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法律的には罰せられるのだが、覚醒剤使用は倫理的に問題が
あるのだろうか?
当人の健康を損ねるだけではないだろうか?
それならば、余計なお世話で人の勝手だ。

むろん覚醒剤のような危険薬物を使用して、他人に危害を加える
ケースもあるのだが、それならば飲酒による事件のほうがはるかに多い。
と、いうか比べ物にならないくらい、飲酒による事件のほうが多いだろう。
ならば酒を飲むのはよくて、覚醒剤がいけないわけは、なんだろう?
それに覚醒剤を使用すると文字通り覚醒するそうだが、それならば
仕事などすべての効率が上がるのではないだろうか?

A 回答 (16件中1~10件)

依存度の違いを知らないから、


止めることの難しさをしらないから、
安易にそんな事が言えるんだよ。



>それならば飲酒による事件のほうがはるかに多い
⇒具体的な件数はわからないのですか?そもそも、普通にどこででも手に入るお酒と、所持だけでも犯罪になる覚せい剤に関する事件とを比較しても意味が無いかと。。。


>それに覚醒剤を使用すると文字通り覚醒するそうだが、それならば
>仕事などすべての効率が上がるのではないだろうか?

副作用(=リスク)のほうがはるかに多いから、まったくもって現実的ではない。
医療用として、今ある極限られた使用方法が一番現実的。
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>飲酒による事件のほうが多いだろう


酒を入手するために犯罪に走るほうが、覚せい剤を入手するために犯罪に手を染めるケースより多いと言う統計データはどこにありますか。
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>当人の健康を損ねるだけではないだろうか?


幻覚によって周辺の人に危害を与えます。

>むろん覚醒剤のような危険薬物を使用して、他人に危害を加える
>ケースもあるのだが、それならば飲酒による事件のほうがはるかに多い。
確かにこの通りですが、これは覚醒剤が厳しく罰せられるからです。
覚醒剤の使用は犯罪で有り、幻覚症状が出るまでに普通は捕まります。
ですから、直接的な被害が少ないのです。
脱法ドラッグを使用した後の危険運転での事故が多発しているのは
ご存じだと思いますが、あれは覚醒剤ほど厳しく取り締まられて
いなかったからです。また、日本の社会のいけないところですが、
酒での失敗は武勇伝のように語られるところも大きいと思います。

>酒を飲むのはよくて、覚醒剤がいけないわけは、なんだろう?
覚醒剤には強い習慣性があり、辞められなくなるからです。
一度でも手を出すと廃人までの道のりを歩む例が多いです。
酒にも覚醒剤ほどではないですが習慣性があります。
アル中の患者は大きな社会迷惑となっているのは事実で、これらの
人を隔離、矯正していく施設がもっと必要になってくるでしょう。

>それならば仕事などすべての効率が上がるのではないだろうか?
瞬間的な仕事の効率が上がりますが、長期的には落ちます。
歌手や作家などの短期的に大きな力を求められる人にはいいかも
知れませんが、多くの人には向いていません。
現在、刑務所に入っている50代以下の人の6割以上は覚醒剤の
常習者です。しかし、60歳以上では6割以上がスリで、覚醒剤
の常習者は2割程度です。これは覚醒剤を常襲すると60歳まで
生きられないことを示します。
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長期的に健康を害したり、正常に認識を困難にする


短期的な能力の向上は、トータルに考えて損失だ。
あなたは、自分一人だけで生きているのではない。
社会とは、助け合って生きている事なのだ。
その相互依存において、自殺や非生産的な浪費、
長期的なロスを奨励するような法規や常識が、
普及する事はない(社会内淘汰される)。
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覚せい剤は論理的に問題があるか?



タイトルが面白かったので
何か新しい論理でもあるのかと
開いてみましたが
稚拙な論理でおどろきました

あれだけマスコミやテレビなどで
覚醒剤の怖さを報道されていても
まだこの程度の認識のかたが
いらっしゃるのですね
おどろきました

飲酒による事件のほうが多いのは
お酒の販売が禁止されていないから多いだけで
覚せい剤が自由に販売されるようになったら
こちらの方の事件が多くなるのは
目にみえています

また覚せい剤はうしろに暴力団が控えています
これらの資金源になることも予想されています

お酒などの価格は国である程度管理されていますが
覚醒剤となると
はじめは0、何グラムで数千円程度で売っても
次回からはどんどん高くなっていきます
買えない値段になっても必要とします
そこから金にからむ犯罪がはじまります

あなたの論理がどのくらいなのか
もう少し勉強をしてみましょう
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No.5の回答者様の意見ですが、ほぼ全体的に賛同します。


しかし、1点違うと思うのは覚醒剤が暴力団の資金源になるということです。
現在、覚醒剤は暴力団の資金源となっていますが、これは禁止されているからです。
使用を許可すれば大手企業が販売するので暴力団が入り込むすき間がなくなります。
アル・カポネが力をつけたのの禁酒法時代の酒の密売でした。

覚醒剤は最初から禁止されていた訳ではありません。
当初は「ヒロポン」という薬局で販売されている薬でした。
しかし、これが大きな社会問題となったので禁止されました。
私はその時期に生まれておりませんでしたが、酒の社会問題がとがめられずに
ヒロポンだけがとがめられたことを考えても、どれだけ大きな弊害があった
のかは見当が付きます。
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覚せい剤は、医学的に見てアルコールより依存性が高く、服用時の凶暴性や命の危険性も高いです。



しかし、大麻は、アルコールよりも依存性も低く、鎮静効果があるので、薬物服用時の犯罪性も低く、アルコール依存症は内臓を激しく損傷させ、命の危険を高めますが、大麻依存症はアルコール依存症よりも危険性が低いです。


つまり、アルコールは是で、覚せい剤は否なのは、医学的な観点で、「倫理的に正しい」。
アルコールは是で、大麻は否なのは、医学的に整合性が保たれていないため「倫理的に誤り」と言えるでしょう。
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> 覚醒剤は倫理的に問題があるのか?


「倫理= 道徳 = 社会慣習として成立している行為規範」と考える場合に、「法で規制され、違反すると罰すると決められている」のを無視するのは、倫理違反となると思います。 「法律的には罰せられるのだから、覚醒剤使用は倫理的に問題がある」とするのは、「倫理= 道徳 = 社会慣習として成立している行為規範」と考える場合には自然なことと思います。

しかし、私は「倫理= 道徳 = 社会慣習として成立している行為規範」というのはおかしいと思っています。「法で決められている=倫理である」という考えもおかしいと私は思います。
他人に危害を加える恐れは医療でもありますし、刑罰の行使、行政処分も対象者にとっては危害そのものです。
倫理を「法の規制」「社会慣習として成立している行為規範」で考えることに、私はおかしさを感じます。 私は「倫理:人として守り行うべき道と本人が思い突き詰めたもの/何となく本人が自己規制の基準としているもの。善悪・正邪の判断において本人が本人にとっての普遍的な規準となるものとしているもの」と考えるので、「社会一般や習慣、法の制定改正で定まるようなものは、倫理ではない」と思います。 倫理を守り通すと、世間的に幸福が達成できる、世間で徳のあるヒトとみなされるなとというものではないと、私は思います。

ただ、そのように倫理を考える人は多くはなくて、教育基本法を改正し道徳教育で教え習得させるべき内容が変われば倫理は変わるとか、社会状況が変わって人々の正義感などが変わればそれによって倫理の目指すものや内容は変わるとする人が多く、そうした人が倫理教育、道徳教育、法の遵守の大切さを説いています。 そうした社会情勢では、「倫理= 道徳 = 社会慣習として成立している行為規範 ≒ 法で勧められている行為をするように努め、法ではやらないように書かれていることはやらないように努め、法で処罰されることはやらないこと、遵法は倫理であると考えること」という考えの方が多いのでしょう。

覚醒剤は医療でも使いますから、その医療で使う使い方として法で認められる使い方なら倫理的、法で規制されている使い方は倫理的にマズイということでしょう。

覚醒剤に類似した効果をもたらす化学物質は結構多いですから、法で規制されていなくても、アルコール、カフェイン、ニコチン、アセチルコリンなどに関係しているものは、出来るだけ避ける方が倫理的には良いという見方もあるでしょうし、異常に興奮を高め易いイベントへの参加、狂信的狂騒的になりやすいスポーツや勝負ごと賭け事も、のめりこまないように注意することが倫理的によいということになると思います。 仕事にのめり込むのも、恋愛にのめり込むのも、差別的扱いを昂進させ、周囲に迷惑を掛ける・法的に問題を起こしやすくなる・倫理的に問題が起きる危険が高まるので、避けた方がイイということになると思います。

大麻・マリファナに関しては、国によって法規制の状況が変わります。倫理を法にも絡めて解釈するなら、大麻・マリファナに関しては国によって若干倫理が違っている現状があり、時間軸を数十年、数百年というスパンで眺めれば、どの社会でも倫理の内容は違う、民族や文化によって倫理は違うということになります。 
(私は、倫理は個人のものと思うので、人によって異なる倫理を持っているのは自然なことであり、同じ人間も何かの考えや社会体験で倫理の内容や方向を変えるのが多いと思っています)
倫理で何かを考え、社会的にああしろこうしろと提言しようとするのは、おかしなことだと私は思います。
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倫理?



口は悪い言い方ですが、普通の生活を送る為に「薬」を常飲しなければならない方々の気持ちを考えての発言ですか?

普通に生きられる人間が、逸脱する為に薬を使う・・・

其れは甘えです。

>当人の健康を損ねるだけではないだろうか?

閉鎖環境での行為ならば、其の通りでしょう。

しかし其の環境は誰が用意するのでしょう?

また、そのための予算は?


現代の日本では実現不可能ですが、仮に可能ならば、人権の全てを放棄して、奴隷として生きて行く事を条件に管理下の元に薬を供給する事は在り得るかもしれません。(在り得ませんが)

単純に考えて、ジャンキーと健常者のどちらが成果を上げると思います?

ジャンキーが高生産率を誇るならば、為政者はどうするでしょう?

貴方は生簀の鯉なのです。

先ずは其の事を理解してから発言しましょう。
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確実に当人の健康を損ねるものを使うことが、倫理的に問題ないという思考がよくわかりませんが、自己責任だと。



意外と、イラク人質やイスラム国の人質事件に似ているかもしれません。危険は公表するけど、行動するかどうかは自己責任。

自分から手を出したんでしょうということですね。

確かに中東も薬も、悪の誘惑のようなものを感じて、なるべく近づかないように自分を律する力は問われます。社会的うんぬんより本質的かもしれません。

自己責任とは何か?山での遭難とかいろいろ問われています。リスクはある程度自分で背負えと。
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