
No.10ベストアンサー
- 回答日時:
仏教は、アーリア人のバラモン階級が普及させた輪廻転生の思想に対する宗教改革として発生しています。
業(カルマ)次第で生まれ変わりが、良くも悪くもなるので、カーストの下層に生まれた者は、前世の報いと諦め、しっかり耐えて善行を積むとか反乱を起こさないように行動させようとする支配(治安維持)用の
思想をバラモン階級が普及させていたため、これを批判し、マガダ国やコーサラ国の王侯や大商人の支持を得て、拡大していっています。
輪廻は、永遠に続くのではなく、解脱できるので、輪廻転生思想だけにとらわれていては、苦しむだけだよということ。悟ると輪廻の呪縛から脱出できるよということ。
確かに苦しみの元は欲望かもしれないが、「欲を捨てる」と死ぬ(ブッダも断食で死に掛けている)ので、捨てるのではなく、中道、つまり、欲はほどほどにしておく、という程度でも一般人諸君はいいんだよということ。(ブッダは粗末なミルク粥で一命を取り留めて、その後、布教を開始している。)
輪廻転生の思想では、ガンジス河流域の小国同士の戦争や貧困を解決できなかったので、流域全体の反バラモン宗教改革で同盟関係を広め、平和を実現し、商業・流通を拡大し、技術革新や医療福祉を伴う、経済成長戦略を推進する上での精神的な基礎だったというのが、当初の姿です。
二千数百年前のガンジス流域で、平和と繁栄は、反バラモンと中道の精神に基づいて実現し、アショカ王の時に栄えたが、限界もあったため、
さらなる宗教改革が起き、大乗仏教を生み出して変容していきます。
どの時代のどのような教義かによって変容していくので、とりあえず、
初期の状況のみにしておきます。

No.9
- 回答日時:
一、修行をすれば誰でも仏になることができる
二、修行は果てしく無く長い
三、仏の幸せとは人間が想像できるものではない。想像以上のものである
四、仏に成らない限り、決して悩みや苦しみが消えることはない
No.8
- 回答日時:
曹洞宗の僧侶です。
「悪いことせず、良いことをしなさい」ということです。
人間が悪いことをしてしまうのは欲があるからです。
その欲によって人間は、他人だけでなく自分自身も苦しめる悪いことをしてしまいます。悪いことは何であれ、誰であれ、苦しみをもたらします。
良いことをするには欲をよく見つめ、コントロールする必要があります。
‥といったところでしょうか。

No.7
- 回答日時:
とても簡単です。
悟れ。
これだけです。
じゃあ、悟りって何?
ブッダって誰?
誰がなれるの?
執着は?
梵は?
輪廻転生は?
我は?
空は?
浄土は?
経典は?
大乗?小乗?
出家?在家?
後は色々です。歴史をご覧下さい。
No.5
- 回答日時:
外人相手のツアコンの方でしょうか?外人観光客にブッキョウを説明するやり方ってことでしょうか。
「よいスピリットと合体しましょう」でいいと思います。
日本のロボットは合体好きですし、例えばコンサートなんかも、スタートの一体感を楽しむといえるでしょう。恋愛でも、よく合体します。
判りやすくコンサートを例に取りますと、例えばスマップのファンなんかは、スマップとお話できると思えば、もう夢見心地なんですが、実際は無理ですので、コンサートのチケットを買うと、かなりな程度近い状態になります。
もうひとつの方法としては、例えば、ウタダヒカルがお話したいといえば、スマップもいやとはいわないでしょう。歌の分野じゃなくても、ジョニーディップがお話したいといえば、スケジュールをあわせれば実現するでしょう。
スマップとお話するために、ファンになればいいというのが、大乗ブッキョウ、自らもスターになりましょうというのが、小乗ブッキョウです。
100万人の人がウタダヒカル目指しても、なれるのはひとりかふたりでしょう。残りの99万9998人はどうするんだというのが、大乗ブッキョウです。スターがファンに向けて「愛しているよ」っていうように、仏様(=非常によいスピリット)もファンになってくれた信者には「救い」を与えたがっています。
でも、ファンなんかやっていられるかというひねた人は救えない訳で、小乗ブッキョウのほうは、自分を見つめなおすことによって、ひねている自分に気づくところからはじめます。
哲学的にいうと、自分で判るのは自分だけらしいですが。
自分以外のものといっても、自分という測定器を使ってしか、測定することはできない。それは他人だと思っても、他人を測定した自分という測定器の測定結果を見ているだけ、そして測定器は自分しか使えない、他人の測定結果を聞いても、他人の測定結果を測定した自分という測定器を見ているだけという意味なんですが。
自分を見つめなおすとイヤな所が見えてくるわけで、でも、最初のうちはどうすればイヤな所を直せるかという思い込みがトンチンカンなわけですが、それに気づかない。よいスピリットに接することで、運がよければ少しずつ気づいていくわけですが、イヤなところをなぜイヤと思えるのかというのが、救いなわけで、ひねたひとでも、自分の持つイヤなところのひとつくらいは、イヤと気づくことができるところが、真実の表れなんで、
いいスピリットにどんどん近づいていきましょうということでは、大乗ブッキョウも小乗ブッキョウも一緒です。
まあ、ブッキョウはキリスト教やイスラム教じゃないから、「教え」っていうものなんかないというのが正確な答えではあるんでしょうが。いいスピリットに近づきたいというのは、教えられなくても自然としてしまうことですものね。
No.3
- 回答日時:
>>「心の安定を得るためには欲を捨すてること」
確かにそのとおり、正しいでしょう。
でも、人間、生きていれば、「食欲」「睡眠欲」「性欲」もあるし、さらに、自分を飾るためのバックやかっこいい(キレイな)恋人が欲しいっていう「物欲」とか、他人より上に成りたいっていう「出世欲」などもある。
こういう欲を全て捨てたら、心は安定するかもしれませんが、勉強の場合「あなた100点、わたし30点。でも全然気にしない」「同級生のA君、年収1000万。私、派遣で200万。でも気にしない。」ってなりそうですよね。スポーツなんて体に良い程度でいい、「競技に勝つため、血のにじむような努力なんてバカらしい。」ってなりますよね。
ぎらぎらした人が減って、坊さんみたいな人ばかりになって犯罪も減りそうですが、社会が停滞するような感じがありますよね。というか、子供が出来なくなって、少子化がさらに進み、国の人口がどんどん減りそう・・・。
過去、仏教の偉い坊さんが、幽体離脱して天国・地獄を見てきて、その絵を描いたりしました。人間の本来いる世界が、いわゆる「あの世」なので、「この世」でのたった数十年、長くても百数十年を、ちょっと生き易くするための欲ってどうでもいい、地上での欲は捨てなさいって教えは、極めて自然な教えです。
でも、とてもその境地にたどりつくのは難しいです。単に仏典読んだり、山を歩き回ったりしても無理。でも、時々その教えを思い出し、自分の才能・努力に見合わない過大な欲望を捨てて、人生がんばりましょう。っていうところかな。
No.2
- 回答日時:
先祖を敬い感謝をする。
人は見返りを要求すると卑しくなる
願い事を参拝することによって見返りをほとんどの人が要求している
「○○が叶いますように」
が仏教の世界ではそんな物乞いをする教えはないそうです。
参拝の目的は先祖に無事であることを報告することだそうです。
「今年も無事に過ごすことができましたありがとうございました」
ということでご先祖も安心されるということです。
それに、願い事をすることはまた先祖に心配事を抱えさせてしまい
ご供養にはなりません。
質問者さんの言われる、「心の安定を得るためには欲を捨すてること」
がまさにそのとおりです。
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