dポイントプレゼントキャンペーン実施中!

幸福とは「満ち足りていること」である、とします。

この定義でも、矛盾を見つけることはできますか?

A 回答 (14件中11~14件)

こんばんは



>幸福とは「満ち足りていること」
>矛盾を見つけることはできますか?

よくこの質問を思いつかれましたね(^-^)
この世界が不変であり 誰もが全知全能であるとしたら まさに それは無敵ということですね
貴方は無敵のキャラクターのゲームをしたことがありますか? 楽しかったですか?
私は楽しくなかったです
このことが 自分が幸せであるか考える時 直面することなのだと思います

お釈迦様が生病老死は 自分の思うようにならない苦だと言われました
誰かは 生の苦は悪魔とかおっしゃているようですが 
自分が思うようにならない生病老死の苦は 自分に刺激を与えています・・・内観からの刺激

人間は刺激=ワクワクがないと幸せを感じられない愚かな生き物なんです
人間は未知の事を観たり聞いたり あるいは何か分からないことを考えて解決することで 幸せを感じられる生き物なんです・・・外観からの刺激

幸運な事に この世界は知れば知るほど分からないことが発生するようです
それは人間の認識が限られたものだからかもしれません

お釈迦様の結論は「あるがまま」=「中道に生きる」=「自由意志で好きな事をすること」が幸せだということだと思います・・・理性
極端にいえば 乞食業をすることで他人の仏性を強く感じられると云うことです=人間はか弱い者を助けると云うこと・・・悟性
それと 人間は五感により幸福を感じることができると云うこと芸術や音楽等によるやすらぎ・・・感性
この世界は 人間が幸せに生きられるように創られているということです

新しいものの見方で まだ分からないことを少しでも発見したいですねヽ(´ー`)ノ
    • good
    • 0

「自分の信じる夢を追う」というのもひとつの幸福だと思います。


でも、夢というものはその時点で「満足していない」からこそ存在するもの。そういう意味で、「満ち足りている」者は夢を持つことは出来ないのではないでしょうか。・・・「夢を持たない」人間は、果たして「幸福」と言えるのでしょうか? 「目指すところがある」とか「何かに駆り立てられる(言い換えるならモチベーション)」ということが、「生きる」ということそのものなのではないでしょうか。目指すところが本当に無くなってしまった人間は「生きた屍」と呼ぶに値する・・・というのは言い過ぎなのでしょうか? もしかしたら「自分の幸せに辿り着くまでのプロセス」が一番の「幸せ」だったのか?とも・・・。

それは私個人が結論付けることではない、人間の永遠のテーマなのかもしれませんが。


ただ言えるのは、どうしても「満たされること(安心、夢)」に到達出来なくてもがき苦しんでいる人間に、自分は惹かれます。「満ち足りた」人間ほど人としての魅力が半減するものはないと思います。
例えばですが、浅田真央がトリプルアクセルであっさり金メダルを獲っていたら、ここまで大衆の関心は得られなかったでしょうね。
もっと言うなら、時代を越えて評価されるような作品を残した偉大なアーティストはみんな、公私共に様々な問題や不満を抱え続けていたような「不完全な(ある意味とても人間らしい)人間」ばかりです。「不満足」は「力」そのものなのかもしれません。・・・この「不満足」精神は、アーティストとか、何かを成し遂げようとしている者にとって、「幸福」とは言えるのかもしれません。(例え本人は不幸だと思っているとしても。)
    • good
    • 0

「満ち足りていること」


というものが物欲ではなく心のありかたを指すのであれば
矛盾は無いと思います。
    • good
    • 0

mikaze007様、こんばんは。




>「幸福とは「満ち足りていること」である、とします。
この定義でも、矛盾を見つけることはできますか? 」


はい。
「満ち足りる」が、個人についてのもの、である限り。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!