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ツイッターなどをしているとよく動物愛護の方々を目にすることがあります。
いろいろ見ていると『動物の権利』といったことをよく口にしています。
動物は人間に苦痛を与えられることなく生きる権利がある、という趣旨だと思うのですが、それに対して疑問があります。
人間には人権が認められていますが、それを侵害すると法律などで罰せられますよね。
動物の権利だと人間が侵害するのは良くない、となっていますが、動物が人間の権利を侵害することについてはどうなっているのでしょうか?
増えすぎた鯨によって魚が減って............といったことが色々あるなかでは、いずれ動物の権利と人間は衝突すると思うのです。
ツイッターで言ってる方々にきくのが良いのでしょうが、怖そうな方が多いのでこちらできくことにしました。
読みにくいかもしれませんが答えていただくとありがたいです。

A 回答 (7件)

単純そうで非常に深い話題ですね。



まあこれも良く耳にする意見かと思いますが、「動物の権利」という概念はすべて「人間のエゴ」です。

動物に権利があるなら、生き物全てに権利があってしかるべきですが・・・
もし日本からカブトムシやクワガタが絶滅したら大騒ぎでしょう。
でも、マダニやナンキンムシが絶滅したところで、気にもとめられないでしょう。

最近、日本ではサナダムシやギョウチュウがほとんど絶滅したということですが、誰も騒ぎません。
一方では、激減したホタルを増やそうとして、一生懸命川を掃除したりするわけです。

マラリヤ蚊がどんなに減ったとしても、「絶滅危惧種」としては扱われることはないでしょう。

人間の価値基準なんてそんなものです。
多くの人が勘違いしていることに気付いていません。

私は生き物大好き人間ですから、動物保護はおおいにけっこうと思いますが、何をしたところでけっきょくは利己的な人間のエゴにすぎないという割り切りも心のどこかに持つべきと感じます。
動物の権利だとか地球のため自然のためだとか、勘違いのきれいごとを他人に押し付けるのは間違いと思いますね。
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その類の話は良く対立します。

日本でも猿が増えすぎて、害獣被害をもたらすため、歳をとったオス猿のみ駆除する事に対して、反対する人もいます。

これは、農家の権利と動物の権利、どちらが大事かと言う話でしょうが、日本の食料自給率は4割程度と言う事実も考慮すべきです。農家だけの権利ではなく、日本人存亡に関わる権利であると言うのを、自覚すべきです。


「もともと人は住んでいなかった」と言う人は、「もともと猿はこんなに多くなかった」と言う事実も考慮すべきです。

過度な動物愛護の政策のため、もともといた猿の数より何倍も増えてしまったのです。それを自然な数に減らす事こそが、「環境保護」の考えなのです。かわいそうな動物を守るのが環境保護ではなく、適正な数に維持する事が環境保護であると言うのは理解して欲しい所です。





と言う、問題はそれで考えて、他の問題も考える必要があります。


毛皮は批判される代表的なものですが、これはその反対する理由も知っておくべきです。

信じがたい話ですが、毛皮をはぐのは生きた状態で剥ぐのです。
何故そうするかと言うと、そっちの方がきれいに剥げるからです。もちろんすべての毛皮業者がそれをやっている分けではありませんが・・・たぶん。



権利の問題で重要な事は、「どちらの権利が重いか」と言う点で考えるべきです。


先ほど言った猿の件は、農家だけの権利ではなく、食糧需給率が極めて少ない、われわれ日本人の自立需給率を高める権利でもあります。輸入が出来なくなり、飢え死にする日本人が多くなった頃には、飢え死にする日本人の権利と猿の権利どっちが重いのかと、気づく人はいるでしょうが、そうなってからでは遅いのです。



では毛皮はどうでしょうか?

イヌイットなどの一部の部族には必要でしょう。
イヌイットが、極寒の地で生存する権利と動物の権利なら、イヌイットの権利のほうが重いでしょう。(出来れば、生きたまま皮を剥いでは欲しくないが)



しかし、先進国にとって必要でしょうか?

毛皮でお洒落したい人の権利と、生きたまま残忍に皮を剥がれる動物の権利。どちらを優先すべきでしょうか?

動物の権利とは、そういう観点で考えられるべきと思います。



情報元
http://www.arcj.org/
(実際の生きたまま、毛皮採取される映像(グロ映像)が昔はありました。今あるのか知りませんが。)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
権利の重さの考えは社会でも存在しますね。
毛皮の話はよくツイッターなどで画像と共に流れて来るので知っています。
私自身、皮膚が弱くて冬場はラビットファーのマフラーをしているのでなんとも言えませんが................。
オシャレの面においてはあまり必要性を感じませんね。
そういう点においては毛皮にされる動物側の権利が優先されるのは納得です。

お礼日時:2014/07/28 02:57

たぶん、権利というのとは違うと思います。



人間がいる以上は、いろいろな意味で生態系を壊してしまうのは、否定できない事実であって、「なるべく(人間とは)関わらないようにしよう」と言うのが、最近のこの地球上に住むもの同士のルールになりつつあります。

日本人はすぐに「あなたは増えすぎたから、もっと少なくてよい」「あなたは希少動物だから、もっと増やそう」とか人間がコントロールすることを考えがちですが、人間がなるべく関わらない範囲での、「動物の権利」を言っているのだと思います。
(死ぬも勝手、生きるも勝手)
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
管理することではなく、なるべく互いに関わらないでいく中での権利、ということですね。

お礼日時:2014/07/24 14:14

>動物が人間の権利を侵害することについてはどうなっているのでしょうか?



動物には責任はないです。
人が飼育している動物が、他人の権利を侵害すれば、動物を飼育している者の責任です。
逆に、人が動物の権利を侵害すると言う概念もないです。
少なくとも、動物は、民法で「物」とされていますから、権利も義務もないのです。
なお、「動物の愛護及び管理に関する法律」は、人は動物の愛護を目的とする一方で、動物が人の生命・身体・財産などの侵害を防止するための法律です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
確かにペット関連の事件の報道を見ていると器物損壊と言われてますね。
確かに法律上物扱いになる以上、権利は発生しませんから責任や義務は当然発生しませんね。
動物愛護の法律に動物による人間への侵害を防止する面もあるということは知りませんでした。
勉強になりました。

お礼日時:2014/07/23 13:37

は?


元々地球上に住んでたのは動物のほう
そこに人間がいきなり現れて動物の権利を侵し始めた

人間は何様のつもりでこの地球に生きているのでしょうか?


人類が滅びれば動物は安住の地である地球を取り戻し平和に暮らせるのですよ
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
人間がいきなり現れたというのはなかなか面白いですね。
確かに極論人間が居なくなれば良いのかもしれませんね。
多くの負の遺産を残していくことになりそうですが。

お礼日時:2014/07/23 13:28

”動物が人間の権利を侵害することについてはどうなっているのでしょうか?”


    ↑
動物に権利を認めるなら、動物にも責任や義務を認める
べきだ、ということですね。

これは面白い観点です。
私は、永年法律をやってきましたが、目から鱗が
落ちた気分です。

なるほど・・・。
一理も二理もある問題提起だと思います。


”いずれ動物の権利と人間は衝突すると思うのです。”
   ↑
権利云々ということになると、そうなりますね。
しかし、権利には義務が伴います。
そして、動物に義務や責任を負わせるのは無理です。
そんな認識能力は動物にはありません。

人間には選択能力があります。
犯罪を侵す、侵さない、という選択をする能力が備わっています。
選択できるのに、あえて犯罪を侵した、ということで
責任が問題になるのです。
しかし、動物にはそんな能力はありません。
本能に支配された行動があるだけです。
こんな動物に義務や責任を認めるのは不可能です。


そもそも権利、という考え方は欧米キリスト教文化圏
に由来するもので、日本には当てはまりません。

キリスト教によれば、神は己に似せて、特別な存在
として人間を創った、ということになっています。
だから、人間以外のモノは総て、人間の為に利用して
構わない、という考え方になるのです。

だから、クジラを始め、動植物を殺しまくり、自然を
荒らしまくりました。
最近、やっと反省するようになったのはよいのですが、
その一環として
動物保護にも、権利概念を利用、適用として現代に至る
訳です。

そこにある思想の根底は、あくまでも人間の為の自然保護
です。
殺しまくったり、破壊しまくったりすると、結局人間の
不利益になるから、止めようという考え方です。

これに対し、日本を始めとする東洋では、人間は特別な
存在とはしません。
始めから他の動植物と同等です。
だから、共生を謳います。

私は、権利などという堅苦しい概念を利用して動物を保護
するのではなく、共生という考え方で仲良くやっていく、
という考え方の方が優れていると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど、動物の権利の考えは動物のためというよりかは人間の利益のためにあるということですね。
そう考えると確かに共生の形をとる方が良いですね。
キリスト教圏と東洋の考え方の違いがこういう点でも現れるとは思ってもいませんでした。
勉強になりました。

お礼日時:2014/07/23 13:33

動物が好きで中でも犬が好きで不遇な犬達の愛護活動に手を出した事がありますが止めました、質問者さんの仰る通り自分で自分の首を絞めていると思ったからです



これだけの文明社会になったからには共生だ!殺すな!は人間が消滅するか文明を手放すかしなければ不可能です、私の家の傍に熊が来れば猟友会に来て頂くし食糧危機になる前に野生生物を統制する必要があると思います
既に北海道のエゾシカは統制がされていますが決して可哀想と言える立場ではないし、食肉用の家畜には感謝しかありません、文明を利用して動物の権利を謳う方々は何を思うのでしょうか…

けれど人間の力無しに生きる事が出来ない犬を私自身の生活が困らない範囲でペットとして飼育しています、これは完全なる身勝手です
犬の愛護活動をしてほとほと思いました、家畜を飼育するなら盲導犬や猟犬等の仕事の無い犬は飼育すべきでは無いと思います、動物園も同じですね

増えすぎた鯨や食用の家畜達等の恵まれた生活をする私達には直接眼に触れない場所の深層での「動物の権利」では無く、衣食住が満ち便利な文明に支えられた中で処分を待つ犬猫や実験動物等の「動物の権利」なのだと思います

実際にツイッターの方々の目にした事が無い上に訳の分からない文章で申し訳ありませんでした
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この回答へのお礼

丁寧な回答、ありがとうございます。
全ての動物ではなく、文明を支える上での最低限の犠牲を除く、犠牲にならなくても良いだろう動物のための権利、ということですね。
実際に愛護活動をされたことのある方の意見を頂けて、勉強になりました。

お礼日時:2014/07/23 03:08

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