りとはなにか、いかにして悟るか、とやっているのが禅宗のお坊さんです。
ひたすら修行を積めば生きながら仏になれる、というのが弘法大師さんの密教です。
わたしには、修行も悟りも無理だ、ただ、ただ、阿弥陀様におすがりする、と言ったのが親鸞さんです。

大乗仏教というのは、お釈迦様が亡くなられてから約500年ほど後になって成立した仏教です。
500年も経っていますから、お釈迦さまからこう聞いたとおれは教えられた、いやおれはこうだと色々な説がでてきて混乱していました。
これを、整理統合したのが北方仏教です。
お経の出だしが大概「如是我聞」となっているのはこの為です。(わたしはこのように聞いたという意味です)
この整理統合に当たった人達は、お釈迦様から直接聞いた訳ではありませんから、お釈迦様ならこのように考えただろう、このように言っただろうと、かぎりなく想像を広げて、お経を書いていきました。
なにせ、出だしに「如是我聞」と書けばいいのですからどんどん増えます。
大正時代に閑なお坊さんがおられてセッセと数えたら3527あったそうです。
一番短いのが般若心経です。
これらの集大成のようなのが法華経です。
どの宗派のお坊さんも入門書として法華経を学びます。日蓮宗の方だけではありません。
このお経の主人公というか、シンボルが毘盧遮那仏や観音菩薩や阿弥陀如来です。

タイなどで大切にされている南方仏教は、お釈迦様が残されたとされる言葉や教えを大切にしている仏教です。
スッタニバータと呼ばれる短いお経です。中国では「阿含経」と訳されました。
この南方仏教に対して、俺たちの方が上だと、いって大乗と名乗ったのが北方仏教です。
大乗、小乗という言葉は現在はあまり使われません。
    • good
    • 0

菩薩して造られて生まれた人というものは存在しません。


如来して造られて生まれた人というものは存在しません。
なぜだかは頭で理解できるものではありません。
頭で捕らえられるものではないからです。
頭で生きている人は狂気と呼ぶ。狂気で生きているものはそうと唱える。
かわいそうといわざるを得ない。
    • good
    • 0

>元は人間で菩薩を経て如来になったのでしょうか?


クグッても人間のときのエピソードなどが出てこないんです.

○人霊として創造されたものが何度も人間として経験を積み、霊界において如来という世界まで到達できたかということ質問であれば、それは多少ではあるがありますというのが回答になります。
地球霊団におけるほとんどの如来は最初から如来であって人間に生まれて如来になったものではありません。
人類を教育するための先生としての霊ですから、人間として生まれた時は歴史に残るような名前の方々ですね。歴史上の立派な方々が如来界にいる方々です。如来を教育するのが大如来ですね。大如来は救世主とも呼ばれますが、何人かおられます。この方々は人間には計り知れない太陽のような存在です。しかし、数千年に一度、人間として姿を現すことがあります。そこで、菩薩や如来になる方法を教えることを主眼にするか、救済を主眼に姿をあらわすかによって呼び名が変わります。教育者としては霊界の秘技を教える大日如来、人類救済者としては阿弥陀如来となります。例えば、大如来の一人のイエスは阿弥陀如来の仕事をしたのですね。
ちなみに、浄土宗で言うところの西方浄土の阿弥陀如来はイエスのことを指しているのでしょうね。
病気を治すこともありますから、その時は薬師如来とも呼ばれます。ただし、薬師如来と呼ばれる医者が専門の如来はいますので、人間に生まれた時は大抵、医者で活躍してます。
宗教家として生まれる大如来がトップの大如来ですね。大如来のあと、菩薩が生まれて宗教の一派をなすのが通常の歴史ですが、所詮弟子なので教えは狭く問題も起きるわけです。
大如来のトップが釈迦大如来と呼ばれる大霊ですね。何度も地上に降りられたのでいろんな名前があるということです。
そんなところが大雑把ですが、回答ですね。
    • good
    • 0

それはないとは思うけれど、、ただしそのように伺い・


経験・追体験させられ気付けないままの人達もいるかも
しれない、、厄介な霊的自由性
    • good
    • 0

その通りです。

法華経方便第二にも(諸仏世尊は)ただ菩薩のみを教化して、声聞などいない、と書いてあります。
そもそも菩薩の存在自体が大乗を象徴するものであると、私は見ます。確か、菩薩の事を偉大なる衆生と言い表す場合もあったかと思います。
    • good
    • 0

・仏教において菩薩が修行して解脱し如来になりますが


阿弥陀如来や薬師如来、大日如来などの大乗仏教の如来たちも
元は人間で菩薩を経て如来になったのでしょうか?

そうですよ(^-^)/

・クグッても人間のときのエピソードなどが出てこないんです

仏典(お経)に書いてありますよ


浄土三部経では
弥陀如来は
釈迦が仏になる前よりも、ずっと遥、十却の昔に、
世自在王仏の時代、後に釈迦が、インドにある釈迦国の国王として生まれたと同じように、
無諍念王という王に生まれたとされる。
無諍念王は、名を「法蔵比丘」改めて、世自在王仏のもとで修業しました。
その修業中に、法蔵比丘は、世自在王仏から、ニ百億もの仏国土を案内して貰う機会に恵まれ、自分もまた優れた浄土を建立したいと思い立ち、苦しんでいる多くの、一切の衆生を救いましょうと四十八願をたてたといいます。 そして法蔵比丘は、四十八願を成就する為に、修業を積み、遂に「南無阿弥陀仏」の名号となって、西方十億土をすぎたところに、極楽浄土を建設し、成仏されました。
今も、全宇宙に救済の光を送られてます。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!

関連するカテゴリからQ&Aを探す