ショボ短歌会

自分の譲れない自意識、、、

自分を支えているプライド?

十年に渡り心血を注いできた事に対し、

日常的に否定し、

其れを無価値で、

しかも、心血を注いできた、事すら否定し、

更に、其の、最後の獲得物をゾンザイに扱うような事をされたら?

どう思いますか?



※文面を変えて、の、2度目の質問になります。
自分の、繰り返されるフラッシュバックに対し、どう対応して良いのか?の、為の質問になります。

質問者からの補足コメント

  • もちろん、それ を、辞めるように何度も忠告しましたし、話し合いを、キチンとしようと言いましたが、最後の最後まで、向き合うことを拒否した姿勢と、自分は、否が一切無いと言った姿勢でした。(事実、それに対着ての謝罪は、今まで一切無い。)



    と、うーん。
    質問、うまく行かないな。

    少し、特殊すぎる事情も含むので?うまくない。

    すみません。


       つづく

      補足日時:2015/05/23 17:34
  • ≪すみません。順番間違え。続くの前の文面がこちら↓≫

    説明が曖昧に成らざるをえませんが、、、

    なので、本文が曖昧に成りすぎた。

    すみません。

    同調圧力に、あらがう?ルシファー効果的な洗脳に、常に同化しない、で、居る事が出来る 自分が有り、それ が、原因で、社会的に様々な問題が、自分には在りました。(と、配偶者が感じた。)

    其れを、支えている?自己肯定感?の、様なもの?として、配偶者(実は元なのですが)と、出会う前の、交際を始める前の、自分が在りました。

     ≪続く≫

      補足日時:2015/05/23 17:37
  • 補足の2と、1の、間の文面が、、、↓に、成ります。


    それに対しての、攻撃を、意図的に繰り返し出す、と、行った手法に、出ます。

    その 配偶者 側の、理由は、配偶者の望む形の、生活のビジョンにあった、形へと、自分を 改造、洗脳する為でした。


    それは、状態的で執拗カツ、手の込んだモノも含まれていたわけですが、それに対する、説得(辞めるように言う事)と、ゼロベースで、自分たちの形 を、造っていこう と、言った話し合いは、全て、僕からしましたが、ソレラを、 全 て 意図的に、拒否した上で、、、洗脳 改造?的な、手段を繰り返されました。

      補足日時:2015/05/23 17:39
  • 先ほどの補足の読み方は、2、3、1、と、読むのですが、、、

    どうも?補足と、質問、共に上手くない。

    近日中に閉め、文面改めようと思います。

      補足日時:2015/05/23 17:43
  • どう?この問題を質問してよいか?の、難しさ こそが、この問題の本質?的な難しさかもしれません。

    極めて、特殊と言ってもよい?前例のない、セオーリーの無い道を歩んだが故とも、言えます。

    其処での日々が、様々な出来事とも重なり、簡単には譲れない?揺らがない?揺るぐことを許さない?自意識?を、作り上げてきました。

    勿論、其れは、自己肯定感と、言えるほどのモノでもない。
    生まれ持ったモノでも、潜在的に備わったものでも、やはり無い。
    そう、思います。

      補足日時:2015/05/23 21:45
  • しかし、平坦な道と、言うのは言い過ぎですが、セオリーの在る道を歩んできた人たちに簡単に論じられる事も、、、適当に扱われる事も、好まないたぐいの事です。

    しかし、それを、振りかざす様な事も、高慢に振る舞う事も、自分はケしてない。

    だ、が、同時に、如何なる?状況下でも?同調圧力からくるような、おかしな事、に、は、おかしい。と、kyに、言える自分が居て、其れが、新たに入った?配偶者の住む世界?に、同化せず、、、(勿論、すすみは遅いですが、一つ一つ理解し消化した上で、受け入れることは受け入れて行ってました。)、、其処への焦り、から、自分と、自分たちのビジョン?良識?当たり前、に、基づいて、改造と、洗脳を、向き合うこと、話し合うこと、無しで、始めます。

      補足日時:2015/05/23 21:46
  • それに、再三、気が付き、何度も指摘し、たが、その姿勢は、変わることなく、むしろ、より多くの人たちを巻き込んだ、改造と、洗脳へと、梶を切ります。

    結局は、自分が激しく病み、離婚しましたが、それに対しての謝罪は、未だに一切無い。
    その姿勢を改めるよう求めてから、五年ほどになりますが、ひたすらの、無理解と同化への強要のみです。

    現在は、離婚し、て、別々の人生を歩んでいますが、未だ繰り返されるフラッシュバックを、思うとき、如何に、思い知らせるか?と、言ったことのみに意識が集中します。

    と、解り辛く、申し訳ない。

    もう一度、質問文を、わかりやすくする事を試み、同時に自分を整理します。

      補足日時:2015/05/23 21:47

A 回答 (3件)

> 譲る気のないモノでは、在りました。



それでも、結果的には「貧弱」であり、その原因は、恐らく「自己愛」だからでしょう。

たとえば「されど母は強し」が典型ですが、「子供のためなら、自分などどうなってもいい!」みたいなのが最強の一つです。
すなわち、母にとっての子供とは、「自分より大事な存在」であって、自己愛やら自己肯定を超越しているワケですね。
尚、本来は配偶者なども、自分より大事な存在になり得るものですが。

あるいは、宗教に救いを求めろなどと言う気は毛頭ありませんが、ある種の宗教観においては、自爆テロなどを含め、殉教を容認,肯定します。
これは個人にとっては究極の自我崩壊で、自我そのものを超越しちゃっている行為ですけど、その宗教観を完全に受け入れれば、「譲れない自意識」は、自分を超越します。

自己愛や自己保存などが、「目的」であっても良いのですが、いわゆるメンタルが強い人にとってのそれらは「手段」であり、「自分を大事に思う」のは、更にその先の目的を達成するための通過点なのです。

「自分を守る」と言う目的では、決して「その自分」は超えられないと言いますか、「自分が一番」の間は、「自分にとって一番大事なモノ」は、手に入れられません。
それが無い質問者さんのメンタルは、貧弱,脆弱と言わざるを得ず。
また「一番大事な自分」を守る為の、防御機構の一つである「フラッシュバック」と言う症状も、なかなか緩和しないのでは?と思います。

自分を大事にすることも重要なのですが・・。
症状を緩和するためには、たとえば一時的に、「ちっぽけな自分」を自覚してみたり、「自分は社会にとって、果たしてそこまで重要な人物か?」みたいな考え方もしてみればどうでしょう?

更に言えば、「そんなちっぽけな自分が、フラッシュバックに苦しんでいるからと言って、何が問題なのか?」くらい。
自分のメンタルは、自分でいくらでも作って行けるものですから、フラッシュバックが収まった先、再構築すりゃ良いですから、一度、徹底的に卑下してみたりしても良いかも知れません。

また、もしそれが難しければ、そこに質問者さんの根本的な問題があって、強大な超自我が存在しているかと思います。
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この回答へのお礼

其処まで、誇大妄想?自己愛?或いはプライドが高い人間では無いです。


ただ、余りに、様々な代償と?這いつくばった日々?満ちな気道を行った日々、を、簡単には、無価値とは談じることは出来なかったし、

また、それが、配偶者が用意したビジョンに合わせるために、洗脳的に卑下させられなければならない、と、も、やはり思えず、反抗し続けた、と、言うのが、在ります。

お礼日時:2015/05/23 19:05

こだわることをやめることです。


あなたが心血を注いできたものは何かはわかりませんが、
それは多数の人が共感し、感動するようなものなのでしょうか?

おそらく、他者にとって、質問者さんの心血内容は
どうでもいい内容なのではないでしょうか?
心血を注いだあなただけが、譲れない、棄てられない、諦められないと
強くこだわり、一番そばにいる配偶者に否定され、ムキになる。
ムキになるのは悪いことではないが、度を越えているぐらいに
こだわりが強く、自制がきかないのでは?

10年という時間、長いですか?短いですか?
時間の概念は皆同じのはずですが、
心血をそそいだ10年は、あなたにとっては長いでしょう。
ですが、他人にとっては、
「まだ10年?50年も心血注いで真っ向否定されたのなら
理解できるが・・」でしょう。

また配偶者の肩を持つわけではありませんが、
配偶者にとって無価値でしかないあなた獲得物を
10年もつきあってくれたことに、感謝を示すべきでは?
とっくに離婚されているところを、体裁を壊さずにいてくれたのでは?
10年間我慢に耐えてきたのは、それも心血と同意語だと思います。
獲得物をぞんざいに扱ったのは、配偶者の心が爆発しただけのことです。

譲れない自意識、プライド、あるのは当然です。
しかし配偶者も人間です。
配偶者の存在があなたの自意識より勝るのなら、こだわるのをやめましょう。
自意識のほうが配偶者より勝るのなら、離婚すればいいのです。
離婚しないからフラッシュバックするのです。

何も状況を変えないでフラッシュバックをなくすのは無理です。
取捨選択してください。
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この回答へのお礼

離婚を選択しました。

半年たってなお、フラッシュバックに悩まされています。

お礼日時:2015/05/23 16:59

> どう思いますか?



どうも思いません。(笑)
「譲れない自意識」とは、他人の如何なる干渉に対しても、絶対に譲れないし動じないものなので。

逆に言えば、他人の否定によって動じる様なら、それは最初から「譲れない自意識」などではなかったと言うことですよ。

実際には「譲った自意識」「譲れた程度の自意識」を、「譲れない自意識」と思い込んでるからしんどいのであって。
「譲れない自意識などではなかった」と考えれば、少なくとも自己矛盾から解放されますよ。
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この回答へのお礼

なるほど、確かに確固としたモノでもなかったのかもしれません。

が、譲ることはなかったし、その手法は、余りに手の込んだ執拗に繰り返されたモノでした。

確かに、揺るぎない 自己肯定感 と、まで、至っては居なかったとも言えますが、、、

譲る気のないモノでは、在りました。

お礼日時:2015/05/23 16:55

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