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カトリックの洗礼前で、勉強中の者です。
個人的には輪廻転生(生まれ変わり)を、
信じているのですが、カトリックの教えでは、
どうなっているのでしょうか?
授洗前に知りたいので、ご存知の信徒さんが、
居られましたら、ご教授お願い致します。

A 回答 (8件)

すぐ前の回答が気になったので追加です。

これは質問者様にとっても良い回答です。どうか読んでください。そしてこの回答も多くの人に伝えてください。メールやネットで。と、いうのは嘘です。ただ、いい文章なので広める価値はある気もします。

善とは何でしょうか。この世はユートピアになりうるのでしょうか。私達は繁栄すればするほど地球はどんどんと疲弊していきます。私たちが使う道具は全て地球を犠牲にしているからです。本は木を犠牲にします。鉛筆は鉄鉱石を犠牲にします。机も木を犠牲にします。機械は金を必ず使うそうです。電気は石油などを犠牲にします。プラスチックは石油を犠牲にします。樹脂も石油を犠牲にします。道路を作るためには山を切り開かなければなりません。家を作るためには地面を掘らないといけません。鉛筆のためだけにいくつもの鉱山が犠牲になっています。机のためだけにいくつもの森が犠牲になっています。私たちが原始時代に戻って道具を全く使わない生活になればユートピアになるでしょう。逆に言えば原始時代よりも優れた生活をすれば地球はどんどん消耗していっていつかは破綻します。モアイ像のあるイースター島では木を切り過ぎて滅亡しました。中世ヨーロッパでも森林が極端に減ったり、大気が汚れて大問題になりました。少なくとも現代文明と同等の生活を送ったとき、地球は数世紀以内に崩壊します。それは仕方の無いことです。

この世では幸せはありえません。それは全ての人が幸せにはなれないからです。毎日、私達は食べ物を食べます。それは他の生物の命です。他の生物を殺して生きています。毎日。殺さないと生きられません。そして今、69億人いる地球では、全ての人が食べていくだけでも地球はもう持たないでしょう。8秒に1人が飢えて死んでいます。この世に愛と優しさに満ちたユートピアの建築は不可能です。それはどうしようもないことです。仏陀は言いました。『この世は苦である。』残念ながら、それは真実です。そもそも動物や植物をムシャムシゃ殺して食べておいて幸せと言うならば、その人は真実を見ていません。私達は生きているだけでホロコーストも真っ青の大量虐殺者なのです。生物を殺して生きているのですから。私の為に犠牲になった植物や動物のことを考えるだけでも私は幸せになれません。そして向上した人なら尚更そうでしょう。他の生物を殺して幸せではいけません。人間だけが幸せではいけません。全ての生物が幸せであること。これが本当の幸せの条件です。弱肉強食では幸せは成り立ちません

あなたはまだ気付かないかもしれませんが、必要悪はあります。つまり必要な悪です。人と人がいじめ合うのも必要です。もし現代社会からいじめが完全になくなったとしたら、ストレスから病気になって死ぬ人が大勢出てしまいます。現代の文明は高度です。そのために現代の文明の維持は大変です。それで現代の文明はストレスが多いのです。ストレスの多い社会ならいじめも多いのは仕方の無いことです。昔は高校でもDNAすら習いませんでした。勉強が簡単で楽でした。ストレスの少ない平和な時代でした。それが昔です。

私は善を勧める宗教は大好きです。しかしそれなら何故、近所にゴミが落ちているのでしょうか。ゴミ拾いに出掛けると2,3時間で大体100個は空き缶・空きペットボトルを拾います。なぜ、それほどにゴミが落ちているのでしょうか。善を勧めるのならばなぜゴミが落ちているのでしょうか。このあたりを善を勧める宗教には聞いてみたいです。なぜゴミ拾いをしないか。なぜホームレスを救わないのかも気になるところです。ホームレスを尻目に教会では賛美をしていたりします。どうなのでしょうね。中世では司祭に初夜権があったという話もあります。その信憑性は怪しいですが、宗教は無知な一般民衆を操るには最良の方法です。

向上とは何でしょうか。みんなに優しかったら向上している存在でしょうか。違います。それほど素晴らしければストレスが溜まって病気になってしまいます。私の知人では優しい人は皆が自殺しています。もし向上して、優しくなったら自殺してしまって他人を不幸にするのかもしれません。愛の器が大きくなった時、生きること自体に耐えられなくなります。なぜでしょうか。こうしている間にも貧困国では子どもがバタバタと死んでいます。誰かがいじめられて泣いています。誰かが病気で苦しんでいます。誰かが絶望に打ちひしがれています。誰かが自殺を試みています。誰かが後悔で苦しんでいます。誰かが寒さで震えています。そして毎日、ホロコーストです。ええ。本当に愛の器が大きくなると、それらが見えてきて人生が非常に辛くなります。ZARDの坂井泉水さんも優しすぎて自殺しました。歴史の西郷隆盛という人も優しすぎて自殺しました。国語で出てくる太宰治も優しすぎて自殺しました。また、良い人は白血病などで死にます。夏目雅子さんは有名ですね。良すぎる人は早死にします。それは知人でもうなずけます。人生は苦しみだらけです。だからこそ悪を犯さないと生きていけません。それが人です。人も他の生物と同じです。ただ子孫を少しでも増やしたいのです。人間の本質はそこです。善にかたむくと体を壊して周りが不幸になります。

そもそも他人を幸福にすることが出来ると思いますか? 良かれと思ったことが他人を不幸にすることはいくらでもあります。人生など不幸だらけです。他人を不幸に出来ると思ったら、それは人生を甘く見ています。他人など救えません。救えると思ったらそれは傲慢(ごうまん)です。私は人助けをしても、相手が不幸に遭って絶望するのをいくらでも見てきました。

あの世で裁判があります。よくある考え方です。人生は不平等です。幼い頃から愛をそそがれた人は他人を愛して生きていけます。そうすればその人は死後は良い世界にいけるのでしょう。幼い頃から人に憎まれて生きていくと他人を愛して生きていけません。その人は死後は悪い世界に行くのでしょう。これはおかしいと思いませんか? 人生は不平等なのに死後に平等に裁かれること自体がそもそも矛盾しているとは思いませんか? 幼い頃に愛をそそがれたか、悪をそそがれたか。それで人生などいくらでも決まってしまいます。それなのに幼い頃に愛をそそがれた人も憎まれた人も死後には同じように裁かれる。これはおかしいです。

悪は悪です。しかし悪を否定するのも悪です。悪は自分の気に入らないものを否定します。暴走族が世の中を否定するのも同じようなものです。極道が犯罪をするのも同じです。しかし悪を否定したら悪です。暴走族が世の中を否定するのは世の中の矛盾が辛いからです。学校の教師が勉強する理由を説明せずに勉強を押し付けるからです。学歴で人間を決めるからです。実際、社会に出たら勉強はほとんど役に立ちません。極道が世の中で悪いことをするのは悲しいからです。日本で最高の学校である東大。しかしそこの卒業生の集まりである官僚が日本を破綻させようとしています。私から見ても財政政策は完全に失敗です。学校の先生が理想としがちな東大卒が日本を破綻に追い込んだといっても過言ではありません。私は東大生の知人も割と多いですが、彼らは大体は金持ちです。挫折していない人達です。そういう人達には不幸な人の本当の悲しみや苦しみは分かりません。そのためか意外とエリートの知人は腹黒い人が多いです。そういう上の地位を見て暴走したくなる気持ちは非常に分かります。私は洋書を沢山読んでいます。洋書とは英語で書かれた海外の本です。実は洋書では過去完了、未来完了などのマニアックな英文法の知識はほとんど使いません。SVOCなどの文型も洋書を読む際には使いません。私は結局、文型は覚えないで英語を覚えました。学校は社会で使わないかもしれないことを教えて順位付けします。そういう矛盾に気が付いたなら、暴走したくなる気持ちが分かります。私は極道の知人もいますが彼らは間違いなく悲しい人生を送っています。彼らは割と貧乏な人が多かったです。そもそも幸せだったらみんなから嫌がられる極道にはなりません。幸せだったら悪にはなりません。あなたも幸せだったら極道にはなりたくないはずです。不幸だから悪になるのです。だからこそ悪を否定してはいけません。悪を許さなければいけません。悪には悪なりの理由があります。学校制度に矛盾があり、大人は嘘をつきたがる。会社でも上司はいばるばかりです。同僚は足の引っ張り合いです。人を教育すべき上の方が醜いことはいくらでもあります。社会に出た時に出世する方法は上に従うことです。それでサラリーマンは酒を飲むのです。この世は矛盾だらけです。苦しみだらけです。悪になってしまうのも当たり前です。

地獄は存在しません。私が神様なら全ての人を天国に送ります。地獄におちるべき人間はいません。この世には。誰もがこの苦しい世界で悲しんでいます。なぜ地獄に落ちる人がいるのでしょうか。どんな犯罪者でも必ず悲しみを抱えています。幸せなら悪になりえません。この世は苦しい所です。そのような場所では醜くなって当たり前です。神様は自分の気に入らない存在を地獄に落としてはいけません。そういう神様はワガママです。自分の気に入らない存在を地獄に落とす。悪を否定する。それこそが悪です。上に書いた暴走族や極道と根本的に同じではないですか。それは神様としてあるまじき態度です。極道の人は非常に不幸です。私は彼らの悲しみや苦しみを知るたびに辛いです。悪人の苦しみや悲しみを全て分かったとき、この世には地獄におちる人がいないとわかります。地獄におちる人などいません。絶対に。

読んで下さり誠に有難うございました。
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カトリックではもともと転生輪廻の教えももともとは含まれていましたが、ローマ国教になる時に他の宗教と区別をつけるために転生輪廻の思想を取り除いていまったために現在のカトリックでは転生輪廻を信じていません。








私が質問者さんにできることは真理を伝える者として人生の真理と使命をお伝えする事位ですが、今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生に大変重要な内容ですので、お心に留めて頂いて今後の充実した人生計画を立てて頂ければ幸いです。


人間の生きる意味を知り、人生に喜びを見出すには、「神が何故宇宙や人間を創ったか?」「人生の目的と使命」を知る必要があります。



何故、神が宇宙や人間を創ったか?

神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。

そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。

何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です

しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。


人生の目的と使命



私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、まずお伝えしたい事は死んで「無」にはならないという事です。




死後の世界は120%存在します。

質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。

そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。

人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。


ちなみに、あの世の世界には街や学校、お店があり、天使の世界はダイヤやサファイヤなどの宝石がちりばめられていて光輝くきらびやかな世界となっています。


ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中でこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。

そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。

なので、ユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。


では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。


なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭で「okwaveでこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。

上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。


ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにokwaveで上記の回答を様々な方々とシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。


一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人の人とシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた
10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。


なので、質問者さんが今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。

質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか?
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「トマスによる福音書」を御読みになったら如何でしょうか?

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キリスト教の死生観として、生まれ変わるという概念はありません。

この世界は循環というより、天地創造から最後の審判へ向かう、直線的なものとして捉えられます。個人の霊も、輪廻的に複数回生きる物ではなく、神に与えられた一回限りの生命を各人が精一杯、長い短いなど色々あっても、生き抜く物と捉えられます。

死者は審判を受け、神の栄光に預かる霊的な存在として作り変えられるとされます。この時の審判の対象は一回だけ生きた人生です。輪廻的に何度も生きた生命の一番良かったもの...ということはありません。
(審判がある以上、○と×とが付けられる筈ですが、神は人類全ての救いを願っているとされており、×つまり地獄は、神を人間側から拒絶した場合における救いからの永遠の離別...といった捉え方がしばしばされます。実際人間の努力だけで清く生きることは困難であり、教会は、神を信頼して生き抜くべきと教えています。)

ーーーーーーーーーーーーー
個人的なイメージですが、輪廻転生を説く概念は、生命も含む万物の創造主という神概念が希薄なところから来ているのだと思います。明示的な創造主がいない価値観の中では、万物は最初から前提条件としてそこにあり、新たに作ってくれる神がいないので、生命もぐるぐる回ると解釈されたと思います。
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輪廻転生の考えはキリスト教ではなく、仏教や一部の精神分析の分野で使われているようです。



「予言者エリアの生まれ変わりか?」という言葉が聖書に書かれていますが、あの地域はいろんな民族が住んでおり、中には仏教の思想を学んだ人もいたでしょう。
そういう人が生まれ変わりではないかと言ったのかもしれない。

知る限りキリストは人間は生まれ変わるとは言っていないようです。
死んだ時に神の国に行く人と、地獄に行く人に分れるとと言っているが生まれ変わるとは一言も言っていない。
生まれ変わるるとなれば、天国の存在意義がなくなります。
しかし死んだ後キリストは復活したではないか。
謎の部分ですが、双子だったという説もあります。
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カトリックではないのですが、以前下記URLのような質問をしてみました。



一部の神秘思想家や前世療法家(アメリカで盛んな催眠で前世のトラウマを解決するというものです。日本では福島大学の飯田史彦さんなど)が、イエスキリストには輪廻思想があったという人があるので、それについて聞いてみたものです。最近は、日本人も言いますが、どうもやっぱりキリストの思想ではないようで、外典に新プラトン主義の影響などを受けた雑多な思想の一つとして、そういうものもある、という程度のものらしいです。

にしても、もしそうならニューエイジや飯田さんも、確かめもしないで、相当無責任な受け売りを、自説に都合良くしているものです。

参考URL:http://okweb.jp/kotaeru.php3?q=1080844
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私は25年ほど前に、カトリックの洗礼を受けました。


今でも教義について勉強を続けております。
o24hiさんがおっしゃる通り、基本的にカトリックに輪廻転生の考えはありません。
人間は世界の終わりにすべて甦って、神の前で裁かれます。
そのために、からだ全体、または体の一部、無ければ写真や人形といった代用品を保存します。

ところで、プロテスタントと異なり、カトリックは良く言えば「柔軟」、悪く言えば「何でもあり」です。
かなり他の宗教の影響を受けています。
復活のための体の保存もキリスト教以前のユダヤ教やゾロアスター教、古代エジプトのコプト教などから影響を受けたと考えられています。
現在でも、科学や哲学から影響を受けて、微妙に修正をしているようです。(クリスチャンがこんな事を言ってはいけないのですが)
輪廻転生は、おもに仏教やバラモン教、ヒンズー教、神道など、東南アジアの宗教に広く見られます。
自然と人間とが分け隔て無い、とてもすばらしい考え方です。(ますます叱られそうです)
実際、クリスチャンの中にも、輪廻転生に近い考えの方も数多くいらっしゃいます。
近代カトリックは、聖書そのものも、人が神と相対する為のテキストとしてとらえており、絶対の物ではありません。自由に考えて良いと思います。

ただし、宗派によっては、かなり厳格なこともあります。
そもそも宗教は、疑いを持たず、絶対的に信じることが要求されます。
その割り切りが上手に出来るかどうかで、宗教人になれるかどうかが決まると思います。
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この回答へのお礼

ご教授、ありがとうございました。
参考にさせていただきますが、

近代カトリックは、聖書そのものも、
人が神と相対する為のテキストとして
とらえており、絶対の物ではありません。
自由に考えて良いと思います。

は、納得できませんでした。
聖書が絶対のものでないとは、信徒さんの言葉とは
思えませんでした。少し残念です。

お礼日時:2005/01/06 13:12

 こんにちは。



 カトリックには、輪廻転生(生まれ変わり)と言う考えはありません、と言うか教義に反します。その証拠に火葬ではなく、土葬で遺体の保存を大切にしますよね。つまり、土に返って生まれ変わるのではなく、永遠の眠りについたと言う考え方です。

http://d.hatena.ne.jp/veda/20040530

参考URL:http://d.hatena.ne.jp/veda/20040530
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この回答へのお礼

ご教授、ありがとうございました。
参考URLの文章、読ませていただきました。
早くして亡くなる方々が、何の意味で生まれてきたのか。。。
その辺をもう一度考えてみたいと思います。
まだ疑問は解けませんが、仕方ないことでしょうか???

お礼日時:2005/01/06 13:15

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