「覚え間違い」を教えてください!

腸腺癌オペ後。どなたか助けて下さい!!偏食の猫。40種類近くのキャットフードを試しても何も食べずに丸二日が経過。ご飯を代わる代わる変えるのがいけないのでしょうか。

こんばんは。
8月上旬に大腸と小腸のつなぎ目にせり出すように2cmの腫瘍があり、結果、腸腺癌だったのですが早期発見ながらも余命1年無いという辛い宣告を受けました。

腫瘍はオペで切除したものの、その後2週間は何とか食事してました。
といってもたった15g前後の量ですが、それでも毎日「きらきら水素」と「D-フラクション」をスープに混ぜ、バレないようにあげていたのですが、とうとうそれすら摂ってくれなくなりました。
と同時にカリカリフード15gさえも食べなくなり、まさに絶食状態です。お水だけ飲んでいますが非常に少ないです。それでも1日2回排尿していますが…。

何も口にしないよりは、まず食べたいものを食べて欲しいとスーパーで販売している穀類が原料のフードを、冗談抜きにそれこそ軽く30種類は購入。パウチを含めると40種類以上は軽くいっています。

カリカリフードに関しては10粒とかでも食べてくれたら、翌日もそのフードを出すのですが、全く食べてくれず、かと思いきや昨日食べなかったものを突然食べる、といった感じです。

お腹が空けばいくら何でも食べてくれるだろう、と思っていたのですが、全くその気配がありません。
保護活動をしている友人に「オペ前の健康時に食べていた今は食べないフードでも、ずっと出していればさすがに食べるのでは?」と訊いたところ、猫の個体差によってはとことん食べないと言われました。
このままでは本当にどうにかなってしまうと不安です。

この2日前…。実は病院へ連れて行ったのです。
15gしか食べない日が一ヶ月近く続いており、このときはまだ水素とD-フラクションだけはちゃんと摂っていましたが、食欲増進剤(ホリゾン、ペリアクチン、プロナミド)も初回のみしか効果は現れず…だったので、具合が悪いのかな?と思って検査してもらったのです。
そうしたら転移は全く無し、血液検査も健康そのものでした。

ただ、診察台にあがった途端、非常に震えて肉球が汗だらけになり、ぶるぶる震えて私の膝に降りてきて、そこでじーっとしてました。

精神的に相当やられてしまったのだろうと思います。オペ時、入院から退院まで6日間ありましたので。
でも、それにしても2ヶ月前の事。そして退院後はとりあえず30gは食べていたこと、それが徐々に食べなくなり、15gが続き、とうとう全く食べなくなりました。

胃に負担がかかってしまう穀類でもとにかく何でも食べてもらいたい!
でも、どうしたらよいのでしょう。これ以上あれこれ購入しても、もう望みは薄いように感じます。
点滴を打ちに行ったとしても多分、大嫌いな病院がストレスでいずれにしても坂道を転がるように落ちていくばかりでは…と思い、怖くてそれも躊躇しております。

缶詰、パウチ、カリカリフード…おやつ類も含めると本当に冗談ではなく、50種類以上試しています。
偏食な子がいたら、どうかお教え下さい!どうやってそれを克服できましたでしょうか。
その時に試してみたフード、是非お教え下さい!
これだけ買っても、まだそのフードを購入していないかも…に期待しての質問です。

オペによってせっかく得られた時間。無意味な辛い延命治療はする気はありません。
オペで得られた時間の猶予、このチャンスをこの子には最期まで楽しく過ごしてもらいたいのです。

A 回答 (3件)

たぶん、お医者さんが麻酔をかけるときや、麻酔から解けた自分がいきなりケージにいた、とか、なんだかおなかがシクシクする、というので神経質になって、怖がっているだけだと思います。



ご在宅の時間はできるだけスキンシップをして、ゴロゴロとノドを鳴らすくらいにリラックスさせてあげるうちに、次第に「ああ、いつもの安心なところで過ごせるんだ」と元の生活に戻ると思いますよ。

もう次の手術はない、そのときはもうスキンシップをしてあげることができない、という状態だからこそ、ありったけのぬくもりと愛情を、ネコちゃんの肌と表情を通じて注いであげてください。

そうすれば、食べたいときに食べたいだけ食べ、寝たいときに寝たいだけ寝て、とリラックスして再発せずに安静にしていられる療養生活を長く過ごせると思います。

この回答への補足

おはようございます。
今までは帰宅すると玄関にお出迎え、膝に乗ってずーっとすごしブーブー言って、寝るときは必ず一緒に腕枕してた子です。

それが今では全くなくなりました。スキンシップは部類の猫好きと周りに知られてるほどなので、愛情は従来通り注いでおります。

それでも改善されず…なので、本当に本当に困っていて。。。。

一体何がこの子にとってシアワセなのか。ご飯も以前15gと少しでも食べていた頃、翌日も同じものをあげても食べない、という不安定になってます。
おやつ類を含めてちゃんと数えると、ゆうに60種類以上は試しています。

転移もなし血液検査も良好なのに、ますます食欲が落ちていきました。
手でご飯を口元に持っていってもプイッとします。じゃ、明日は…というと少し反応する、というのが従来でしたが今は全く。。。。

かといってこれだけの種類のものを全部口に持って行って…なんて事は非現実的だし、その時間もないですし。今は帰宅してから就寝まで4時間もない生活です。(フルタイム勤務の為)
もう、どうしたらよいのか。。。

補足日時:2014/10/18 07:54
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この回答へのお礼

みなさん、ご回答有難うございました。愛猫は先月、永眠しました。
質問日の2日後、仕事から帰宅したら黄色い嘔吐物があったのですぐ病院へ連れて行きましたら腸に穴が開いていました。
この数日前の血液検査では良好だったのに…。本当、この癌の進行は主治医も驚くほどに早かったです。
大抵猫の場合は腫瘍5cmくらいになって気づくところを腫瘍2cmという段階で病院へ連れて行き、即オペが出来たので早期発見でした、よく気付きましたね、と褒められたほど察知は早かったのに…。オペから3ヶ月も持ちませんでした。

食欲がなかったのは精神的なものではなく、浸潤していたがん細胞が原因だったことが判りました。
虫の知らせだったのか永眠前夜、押し入れのそう簡単には見えないところで暮らしていたのすが、一緒に寝たいな…と思い、せめてもう腕枕は出来なくても一番近いところで…と押し入れの荷物を全部おろし、そこで膝を少し曲げて話かけながら一晩過ごしました。

翌朝、普段通り「お仕事行って来るね。お留守番お願いね」と言って自宅を後にしました。
最低限の仕事だけ片付け、早退して家路へ向かっている時、自宅が近くなるにつれ自然と足早になっていました。軽く息が上がってきて「あれ?早足してる」と気付きました。

部屋に入って真っ先に押し入れ開けた途端、沢山喋りかけてきました。瞬間に察しました。お別れなんだって。
辛そうな声なのに一生懸命話し掛けてきて、その都度、胃の動きが痩せてきていたので更にはっきりと判り、「もういいから。喋らないでいいから」って言ってもそれをやめず、10分くらいは軽く過ぎていました。

主治医を呼ばなくちゃ。と電話をして切った途端、痙攣が始まりました。この日が来るのは判っていたので最期、苦しくないようにと点滴だけはさせなくては、と。(安楽死も考えていましたが、この子の場合、自然死でも苦しまずにすむ可能性が高いと保護活動している人に見てもらって判断できたので、自然死の道を選びました)

先生が処置をして下さり、帰宅なさった20分後、穏やかに旅立ちました。
後に先生にお礼の連絡をした際、「帰ってくるまで本当に頑張って待っていたのですね。顔を見れてニャーちゃんもホッとして、だから痙攣から永眠までの時間が通常よりも早かったのだと思います」と。
動けなくなっていたので、その押入れでおしっこを沢山していました。お尻の辺りが汚れるほど、綺麗好きの子が、私が帰ってくるまで頑張って1人で暗いところで耐えていたのかと思ったら本当に辛くなり、でもこの子の愛情にも感謝し。私もちゃんと愛せていたと思っていますが、どれだけ長く生きたか、では無く、どれだけ幸せに生きれたか、が大切だと常々思っていたものの、でもオペから3ヶ月もしないで…駆け足で逝ってしまって余りにも早すぎて気持ちの準備も出来てなくて。

今でも居るのか居ないのか、よく判っていない生活をしています。
仕事終わると早々に「早く帰らなきゃ」と。でも玄関あけると待ってる子は次男の別猫。あれ?となります。部屋にいつも響き渡っていた声も無いんです。
そうだった。。。もう居ないんだった。そんな感じで日々過ごしています。やることがあるとその時だけは気が紛れているようなのですが。

長くなりました。みなさん、本当にこのたびはお世話になりました。うちの子の為に色々とアドバイスして頂き、本当に感謝しております。
みなさんの愛情を沢山うけて日々生活している幸せなニャン子達と末長く充実した日々をお過ごし頂けますよう、心なしか願っております。

お礼日時:2014/11/15 07:32

喉、鼻、胃瘻などチューブを通してもらい


流動食を入れてあげてください。
自力で食べない子には有効です。
痛々しいのは見た目だけ。
栄養水分投薬、これがお互い楽にできます。

無意味な延命ではありません。
そのまま死んだら餓死ですから。闘病ではありません。
餓死と脱水はきついのだそうです。
簡単に回避でき、何g…一口食べた食べないの一喜一憂がなくなります。

とてもポピュラーな作業で鼻なら麻酔もいりません。
お大事に。

この回答への補足

おはようございます。やはりこの方法になるのでしょうか。
でも、ふと思いました。
これをやっても自力で食べないかぎり、定期的に行わせる、のですよね?
となると、ストレスになるのはかなり確率高いような。。。

それでも行うべきかどうか。ここに関わってきそうですね。
治療代をなんちゃら、という考えは毛頭有りません。やれることがあるならやります。
ただ一番に考えているのは、この子が最期まで幸せに楽しく生活してくれるかどうかです。
今は全くにして程遠い状態ですが。。。。

以前は一緒に腕枕して寝たり、膝にずーーーっと乗っていてブーブー言ったりしてたのに、玄関のお出迎えもしてくれたのに今では声すら聞かなくなりました。
なくこともしません。

でも、さすると尻尾を凄い勢いで振ります。一体、どうしたら良いのか。。。

補足日時:2014/10/18 07:57
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この回答へのお礼

みなさん、ご回答有難うございました。愛猫は先月、永眠しました。
質問日の2日後、仕事から帰宅したら黄色い嘔吐物があったのですぐ病院へ連れて行きましたら腸に穴が開いていました。
この数日前の血液検査では良好だったのに…。本当、この癌の進行は主治医も驚くほどに早かったです。
大抵猫の場合は腫瘍5cmくらいになって気づくところを腫瘍2cmという段階で病院へ連れて行き、即オペが出来たので早期発見でした、よく気付きましたね、と褒められたほど察知は早かったのに…。オペから3ヶ月も持ちませんでした。

食欲がなかったのは精神的なものではなく、浸潤していたがん細胞が原因だったことが判りました。
虫の知らせだったのか永眠前夜、押し入れのそう簡単には見えないところで暮らしていたのすが、一緒に寝たいな…と思い、せめてもう腕枕は出来なくても一番近いところで…と押し入れの荷物を全部おろし、そこで膝を少し曲げて話かけながら一晩過ごしました。

翌朝、普段通り「お仕事行って来るね。お留守番お願いね」と言って自宅を後にしました。
最低限の仕事だけ片付け、早退して家路へ向かっている時、自宅が近くなるにつれ自然と足早になっていました。軽く息が上がってきて「あれ?早足してる」と気付きました。

部屋に入って真っ先に押し入れ開けた途端、沢山喋りかけてきました。瞬間に察しました。お別れなんだって。
辛そうな声なのに一生懸命話し掛けてきて、その都度、胃の動きが痩せてきていたので更にはっきりと判り、「もういいから。喋らないでいいから」って言ってもそれをやめず、10分くらいは軽く過ぎていました。

主治医を呼ばなくちゃ。と電話をして切った途端、痙攣が始まりました。この日が来るのは判っていたので最期、苦しくないようにと点滴だけはさせなくては、と。(安楽死も考えていましたが、この子の場合、自然死でも苦しまずにすむ可能性が高いと保護活動している人に見てもらって判断できたので、自然死の道を選びました)

先生が処置をして下さり、帰宅なさった20分後、穏やかに旅立ちました。
後に先生にお礼の連絡をした際、「帰ってくるまで本当に頑張って待っていたのですね。顔を見れてニャーちゃんもホッとして、だから痙攣から永眠までの時間が通常よりも早かったのだと思います」と。
動けなくなっていたので、その押入れでおしっこを沢山していました。お尻の辺りが汚れるほど、綺麗好きの子が、私が帰ってくるまで頑張って1人で暗いところで耐えていたのかと思ったら本当に辛くなり、でもこの子の愛情にも感謝し。私もちゃんと愛せていたと思っていますが、どれだけ長く生きたか、では無く、どれだけ幸せに生きれたか、が大切だと常々思っていたものの、でもオペから3ヶ月もしないで…駆け足で逝ってしまって余りにも早すぎて気持ちの準備も出来てなくて。

今でも居るのか居ないのか、よく判っていない生活をしています。
仕事終わると早々に「早く帰らなきゃ」と。でも玄関あけると待ってる子は次男の別猫。あれ?となります。部屋にいつも響き渡っていた声も無いんです。
そうだった。。。もう居ないんだった。そんな感じで日々過ごしています。やることがあるとその時だけは気が紛れているようなのですが。

長くなりました。みなさん、本当にこのたびはお世話になりました。うちの子の為に色々とアドバイスして頂き、本当に感謝しております。
みなさんの愛情を沢山うけて日々生活している幸せなニャン子達と末長く充実した日々をお過ごし頂けますよう、心なしか願っております。

お礼日時:2014/11/15 07:31

あなたが猫だったと仮定して下さい。


宇宙人にさらわれて、なんだか少し体調は良くなったものの、まだ麻酔のせいでぼうっとしています。
当然、それが麻酔のせいだとは知りません。
(手術を猫の視点から見ると多分こうなると思います。)

そこに、次から次へと味の違うフードを出されて、食べられますでしょうか。
2日間絶食ということですが、野良猫は病気をかかえていても1週間くらい食べなくても平気なんですよ。
飼い主さんが焦ると、猫にそれが伝わります。

私のオススメは、「焼きカツオ」「焼きささみ」というおやつを、鶏ささみの生肉(地鶏がいいです)を細かく刻んだものに混ぜ込んだものです。
また、生で食べられる鹿肉などを通販しているサイトが有ります。これにかつおぶしや焼きカツオなど、など猫さんの好物を混ぜてあげて下さい、食べてくれると思います。

http://www.umai.co.jp/nikuya/products/detail.php …

ここが小分けパックになっていてオススメです。

この回答への補足

おはようございます。焦っていましたので詳細掲載せず、申し訳ございませんでした。
オペをしたのは8月上旬ですので、かなり日数は経過しております。
焦りが伝わるという懸念はあるので、いつものように生活しているのですが、前は毎日、膝に乗って何時間でもそこでブーブー言ってくつろいでいたのが、PC前で私が作業をするとシラッと押入れへ入ってしまうようになりました。
また、毎日腕枕で寝ていたのですが、これも自分から来ることなく、押入れで寝るようになってしまいました。
そして、あんなに毎日お話していた子なのに寡黙になり、声を一切聞くこともなくなってしまいました。

PCを使わないようにしようと一時期そうしていたのですが、私もこれはさすがに困ることがあり、1週間しか続きませんでした。
友人が普通な生活しなくちゃダメだよって言ったので、それもあり、その後は普通にしているのですがやっぱりダメで。。。

嫌がる薬をあげると更にストレスになりそうですし、かといってこのまま1週間2週間絶食が続いたらさすがに身体が持たないだろう、と。
その時、無理矢理ご飯を流し込むということをやらねばならないのか?と想像してみましたが、これもストレスになると思うと、この子を安楽死させたほうが、まだ幸せなのかな、、、と凄くダークなことを考えてしまいます。

腸腺癌というのは厄介な癌で、既に大網に浸潤しているため、再発は時間の問題です。
それも考えたら安楽死なのかな…と思うのですが、でもたまーのたまに、それこそ1週間に1回くらいですが、喋りかけると「ん~」って声だけ出してくれます。
これを見ると、とても安楽死なんて…その時期はまだ早いのでは?と思ったりしています。

お教えいただいたお品、うちの子は保護してから10年、ずーっと準治療食しか食べずに来た子で缶詰も殆ど食べていなかった為、胃に負担があるかな?とか考えたりもしますが、そんな事言ってられない状況なので、とにかく何でも良いから口にして欲しいので、購入してみます。
ご親切に有難うございました。

補足日時:2014/10/17 07:11
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この回答へのお礼

みなさん、ご回答有難うございました。愛猫は先月、永眠しました。
質問日の2日後、仕事から帰宅したら黄色い嘔吐物があったのですぐ病院へ連れて行きましたら腸に穴が開いていました。
この数日前の血液検査では良好だったのに…。本当、この癌の進行は主治医も驚くほどに早かったです。
大抵猫の場合は腫瘍5cmくらいになって気づくところを腫瘍2cmという段階で病院へ連れて行き、即オペが出来たので早期発見でした、よく気付きましたね、と褒められたほど察知は早かったのに…。オペから3ヶ月も持ちませんでした。

食欲がなかったのは精神的なものではなく、浸潤していたがん細胞が原因だったことが判りました。
虫の知らせだったのか永眠前夜、押し入れのそう簡単には見えないところで暮らしていたのすが、一緒に寝たいな…と思い、せめてもう腕枕は出来なくても一番近いところで…と押し入れの荷物を全部おろし、そこで膝を少し曲げて話かけながら一晩過ごしました。

翌朝、普段通り「お仕事行って来るね。お留守番お願いね」と言って自宅を後にしました。
最低限の仕事だけ片付け、早退して家路へ向かっている時、自宅が近くなるにつれ自然と足早になっていました。軽く息が上がってきて「あれ?早足してる」と気付きました。

部屋に入って真っ先に押し入れ開けた途端、沢山喋りかけてきました。瞬間に察しました。お別れなんだって。
辛そうな声なのに一生懸命話し掛けてきて、その都度、胃の動きが痩せてきていたので更にはっきりと判り、「もういいから。喋らないでいいから」って言ってもそれをやめず、10分くらいは軽く過ぎていました。

主治医を呼ばなくちゃ。と電話をして切った途端、痙攣が始まりました。この日が来るのは判っていたので最期、苦しくないようにと点滴だけはさせなくては、と。(安楽死も考えていましたが、この子の場合、自然死でも苦しまずにすむ可能性が高いと保護活動している人に見てもらって判断できたので、自然死の道を選びました)

先生が処置をして下さり、帰宅なさった20分後、穏やかに旅立ちました。
後に先生にお礼の連絡をした際、「帰ってくるまで本当に頑張って待っていたのですね。顔を見れてニャーちゃんもホッとして、だから痙攣から永眠までの時間が通常よりも早かったのだと思います」と。
動けなくなっていたので、その押入れでおしっこを沢山していました。お尻の辺りが汚れるほど、綺麗好きの子が、私が帰ってくるまで頑張って1人で暗いところで耐えていたのかと思ったら本当に辛くなり、でもこの子の愛情にも感謝し。私もちゃんと愛せていたと思っていますが、どれだけ長く生きたか、では無く、どれだけ幸せに生きれたか、が大切だと常々思っていたものの、でもオペから3ヶ月もしないで…駆け足で逝ってしまって余りにも早すぎて気持ちの準備も出来てなくて。

今でも居るのか居ないのか、よく判っていない生活をしています。
仕事終わると早々に「早く帰らなきゃ」と。でも玄関あけると待ってる子は次男の別猫。あれ?となります。部屋にいつも響き渡っていた声も無いんです。
そうだった。。。もう居ないんだった。そんな感じで日々過ごしています。やることがあるとその時だけは気が紛れているようなのですが。

長くなりました。みなさん、本当にこのたびはお世話になりました。うちの子の為に色々とアドバイスして頂き、本当に感謝しております。
みなさんの愛情を沢山うけて日々生活している幸せなニャン子達と末長く充実した日々をお過ごし頂けますよう、心なしか願っております。

お礼日時:2014/11/15 07:29

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