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中2の歴史の問題です。

薩摩藩や、長州藩が、実施した改革と幕府のこれまでの改革( 享保・寛政・天保)はどんな点で違うのか
おしえてください

ヒント
藩の改革は、順調に進み、幕府に対抗する力を養う機会になった。
それがのちの 倒幕運動 につながった。


回答おねがいします!!
ヒントとかじゃなくて回答まってます。

A 回答 (3件)

宿題?


次のようなことを理解して、文章は自分で考えて下さい。

江戸時代は、幕府も藩も収入(税収=年貢)は米が主体でした。
税率も米の生産高の何割という形で決められていました。
税金=年貢を納めているのは農民だけでした。
裕福な町民からは、冥賀金という寄付金や権利金のようなものを随時集めていました。
長屋の熊さんや八っさんには税金というものがありませんでした。

物の売り買いは現金で行われていましたから、藩も幕府も集めた米を現金に換える必要がありました。

幕府の改革は、米の生産高を増やすか、現金の使用を減らす、つまり節約をするかのどちらかでした。
江戸の町で商家の使用人として生活していた農民は村へ帰れ、とか、贅沢な物を使ったり売ったり作ってはいけない、というものでした。
印旛沼の干拓などという耕作地の拡大、つまり公共工事もやりました。

幕末に、薩摩藩や長州藩が行った改革は、藩が直接現金収入を得る方法を採用しました。
薩摩藩は、奄美大島で取れる砂糖を藩が独占して売るようにしました。
又、琉球との貿易を藩が直接やるようにしました。現在の商社のような仕事です・

長州藩は、商人から運上金という、現在の所得税を徴収するようにしました。
又、関門海峡を通る商船にお金を貸して金利を取るという現在の銀行のようなことも始めました。
北前船のような商船は、ここで資金を借りて、蝦夷(北海道)で商品を仕入れることができます。

簡単に言うと、幕府は米本位経済の改良改善をしましたが、薩長は米本位経済だけではなく貨幣経済も始めたということです。
近代経済を先取りしたということです。

宿題ですか?来年は入試です。頑張って下さい。
歴史は年号だけではなく、政治や経済の仕組みをしっかり覚えることも大事です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とてもわかりやすくて助かりました。受験勉強にやくだてます!

お礼日時:2014/02/11 22:45

 いわゆる「西南雄藩の藩政改革」の問題ですが、先の方が歳入の問題を中心にして説明していらっしゃいますので、僕は財政再建の側面からお話しします。


 薩摩藩に調所広郷という人物がおりました。家老職にあった人物ですが、この人が行った事業は二つあって、一つはそれまで薩摩藩が抱えていた膨大な借金を250年間の無利子で返済するとの事実上の借金踏み倒し政策を実行したこと。そしてもう一つはインフラ事業など長期スパンで判断して意味のある事業に積極的な形での財政支出を行ったこと、です。
 それが藩の財政を再建できるだけの起爆剤的な役割を果たしたともいえます。
そして同時に薩摩は琉球との交渉チャンネルも持っていましたから、琉球の特産品も藩の特産品として交易する対象にできたとの背景もあります。

 でもこれをそのまま書いたのじゃ、ダメよ!。宿題やレポートは自分で調べて書かなければ勉強することにはならないからね!。
 だからね、おっさんは少しばかり怒ってもいます。「ヒントとかじゃなくて回答まってます」では宿題の意味を理解していないことになるからね!
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http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A9%E6%94%BF% …

重農主義と重商主義の違い

長州藩と薩摩藩の基本は「専売」による重商主義です。
幕府の亨保・寛政・天保は米をたくさん取るという重農主義

要するに「金を持っている奴が勝つ」
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この回答へのお礼

シンプルでわかりやすかったです!
ありがとうございました!

お礼日時:2014/02/11 23:01

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