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私はイデアと言うものについて考えているのですが三角形のイデアとは「内角の和が180度」と言うことなのです。これはあらゆる三角形に共通しているものなのです。また「内角の和が180度」であるものをすべて三角形と言うのです。
皆さんは三角形の内角の和が180度であると教わりますが、それが三角形のイデアであるとは教わらないでしょう。三角形のイデアとは「内角の和が180度」と言うことなのです。これは間違いはないと思いますがどこかおかしなところがあるでしょうか?

A 回答 (8件)

そうですね。

その構造なくして、三角形は、あり得ない。ということです。プラトンから現代サイエンスまで、目に見える現象=洞窟の壁が、問題でなく、この見えてるものを成立させる構造を、捉えなさい、といいます。今では、物質の時空間が、陽子と中性子と電子で構成する量子のもつれ=組み合わせで、できるという発見にまで及んでいます。プラトンの構造=イデアへの注視洞察が、今でも生きています。数学者ホワトヘッドは「プラトン以来の哲学は、プラトンへの注釈にすぎない」と言いきっています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
私はプラトンはイデアの本当の意味は分かっていないと思います。
イデアとは言葉の本質であり、言葉の本当の意味のことで、イデアは言葉の数だけあるのです。そのことを哲学をやっている人でもほとんど理解できていません。
言葉の本質とは、例えば人のイデア、本質とは「それ」があるから人と言えて「それ」がないならば人とは言えないもの、です。私は人の本質、イデアを「理性がある事」だと考えています。いかがでしょうか?

お礼日時:2022/03/15 19:54

神の言葉=ロゴス=設計図なら、あなたの言うようになります。

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

今回はこの辺で、またよろしくお願いします。

お礼日時:2022/03/16 21:37

その「ある」を生み出す者は誰か ? そして、根源的に生み出す「ある」は誰か ?です。

神です。ですから西欧、ヘブライ圏域では、神は、「在りて在る
者」と根源的なイデア存在を指します。あらゆる存在の「ある」を可能→実在させる、本当の存在、それは神、という存在神学 onto-theology に繋がる話です。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

なるほど。イデアは存在論なのですね。私はまだ存在論は深く考えていません。イデアが中心ですが、存在についても考えてみたいと思います。

イデアとは言葉の本質、その言葉の本当の意味のことです。ですから例えば善とは何か? これは善のイデアとは何か?と言う事であり、その答えが出れば善い、と言う言葉に当てはめても違和感があってはなりません。
善とは「みんなの為」であれば善い政治とはみんなの為になる政治。善い行いとはみんなの為になる行い。このようにそれが正しければ善に当てはめても違和感があってはならないのです。西田幾多郎は「善とは人格の実現である」と言いましたが、では善い政治とは人格の実現の政治、となり違和感があります。ですからこれは正しくないと言うことなのです。自由のイデアは「束縛のない状態」です。ですから私は自由になりたいとは私は束縛のない状態になりたい、と言うことで違和感がないのです。イデアとはその言葉の本当の意味を言うのです。また意味とはイデアを示すことです。美の意味、美の本質、美と言う言葉の意味とは何か?、美のイデアとは何か?を示すことなのです。

お礼日時:2022/03/16 06:44

皆の為→「皆の、皆への愛」だと思います。

知性、知識、技術、ビジネス、勉学、何であれ「前提条件」に、「他者への愛=善」がないと、何をやっても意味ないと考えています。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

善のイデアと愛のイデアは違うものです。愛のイデアはまだよくわかりませんが「無償の奉仕」だと考えます。しかしその愛も本当の愛でなければ何にもなりません。本当の、真実の、間違いのない、ですから絶対に正しい愛でなければならないのです。絶対に正しいが「みんなの為」であり「みんなの為になる愛」こそが本当の愛なのです。
自由もまた本当の自由でなければならないのです。自由のイデアは「束縛のない、開放された状態」でしょう。しかしやはり本当の、あるべき姿の自由でなければならないのです。つまり本当の自由とは「みんなの為」になる、合致する自由なのです。このように本当に、絶対に正しい=善のイデアが分からなければ愛のイデア、自由のイデアが分かったところで何の役にも立ちません。だから善のイデアはイデアの中のイデアと言われるのです。勿論プラトンも「イデアの中のイデア」の意味、その本当のところは分からなかったのです。分かっていれば私のように説明しているはずなのです。
イデアとは言葉の本質であり言葉の本当の意味と言うことなのです。
そしてあらゆる言葉のイデア、本質こそが「在る、存在」です。「在る」があるから言葉と言えて「在る」がないならば言葉とは言えないものなのです。

お礼日時:2022/03/15 22:57

違います。

イデア=本質esse. essenceは、何度も言いますが、「構造、仕組み」のことです。
そのイデア(構造、仕組み)は、西欧キリスト教圏域では、神が自身の理性=思考を用いて、数学で記述し、設計し宇宙全てを創造したと考えます。その意味で、あなたの指摘は有効だと思います。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

違いますか。私は善と言う言葉の本質は「みんなの安心・幸せの為」つまり「みんなの為」だと考えます。つまり善とは「みんなの為」があるから善と言えて「みんなの為」がないならば善とは言えないものです。
善のイデア、絶対善とは「みんなの為」であり、それに適う事はすべて善い、正しい事であると考えますがいかがでしょうか?

お礼日時:2022/03/15 20:50

イデアの原義を教えてるですから、三角形という現象の仕組み、構造=内角の和=180度と考えるのがロジックでしょう ?

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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

と言うことは三角形のイデアは「内角の和が180度」でいいと言うことでしょうか?

お礼日時:2022/03/15 19:12

イデアとは、現象=見た目appearanceを、そのように足らしめる「構造」「仕組み」のことです。

これを本質essence.esseと言ってますね。
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。
内角の和が180度というイデアがすべての三角形たらしめているのです。これが本質なのです。本質とは「それ」があるから三角形と言えて「それ」がないならば三角形値は言えないもの、です。そして「それ」とは内角の和が180度と言うイデアです。
あらゆる三角形に存在して、足らしめているものが三角形のイデアなのです。

お礼日時:2022/03/14 22:22

現象世界の奥にあるイデア(理念)は対象を対象たらしめているが


本来のイデアは知覚を超越したところにあり、三角形で論じるなら
哲学でなく数学で論じるべき、
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この回答へのお礼

コメントありがとうございます。

いやいや、私はイデアについて考えたのであって数学についてではない。三角のイデアも善のイデアも同じイデアであり、そのイデアとはいかなるものかを考えてあなた達にこれで間違いがないかどうかを質問したのだ。
三角形の意味、本質、イデアとはあらゆる全ての三角形に内包しているものでありその本質がイデアと言うのだろうと。
また逆に内角の和が180度であるものは全て三角形と言われるのだ。
つまり三角形のイデア、本質は「内角の和が180度」があるから三角形と言えて、「内角の和が180度」でなければ三角形とは言えないものなのだ。

イデアとはあらゆる○○に内包しているもの、その本質を言うのだ。あらゆる犬に内包しているのが犬のイデアであり、あらゆる美と言うものに内包しているのが美のイデアであり、あらゆる善いものに内包しているのが善のイデアである。そういうことを言いたいのです。

お礼日時:2022/03/09 21:02

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