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「お前の教え方が悪い。もっと分かりやすく教えろ。でなければキチンと理解できない。分かりやすくできないなら指導者を変えろ。」


このような発言をしたら、すぐに「教わる側の努力不足」を主張してきて、発言者をクレーマー扱いする人多いですが

現に教え方がヘタクソな人はいますよね?

教師や予備校講師だけでなく企業の社員研修担当でも教えるのがヘタな人間はいます。

「こいつは教え方がヘタクソだな。」と思ったら、それを主張して担当者を変えてもらうのは当たり前のことですよね?

なぜ自助努力の強制とかいうズレたことを主張する人が多いのでしょうか。

教え方がヘタクソな人から学んでも時間の無駄なのですから、早く代わりを要求するべきです。

車屋で故障車を売りつけられたら交換しますよね?直して使わないでしょ。それと同じだと思いますが

A 回答 (14件中1~10件)

教え方がさほど上手くなくても、教わる側の意気込みが有れば、成果は上がります。



誰でもが理解できるのが、学校教育、自動車教習所なんでしょうが、少数は取りこぼします。
取りこぼした方に合わせても、違う方に取りこぼしが出ます。

受ける側のベクトルが違うと仕方がないからね。
だから、受ける側がいくらかは、方向を合わせる努力はしないとね。

自分が動かず、他人だけを動かそうとしても効率が悪いですね。
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まず、教えるのが下手な人は居ます。


その人の教えで誰も成長してなければ、教えるのが下手なのでしょう。
そでないのなら、本人の努力不足もあるはずです。
相性の問題もありますが・・・

それ以前に、あなたは大きな間違いをしています。
教師・予備校講師・車屋って、教えてもらう(商品を受け取る)側がお金を払うんですよ。
会社はそうではない。
教えてもらう側がお金をもらってるんです。

その対価に見合うよう、教え方でなく教わり方を工夫して自分のものにする。
そういうものだと思いますよ?
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会社がそれ用の人間を用意したかどうかにもよりますよね。


単に○年の社員の中から抜粋ならば、上手い下手はその時々で変わりますし、この場合においてはたとえ担当者を変更したとしても「準備不足」でまた理解出来ないなんてことにもなりかねないです。

また、車屋のたとえを出されていますが、仮に購入した側に理解力がなかった場合。
故障でもないのに「故障だ」と怒鳴り込む方もいます。
この場合は、本人がいくら故障だと声高に叫んでも交換は叶いませんし、第三者的立場のものがジャッジする必要もあるでしょう。
ですから、本人の言葉だけで「相手に能力がない」と簡単に結論付けることは難しいだろうと思います。
※複数の声が上がって、ようやく「その通り」となることも多いでしょう。

仕事の場は、少なくとも自分が「興味がある」「能力を発揮出来そうだ」と感じた分野のはずなので、この点で自分が「理解しようとする」姿勢も求められていると思います。
教えを請う側にも、ある程度の理解しようとする姿勢や努力を求められることに特に問題はないように思います。
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知識に金を払って学んでいる立場なら教え方がヘタクソは通じますが、知識に金を払って学んでいる立場なら教え方がヘタクソは通じません。

また、どんな教え方が上手でも相手が一定の教育水準にいないと、相手を教えれる人がいなくなります。

例えば、幼稚園児に高等数学の定理を説明しようとしても、数の概念すら無い子供に数学の話はできません。英語が読めないのに洋書を買っても、翻訳された本と交換はできません。ましてや、日本では誰も翻訳した人がいない洋書になれば、自分が翻訳するしかありません。
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そりゃ~いるけど・・


お前の教え方が悪いなんて言い方すればクレーマー扱いもされるってもんで・・
やっぱりお金を貰ってる立場からすると、その教え方に問題のある人だとかクセのある人だとかと上手くやっていく事も仕事のうちにされてしまうのが現状だと思いますけどね。
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>現に教え方がヘタクソな人はいますよね?



いるいる。

数学の教師に
「ここ分からないんですけど」と言ったら
「え?(笑ってる) ごめん。暗記して!暗記すればOK!とにかく暗記しろ!」
と言われました。自分だけではなく。

下手糞にもほどがある。

ただ我々お子ちゃまの立場では指導者変更なんぞ出来ませんでしたあ。
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先生方に責任がまったくなかったか、といえばうそになるでしょう。


でもね、教師と生徒の関係は人間の歴史でもあるのです。昔はそれでうまくいっていたのですよ、このシステムは。孔子とその弟子たちのじだいから、ですね。何千年も…。
戦後日本の義務教育制度がこのように崩壊したのは、そういったシステムを継承できなかったからです。

教師と生徒の関係は、単なるノウハウと対価の交換などという商行為ではありません。

もっと別の、なにかです。”仰げば尊し…”、「二十四の瞳」の世界を思い出してください。

教師と生徒の関係は人間が発明した宗教的なヴァーチャルな世界のひとつだと私は思っています。なぜか?生徒は教わらねば人間として生きていけないから教わるのです。教師は伝統を背負ったいはば巫女のようなものなのです。生徒たちの自発的な希求心があってその世界は成立するのです。教師の生の肉体はこれとは無関係なのですね。こうしたことを自明のものとしなければならないと思いますよ。

「おい、もっとうまく教えろよォ、でないと授業料はハラエネエゾー」

こういうモンスターが現れたことが日本の学校文化崩壊につながったのですね。

貴方は間違っていると思います。
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あなたご自身の体験なのかどうかで、答えが変わる。

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この回答へのお礼

なぜ答えが変わるのですか?

お礼日時:2014/12/18 08:55

うーん・・・



会社としては 研修中の人よりも 会社の事を教えられる人材を優先に考えます

そちらの方が利益になるから・・

だって あなたの言ってるのを 繰り返すと 担当者を変えても 研修中の人の中で 又 この人も変えてくれ・・が 続いた場合 必要無いのは研修中の人になるのです
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教える技術にいくらの費用を支払うかによります。



費用が安ければ高過ぎる指導技術の要求をするのはクレーマーです。100均製品に職人技のような品質を期待するのは間違い。

それなりの高額の講師料を支払うなら、指導技術を要求するのは至極当然の権利です。

上手な人がいてもいずれ引退していきますから、シフトが固定されていなければ不慣れな初級者に出くわすことは避けられません。その初級者は経験を積んで上達するからです。しかし、お金を払えば上手な人を優先して割り当ててもらうことは可能でしょう。
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