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そういう格言?言い伝え?よくありますよね。
私もここに、そう書いてる人がいるのを何度か見ました。

でも、どうして、そう言い切れるんでしょうか?
単なる傷ついた人の心を軽減するための慰めかな?って思うんですが・・・

A 回答 (18件中1~10件)

他の回答者さんとと同じく、


「この質問者さんが読んで疑問に思った回答ってわたしのかな?」
と思ったので、書き込みにきました。

>でも、どうして、そう言い切れるんでしょうか?
単に自分の人生での経験上でそう思っただけです。
根拠は自分の人生経験です。
そう思わない人がいるなんて、思ってもみませんでした。

ただ、良い、悪いの線引きは人によって違うからね…。
わたしとか別に性格も良くないし、人に優しくもない自己中人間ですが、
ほとんど何でも思い通りにしてきたから…。
(自分の願いは叶えてきたってこと。)

ただ人生は思い通りにならないって弱音を吐いてる人みると、
「なんで?」って思うけど…。

わたしは子供の頃から自分の思い通りにするために
常にどうすればいいのかを考えて行動してきたから、
思い通りにならないって言う人は甘いのではないのかなぁと思います。
だって、よくまわりの人間をよく観察すればわかることでしょ?
どうすれば、うまくいくかなんて…。

ま、どうにもならないことも色々あるけど、そういうときは、
何が原因かを考えて、あーあれが悪かったのかって思うし。

だから、つまり…何を意識して見るかによって、人それぞれ
見えてる世界が違うから、言葉の意味も人によっては違うし、
そのときの精神状態や境遇にもよるし、
あなたが、信じたいことを信じればいいのでは?

この回答への補足

本当にたくさんのご意見ありがとうございました。
こんなに沢山の違ったご意見の中から、たった2つの役に立った回答を選べなんて、もともと正解不正解という質問ではないだけに、到底無理な話なのですが、誰にもあげないというのも、出し惜しみしてるようで嫌なので、今回は、「今の」自分が受け入れやすかった回答の、上位2つを選びたいと思います。

補足日時:2004/06/07 06:44
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もつい最近までは素直にそういう格言を信じていたんです。
思い当たるような人も周りで見ていますし。

ただ、「神様のバツがくだる」的な考えは、神を信じるか否かで変わってくると思うんですよね・・・私は、気分によっては神の存在なんて・・・と思うときがあるので、この格言がそういうものから来てるのなら、信じる価値はないかな?と。。。

どこで読んだ事がもう覚えていませんが、書いていた方を非難するつもりではありませんでした。ただ、辛い立場の人を勇気づける為の「優しさ」なのかな?とも取れそうだったので、この言葉を信じてる人がどれくらいいるのかを知りたくなったんです。

darekaさんは、本当に経験から信じてらっしゃるんですね。
そして、思い通りにする為に自分で考えて実行してきた強い人でも、この格言を信じてる人がいるというのは、慰めだけではない、何か目に見えないものがあるのかな・・・?と。。。

これだけ意見を頂いても、本当に、私にとっては、迷う言葉です。

お礼日時:2004/06/07 03:31

人間は、人間社会というネットワークの中で生きています。


「自分ひとりの力で生きている」と強く言い切ろうとしても、やっぱりそうじゃない。
必ず、他人との相互関係の中に生活しています。

例えば、何か口にするにしても、
食べ物を得るためのお金は、誰かに利益を与えたために得ることが出来るものだし、
その口にする食べ物も、自分の手に渡るまでに何人の手を介してきたことだろうか。
人間のすべての活動は、何かしら他者との関係があって成り立つものだと思います。

そして、人には感情があります。
気持ちのよい相手には気持ちよく接したいし、そうでない相手とは関わりあいたくない。

だから、何かひとつの行為がそのまま自分に返ってくるというわけではなくても、
自分の周囲に対する気持ちの持ち方や態度が、おのずと社会というネットワークの中での自分の存在する位置や価値を決めていくと思います。
周囲に配慮を心がける人は、周囲からも大切にされると思います。
逆に、身勝手な人は、誰からも尊重されないでしょう。
そういうことを言っているのだと思いますが。

法律、きまり、道徳、宗教、倫理、常識、などは、形が少し違っても、「多くの人がともに生きていくためのルール」だと私は考えます。
善い・悪いの基準も、基本的には決まっています。
「他の人と共存して、より幸せに生きていくこと」それが人間として生きていくための、使命なんですよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。自分とは全然違う考え方ですけど、新鮮で、すごく考えさせられました。確かに人間は「共存」を必要とする生き物ですものね。

ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/07 06:37

こんちは、私は悪いこともいいことも自分にかかってくるとおもいますよ。


 ま、そうはいっても何時結果がでるか。本人の人生観でどう感じるかは別だとおもうけど。
 例えば、イエス様なんてのは、人を助けるいいことをしていたけど、結局貼り付けになっちゃって、結婚もせずに客観的にこんな人が近所にいたら、かわいそうだとおもうけどね。
 それに、ゴッホなんてのは命を削っていい絵をかいてはみたものの、生きてるときは鳴かず飛ばずで、ろくでなしの兄を援助した弟も相当苦労してるはずだし。
 でも、今は何億の値打ちあるしね。
 あなたは、自分が生きてるうちに行いの結果か出るかを聞いていらっしゃるなら、多分不条理だとおもう。
 でも、彼らのひたむきな思いと願いは、ちゃんと世の中を回っているとおもうんだよな。
 でも、ものの善悪なんて実際にはわからないものだから、自分じゃいい事をしていると思っても案外迷惑なんてものもあってはかるのはむずかしいね。
 でも、親を思う心とか、人を愛する心とか、子供を守ろうとする気持ちなんて、基本の気持ちは、それ自体が大きい力だとおもうんだよね。実際そんなものが、世界を動かすことは結構事例で残っている。なぜなら、この馬鹿みたいに当たり前の事柄は、誰でも心を打たれることであるから。だから、この逆の事をすれば世界を敵に回す可能性も高い。だから、やらないほうが良いにきまっている。
 ただ、クローリーという魔術師(動物虐待とかひどいこといっぱいしている奴だけど)が一般向けに書いた本の中で、負の力を他者にかけるのは反作用がかかるから、初心者はするものではない。なんて、道徳チックな事を書いていたのは、驚いた。この人は麻薬はするし、儀式の中で何人かの女性を精神的におかしくしたと記録のある人なんだけどね。
 ま、初心者(魔術の)と言ったところが曲者だけど。あなたもクローリーくらいの根性と技があれば、悪いこといっぱいしていても、大丈夫かもしれないけど。もっともクローリーの晩年もろくでもなかったと聞いてますがね。
 ついでに言うなら、成功を収めた人というのは、世の中に貢献しようと本気で考えて精進している人で、それを忘れていい加減に仕事をぬいたりすると、会社はいつかつぶれるそうな。この何年かでも、そんな会社何件かあったとあもいますがね。どうですか?
 確かに、正論だけでは生きていけないし、キリストのように生きることはできないけど、それでも、愛なんて古臭い言葉も心の隅においておくと、天国からくもの糸があなたを救うこともあるかもしれません。
 ちなみに、私は正義、善という言葉は、怪しくて嫌いなんですけどね。私にとってのいいことは、ひたむきとか、謙虚とか、思いやりなんて感じのものなんだけど。
 
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この回答へのお礼

面白いご意見、でも、ちゃんと納得いく意見ありがとうございます。
39haruさんって、本当に面白そうな方ですね! 
あんまり面白いんで、何回も読んでました。
最後の10行くらいの文章は、本当に私も同感です。

ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/07 06:32

No.3のnorikunnyです。



>宗教や道徳論と聞きますと、偏見かもしれませんが、「いい人を作る為の暗示」という気がしてしまう

その通りでしょう。 道徳はその社会で善悪を判断する模範の考えで、法律とならんでその社会が広く信じたり、信仰する宗教に密接に絡んできます。 例えばキリスト教で
「汝盗む事なかれ」と説かれれば、法律では盗みを禁じ、学校や家庭の道徳教育は「泥棒は悪いことですよ」と刷り込みます。

ですから、polpicさんが質問された「どういう根拠ですか?」に対しては、「日本人が古くから信じている宗教に影響された道徳教育を根拠として多くの人がそうやって言い切っている」が私の回答です。 (宗教や道徳を信じるのが馬鹿だとか、信じないとかは別問題です。)
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私は ほんとだ・・・と30歳ごろ実感しました。


なんというか立て続けに、過去にやったちょっとしたいい加減なことの始末をしなければいけないことがおこって。
なんというか、過去は私を忘れない。
私がしでかした過ちは一生私についてくる。
という感じです。
そしてそれと必ず向き合ったり、乗り越えて清算したほうがよいです。
それをずっと保留にしたり、グズグズとしているとなんていうかこう、よくないオーラの人間になりそうで。

何かよくないことをして、ずっと誰にもばれなかったとしても、その人がした過去のいろいろはその人のオーラのようなものになってついてきます。
そして新しく出会う人々の、私に対する評価になって跳ね返ってきます。
生まれてから自分さえ良ければと嘘をつき、他人を陥れ続けてきた人。他人を傷つけて、なんとも思わずに生きてきた人。
結果として、孤立したり、誰からも愛されなかったり、誰も愛せなったり、ずっとイライラした文句の多いつまらない人生を送ることになる。
全て身にかえってくるというのはそういうことだと思うし、私はその通りだな、と思います。

友達にひどいことをすれば嫌われる。
これはわかりやすい身に帰ってくる、ですよね。
職場にすごく威張って横柄な、嫌われ者の上司がいます。一見、何もかも彼の思い通りで、得をしているように見えます。
でも、職場の誰からも愛されていないんです。
かれが心底困ったとき、誰も手を差し伸べないのでは?とおもったり。
これ以上の罰があるでしょうか。
彼は一生気づかずにすごすかもしれません。でも、なぜかイライラと大声を張り上げている様子から幸せそうな雰囲気は感じることはできません。
彼がいままで積み重ねてきた全てが、周りの人との関係になって彼の身に帰って来ているように見えます。
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この回答へのお礼

実感から、信じてらっしゃる方のようですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/07 06:22

何が悪くて何がよいということは、誰にもわかりません。


↑の命題は形容詞でごまかしてますよね。
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この回答へのお礼

確かにそうですね(笑)。ありがとうございます。

お礼日時:2004/06/07 06:20

この言葉を他の方の質問の回答として記載した者です。

「私の事、指摘してるの?」とドキッとしました。
皆さんが書かれているように根拠はないです。子供の頃母に言われた言葉で、「自分に返ってきな・・・」という思いもした事があります。
この言葉は他人を(精神的に)傷つけてしまい自分で罪悪感が無いとき、後々自分も同じ思いをするよ、と母が言ってました。恐らく、他人に対しては思いやりの気持ちを忘れてはいけないという戒めの言葉と捉えています。
私自身、多感な頃友達に対してとった態度や、大人になってお付合いしていた人に言った言葉などが、後になって同じ境遇に遭ったので、実感としてスゴク心に残っている言葉なんです。
ただ、今になって、自分の心の中で意識しておくべき事でこういう知らない人同士が悩みを相談する場で言うべき事ではなかったなと反省しています。
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この回答へのお礼

ごめんなさい。ドキっとさせてしまって。。。
確か、理不尽な目にあって人を恨む気持ちについての質問されてた方の回答だったと思うのですが・・・・いちいち回答者さんの名前をひっくり返したりしないので、あまり記憶にないんです。

それに、私はそういう言葉を書いていらっしゃった方を非難する気持ちを持った事は一度もありません。ただ、「優しさ」から、心が弱くなってる人が信じたくなる言葉を言って勇気づけているのかな?と、ちょっと感じたので、私自身はそこまで脆くはないので、真実があるのなら、はっきりと知りたいと思ったんです。誰かが知ってるかな?と思って(笑)。

もし根拠のない事であれば、自分に起こった悪い出来事は、謙虚にそう受け止める事にして、他人にくだるバツを神頼みにするのはやめるべきかな~?などと思ったんです。

私も子供の頃、誰かに言われて覚えた言葉です。
私も実感として心に残ってる言葉なので、根拠がなくても、神の存在をあまり信じていなくても、100%信じないという気になれないんです。本当に、不思議な言葉ですよね。

お礼日時:2004/06/07 03:57

これは一つの経験則ですね。


若い内は理屈をこねて軽視しますが、年を重ねてるとそういう事実をまのあたりにする機会を経験してその巡り合わせの不思議さに驚きます。

ただ一ついえるのは絶対的に正しいことは役に立たないということです。たとえば、野球でバッターにヒットを打てというのは100%正しいが役にたちません。しかし、次はカーブがくるからそれを狙えというのは間違っている場合があっても役にたちます。
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悪い事をしたら絶対に自分に悪い事として跳ね返ってくる、と


いう、絶対的な根拠はないと思いますが。
絶対にありえない、という根拠もないと思います。
ただ、私は自分への戒め、みたいな感じでそう思っています。
ある意味、悪い事は自分の弱い心、意志の弱さというか、
そういう物で起こす事が多いと思います
それによって確かに優位に立ったり裕福な生活にあったり
する事もあるのでしょうし、幾ら清く正しい意識でいても
貧乏だったり損をするばかりの生活じゃあ、どうなの?と
なるわけですけど。
「死後の世界」まで含めて考えているからではないですかね
或いは、輪廻転生という事も含めて。
死後の世界での事、輪廻転生があるとすれば
自分の力ではどうにも出来ない訳ですから。

そして慰め的な意味合いで使う事もあると思います
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慰めというか願望でしょう。


そう思いたいような人間は世間に一杯いるから、そうでも思わないと生きていくのがつらい。ある意味生きていくための処世術のようなものか。

あと思うのは、人生には突然不幸がやってくることがあるけど、その人が良い人だったら悲劇になって同情されるけど、悪人だったら「やっぱり悪いことはできない。ざまあみろ」と思われて強い印象が残るでしょう。
悪い人でも病気で急死するようなことだけど、そんな風に思えることから、慰めというより明日はわからない程度の意味かもしれません。
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この回答へのお礼

「そう思いたいような人間は世間に一杯いるから、そうでも思わないと生きていくのがつらい。ある意味生きていくための処世術のようなもの」
私もそう思うのです。やっぱりそう思いますよね?
明日はわからない・・・・も同感です。
ご意見ありがとうございました。

お礼日時:2004/06/06 11:32

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