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きっちり自分の意見を持って、発信していくこと、自分に自信を持つことは大事だと思います。
ただ、変に自信を持ちすぎて、他人を下にみてしまうところがたまにあります。
おそらく、自分でいうのもあれですが、大学もまずまずのとこいったり、勉強もしてきたし、スポーツでもずっとレギュラーだったこともあると思います、、
後自分の友達、特に男はやはり見栄をはる傾向が多いからだと思います。なんか自分に自信を持っておきたい、下に見られるのがいやというか・・・就活して終わってみても、やはり友達もどこからもらっただとか、~は中小だとかで自分より上か下かを重視している人多いです。こういのってダメだなと最近思います。

しかし、謙虚すぎると、主体性ない、男らしくないというか、つまらない人間とも思われますよね・・・

前、バイトで謙虚をこころがけていたら、堂々としろ、もっと自信もて、男なら「俺が俺が」を出せと店長に言われたことあります。俺は上だというくらいの意識がないと、仕事では生き残っていけないとも聞きました。

恋愛面でも、実際、モテるのは謙虚で優しいというよりは、ちゃらくて、少し俺様系ですよね??
自分の周りも、性格本当に良くて謙虚な人、他人を見下さない人は彼女いないけど、たまに酷いこという人、自信家はいます 笑

なかなか両立させるのが難しいなと思って質問しました。いったいどういう人間が良いのですかね??
まとまりもない文だとおもいますが、何か両立させる方法、アドバイスでもください・・

A 回答 (11件中1~10件)

「自信」はメンタリティ(内面,内心)で、「謙虚」はパフォーマンス(表現,言動)です。


従い、両立はそんなに難しくないですよ。

質問者さんは、「謙虚」を「する」から「謙虚すぎる」になってしまい、場合によっては「卑屈」などに見えてしまうかも知れませんね。

謙虚は「する」じゃなく、謙虚の反対を「しない」で良いのですよ。
即ち、見栄なども謙虚の対義的な言葉ですが、要は尊大,不遜,傲慢,横柄などの振る舞いを「しない」のが「謙虚」です。

「オレは一流企業の内定者だ!」などと言うと傲慢で、「まぐれで一流企業に潜り込めた」とまで言うと、ちょっと卑屈かな?と言う感じでしょ?

たった一言、謙譲語を加え、「志望していた一部上場企業から、内定を戴いた」と言えば、特に傲慢でも無いし卑屈でもなく、謙虚になりますよ。

違う言い方をしますと、自信を持つと言うのは、言わば「貴族」の心持ちになる様なモノです。

相手も同じ貴族だと、「見栄」なんてのが出てくるし。
平民などと見下せば傲慢とか尊大になってしまうから。

一方で、自分を平民とか乞食に貶めちゃうと、そちらは「卑屈」です。

自分は貴族のままに、相手や社会を「王様」くらいと思えば、それが「謙虚」です。
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この回答へのお礼

なるほど・・
言い方ですよね・・・

確かにそれだけで変わりそう・・

参考になりました!ありがとうございます!

お礼日時:2014/07/09 01:42

「俺が俺が」タイプの人が言う謙虚さは意味が違うのではないでしょうか。


自信があって謙虚な人って何か芯があるんですよね。
相手を「尊重する」と「頼る」の違いのように、何か・・

>実際、モテるのは謙虚で優しいというよりは、ちゃらくて、少し俺様系ですよね??
いいえ。
押しが強いから彼女が出来やすいだけで、俺様系なのに女性に声が掛けられなければモテ度は優しい人以下になります。
俺様だからすごい人なんじゃないかと錯覚してしまう女性もいそうですけど・・
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この回答へのお礼

押しなんですね 笑

ありがとうございます!

お礼日時:2014/07/09 01:43

>自分より上か下かを重視している人多いです。



生まれた時から、既存の価値観に基づき、優劣を競わせる。
それが、今の日本の価値観であり、風潮であるから、そのように
なってしまうのは、しょうがないことかなと思います。

>こういのってダメだなと最近思います。

私も同感です。
かくいう私も、その波の中で優劣を競うことに必死でやってきたんですけどね・・。
はっきり、こんなのは、クソだという思いに至りました。

自信を持つとはどういうことか?
一般的には、何かしら、他人に比べ自分が優れているという事実に
裏打ちされて初めて自信をもつということになるんだと思います。

しかし、これは、見せかけの、もろい自信だと思うのです。
優劣の上に成り立っているものだからです。
そんなものは、いつでも簡単に崩れてしまいます。
それに、当然、自分は優れているという認識の上に成り立っている
概念ですから、謙虚なふりはできても、謙虚になるということとは
相反していると思うのです。

私が思うに、本当の自信というのは、他人との比較や、優劣とは
全然関係ないところにあると考えます。

他人との比較の中で、勝ることで初めて自分で自分を肯定するのではなく、
他人との比較なしに、自分で、自分を肯定すること、それが、本当の自信だと
思うのです。

結局、自分の尺度を持ってないから、既存の価値観が、己をはかる尺度に
なってしまう。当然、優劣が生まれてしまう。

でも、自分を自分の尺度で測ることができれば、優劣など関係ないわけです。
他人が、どこの大学行こうが、どこの会社に入ろうが、いくら稼ごうが、
それは、その人の尺度でやってることですから、そんなことで、自分が
一喜一憂するなんて、おかしいのです。
そんなことで一喜一憂するのは、自分が、自分と他人を比べているからに
他なりません。

他人との比較から抜け出し、己を肯定できたとき、心の自信が生まれると思います。

謙虚さについても、他人との比較の世界から抜け出さない限り、
本当の、謙虚なんてものは存在しないと思います。

ほんとの自信をもったときに初めて、他を認めることができるんだと思います。
他に敬意をもち、向き合う時に初めて、謙虚になれるのでは
ないでしょうか?違った価値観を持ったものとして。

今のように、一つの価値観に基づいて、優劣を競ってるような世界に、
自信も、謙虚もないと思います。そんなものは、まやかしだと思います。
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この回答へのお礼

深いですね・・・
確かに、上か下かで、人間は自信を持つけど、それって自信じゃない・・・

けど、やっぱり難しいですね。。

回答ありがとうございます!

お礼日時:2014/07/09 01:45

元々ベクトルとしては相反するものではありますから、両立なんてそう簡単にできるものではないですよ。

時々スポーツ選手なんかで内面に深い自信を持っていながら不遜な態度はしない人がいますが、そういう人は滅多にいないから世間から深く尊敬されますし、だいたいそういう人は30代半ば以降です。20代は誰だってツンツンしていますよ。

「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉がありますが、そういうことができる人にはある共通点があります。それは、「挫折した経験を持っていること」です。
サッカーの川口能活選手がいますね。彼は時々神が降臨することで数々の伝説を作ってきました。あのマイアミの奇跡のときはまさに神でしたし、アジアカップか何かのときも神が降臨しました。彼は若いうちにマイアミの奇跡の立役者となり、日本代表不動の守護神でもあり、それに相応しい向上心も持った人でした。だけど志が高い分、周囲とはむしろギャップも生まれてきました。彼が海外クラブに挑戦するとき、所属していたマリノスの選手たちは「嫌われ者が出ていってスッキリした」と思っていたそうです。
自信を持って望んだ海外挑戦は、はっきりいえば散々でした。彼の人生においての最大の挫折であったことは間違いありません。手を抜いていたならまだしも、一生懸命頑張っているのに報われないってキツいですよね。
だけど、その経験をして彼は精神的に大きな成長をしました。それまで自分のことしか考えられなかったけれど、周囲を見る余裕ができたんですね。そして彼は精神的支柱としてワールドカップ南アフリカ大会メンバーに選出されました。第3GKとしての選出なので、出場機会はないといっていいでしょう。かつて不動の守護神だった彼からすれば、サポート役なんてのは「落ち目」にも見えます。しかし彼は喜んでそのサポート役に徹しました。挫折が彼を成長させたのでしょうね。

強気になって失敗して、そこから年齢と経験を重ねると両立ができるようになりますよ。まだ20代なら、少しトンガってるくらいでちょうどいいのだ。
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この回答へのお礼

川口選手、僕も大好きです!
そんなエピソードあるのですね!若いうちはどうしてもそうなってしまいますよね。。

少し気が楽になりました
回答ありがとうございます!

お礼日時:2014/07/09 01:47

謙虚ってへりくだるって意味だけじゃ無いと思います。



素直に受け入れるって意味やと思うんですが…

自信を持って発言するけど、反論を受け入れて、なおかつ改善策や、解決策を出すってのが良いんちゃう?

クリスマスシーズンに向けて営業が商品を安く大量に捌きたい。
設計は商品に自信があるから、安売りなんかして欲しく無い。
工場側は生産稼働率を一定に保ちたい。
三者三様の意見なんか、見渡したら何処にでも転がってます。

そんな打ち合わせの状況で、相手の気持ちや状況を否定せず、自分の立場が不利なろうとWin-Winの関係を築こうとする人が、私は「謙虚」と言える方だと思います。
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過去すごかったことを誇りに思うのではなく、今の自分に誇りをもちましょう。


自慢をし、他人に褒めてもらわないと自信を保てないのならそれは自信のない人です。
言葉ではなく、今現在のあなたの行動で自分を表し、その自分を信じましょう。


謙虚さはすべての人、すべての物事を認めて受け入れる器です。そしてすべてのことから学んでいくという姿勢。
すべての人を受け入れて学んでいれば、他人に自分を押し付けることもしません。
他人の意見をすべて受け止めるためには、自分がぶれないためにゆるぎない信念(自信と言ってもいいかもしれません)が必要です。
遠慮と謙虚は意味が違います。
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謙虚さとは、相手の事を認めて、話を聴き、相手からいろいろな事を学ぶ姿勢です。



自信とは、自分のことを信じて、自分に信念にもとずいて、発言したり、行動する姿勢です。


両立をさせるのではなく、別ものとして考えるべきです。
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No.1さんも言うように、いくら謙虚にしても心の中で人を馬鹿にしている人って、本当にすぐ分かります。


謙虚さを、単にへりくだることのようにとらえている人も、すぐ分かります。
初めて会っても、もうものの5分ですね。
他人には丸見えなのに、本人だけがそのことが分からん、というやつで。

謙虚さと言うことを、ですねえ。
一歩下がって、時に人を優先できる余裕のあることだと捉えてみて下さい。
すると、人の話を素直に聞けない人には、人を認められる余裕がない人には、人に思いやりがない人には、謙虚さが持てないと分かりますでしょう。
そうすると、謙虚さがないと本当の自信が持てないことも分かりますでしょう。
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相談者さんのタイプからすると、一番足りないのは人の話を聞くことです。


全部の話を聞いてから、最後に自分の答えを提示すればいい。
これで、謙虚さと自信を持つことが両立できます。

人の話を一心謙虚に聞くから、他人に見下されないし、
答えを後出しすることで、先手の相手の主張より有利にすすめる。

腰が座っていないで、結論を急ぐから、話がぶれて主体性がなくなるし、途中経過で見比べるから、堂々しない。
反論できなくなった時が議論の最後なのだから、最後の一言が勝者。
結論がある上位の者は、先に言おうが、最後に言おうが、初志貫徹、答えは変わらない。だから自信を持って堂々してる。

ひどいことを言う自信家は、自分が耐えられないから先制攻撃するのです。傷つかないから自信がある。
フットワークで勝ち続ける成功者もいますが、世間的には小者扱いの成金としか評価されない。人徳ではなく回る金に人が慕うのです。
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以下、変なオバチャンの個人的な考えです。



私の考える「自信」は、何かをいろいろやってみて納得してから「自分を信頼する」ということではないかと思います。
他人を見下すなんてことは、一切必要ないはず。
人と意見が違っても、
「いろいろ考えてみたけれど、やっぱりこれが『私にとってのベスト』だ。
でも私以外の人にとっては、『私のベスト』=『その人のベスト』じゃないのかもしれない。
人はそれぞれだから」
と考えます。
明らかに「う~ん、その考え方はどうなんだろう?」と疑問に思うことはあっても、「見下す」必要性を感じません。

「自分の意見が唯一正しいと思い込む」ことや、ましてや「それを他人に押しつけようとする」ことは自信ではない。
それはただの「傲慢」で、自信とは遠く離れたものだと思います。

質問者さんの考える「謙虚」がどういうことかいまいち分からなかったのですが・・・。
文章を拝見すると、どうも私の考える「謙虚」」とは違うようだということは感じましたが。

「傲慢」にならず、人の意見に耳を傾け尊重する。尊重した上で自分の意見と照らし合わせて、自分がこれがベストと思う道を考えて自信を持つ。人にそれを押しつけない。私はこれを謙虚な人と思います。
そういう人は人を惹きつけるし、謙虚だけれどモテモテだと思うのですが。

私は自信も謙虚も両立しうるもののような気がいたします。
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