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幸福とは「満ち足りていること」である、とします。

この定義でも、矛盾を見つけることはできますか?

A 回答 (14件中1~10件)

mikaze007様、こんばんは。




>「幸福とは「満ち足りていること」である、とします。
この定義でも、矛盾を見つけることはできますか? 」


はい。
「満ち足りる」が、個人についてのもの、である限り。
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「満ち足りていること」


というものが物欲ではなく心のありかたを指すのであれば
矛盾は無いと思います。
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「自分の信じる夢を追う」というのもひとつの幸福だと思います。


でも、夢というものはその時点で「満足していない」からこそ存在するもの。そういう意味で、「満ち足りている」者は夢を持つことは出来ないのではないでしょうか。・・・「夢を持たない」人間は、果たして「幸福」と言えるのでしょうか? 「目指すところがある」とか「何かに駆り立てられる(言い換えるならモチベーション)」ということが、「生きる」ということそのものなのではないでしょうか。目指すところが本当に無くなってしまった人間は「生きた屍」と呼ぶに値する・・・というのは言い過ぎなのでしょうか? もしかしたら「自分の幸せに辿り着くまでのプロセス」が一番の「幸せ」だったのか?とも・・・。

それは私個人が結論付けることではない、人間の永遠のテーマなのかもしれませんが。


ただ言えるのは、どうしても「満たされること(安心、夢)」に到達出来なくてもがき苦しんでいる人間に、自分は惹かれます。「満ち足りた」人間ほど人としての魅力が半減するものはないと思います。
例えばですが、浅田真央がトリプルアクセルであっさり金メダルを獲っていたら、ここまで大衆の関心は得られなかったでしょうね。
もっと言うなら、時代を越えて評価されるような作品を残した偉大なアーティストはみんな、公私共に様々な問題や不満を抱え続けていたような「不完全な(ある意味とても人間らしい)人間」ばかりです。「不満足」は「力」そのものなのかもしれません。・・・この「不満足」精神は、アーティストとか、何かを成し遂げようとしている者にとって、「幸福」とは言えるのかもしれません。(例え本人は不幸だと思っているとしても。)
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こんばんは



>幸福とは「満ち足りていること」
>矛盾を見つけることはできますか?

よくこの質問を思いつかれましたね(^-^)
この世界が不変であり 誰もが全知全能であるとしたら まさに それは無敵ということですね
貴方は無敵のキャラクターのゲームをしたことがありますか? 楽しかったですか?
私は楽しくなかったです
このことが 自分が幸せであるか考える時 直面することなのだと思います

お釈迦様が生病老死は 自分の思うようにならない苦だと言われました
誰かは 生の苦は悪魔とかおっしゃているようですが 
自分が思うようにならない生病老死の苦は 自分に刺激を与えています・・・内観からの刺激

人間は刺激=ワクワクがないと幸せを感じられない愚かな生き物なんです
人間は未知の事を観たり聞いたり あるいは何か分からないことを考えて解決することで 幸せを感じられる生き物なんです・・・外観からの刺激

幸運な事に この世界は知れば知るほど分からないことが発生するようです
それは人間の認識が限られたものだからかもしれません

お釈迦様の結論は「あるがまま」=「中道に生きる」=「自由意志で好きな事をすること」が幸せだということだと思います・・・理性
極端にいえば 乞食業をすることで他人の仏性を強く感じられると云うことです=人間はか弱い者を助けると云うこと・・・悟性
それと 人間は五感により幸福を感じることができると云うこと芸術や音楽等によるやすらぎ・・・感性
この世界は 人間が幸せに生きられるように創られているということです

新しいものの見方で まだ分からないことを少しでも発見したいですねヽ(´ー`)ノ
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幸福とは、幸福であることを実感することである・・・・・・・・・・・・・・・

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人類最大の敵は「退屈」である。



満ち足りている、ということは退屈と
結びつきませんか?

そんな状態で「幸福感」が得られるか
疑問です。

希望に溢れている時の方が幸福です。


満ち足りていることを幸福と定義するなら、
幸福と幸福感はもって非なるモノだ、という
ことになるでしょう。
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幸福というのは人によってばらばらなので理解は厳しいですが、



死ぬときにいい人生だったと思ったら幸せなんではないかな。

生きているときは先があるので欲が先走るので感じることは

ありません。
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>幸福とは「満ち足りていること」である、とします



逆に「満ち足りていることを幸福という」とも言えます。
こういう定義を「トートロジー」と言います。
言葉の定義をそのまま転換しているだけで、矛盾はしま
せんが、かといって何か新しい知見を引き出すものでも
ありません。
大事なのは、「満ち足りていること」とは何か、という
事です。たとえば;

意志があり、そこにおける目的の達成を感受した時に
感じる充足感
→意志とは、環境の感受において、脳内に再構成された
環境における行動の志向性
→目的=行動の志向性とは、生命を生み出した進化=
淘汰によって、環境との相互作用において導かれる
特定の行動や対象
→意志の充足とは、「脳の発達における環境の再現性
(認識の深まり)×欲求の強さ×その達成度×感受性」
といった関数によって大きさが決まる

といった環境との相関性や原理的な分析が加わってこそ、
定義が深まるのです。
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 こんにちは。



 No.1の回答内容と あるいは重なるのかと思いますが 問題は――社会的動物である人間にとって―― ひととのカカワリ(関係性)です。

 マジワリ(交通)をいっさい断っても ひとは ひとと互いにカカワリを持ちます。無人島にいるひとは 有人の世界とかかわっています。


 このような社会性という場において見ると
 ★ 幸福とは「満ち足りていること」である 
 ☆ という定義が どういう意味合いを持つようになるか? または 持つべきところでの意味が 放ったらかしになっていないか? といった見直しを迫られるかも知れません。



 たとえば 《独り満ち足りている存在》と言えば 神の定義(または かんたんな説明)です。

 とすれば たとえば

 ○ 幸福とは「社会という人間関係において わたしもほかの人びとも互いにそれぞれが 満ち足りていること」である 

 とでも捉えるなら 社会性という人間の条件を満たすかも分かりません。

 ということは おそらく――人間と社会とは 動態なのですから(そして ほかの回答にあったかと思いますが)―― 道をゆくその一つひとつの過程が 互いに大事であるということなのでしょうか。


 でも ヒラメキをとおして得られるわれわれ人間の目覚めは その世界観をあたえられたことについて《しあわせ》であり そのときひとは
 ★ 満ち足りている
 ☆ はずです。と考えます。




 ★ 矛盾を見つけることはでき
 ☆ たのか どうなのか。・・・
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「 幸福とは、満ち足りてることである 」


素敵な言葉 ですね。

愛する人に愛されるとか、目標を持って邁進するとか、安心して暮らせる環境とか
何によって満ち足りるのかは、それぞれ違うのでしょうし
またその時々で満ち足りる内容も変化して行くのでしょうけど、満ち足りてたら幸福だと感じますよね。

自分で自分を満たせる方法や方向を、見据えて動けたら
その瞬間瞬間が、輝いて満ち足りているようにも思えます。

幸せは止まっているのではなく、動体であるようにも感じますね。
心は動くからでしょうかね。

幸福とは満ち足りていることである。
とても賛同しました。
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