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巨人のアンダーソンや日本ハムのミランダなど既にキューバ人のプロ野球選手はいるのに、セペダがキューバ人初のプロ野球選手のように言われるのはなぜですか。

A 回答 (8件)

簡単にいえば質問者様の文章に確実な答えがあります。



「キューバ人初のプロ野球選手」

過去のキューバ人のプロ野球選手は、他国に亡命した上(経由)で日本プロ野球入りしたか、あるいは過去のプロのリナレス(中日)や、セミプロのキンデランやパチェコ(シダックス)のように”キューバ政府からの派遣選手(政府職員に準ずる立場)”としての所属しか例がありません。当然、契約によって得られた収入は、すべて政府の国庫に収まる形です。

今回のセペダのケースは、キューバ政府がこれまでの方針を撤回して、選手個々が獲得希望球団と”専属(プロ)契約”を結ぶことが許されてからの、初めての契約締結選手ということです。

もちろん日本プロ野球の一般的な年俸制ではなく、実際はあくまでも所属期間による月割契約なのですが(キューバの国家・社会システムに年俸制はない)。それでも、過去のケースはほとんどキューバ政府による外貨獲得手段(簡単にいえば選手=輸出品)として扱われていたのに対して、今回は正式に選手として送り出している、という点が違います。

輸出品として見ていたからこそ、有力選手の亡命(下世話な言い方をすれば亡命先から見れば万引き・食い逃げが駆け込んだようなもの)に頭を悩ませていたのですが。まだ選手だけの出国だけが事実上自由化されただけなので、他国経由のキューバ人選手とは待遇も違いますが、元々キューバの社会主義体制に(親会社の新聞社としては異例ですが)比較的寛容だった巨人に続いて、金もないコネもない、ないないづくしのDeNAも、評価的にはセペダより上になるであろうグリエルを獲得出来たということは、将来的にはキューバ代表の大部分がプロ契約を結んだ選手で構成される時代が来るのでしょう。

(とはいえ、おそらく所属先は日本プロ野球が優先だと思われます。金は出せても実力的に明らかに格下の他アジアリーグに行くくらいならキューバ国内リーグにとどまるでしょうし、そもそもキューバにとって日本プロ野球は”世界で唯一学ぶべきものがある”とかつてのカストロ元議長が公言していたほど、規律正しい選手・リーグには憧れに似た感情を持っていたようです。しかし、今日のセペダのホームランのシーンも見ましたが、紛れもなくキューバ人スラッガーそのままのスイングでしたね。個人的には日本人投手には攻め方はありそうなスイングでしたが。あの姿勢が日本プロ野球にフィットすることで、変にスポイルされないことだけを願います)
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#5です



ロベルト・バルボンは1955年にキューバから日本に来て、阪急ブレーブスに入団しましたが
3年ぐらいプレーしたらキューバに帰ろうと思っていたのが、キューバ革命がおこり
帰るに帰れなくなり、そのまま日本に残って15年後に日本の永住権を取得しました
日本人と結婚して引退後もコーチ・通訳、現在はオリックス・バファローズ野球教室顧問です
国籍もキューバのままですね(キューバに帰ったのは1988年に1回だけ)
日本で11年プレイして、オールスター・ゲームにも2回出場、盗塁王3回、ベストナイン1回獲得
2007年タフィ・ローズに抜かれるまで外国人選手最多試合出場(1353試合)の記録を持っていました
関西弁の面白いおじさんです

亡命してから、日本に来てプロ野球に入ったわけではないので
ロベルト・バルボンがキューバ人初のプロ野球選手ですね
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♯2です。



今、NHKで言ってました。
リナレス選手は特例で来日出来たそうです。
ですので、現行ルールが出来てからの初のキューバ人選手で間違いないようです。
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キューバ出身のプロ野球選手は過去にも何人かいますよ



西武ライオンズのデストラーデもそうですし

一番最初に来たのは、アメリカマイナー・リーグで1年プレーした後
1955年に阪急に入団して盗塁王もとったロベルト・バルボンだったとおもいます

ほとんどのキューバ出身者は他国に亡命してMLBでプレーした後に来日していますね
MLBを経験しないで日本に来たキューバ出身のプロ野球選手?
でも、オマール・リナレスはキューバで引退後に2002年に中日に入団したはず
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セペダ選手がキューバ政府初の公認輸出選手とのこと。

 事情はわかりませんが、数年前中日に来てプレーしたオマール・リナレス選手の方が早いと思います。 彼も亡命者ではありません。 キューバ政府公認です。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%9E% …

このリナレスは日本球界とは因縁のある選手です。 1988年のソウル五輪で野球が初めてオープン競技に採用され、次回のバルセロナから正式種目になりました。  この初のオリンピック大会で、キューバが金メダル、日本は野茂―古田の黄金バッテリーで銀メダル。 この時、キューバの主砲だったリナレスが『これまで対戦して来た中で最高のピッチャーは日本の野茂英雄だった。』とアメリカの記者に語ったのがきっかけとなって彼の大リーグ入りが決まったのでした。

リナレスが中日入りした時は既に42才、往年の凄みはすっかり影を潜めていました。  

●セペダ選手が『巨人軍に来た最初のキューバ政府公認の野球選手』という意味ではありませんか。 
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これは、世界史的事情が、あります。


アンダーソンは、巨人初のキューバ球界出身選手です。
が、多くの日米両国のキューバ球界出身選手同様、
キューバから亡命してプロ入りしました。
対してセベタは、巨人初のキューバ政府・球界公認で、プロ入りした選手です。

※キューバにも、昔はプロ野球ありましたが、
カストロの社会主義革命で、廃止され、
キューバに経済断交したアメリカなどのプロ野球入りすることも、禁じられました。
長嶋さんが、当時、「プロ野球が無くなると失業するから、社会党とかには入れない」
と言ったのは、このときです。

しかし、プロ野球廃止しても、一流選手は公務員扱いで、地方選抜公務員チームの
リーグ戦行い、プロ野球ならぬ国営野球が、大人気で、メジャーにあこがれ、
親善試合で外国生きの時に、アメリカ大使館にかけこみ、亡命、メジャー入りする
選手も、続出。カストロも弟に政権を譲り、経済再建のために、野球選手の
出稼ぎ公認、仲介料でキューバ政府も設けようと、キューバ政府公認の
日本野球留学の第一陣の一人が、セベタです。
 うまい具合に、カリブの南国キューバでは、日本シリーズ終わってから、
キューバの公式戦始まり、シーズン終了後に、日本で公式戦開幕するので、
本国のリーグと、日本プロ野球両方でフル稼働できるのです。\(^^;)...
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「キューバ政府のお墨付き」で初だという事だと思います。


巨人のアンダーソンや日本ハムのミランダは亡命したキューバ人。

http://www.gruri.jp/topics/14/05011800/

対して、セペダは、
昨年の7月、キューバの野球連盟が、
「亡命することなく国外リーグでのプレーを認める」という新ルールが初めて適用された選手という意味だと思います。

http://ameblo.jp/yellobird2009/entry-11827595632 …
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言われてますか?


確かにアンダーソンは巨人に来た助っ人では初めてのキューバ人です
セペダが初ではありません

ちなみに最初のキューバ人助っ人は元中日・広島のアレックス・オチョアだったはず


セペダが言われてるのは「キューバ史上最強の打者」です

この回答への補足

キューバは自国選手の外国のリーグ所属に否定的だったが、セペダの巨人入団により今後キューバ人選手の流入が加速されると言っていたような気がするのですが

補足日時:2014/05/17 16:39
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