

No.6ベストアンサー
- 回答日時:
例えば、
あらたに
「宇宙は永遠である」
という公理を導入すればいいんですよ。
仮に、我々が宇宙と呼ぶ物理的な宇宙が永遠でなければ、
物理的な宇宙は、ここでいう宇宙にはならない。
物理的な宇宙論をもっての反論は、反論にならない。
で、第2公理と第3公理で、神が存在することを証明する。
第3公理から、「宇宙が存在する」のだから、
第2公理と合わせて、宇宙の現象を支配する宇宙法則も存在しなければならない。
───この証明を完全なものにするためには、宇宙と宇宙の現象との関係を公理に入れないといけない───
で、
新たに設けた「宇宙は永遠である」という公理から、
宇宙の法則は永遠である、ということが出てきます。
でも、これから「不変である」は、帰結できない。
不変であることをいうためには、新たな公理を設けないといけない。
こういう風に、公理群を構築していくんですよ、普通。
そして、その公理に一つでも他の公理と矛盾したものであるならば、これらの公理群・理論は無意味なものになってしまう。
互いに矛盾する公理があると、それを用いた命題が真であると同時に偽であるということが起こってしまうので。
ですから、公理群を作るというのは、非常に手間がかかりま~す♪
この回答への補足
で、例によって一つたたき台を作ってみてはどうか。
NemurinekoNyaバージョンにてよろしくお願いします。
たしかアルケー本願でもそういうのあったよね。
気に入ったら採用します。
>「宇宙は永遠である」
という公理を導入すればいいんですよ。
これでは宇宙は永遠に何だと言っているのか分からんではないか。
厳密に言えば意味を成さないのである。
だからまず宇宙は、存在する(第3公理)、永遠不変(第5公理)、永遠不滅(第6公理)が出てくる訳である。
>不変であることをいうためには、新たな公理を設けないといけない。
だから、「第5公理 宇宙の法則は永遠不変である」が設けられているわけである。

No.5
- 回答日時:
ただ、宇宙と宇宙の法則について述べたものであって、
これでは公理系になっていない。
第1公理の「宇宙と宇宙の法則は一体である」の、
「一体である」が何を意味するのかが公理に含まれていない、もしくは定義されていない。
第2公理、第3公理はともかく、
第1公理を含めて、あとは公理の体をなしていない、と言わざるを得ない。
そして、
これ以外は、第2公理、第3公理などから演繹される───それが出来るのならば───ものであって、
公理とするのは不適切です、おかしい。
これじゃ、全然、駄目、お話にならないです。
この回答への補足
>第1公理の「宇宙と宇宙の法則は一体である」の、
「一体である」が何を意味するのかが公理に含まれていない、もしくは定義されていない。
宇宙なくして宇宙の法則は存在し得ず、宇宙の法則なくして宇宙は存在し得ない。
宇宙と宇宙の法則は常に一体となって存在する。
こう解釈する以外他にないだろ。
>これ以外は、第2公理、第3公理などから演繹される───それが出来るのならば───ものであって、
公理とするのは不適切です、おかしい。
では試しに第4公理を第2公理、第3公理から演繹して見せてくれたまえ。
そのように宣言した以上やって見せてくれんことには困るぞ。
No.3
- 回答日時:
公理とは、その公理系が成り立つために必要不可欠で、かつ
その公理系に於てAと非Aを同時に導かないもの(無矛盾)を
言う。
たとえば、ユークリッド幾何学において平行線定理は、
その公理系が成り立つために必要だが、不可欠ではなく、
「直線の外の点を通って元の直線と平行な直線はただ1本
引ける」の代わりに、「1本も引けない」でも「たくさん引ける」
でも、それによって独自の公理系が成り立つ(非ユークリッド
幾何学)事が知られている(そして現実がそちらである事も)。
「公理」とは、それほど厳しいものなのだ。
翻って、ご提案の言明は、直感に裏付けられた、それぞれ独立
した言明であって、公理を成していない。
「法則と一体である」と「法則に支配される」は同じ内容を異なる
言い回しで表現したものであり、「存在する」も「唯一絶対」も、
他の言明とは無関係な独立したもの、いわば個人的な直感に
裏付けられた言明であり、5、6はどちらも「永遠」が入っており、
「永遠に不変」なら当然「不滅」であり、逆に言うと「不滅」だ
からといって「不変」とは限らない。
「宇宙には始まりは無い事が分かるという。それは何故でしょう」
・・・・それは、あなたのそうした心情を前提として、直感的に
導かれた言明(公理系を成していない)だからだ。
>「法則と一体である」と「法則に支配される」は同じ内容を異なる
言い回しで表現したものであり、
もしこの2つが同値関係にあるというなら、論理的に説明できるはずである。
「法則と一体である」からどのようにして「法則に支配される」が導かれるか、また逆に「法則に支配される」からどのようにして「法則と一体である」が導かれるのか論理的に説明してもらいたいものだ。
どーだ出来るか、出来るんならやってみい。
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