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子供の漢字の練習の時のことです
「年」という時の部首が「干」というのがでてきました
しかしこの「干」という部首が「年」という漢字のどこにあるかが
解らないのです

時の成り立ちからすると下の部分かなと
思うのですが、部首がどんなものかの説明があっても
具体的な場所がどこかはなかなか説明されていなくて…

ご存じの方が居られましたら
ご教示をお願いいたします

A 回答 (5件)

>部首がどんなものかの説明があっても具体的な場所がどこかはなかなか説明されていなくて…


ごもっともです。
そもそも「部首」なるものの定義が極めて曖昧模糊としています。
現実問題として辞書によって異なるという現象も起きています。

ご質問の「年」ですが、この文字の成り立ちそのものが恐ろしくややこしい文字です。
「年は禾と人を表す千との合成文字」とされています。
この説明事態が恐ろしく分かりにくいです。
イメージとしましては
禾を草書体で書くことをイメージしてください
一番上のノと横棒がつながります。
下の左右に広がった部分を水平な棒に略した状態をイメージしてください。
このイメージのまま下に千を書いたとイメージしてください。
千の上のノの名残りが年の文字の下左の縦棒です。

禾は穀物を意味する文字です。

千は中国語でnienと発音しました。
一の合字で1*1000を意味する。人の音を借りたものとの言われていますが由来は不明です。

千は漢字の部首の世界ではセンではなく「干 - カン、いちじょう、ほす」と呼んでいます。

「年」という言葉は穀物が芽生えてから収穫される一つのサイクルを単位としたことに由来する文字です。

文字の出来上がりの経緯からすると、禾=穀物を人≒千が世話をする期間という合意文字になります。

つまり、ご質問の
>しかしこの「干」という部首が「年」という漢字のどこにあるかが解らないのです
に対する答えは「年」の下の部分に隠れています。
ということになります

参考
合意文字の部首というのは、定まった決まりが無い、という状態です。

Wikipediaでも以下のように説明しています。
○会意文字では、構成要素がいずれも「意符」にあたり、部首分類は字書による。たとえば、「相」は木と目の会意文字である。「木部」「目部」のうち、説文解字でも康熙字典でも旁の「目部」に分類している。「男」は田と力の会意文字であり、康熙字典では上部の「田部」に、説文解字では「男部」に分類している。・・・

部首の混乱ぶりはWikipediaでも以下のように述べています。

○昭和の始めまで、日本の漢和辞典は、意味による部首分類である康熙字典の分類を踏襲するのが普通であったため、部首を引くのは必ずしも容易ではなかった。たとえば、「忄」(りっしんべん)の字を引くには「心」部を見なければならず、「承」の字は「手」部を見る必要があった。これらは、字の成り立ちに由来していることが多い。また、1946年(昭和21年)の当用漢字表、1949年(昭和24年)の当用漢字字体表による新字体への変更により、旧字体との乖離への対応も必要となった。

○楷書を使用するようになった現在でも、多くの字書では、部首が変形したものを本来の部首に所属させている。そのため、「胴」「胸」など「月(にくづき)」が付く字が、4画の「月部」でなく6画の「肉部」に属するなどの一見不自然な状態が生じている。これを回避するために、同じ字形に見えるものは分けない字書もある

以上を小学生に説明して「理解しろ!」と言っても到底無理かと思います。
せいぜい「真ん中にあるよ、左の縦棒はおまけ」ぐらいにしておかれてはいかがでしょうか。
「王の横にチョンがつけば玉でしょ」と言ってあとはモゴモゴムニャムニャ。
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この回答へのお礼

返答が遅れてしまって申し訳ありません

大変詳しく書いていただいて
ありがとうございます

大人はまあ納得したりできますが、
子供が理解するのはたしかに難しいですね

適度に説明したいと思います

お礼日時:2014/04/12 12:48

と書いた所で気がついたのですが、


今の辞書は部首を干としているのですね。
しかし字の成り立ちとしては千であったわけですが…。

このあたりのいきさつはちょっと不明です。今調べた限りでは。

康煕字典では部首は禾となっています。
禾は実った穀物の穂の形の象形です。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます
遅れてしまって申し訳ありません

字の成り立ちとか調べてみても
そういった部首の変化については
あっさり書かれていますね

なかなか難しいですね

お礼日時:2014/04/12 12:43

字の意味については既出ですが、字統(という辞書)は禾を背負った人間の形であるとし、収穫の祭儀だとしています。


収穫を一年の目安にした時代のなごりとしています。

漢字の最初のころの形である金文という字体では、禾の下に人を書いているそうです。
これが次の篆書では下の人の形が千の字に変化しています。これも一人の人というような意味の字です。おそらく読みとして「千」の読みに近くしたかったのではないかとのことです。
これがその次の隷書体ではやたらと横棒の多い字に改造されましたが、楷書体では今の年の字と元の篆書の字体を引き継いだ禾の下に千の字と2種類になっています。
今も禾の下に千の“年”という字は異体字としてありますが、元は同じだということになるわけです。

結局千の字は年という字の下半分に変形して入っていると考えて良いと思います。

出典
http://sf.zdic.net/shufa/0128/26a6045f1437ebd70a …
http://sf.zdic.net/shufa/0128/26a6045f1437ebd70a …

既出の通り禾を部首としている場合もあります。
「「年」という感じについて」の回答画像4
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大修館の漢語林でも「干」の部に出ています。


他に「幸」「平」もそうです。

横に三本ある、どの二本かよくわかりませんが、
牛は「牛」部
午は「十」部
さらに「幸」から考えると、おっしゃるように下の部分でしょうね。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます
遅れてしまって申し訳ありません

やはりそういうお答えになりますよね
安心しました

お礼日時:2014/04/12 12:51

    僕の辞書の「年」は、下記の部首名には名前がありませんが、カタカナの「ノ」と「一」で出来た2画の部首に入っていて、「乞」、「午」、「乍」、「矢」、「失」などの字が入っています。


    http://dearbooks.cafe.coocan.jp/kotoba03.html

    ですから辞典によって部首の扱いが違うのでしょう、当用漢字が導入されてから漢和辞典の構成が多種多様になったように思います。「干」も「年」も縦棒が一本、複数の横棒があるからでしょう。
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この回答へのお礼

お答えありがとうございます
返答が遅れてしまって申し訳ありません

わざわざ辞書をひいていただいたようで、ありがとうございます
説が複数あって明確でないと、
むしろ教育者側が大変なんだろうなー
などと思ってしまいますね

お礼日時:2014/04/12 12:54

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