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国連総会第1委員会(軍縮)で11月2日、(原爆)被爆地への訪問を世界の指導者や若者らに促す内容を盛り込んだ核兵器廃絶決議案を賛成多数で採択しました。決議案は日本主導で提出されたものです。賛成156票、反対3票(中国、ロシア、北朝鮮)、棄権17票の圧倒的多数による採択でした。ちなみに賛否投票の前、中国だけが激烈な反対論を展開しました。

  さて質問です。昭和20年(1945年)8月6日、広島市が原子爆弾で爆撃されました。この爆撃による死亡者の数を調べています。同年12月までに死亡した人の数を教えて下さい(概数でかまいません)。

  広島市のウェブサイトには、「……昭和20年(1945年)12月末までに、約14万人が死亡したと推計されています」とありますが、この数字は信用できません。なぜなら、

1.広島市は過去、しばしば左翼の市長が選ばれて就任しており、死亡者数が不当に膨らまされたという噂を聞いている。
2.広島の原爆が長い間、反米左翼、反核左翼に悪用されてきた経緯がある

からです。

A 回答 (1件)

日米共同研究機関公益財団法人放射線影響研究所のホームページには、被爆から2-4カ月以内の死亡者数として、9万-16万6千人という数字が出ています。



当時の広島市の滞在者(居住者+軍関係者+動員等)が約35万人であったようです。
広島市は三角州に発達した狭い平野に密集した土地で、人口の最も密集したところが爆心地でした。
爆心地から2km以内は死亡率がほぼ100%であったことを考えると、上の推計は大きくはずれたものでは無い様に思います。

私は、広島に暮らしていたことがありますが、原爆の日に広島市市内にいて、助かっている人は、爆心地から皆さん5km以上離れていたようです。
ただ、5km程度離れていた方は、皆さんお友達を亡くしており、熱戦・爆風など含め、本当に安全だったのは10km程以上はなれた地点からのようです。
ただ、それでも黒い雨にやられると、けっこう離れた場所でも放射線障害が出ていたとの話です。
昭和20年当時の広島で、中心部から5kmというと、もう郊外ですから、5km以内に20万人以上はいたような気がします。

下の画像の左の絵は、米軍が作った広島原爆被害マップです。
反米左翼作成では無いので、信用していいように思います。
赤いところが全焼地区です。
広島に土地勘のある方なら、広島駅・横川駅・紙屋町・八丁堀を含む、人口密集地はほぼ全滅していることがわかると思います。

全焼地区を同じ縮尺の東京の地図に貼ってみたのが、右の画像です。
山手腺内がほぼ全焼しています。

これらの話をまとめて考えれば広島原爆による死者数は、少なく見積もって約10万人、広島市の推計値約14万人もあまりかけ離れた数字では無い様に思います。
「広島原爆の死亡者数(昭和20年(1945」の回答画像1
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この回答へのお礼

ご回答、ありがとうございます。

>………広島原爆による死者数は、少なく見積もって約10万人、広島市の推計値約14万人もあまりかけ離れた数字では無い………

しかし、昭和50年(1975年)ころの新聞、雑誌などによる報道では、8万人から9万人くらいだったはずです。

お礼日時:2015/11/08 08:33

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