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政治が経済まで面倒を見ないといけなくなって大変だな。いつから政治が経済の面倒を見るようになったんだろう。

A 回答 (13件中1~10件)

政治と経済は密接不可分の関係にあります。



だから、経済の面倒を見るようになったのは
政治が始まった時からです。

ただ、政治が特に経済の面倒を見るように
なったのは、産業革命が成功し、社会が
近代化してからです。

経済の中心が農業から、工業、商業になった
ので、景気が激しく変動するようになりました。

それでケインズが、総需要を政府がコントロール
することを提唱して、一定の効果を収めたわけです。

それに民主制が加わって、国民の面倒を国家が
みるようになり、今日のように、政治=経済
みたいな様相を呈してきたのです。

現代政治は、経済そのものといっても過言では
ありません。

政治がやっているのは、お金の分配です。
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この回答へのお礼

みなさん回答ありがとうございます

お礼日時:2014/12/07 08:32

>いつから政治が経済の面倒を見るようになったんだろう。



皮肉をこめて言えば、ちゃんと面倒をみるようになったのは2013年初頭からです。いわゆる量的緩和。
アメリカは、政治が経済の面倒をよく面倒見てきたので、30年で株価で約10倍もの差を日本につけています。

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E5%B7%9D …

また、藤原正彦は以下のように述べた[71]。「デフレ不況を十数年も放置してきた責任の大半は日銀にあるのだ。リーマン危機以来、アメリカは通貨供給量を三倍に増やすなど米英中韓その他主要国の中央銀行は猛然と紙幣を刷り景気を刺激した。日銀は微増させただけで静観を決めこんでいる。ここ三年間で円がドル、ユーロ、ウォンなどに対し三割から四割も高くなったのは主にこのせいだ。今すべきことは、日銀が数十兆円の札を刷り国債を買い、政府がその金で震災復興など公共投資を大々的に行い名目成長率を上げることだ。札が増えるから円安にもなる。工場の海外移転にも歯止めがかかる。ここ十四年間、経済的困窮による自殺者が毎年一万人も出ている。日銀は動かない。」
白川退任後の日銀体制

2013年3月、安倍首相は白川退任後、量的金融緩和に積極的な黒田東彦や岩田規久男を総裁や副総裁に採用した。黒田は所信表明でデフレ脱却へ日銀の金融政策を刷新する考えを示した。長年、日本銀行を批判してきた黒田は、15年にわたる日本のデフレーションの責任の所在を問われると「責務は日銀にある」と明言している[72]。また、黒田はリーマン・ショック後に日銀の金融緩和が欧米より消極的だったことが円高の一因と指摘し、日銀のマネタリーベース(資金供給量)やバランスシート全体の大きさを注視する姿勢を鮮明にした[73]。
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元々通貨を管理発行する機関だった藩札文化でもそれが解ります。

それが盗賊が出来て変わってしまったのです。強欲なユダヤの商人が罠を仕掛け奪っていたのでしょう。しかし、通貨は変えることが出来るので意味が無いのです。かくして、今も殺し合いが続いているのでしょう。罠の中心が借金でのはめ殺しですね。
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「政府」が経済をってことですか?


分離できたら面白そうですが、あまりに革新過ぎてどうなるのかちょっと想像が出来ません。

「国」を「所有」している人が、国を富まそうと考え、強くしてもっと大きな国にしようと考え、そうして現在の世界、人類社会が出来上がってきたわけで・・・
現在のところ、政府が経済の方針の舵取りをするのは、切り離しようがない事象ですね。えらい人が、「自分の国」を「所有」している現状では。

これは結構スペシャル共産主義的考え方かも知れませんよ。

「投票」とか「政府」とかの概念が出来たのは最近。でも、これも完全なる民主主義というわけではなく、王政、帝政などがスライドして出来た代物です。
名前が変わり、みんなが白い紙に名前を書くことが出来るようにはなりましたが、社会構造的には、王政、帝国政などとそこまで変わってはいません。
えらい人と働く人が居るのはいつの時代も同じです。

そういうわけで、「いつから」というのは、ちょっと質問が変かも。
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仁徳天皇が配下の村を眺めて盛んに煙が上がっているのを眺め


「民のかまどはにぎわいにけり」
と満足したという故事がありますが、大昔からいい政治はその国の経済を安定化させたということでしょう。

人間が集まれば社会ができ、社会ができればその中での秩序を安定させるための政治が必須になります。
社会では皆が生活して生きねばなりませんが、それが経済活動なのでしょう。面倒を見ねばならないのは当然です。
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政治が非正規労働者を作ったのだから、政治が円安をつくり、景気の悪化を招いたのだから経済の面倒を見るのは当然だと思います。



円安で物価は上がりっぱなして、国民は苦ししい生活を余儀なくされています。

日本共産党を今回は支持してみようかと思います。
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 生産システムのなかでの地位や役割の違いによって人々は幾つかの階層に分かれます。

そして、それぞれの階層によって富を受け取る方法や分け前の大きさが違います。この階層(グループ)間の取り分をめぐる対立を調節あるいは支配層の支配の安定を図るのが政治の役割と目的。ですから、人類社会で分業が始まった古代に既に政治が芽生えたと考えて間違いありません。

 まあ、そんな古代にまで遡らなくても、明治政府の殖産興業の実態を考えれば判ると思いますよ。

>1873年には官営事業を統括する内務省(初代内務卿大久保利通)が設立された。
>北海道には開拓使を置き、屯田兵を派遣した。
>1871年に。金融では新貨条例を、1872年に国立銀行条例を布告。
>1880年に、軍関係を除く官営事業は、三井、三菱など民間に払下げられ、
>1885年工部省は廃止。
>1882年には大阪紡績会社が設立されて紡績業が確立し、
>日清戦争、日露戦争を経て日本の産業革命が進んだ。
>民間では岩崎弥太郎の創始した三菱や三井は政府の保護を受けて政商となった。
>こうした過程を通じ、財閥の形成が促されたのだった。

 この政財官一体の関係は、厳然として今日も引き継がれています。現代の金融資本、あるいは巨大商社は、基本的に5大財閥の流れを組む者。また、その代弁者である政治家の多くも、いわゆる5大財閥系100家族の出身者。例外的に田中角栄とか小沢一郎とかが大きな顔をすることもあるが、彼らは所詮は成り上がり者。5大財閥系100家族の出身者が政界の中心にいる限り、政治は経済を支配し続けますよ。自らが属する階層の今と未来とを守るために。
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本来、政治は税金に関して「入るを計って、出(いづる)を制する」ことをしていればよいのです。



しかし、その政治の本分が全うできていない状況で、選挙をするから、ある種のポピュリズムで「政治の力で経済を再生できる」などと甘い夢を語るわけでしょう。

政治はプライマリーバランスを回復し、国有資産との比較において債務超過となってる部分の借入を返済することを最優先にするべきです。

経済に政治的な要素を持ち込んでも駄目だと思います。
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原内閣で、伊藤博文が西太后にアドバイザーで指導した辺りから。



ま~日本がG5入りして国連の常任理事国になって、先進国にんなったからですね。
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人間が、狩猟や採取で生活したころからです。


そういった素朴な一次産業しかなくても、物が動けば経済ですから。

よい獲物や果実などを採れる場所を巡っての縄張り争い。
また食料が不足した際に、余剰産物で物々交換するのか、また他部族を襲って略奪するのか。
そういった経済問題を解決するのは、すべて政治の役割でした。
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