アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

本当のことを言ったら怒る人って?
それとも、言う方が悪い?
長文失礼します。母の姉妹喧嘩について、私が思っていることをまとめました。
このような性格の者同士では、喧嘩になるのは必然的、当然のようです。

***

母の話には正当性がない
上の叔母が反対するのは、理由があり、理にかなっていると私は思う

母には本当のことが言えない。
本当のことを言ったら、激怒して、拒絶する。
母自身が悪くても、常に相手のせいにしなければならない。
だから、時々目上の人や見知らぬ人に「謝れ」と言われるが、母は、無理やり謝らせた人を一生許そうとはしない。
また、母に、「あなたが悪い」と言う人に「あなたは私を殺す気か?」と言い返す。
現実に直面して、対峙することができないのだと私は思う。
また、誰かに悪い噂を吹き込まれて自分のことを悪く思っているだろうと思われる人には決して近づかない。

一方、上の叔母は、本当のことを、言いすぎるほどはっきり言う。
上の叔母は母には直接言うことはなく、祖母や下の叔母に手紙を出し、事実、姉はこんなだ、こんなことをされたと訴える。
結構説教もするので、母は「自分が上に立ちたいのだろう」「自分が跡継ぎのようだ」と非難する。
母は、上の叔母が、自分のすることになんでも反対すると言う。
それは、母が、周囲の意見を全く聞かず、自分の考えた通りにことを進め、突っ走り、強引に決めてしまうので、それをよく知っている叔母が、阻止しようとしているのにすぎないと私は思っている。
母は、上の叔母とのいざこざが、子ども(私)にふりかからないように頑張っているのだと言う。
私は、それは見当違いだと思っている。
母が色んな人に相談すると、「そんな、母親の味方もできない馬鹿な子のことは放っておいたら?」「(遺産は)何も残さなくていいんじゃない?」と言われたと言っていた。
上の叔母も母には相談しない。
話が通じないと諦めているから?
同じ頼みごとをしても、母は、自分で吟味してから結論を出す(却下されることが多い)、結局頼まなければ良かったと頼んだ人が後悔する、上の叔母はそのまま聞いてくれる(そんなに無茶な頼みごとではなく、日常的な「○○がなくなったから買ってきて!」というレベル。)
下の叔母は、年齢が離れているので、母は「介護ができなくても仕方がない」と言い、下の叔母自身も「私は色々判断ができないので介護も・・・・・・」と言う。上の叔母は公平なので、そういうのにも疑問を抱いているようである。

A 回答 (5件)

見ざる 聞かざる 言わざる・・・


誰の言う事も聞かないのなら 放置するべきでは??
相手にするだけ、疲れます。。。

真っ当な人間になって欲しいと思うほうが
変人なのかもしれません。。。

理解できない人に理解させようと思うことより
理解できない人は 理解できない人なんだと
認めたほうが楽ですよ。
理解できない人は 理解できないので、
理解できない立場に立って 物事を考えましょう。

すごく 難しいことだし、理解に苦しみますが
ハードルを下げると 簡単なことになるかもしれません。


世の中には、そういう人種が いるんですよ。。。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
放っておかず、矯正させようとするから疲れるのですね。
要するに、中途半端なんですね。
性格や人格の矯正などは、必要のないことかもしれません。
諦め、認めることも大切なんですね・・・・・・。

お礼日時:2014/05/05 09:47

No.2のものです。

長いお礼を頂き、恐縮です。

事情がわかってきました。行動が短絡していて、止めようが無いんですね。

真実を受け入れれない、他人の悪いところが目に付く。

それが恥ずかしいと仰いますが、どうも問題はそこじゃないと思います。

思いついて決め込んだら、そこから止まらないところですよ。


ここがどうも危ないですね。


普通ならば、心の中では(例え一度は)間違っても、

行動に対して損得の感情が働き、葛藤してとまります。

気分が落ち着いてから、やっと事実を確認するものです。


もし本当だとしたら、何らかの疾患があるのかもしれません。

これは専門医じゃないとわかりません。


どうも、周囲の全てが敵に見えていると思えます。

これに対して理屈をつけてしまうので、周りの人はここ(理屈のほう)が許せなくなる。


しかし、これでは問題の本質が見え辛くなります。

問題の本質は、周囲の人が理屈の方に腹を立ててしまい、説得したくなることです。

これでは周りの人のメンタルが阻害されます。


メンタルが不調に成ると、これが攻撃的であれ、防御的であれ、

周囲の人に伝染し、同じように相手の不調をいざないます。

こちらのほうが本当に損をします。


質問者さんが被害者である理由は、長年このストレスにさらされて来た事です。

他の方の回答に、実は少し共感したのですが、言葉が足りないようです。

まずは、自分のみを守らないと行けないと、伝えたいのだと思います。


私の別の知り合いで、やはり家族問題で悩んでいる方がいます。

大変尊敬できる人なのですが、家族を大事にするあまり、煮詰まってしまっています。

相当昔にわたしにも経験があり、何とか分かり合えないかと悩みました。


しかし、後にその対象である母が統合失調症に成り、

実は(当時どんなに)努力しても駄目だったというのが後になってわかったのです。

人の脳もコンピュータに似ておりまして、実際に故障します。

これを治さないと、コミュニケーションを取っても意味が無いのです。


前の回答では、人づきあいの姿勢みたいなものを話しましたが、

ケースによっては、尽力するよりも医者に見せる方が良い場合があります。

ただし、攻撃的な相手には殆ど無理です。


母が病院に担ぎこまれたときは、既に幻聴が出ておりました。

負けず嫌いで、思い込みが激しく。

根性さえあれば見返してやれる。

そう言う人が、現実を見ないように一生懸命自分に言い着替えている状態は、

きっと凄いストレスなんでしょう。


人がそんなものに耐久できるわけがありません。

いまネット文化の中で、笑いを交えて誤魔化し、

他人を攻撃して、必死に自分の不安を抑えている方が多いです。

肉親にそうした人の末路を見た私としては、大変危ないと思い、心配です。

質問者さんが心配しているものと同じです。

思い込んで否定し続ければ、それが真実になると錯覚してしまうのです。

現実は変わっておらず、自分にとって不利かもしれない。

これは、なるべく考えないようにする事が正しいのです。

無理に自分を苛めて現実を悪く思い込むことはマイナスです。

しかし、けっしてやってはいけないことがります。

「信じ続ければ、現実も変わるんじゃないか?」

言葉にすると大変恐ろしい、異常な感覚です。

驚いたことに、これが必ずその人に訪れ、飛びついて実践してしまうんです。

ありえないことです。


認知と言うものは人間にのみ備わっている高度な機能です。

もっとも原始的であり、最初に獲得するものの一つが、

「目に見えないものも、実は存在している」

と言うきづきです。

これを獲得させるために、親は生まれたばかりの赤子に

「イナイイナイバー」をします。

そして、認知が充分に育っていない人が落ち込む罠としてポピュラーなのが、

「信じれば現実が変わるんじゃないか?」

と言う感覚じゃないかと思っています。

これを受け入れてしまうと、心と現実の境を「認知できない」ことになります。

まさに統合失調症なのです。


仏教では、人の見る世界は、脳が作り出した錯覚の世界といっています。

想像力によって視覚情報を映像化しているわけです。

ところが、生物である脳の仕組みは機械ほどしっかりできていません。

別の回路に変貌してしまうこともあるのです。

あまりにも強く願う。

そのために、

「信じたことを現実にするのではなく、信じたことを見たように思わせる」

そういうものに脳の中身が変貌してしまうのです。

そこまで変わってしまうと、

ふと想像したことが本当に聞こえ、見えるようです。

もし、心が清らかであり、幸福感に満ちていれば、

そこは素晴らしい世界を(幻覚ですが)見たと思うでしょう。

そうでないならば、大変辛い世界(幻覚ですが)に住んでしまいます。


第三者が見て行動が不可思議である時、

その人の頭の中には、

見てないものみえ、聞いていないものが聞こえているかもしれません。

こうなると、既に私たちの世界に住んでいないのでしょう。


認知と言うのは、大変なカロリーを使うようです。

絶好調でないと働きません。


ですので、

私たちはやがて年を取り認知が弱まり、現実と想像の区別がつかなくなります。

これは運命ですので仕方がありません。

しかし、心が清らかではなく、常に人を悪いものだと決め付けていると、

認知が弱まった時、そういう幻覚ばかりを見ることになり、地獄を味わいますよね。

現実よりも辛い世界に住むことになるのです。


なので、母は年を取り、発狂しました。

年を取り、認知力が弱まったからだと思います。


また、

強いストレスが掛かると、活力が維持できず、弱い力で脳が動くことになります。

この場合、高い認知力を発揮する事は難しくなります。

寝ている時に夢を見るのと同じように、

起きていても、同様の状態になります。


ストレスを常に受けたり与えたりする事は、こうした意味で大変危険なのです。

本来ならば、多くの人生経験をし、思いやりを獲得し、清らかな心を手に入れ、

老いて認知力が弱まった時には、素晴らしい世界を幻覚としてみることになります。


しかし、そうした修練の時間を充分に使う前に、

若いうちから老人と同じように脳が老化してしまう人がいます。

これの最大の原因が、怒りであり、怠惰であり、執着だそうです。

つまり、もっとも脳にストレスとしてダメージが蓄積する考えのことです。


思えば、ネットで人に対して失礼な態度をとる人は、

何かについて直ぐに怒り、

そして日常が怠惰であり、無益なゲームやコレクションに執着します。


これでは、本当に若いうちに脳を磨耗してしまうでしょう。

不可思議なくらい、異常な行動を取れる人が増えています。

当人が住んでいる世界は現実ではないのです。

その上で、そこは辛い世界なのでしょう。


ご質問の内容、御礼の内容、読みまして新ためて助言をさせていただきます。

大分、質問者様にもストレスが蓄積しています。

実は、このストレスが危険なくらいに溜まりますと、

善悪ばかりを語ります。

コレは私もですよ。

自分がそればかり気になりだしたら、あわててストレスを抜くことにしています。

それでもダメージはある程度蓄積し、脳を磨耗させたのは間違いないでしょう。


ご自身の健康を回復させることです。

君子あやうきにちかよらず。

例え肉親であっても、

知られざるメンタルの世界では、恐ろしいストレス源である場合が多くあります。


非常に危険だと思いました。

実害として本当に起きているのは、

周りの方へのストレスですね。これは、しっかりとケアしてください。


大変つめたい言い方なのですが、

他者の振る舞いを攻撃ばかりしている人は助かりません。


助けようが無いのです。

老いて活力が失われた時、脳の正常な活動を維持できません。


これは、多くの知性ある人達が昔から気がついており、警告しています。

蜘蛛の糸というお話がありますね。


哀しいですね。

では、一つだけ。

昔から伝わる魔法の言葉をお教えします。

「よかった俺(わたし)じゃなくて」

口に出して唱えると、ほっと楽になり、精神が正常にもどります。

使ってみてください。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。

実は新たに心配なことが。
母と、三つ年下の、上の叔母とでは、記憶がかぶる部分が多いと思いますが、過去の記憶が違うのです。
実家に置いてあるもの、これはだれだれさんから頂いたもの、というようなつまらないことでも、どちらかの記憶違いのため、すぐ喧嘩になります。
それと、祖父母は、上の叔母だけが、家族の中で異質な性格をしており、どうしていいものか昔から困っていたと、母は言います。上の叔母はそのことは知りません。なので、事実かどうか分かりません。
母と私は昨日実家に行き、亡祖父の日記を持ち帰りました。(祖母は施設に入所し、現在は空き家になっています)
私はその日記に目を通していませんが、母が読むには、祖父は上の叔母がかわいくなく、どうしていいものか常に苦悩していたとのこと。
でも、よく考えると、その日記の内容も事実かどうか疑わしくなってきました。
母の話だけ聞くと整合性はありますが、母の話には、いつも、なにかしらの嘘、曲解が含まれているので。

なので、母を通した又聞きは、私は信用できない。

先日成年後見人の申請をお願いした司法書士は母に、「実家が空き家で、漏電や倒壊の可能性があれば、直ちに取り壊さないといけない。あなたは相続人の一人なのだから、たとえ反対する人(上の叔母)がいても、独断で取り壊してよい」と話したと、母から聞きました。
私は、その話は疑う余地があると思いますし、本当だったとしても、上の叔母の同意は必要だと思っています。

統合失調症ですか・・・・・・。
母はすぐ、口癖のように「○○は精神病院に入院させないといけない!」などと言いますが、昔、一時母が不安定になった時、上の叔母に相談したら「精神病院に入院はかわいそう」と言って、結局させることはなく、精神科に連れて行くこともできませんでした。結局、周囲は、穏やかで、強引ではなく、決断力がない。私も含めてです。
老人になってからも発症する可能性があるのですね。
認知症とも違う・・・・・・。

そうなった場合も考えて、放っておくか、強引に治療を受けさせるか、検討いたします。

お礼日時:2014/05/05 09:44

当事者の皆さんに、


三猿の教え:見ざる、聞かざる、言わざる
を学んで欲しいですね。
それぞれが軋轢なく、節度を保った人間関係を築く基本になります。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
三猿・・・互いのことを干渉しない、しすぎないように言ってみようと思います。

お礼日時:2014/05/04 21:02

私の母も姉も似たようなところがありました。



年を重ね大人になり、

姉は良いパートナーを見つけてから大分ましになりましたが、

それでも本人が自分を良くわかって、頑張って自分を律して努力したからの話です。

一緒に育ちましたから、何が原因であるか私も何となくわかっていましたので、

一計を案じて家族の会話の時に何気なく、ある話をしたことがあります。

それが切っ掛けであったのかもしれません。


こうした「私は悪くない」という言葉を発する人はよくいます。

ほんとうは人の善悪ではなく、事態が良し悪しのほうが大事ですよね。

ところがそのように考えが進まない。

一定の確率で似たような人に出会います。

そこで不思議に思い、そう言う人の話は特に注意して聞くことにしています。

どうも、幼いときに両親が(忙しいか、別のことに気をとられていたか)、その子を

あんまり誉めていないのが共通しているのじゃないかと思います。


子供の頃の姉は性格がおとなしかったので、自己主張をあまりしませんでした。

大人と言うのは繊細さが欠けてきますから、

そういう子供は出来が悪いと思い込んでしまいます。

子供同士でしたから、私からは、私と同じくらい普通に見えました。

姉ですから、能力的にも優れていて、尊敬しておりました。


ですので大人が姉に対して、本気で「出来が悪い」とレッテルを貼ってるとは思いも

しなかったんです。何かの冗談じゃないかと思っていました。

しかし、当人にしてみれば、現実であり、大変不当に感じていたはずです。

大人になって聞いたんですが、

姉は大変歌が上手くて(私は知っていたんですが)、合唱団などにも誘われたそうです。

しかし、私も含め両親も知りませんでした。

子供時代の話ですが、親に隠して通っていたということです。

はっと気がつきました。

「自分に才能があることを親に隠さないといけない」

と思っていたのではないか?

親の愛を得ていないと感じた子供が、

親の期待が「出来の悪い子」であるならば、そうならねばならない。

そうすれば、受け入れてもらえる。愛をくれるかもしれない?

そう考えてしまい、誰にも気付かれずに頑張ってしまう。

自分を罰して、許してもらおうとする。

ありそうで哀しいですね。

あるとき、とうとう限界がきたのか、

家族に対して当り散らしたり、他人に対しての悪口が絶えない様になりました。

ここから先は、質問者さんが見るお母様と似ています。

母も似たところがありますから、幼少の頃か、父との結婚生活のどこかで、

尊厳を傷つけられたのだと思います。

父は良い人でしたし、賢い人でしたが、もっと逞しい人が多かった時代の人です。

ですので、理解が出来なかったのだと思います。

さて、最初のほうに戻りますが、

家族の会話の中で、姉の尊厳を取り戻すべく、幼少の頃からの自分の見え方を父に語り、

親として父の責任であると、姉の前で父にはなしたことがあります。

姉の性格に問題があるという話であるわけですから、

当人は驚いて怒るかもしれませんよね?

ですが、本当のことを目の前で言っても、大丈夫だろうと確信していました。

それは、批判ではないからです。

上手に説明できない姉に代わって、私が話しただけですから。

ここからは何もかも上手く行っています。


さて次は、「何故本当のことを受け入れないのか?」ですね。

何か自分に悪いことがあったら、自分が一番早く気がつくんですよ。

これを、後から誰かに指摘されるから頭に来るんです。

「そんなの知ってる」

本人は、助けを求めているわけですよね?

手助けとセットであれば、「そうなんです」と答えます。



またその逆に、

「あなたは間違っている」

とわざわざ言いに行けば、敵だと思われます。


いちどそう思われれば、

敵である相手に

「自分だからこそ気がついた」

とばかりに、思い上がらせたくない。

こういう心理が働いてしまい、

いい気にさせないために、認めないという衝動がおきます。


つまり、戦っている最中なわけです。

こんな精神状態は他の人にはわからないでしょうから、

変に見えるんでしょうね。


インターネットが普及し、同じような立場をとる人が目立つようになりました。

彼らが言いたいことは、

「わたしだってわかってる。でもその原因を作った人がいるんだ。
 その人は裁かれないのに、結果として歪んだ私が何で不幸になるの?」

と感じており、

「どうして優秀だと言われる人がこれを見抜けないの?
 私が本当は被害者だと過去を見通して気がつくくらい、
 優秀だから私より幸せになっているんじゃないの?
 そうじゃないなら、ぜんぜん凄くない社会じゃない」

と不信感が育ち。

「結局は、ズルをして上手にやってるだけで、本当は優秀じゃないんだ」

と結論する事で、葛藤から逃れようとします。

「これ以上ズルをさせない。だまされるもんか」

となれば、

「でも相手はなまじ少しは頭が良いから、自分は分からず騙されるかもしれない」

と考えますから、

「とにかく否定するんだ。嫌だと思ったらそこは否定しないと、いいようにやられる」

こういうやり方をノウハウとして獲得します。

周りから見れば、何を言っても聞かない人。マイナスイメージですよね?

ところが本人にしてみれば、

「今ままでおとなしいと思って、良いように使われてきた。
 いまは少しは怖がってるみたい。
 これだ!。コレのほうがぜんぜんましだ」

と思っていますから、本当は気が弱いんです。
これを悟られるほうが怖いわけです。


冒頭で原因は幼少の頃にあるといいました。

つまりは、両親にだまされた事がある人ですね。

言いくるめられた。信じて待った。そうしたら大人の都合だった。

こういう酷いことを親がやってしまったんでしょう。

親が自分を騙したと知ったら、社会全てが敵に見えます。

そして、さすがに年を重ね、親も未熟と知ります。

これは仕方ないとしたとき、

後に残るのは、尊厳を傷つけられて、人生をボーニフッタ自分だけです。

この気持ちを消化できるはずがありませんね。


さて、雑駁とした話になりました。

私が伝えたかったことは、

物事に善悪や正しい悪い、可笑しい、公平とか、レッテルを貼らないことです。

結果についてだけ批評するのは良くないことです。

どうしてその様な結果になるのか、

経緯を追ってよく知り、そこから望ましい方向へ少しでも導けないか?

これを考えないといけません。

もしそれが出来ないならば、

結果だけで、自分の感想を当事者に伝えてはいけません。

「そんなのわかってる。あんたには関係ない」

そう思われますよね?

本当のことを伝えてやれるというのは傲慢な発想です。

自分だけが誰よりも早く本当のことに気がついたのではなく、

当事者はもっと早く気がついており、立場により、発言を変えているだけです。

誰かに接するときは、

「本当のところを知りたい」

と話をし、

「あなたの窮状を一緒に訴えたい」

と提案する事しか、出来ないのです。

それ以外の思いは、やはり「上から目線」なのじゃないでしょうか?

実害が生じていないのに、人の態度を批判してはいけないと思います。

公平であるとは、考え方の事をいいません。

助けるつもりが無い人を、批判しないと言うことを指します。

物事の正しさばかりを追わずに、貸し借り、相互の手助け、そうしたものだけで

苦情と感謝を述べるように気をつけましょう。

そうすることで、不可思議な悩みからは抜け出せると、わたしは思います。

あまり悩まないようにして、ご自身の心身をお守りください。

以上、ご参考になれば。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。お礼が遅くなり申し訳ございません。
母は、幼少期はおとなしい子で、出来が悪いと思われていたらしい。
上の叔母は、おとなしくはなく、出来が良いと思われていたとか。
実家では、気位の高い祖母(私から見ると曾祖母)が同居しており、辛かったとよく言っております。

実害についてですが、遠方に住む姑は理にかなったことを言うタイプですが、私が18,9のころ、やはり母の性格が気になったようで、「どうなっているの?」と、母の両親に電話でたずねると、母の父は「電話があったことは○○子(母)には言うな」と。それを後で知った母は「実家の親にまで心配をかけるなんて、姑が許せない。姑は子ども(私)にとって良くない存在なので、離婚して縁を切らないと」と言って、離婚しました。
また、実親の介護の件で、上の叔母と喧嘩し、長年実家に行っていませんでした。上の叔母は祖父母を守るために、母に本当のことを言ってしまったため、母は「断腸の思いで絶縁した」と言いますが、上の叔母は「こんなんじゃ欠陥人間だ」と言います。
先日、祖母の成年後見人制度の利用も、母は自分を後見人にすることを前提に申請しましたが、上の叔母は「後見人には自分(上の叔母自身)がふさわしい」と反対しました。
いずれにしても、「いいとしをして、悪いことを悪いと認められない(むしろ他人の悪いところが目につく」というのは、ある意味、恥ずかしく情けないことですし、親族以外の人の、あまり深い関わりのない人からも、母自身も若い人にさげすむような目で見られがち、変人扱いされがちです。
ずっと機嫌をとってあげないといけないなんて、特別扱い?何様のつもり?みたいな。
周囲も、母を困った人扱いをしたり、面倒だから差し置いたりするのですが、周りの苦労が増えるばかり、母のまわりは、人間関係の軋轢ばかりです。母は上の叔母を悪者にしてため息ばかり。原因は自分にあるのに。
上の叔母が、Grory_777様のように、小さいうちに母の性格の矯正に協力的であったなら、母も変わっていたのかもしれません。当時はどこの家庭もそうする余裕はなかったのかもしれませんけどね。

善悪、合理性、正論などにこだわらず、あなたを助けたいんだと考えるように心がけます。理にかなったことを強引に行わせようとするのは、最短距離ですが、それは母には無理だと思い、遠回りしても待ってみるしかないですね。道理にかなった父方祖母や上の叔母が、私のことを心配しますが、それでは解決できないということも、わからなければならないと思いました。

お礼日時:2014/05/04 19:32

いいとか悪いとか正しいとか正しくないとか、


だいたいは自分の勝手な都合の押し付け合いです。
自分の都合を押し付けたい時に人は自分が正しいと思い込みます。

同じことの繰り返しでは、叔母さんの方だって
現実を突きつけると怒る人がいる、という現実に対応できてない。

同じことを繰り返すのではなく
現実を突きつけると怒る人がいる、という現実に対処すればいい。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

ありがとうございます。
叔母も、分かってないんです。
現実に対処できるよう対策を考えます。

お礼日時:2014/05/04 19:33

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!