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アイヌ語の保存活動について腹が立ってます。アイヌ語を残すために、歌を歌う集会的なものがありますが、それじゃ歌は残っても文法、使用用法などは残らないとい思います。過去の文化としてではなく、現在進行でものを見たほうがいいと思います。つまり英語やフランス語を習うという感覚で、アイヌ語習おうという感じになるように、歌なんか歌うのやめて日常会話として使用できるようにするのがいいとおもいます。文字は暫定的にキリル文字とカタカナを兼用して、アイヌ語を1つの外国語として認識するのが得策。みなさんの意見を聞かせてください。

A 回答 (7件)

金田一京助をはじめとして、民俗学の柳田国男なども、アイヌ語から派生した日本語やその原点としてのアイヌ語研究を、明治時代から行っています。



大正時代には、すでにアイヌ民族のうちでも民族の文化が消えるのを危惧した人々は、ラテン文字などで音を書き残すことを始めています。

アイヌ語 金田一京助 柳田国男 - Google 検索
http://www.google.co.jp/search?q=%E3%82%A2%E3%82 …

アイヌ語 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …

今は、そもそも会話どころか発音すらできる人が限られ、高齢化しているのですから、早急に「音」だけでも記録に残すか、金田一先生らのように言語学としての研究に国費を投入するか、すべきなのです。

ですから、ご質問の「歌」については、「歌を習う」で終わらずに、「歌を残し」「その言語的構造を残す」ためにこそ金を使え、という金の使い道として保存会にご提案されるのがよいのでしょう。
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    #5です。

補足です。

    下記など、古い言葉の形や、古い言葉の意味が、童謡などの歌に残っているということが、オックスフォードのブログなどにあります。

    歌が言葉の衰退を早める、というよりは逆に、もう十人しか話す人が居無いと言うアイヌ語の場合は特に、歌で保存活動が続いているならよい事だと思います。
http://blog.oxforddictionaries.com/2014/05/nurse …
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    別に歌と言語を、お互いに阻害し合う物と考える必要はないと思います。

日本語で歌を歌ったから日本語が死ぬ訳ではないと思います。

    アイヌ語には、知里真志保の辞典(4冊?)だけでなく沙流方言千歳方言の辞書、服部四郎篇の19方言を収録した『アイヌ方言辞典』、萱野茂のCDーROMの辞書もあり、田村すず子の文法や、金田一京助、知里幸恵の神謡とよばれる口承文学、などの記録があります。

   1980年代から萱野茂などの提唱で各地にアイヌ語教室が開かれています。また下記では樺太の話し手は死滅したのでキリル文字で書く必要はありません。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4% …

    おっしゃる通り、アイヌ語を外国語として認識するのは非常に大切だとおもいますが、国際表音符号で書く努力は既にかなり前から始まっているように思います。
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回答番号3、plapotaです。



このサイトでは、第二外国語の是非や選択に迷ふ人の質問がときどき見られます。たいていは、やりたくない、といふものです。やりたくない人のことはともかく、選択肢が広がるのは良いことだと思ひます。

保存活動家に教員をしてもらへれば、収入にもなります。

どうせすぐに忘れてしまふ第二外国語なら、日本のアイヌ語に少しでも接するのは意味があるとおもひます。
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russianarmyさん、おはやうございます。

ロシアの軍人さんですか。北方領土を返してください。アイヌ語まで、キリル文字にして、既成事実をつくりあげる魂胆ですね。

かういふ質問をお待ちしてをりました。

>>アイヌ語の保存活動について腹が立ってます。
>>アイヌ語を残すために、歌を歌う集会的なものがありますが、

正直、私はこの一文を読んで反省してゐます。アイヌ語の保存活動について好意的に見てゐたからです。

>>アイヌ語習おうという感じになるように、
>>歌なんか歌うのやめて日常会話として
>>使用できるようにするのがいいとおもいます。

あたりまえのことですよね。言語なのですから。日本人のアイヌ語に対する見方は、感情的なものが入り込んで、ついつい目が曇つてしまひます。私もそのひとりでした。

私は古典語が好きで、ギリシャ語でソポクレスやアリストパネスの劇が上演される活動を楽しみに見守つてゐます。ヘブライ語は、ほとんど死語に近い状態から、国家の公用語の地位にのぼりつめました。ラテン語やサンスクリット語もほそぼそとではあつても、生きた言語をとして使用されてゐるやうです。

大切な言語を、生かすも殺すも、人次第。アイヌ語を愛する気持ちがあるなら、外国語学習としてとらへる、この御意見には賛同します。

文字は、ローマ字でよろしいのではありませんか。岩波文庫の『アイヌ神謡集』『アイヌ民譚集』をみると、ローマ字表記です。はづかしながら、私は、アイヌ語はまつたくわかりません。もつとも適切な文字を考へるだけの知識が欠けてゐます。すみません。

外国語に対する接し方もさまざまで、本格的に習得しようとする人もゐれば、その言語で歌われた音楽を好きになる程度の人もゐます。アイヌ語も他の言語と同じやうにあつかふべきですね。私のほうが教へていただきました。ありがたうございました。
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せめて歌を残そうとは、いかにも滅びる言語の最後っぽいですねえ。


まあそうした点では真っ当なことかとも思いますが。

言語としての体系はある程度まとめられてますから、
もう残す物は十分残した、
あとは消えるだけと思っちゃってるんじゃないでしょうか。

生の言語として残すなら、
まあ仰る通り教育の場にちゃんと持ってくる必要があるでしょうね。
もっとも世界の言語は統一され行く運命にありそうなので、
それに逆らうのも難しいのでしょう。
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アイヌ語といっても地域によって全く別物だからねぇ。

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