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人の種類を表す名詞、たとえば「人間」「先生」「医者」「運転手」などに「達」を付けると複数を表します。日本語には単複の区別がほとんどないので「付けないと単数」ということはないのですが、「達」を付けると必ず複数になります。ところが「友」だけは「達」を付けて「友達」としても、それで複数が確定するわけではありません。「友達」だと単数とも複数とも解釈できます。これだけが例外なのは、何か理由、語源にもとづくような理由があるのでしょうか?

A 回答 (2件)

「達」をつけると複数を表わす場合と尊敬を表す


ときがあります。
友達は後者だと思います。
先達、達人、上達などと同じです

https://kotobank.jp/word/%E9%81%94-560856
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。「達」が尊敬に使われることがあるのは、ご指摘を受けて初めて気が付きました。

お礼日時:2015/03/12 07:25

古い時代には複数を表す接尾語に「たち」と「ども」がありました。

「たち」の方は敬意を表すべき人に付けました。君たち→「公達(きんだち)」その反対が「ども」でした。子ども→「子供(こども)」
 現代では、「ども」は使われるのが少なくなり(「私ども」くらいしか言わない)、「たち」と「ら」が使用されます。そして、「ら」を付けるのは少し失礼で、「たち」なら大丈夫です。
 「友達」が単数でも使われるのは、むかしもあったことで、一人でも「こども」でした。おっしゃるように、日本語では単複の概念が希薄ですから。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございました。「たち」と「ども」のお話はたいへん勉強になりました。確かに「こどもー子供」も複数とは限りませんね。

お礼日時:2015/03/12 07:28

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