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死ぬ前にこれだけは覚えとけ、というものがありましたら、教えてください。

念のために記載しますが、私が死にたいという訳ではありません。この先の人生を生きる時に、これは大事だぞという事があれば教えて欲しいのです。どうぞよろしくお願いしますを

A 回答 (27件中11~20件)

いままでの 全部「夢・幻」だから ごめん

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この回答へのお礼

いいよ、ゆるす♡

お礼日時:2015/11/10 23:14

ん、じゃひとつだけ



どのような方法で死んでも死後の世界はない。天国や地獄などない。転生などない。前にも同じようなことをしたようなと感じていたことがある人は前世を失敗しているから。本人にとって後悔の念が強い場面で直前に回避する行動を危険予知と言う。
稀に未来が見える・前世がみえるなどと言っている方がいるが、見えるわけがない。

前世と言ったが、正確には別の時空間という言葉が適切。

死んでも同じ人生だよ。同じ環境で育つよ。それを修正していくのが人生。肉体が消えても別の時空間で永遠に続くから死ぬとまた痛い思いするよ。ほんと残酷世界だね。
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この回答へのお礼

修正ということは、正しい形があるのでしょうか。
SFチック?なご回答ありがとうございます。興味あります。

お礼日時:2015/11/10 23:17

「Nothing without love.」です。

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この回答へのお礼

あいをくださーいー♪
と言う歌を思い出しました。^^

お礼日時:2015/11/10 23:15

「感謝」ですね。



あなたは死ぬまでに誰かに支えられ、励まされ、助けられて生きるはず。

自分が生きる為に助けてくれた方々に・・・・・「感謝します。」

これを忘れないで欲しいですね。
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この回答へのお礼

本当に申し訳ありません。決してご回答をスルーしたのではないのですが、お礼をし忘れていました。もう、ご回答者様には届かないかもしれませんが、お礼をさせてください。

死ぬまで誰かに支えられ、励まされ、助けられて生きる、この言葉はとても現実的で、包容力があると感じました。そのような人間関係、人の世で生きると言う事は、そう言う事なのかなと思えました。
ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/22 00:08

死ぬまでには、一度は悟れ。

と仏典にあるようですが。この場合の悟りは、死ぬまでには、すべてを捨てよ。すべて忘れよ。という意味にもなるでしょう。死ねばすべてを忘れるわけですから。覚えとけ。とは、言われるまでもなく、死はづっと先、現実ではない、との前提。人や先、我や先、今日とも知れず明日とも知れず、の現実感はなさそうです。
答え、終点、を先に決め、そこに向かって、最善、最短日程、を考える。迷路パズルは、終点から逆にたどれば簡単に解ける。アメリカ唯一の知恵、と考えた事もある、アポロ計画、を成功させた、PERTH思考が、若い頃の私の考え方の基本、とも言えそうな亊でした。子共の頃の私に、知恵=胆力 の形態では、比類のない男であつたと振り返る親父が。男が亊に当たる時、死ぬ気、ではなく、先に死んでから、亊に挑め。死ぬのを怖れていてしかは、力を発揮する亊は出来ない。と言っていましたが。
人生は死ぬ亊を終点として、考えるなら。釈迦の修行の邪魔をした、との伝説になっている。
快楽、愛、虚栄、と言う名の3匹の魔女、には執着すべきではないでしょうが、性欲に支配され、
惚れる=惚ける、の若いうちは無理な亊でしょうし。性欲が消滅する頃には認知症?になっている。90歳を過ぎた。
明治元の元老、西園寺公望、が政治家の70歳や80歳はまだ小僧っ子だと。言ったとか。
私は、親父や祖父と同様、65歳で癌になって死ぬ=それまでは死なない。と決めていましたが。
65歳を過ぎた頃、脳溢血で倒れ、大動脈瘤の人工血管入れ替え施術などで、1年半入院し、退院してから1年半ぐらいになります。闘病生活の中で、つくづく思い知った亊は、脳や身体が病み、死と直面すると、夢と現実の区別がつかなくなる。ましたや、今、が過ぎ、すべてが過去の記憶、となると、夢の記憶も、現実体験の記憶も同じものになる。という実感でした。
フロイトが精神病者とは、起きてなお、夢から覚めない者である。みたいな亊をいっていましたが。
目覚める、には目覚めた人(ブッダ)と呼ばれた人が言ったように、心=執着 を捨てよ。
しかないかも? です。 
これは私のブログ「般若理論」との兼用予定の文書です。
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この回答へのお礼

興味深いお話をありがとうございます。
先に死んでから事に当たれですか。。極端な考え方だなぁと思いますが、貫徹するということでは気力が充実するのかもしれません。
脳や身体が病み、健康が失われると、現実問題として理想を追うのは難しくなりますが、回答者さんはお強いのだろうと思います。
病める菩薩の在り方というのが維摩経に書いてありますが、病める菩薩というのは、自らが病みながらも更に病んでいる人々のことを思う、というようなことが書いてあります。
普通は病めば自分のことで手一杯のはずですが、そうではないのが菩薩たる故なのかなと。
心=執着ではないと私は思いますが、執着を起こさない心というものがあるのかなと思いました。

お礼日時:2015/11/10 23:11

色々な人の話を聞きまた色々な本を読むこと


これは必ずしも有名人やベストセラーとは限らない
寧ろ無名の人(私も)の言葉や本を読むと良い
少数派の意見の方が正しい場合が多いし
有益な事が書かれているから。
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この回答へのお礼

なるほど。
シンプルですがあたっていると思います。
特に、大きな声ではなく小さな声を聞こうと言うところに納得しました。

お礼日時:2015/11/10 23:12

死ぬなんてことはない。

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この回答へのお礼

私が死にたいというわけではないので^^

お礼日時:2015/11/10 23:03

お前たちほどに馬鹿はいない(21世紀の住人であってかつ高等教育を受けたる)。


どうして馬鹿といわれるのかがわからないから憤怒する。
いつの世の馬鹿はことごとく同じである。
仏陀は馬鹿には馬鹿と言っている。
私はクリスチャンでもないし、仏教徒でもない。
自身が賢いと思っているお前たちには反吐が出る。

死ぬ前に出来なくても知っておくべき言葉は、
困っている人を見たら出来る範囲で助けよう、そうしよう。
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この回答へのお礼

すいません、バカ田大学出身なもんで。。。大工はやっておりませんので、只馬鹿なだけです。
>ブッダは馬鹿には馬鹿と言っている!<

(そうだったかなぁ・・・記憶が。。)

反吐が出るとのことですが、おじさんの汁には興味が無いです。札束ぐらいでないですかね?回答者がどんな世を生きてきたのか知らないが、タダで馬鹿呼ばわりされたら誰でも怒るでしょうよ、そこで札束の出番です。皆さんよろこんで馬鹿呼ばわりされるでしょう^^
でも、カントアイさんは多分、札束で叩かれたら怒るので注意してくださいね。

>困っている人を見たら出来る範囲で助けよう、そうしよう。<

そしてここに着地するというところが、回答者様のぶっ飛んでいるところですね^^
最近の話ですが、駅前を歩いていた時のこと。
ヘッドギアをした男性と、年老いた女性が歩いていました。その女性を追うように男性が付いて行っていたのですが、突如その男性が痙攣して後ろに倒れたのです。そのさらに後ろを歩いていた私は倒れた男性をとっさに抱きとめることが出来ず、男性は道路に仰向けになってしまいました。ヘッドギアがなければ危ないところだったでしょう。
とっさの時に人を助けることが出来なければ、本当にやさしいとはいえないなと思いました。私は余計なことを考えて歩いていたので、助けることが出来なかったのです。

お礼日時:2015/11/10 23:02

№8に同感!



いつも比較的good数の少ないkanto-iさんで、私もあまりポチした事はないですが、この回答はgood!
「背景」の確かさと、誠実な人柄が伝わってきます。

翻って私自身を見つめると、生き方が表面的だなぁと反省、です。

実体験が信念を確固たるものにするのだと思えば、逃げてばかりだった私の「背景」は未だにボンヤリとしています。

一期一会。これを云う資格が私にはまだありません。
だからこそのgood!です。
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この回答へのお礼

私はカントアイさんの回答を以前から注目していました。
今回も良い回答をいただけたと思っています。
YY8さんも勇気づけられましたか?
私はなにやらその「背景」が形をなしてきたようです。
生きる指針のようなものが形成されつつ有ります。

お礼日時:2015/11/10 22:49

私は、「一期一会」ですね。



震災がありましたね。
事故や災害、人は日常の一瞬で何が起きるかは分かりません。

最後に会ったあの時に、「あんな事を言わなければ・・・」
「あんな態度で無視したのが最後になるなんて・・・」と後悔したくない。

身近な人にほど、やりがちな態度・対応は後悔の念を生みます。
生きて後悔し続けるのは、私にとって痛切な思いになります。

後悔しない生き方を選ぶため、常に
たとえばこうやって書くものであれ
相手とはこれが最後かもしれないと思い、一瞬一瞬を
一期一会と大切に思い対応しています。

相手に伝わるか伝わらないかは、大きな問題では無いです。
自身が心底後悔しない対応こそが、善く生きると言う
自身の納得できる生き方に繋がるので「一期一会」です。

常に「できてるか」より、常に「今自分ができること」で
掛け値なしに前に進むことをやり続ける。
そうやって磨かれて行けば、より充実した人生を送れると言う
意味での日常としての「一期一会」です。


書いてて思ったのは、言葉の表面より
言葉の奥の自身の背景ですよね。

どの思いで生きて行きたいとのか?
それに叶うものが、自身で練り上げられたら
座右の銘も今を生きる宝となり、私には金銀よりも大切に思えます。
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この回答へのお礼

>身近な人にほど、やりがちな態度・対応は後悔の念を生みます。
生きて後悔し続けるのは、私にとって痛切な思いになります。
・・・・
相手に伝わるか伝わらないかは、大きな問題では無いです。
自身が心底後悔しない対応こそが、善く生きると言う・・・<

これはいいお話を有難うございます。

>言葉の奥の自身の背景ですよね。
どの思いで生きて行きたいとのか?

勇気づけられます。何回も読みたいご回答でした。

お礼日時:2015/11/10 22:46

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