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霊視できる方を探しています。
というのも、とても大切な人を夏に亡くしました。

49日法要が終わったばかりです。(正しく数えると明日が49日だそうです)

なるべく供養になるようお祈りはしていますが、
その人が今どこにいるのか、苦しんだりせず元気に魂になって行くべきところに行っているかを知りたいです。(仲介していただいて、その人と会話ができれば最高です)

いろいろ調べてみると、法事などの際に霊が見えるとか、実際に魂の類を見ることができる方がいると聞きました。
私には霊感等は無いので、何もしてあげられません。
くよくよするより、今してあげられることをしようと思い、ここに質問しました。

埼玉県南部のあたりで(本物の?)霊視出来る方を知っていますか?もしくは、この質問を見て霊視できる方いらっしゃいましたら、どうかお願いします。

A 回答 (3件)

私は、幸福の科学の会員ですが、妻も同じく会員です。


通夜とか、葬式など、ちょっと特別な場において、妻は霊視ができるので、死んだ方の霊が見えるし、会話もできます。
そして、その内容を遺族や友人に伝えてくれています。
それによって、遺族、友人などは、とても安らいだ気持ちになれるようです。
私の父が亡くなったときも、葬式の場において、父が霊になったあとの姿や感謝の言葉を母に伝えてくれたので、母はひどく落ち込むこともなく、周囲の人は「(母が)元気そうで驚きました!」と言っていました。

なお、このサイトは会員どうしのやりとりは禁止ですので、お役にたてませんが、ちゃんと霊能力ある方がみつかることを祈っています。

P.S.
どうも、私の守護霊と妻は会話しているようです。私が、誰にも話したことがない内容が妻に知られていて、驚かされたことがあります・・・。
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この回答へのお礼

やはり、見えたり会話ができる方がいらっしゃるんですね。
素早い回答ありがとうございます。

落ち込んでいる遺族のためにも、なんとかして探してみます。

お礼日時:2014/09/25 00:14

49日というのがどのような意味なのかご存知でしょうか?


なぜ49日の間が忌中となっているのか。
それが判るなら法事の際に霊が見えることの矛盾もわかるはずですよ。

忌中というのは本来精進潔斎をして身を清め、社会を断絶し、一心不乱に神仏に対して故人の冥福を祈る期間を言います。但し、浄土宗や浄土真宗では死=成仏と説き、冥福を祈るという行為はありません。カトリックでも死=天か地獄かしかないので冥福を祈るという期間は本来ありません。

そして49日目に亡くなった人は今一度この世に転生して修行を続けるか、仏の世界で仏として修行を続けるか、或いはそれ以外の六道の世界(修羅、畜生、餓鬼、地獄)に転生するかが決まるのです。
このうち仏となれば空の世界ですから霊を見るなんて事はありえませんね、相手は仏様ですから、仏として菩薩から如来になるべく修行を積んでいるんです。見るとしても仏を見るだけです。

人間道から畜生道まではこの世に生を受けています。ですから霊を見るのはおかしいですね。貴方の周辺に生れ落ちた人やら、動物やらです。だから犬畜生でも大切にしなければ主客転倒じゃないけれど、今度はその犬が人間になり虐めたものが犬になる可能性だってあるんです。初めて会った人だって貴方の先祖かもしれないんです。
ですから真の霊能者であれば、簡単に亡くなった人の霊が呼べるとか見えるとか言うはずはナイのです。
もちろんその人とのつながりがあれば教えてくれることはありますけど、必要ないものと思ってください。

この世に生れ落ちず、仏にも成らず苦しみ続けるもの、それが餓鬼道と地獄道です。釈迦の説話の中に千里眼を持つ目連尊者が自分の母が餓鬼道に落ちてがいている有様を見つけ釈迦に相談した所、夏の修行を終えた日に皆に食事を振舞えば良いと教えられ、その通りにすると母や他の亡者が救われたというものがあります。
それに倣って始まったのが夏に寺で行なう施餓鬼会、つまりお盆の意味です。

経というのは仏の教え、つまり正しく生きる道、悟りを開く方法です。
それを音読する事によって自分の魂の勉強になります。それで魂が成長することを「得を得る」といいます。
音読はまた周囲に聞こえます。つまり廻りに居る生まれ変わっていない魂に聞こえます。このようにしてその人たちにも得を与えることが出来ます。これを「法施(ほっせ)」といいます。これによりその魂も得を得て成仏への道を歩むことができるわけです。

ずべてに仏教が説いているわけではありませんが、仏になった後も輪廻を繰り返し、菩薩から如来になります。そして最後には完全な魂、つまり真の仏になるわけです。これを解脱といいます。菩薩行を応援する意味でも読経は有効です。
つまり亡くなった人のために読経する事は大切な事なんです。

ですから法事のときに故人の霊を見るなどという事はその人が浮かばれていない、つまりキチンと法事が行なわれていないという事でしかないです。
ちなみにお坊さんに幾ら読経してもらってもダメですよ。お坊さんは仲立ち役ではあっても親族ではありませんから。親族や友人など縁故者が祈ってこその法事だと思ってください。

ところが「聞いているのかな、大丈夫かな」などと疑問に思っていたら無効になってしまいます。なぜならそれは貴方自身、仏法を疑っているということだからです。
蜘蛛の糸という小説をご存知ですか、あれは折角お釈迦様が地獄から助けあげるために垂らした糸、それを自分だけではなく多くの亡者が上がってくる。だから「これでは切れてしまうかもしれない」と疑心を持ったために切れたんです。
走れメロスという小説をご存知ですか?あれもメロスを信じ切ることが出来なければ出来ないことです。
信心に中途半端はありません。0か100なんです。疑うという事はゼロなんです。

だから信じ切っていれば、貴方から霊能者を求めてみたいと思う必要性はありません。それは信じていない証拠だからです。逆に必要なら個人の方から霊能者を通じて貴方に縁を結んで来るはずです。
私は二人の霊能者を知っています。一人は東京南部、一人は埼玉県に住んでいます。
どちらも住所を明かさないよう言われています。縁があれば、必要なら自然と縁が結ばれるからです。

私が二人に、亡き父の現状を聞きたいと思ったことはありません。そんな暇があったら一心に祈ればいいんです。その力を信じているからです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

霊視をできる方がいれば、今よりももっと
亡くなった人と今生きている人が幸せにれると思いました。

信じようとしています。でも自己満足をしたいのではありません。
自分のためでなく、亡くなった人のために一番いい方法を探しています。

それが信じて祈ることだということは分かりました。頑張って実行していこうと思います。

しかし、それにプラスしてもっとなにか出来ないかということは
これからも探していきたいと思います。現世でできなかった分諦めません

お礼日時:2014/09/25 17:46

私も12年前大切な人、生後1カ月の息子を亡くしました。



x5077707 さんのお気持ち、とてもよくわかります。

亡くなった息子の上に、幼稚園に通う娘がおりましたので、いつまでもくよくよしていてはいけない、少なくとも娘の前だけでもいつも通りにふるまわなければ。と思いながらも、心と体を切り裂かれ、全身から血と涙があふれ出ているような状態でしたので、百か日(卒哭忌ともいい、泣き悲しむのを止めるということ)が過ぎてもその苦しみから抜けることはできませんでした。

私も、亡くなった息子があちらの世界で幸せにくらしているのかとても心配でしたし、私にしてあげられることは何なのかを聞きたかったし、そういうことの分かる人はいないかと色々な友人に聞いて探しました。

幸い私は知人の紹介で伊勢神宮で修行をなさっている占い師さんに出会うことができ、そのことがとても救いになりましたし、その後 前を向いて歩いてゆくきっかけになりましたので、誰かに観てもらうということはおすすめではあるのですが、ネット上の場でその方の連絡先等は申し上げられません。申し訳ありません。

ただこればかりは、観てもらう人を間違えると、かえって悲しい結果になる危険性もあるので、慎重に選ぶ必要がありますよね。

私の実家はお寺で、埼玉南部にありますので、非公開の場で個人的に連絡がとれれば、一度実家のお寺に来ていただいて直接お話ししたいくらいです。

最後に、私が占い師の方から聞いたお話をさせていただきますと・・・

息子は生後1カ月で乳幼児突然死で亡くなっており、当時私は自分をすごく責めていました。
息子の様子で見落とした点があったんじゃないか。かわいいあの子を守れなかったのは私のせいだと。

でも、息子は私が悲しむこなどは望んでいないだろう。この経験を通してわたしが人間的に成長することこそが息子への一番の供養になるのだろう。

そんな気持ちで占い師の方に「息子が私に望んでいることは何でしょうか」と尋ねたところ、息子からのメッセージは

「お蕎麦をお供えして欲しい。手打ちでなくても良い。」

というものでした。拍子抜けすると共に、「あの子は案外のんきに過ごしているんだな」と思って、なんかホッとしました。

もちろんこんな間抜けなやりとりばかりではなく、色々なメッセージがありましたが、全体を通して心に温かいものが残りました。

x5077707 さんに良い出会いがありますように。
またもし、この人ならと思える人に出会えなかったら、それはx5077707 さんにはそのプロセスは必要ないということだと思うので、固執せず。。。

大切な人を亡くした悲しみは決して乗り越えなければならないものではないと思うのです。

この悲しみが自分の一部なんだと受け入れることができる時がきたら、少し楽になると思います。
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この回答へのお礼

お礼が遅くなり申し訳ありません。回答ありがとうございます。
同じような体験をした、私の気持ちをわかっていただける方にアドバイスをいただけて、とても嬉しいです。


亡くなったのは父です。
(ここから少しあったことを書きます{}の中です)

{父は真夏に腹痛を訴え、かかりつけの医者でウイルス性の腸炎という診断を受けて薬をもらいそのまま家で養生していました。
夜中やはり腹痛と、体に力が入らない(立ち上がれない)ということで這ってトイレに行くなどしていました。本人は病院は嫌いなので、ただのウイルス性の腸炎ということもあり
我慢していたのかと思います。
母も何度か救急車呼ぼうかと聞いたらしいのですが・・・。

朝方、本人が苦しいと言いだしたため救急車を呼んだのですが、
救急車が来たときにはもう意識がありませんでした。
救急車に運ばれ、母が"入院することになってしまった"と、入院するための荷物を整えて救急車に乗り込みました。
あわてて外に出て、救急車をみると心臓マッサージをしていることが外から見てわかったので、事の深刻さがわかりました。うそだろと思いながらずっと祈っていました。

その後、搬送先の病院で手遅れということを聞いたのです。信じられませんでした。
今思えば、もう家の廊下で隊員に声をかけられているところで心臓がとまっていたのかと思います。私は隊員が声をかけている時に私は起こされました。それだけ、誰も深刻だと思わなかったのだと思います。父も死ぬとは思っていなかったと思います。}

私は両親が一番大切です、今も変わりません。(私自身は独身です)。そのため、両親のためになることをしたいと思っています。
母は、私よりもっと辛いし、悲しいし、さみしいし、後悔の念も強いと思います。
”あのときああしておけば”という思いが、やはり一人になると出てくると思います。
その母のためにも、と思って質問しました。


正しく観てくださる方がいること、だれかに観てもらうことはおすすめということが聞けてよかったです。
dorichikamさんのこの回答だけでも、とても救われた部分があります。
本当にありがとうございます。
ただ、アドバイス通り、固執することはないよう気を付けようと思います。

最後の二行のアドバイスも、心を整えることがこれを読んでできたきがします。
無理に乗り越える必要はないということが分かって、すこし気が楽になりました。



追記:非公開ということですが、私はこのアカウントネームをそのままヤフーメールのアカウントで使っています。もし送ることが可能であれば、メールで連絡いただければ嬉しいです。

お礼日時:2014/09/26 23:54

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