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正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

A 回答 (142件中81~90件)

お礼、ありがとうございます。



学校教育は、今はどうでしょうか?
モンスターペアレンツの件も含め、力量不足で生徒に
指導できない話しは耳にしますね。

根性論は学外や一般社会では、多く残っているとは思われます。
家庭の問題が一番の気もしますけどね。
相手の話しを聴くより力で抑えた方が、その場は楽ですから。


セルフでやれて、それを反映させれば人にもやれます。
受ける側が主役は、いづれも同じだと思います。
まずは、自分を育める大人になるのを目指してますので。


お金の使い道ですが、次は見た目にかけてみるのをやろうかなと。
初めてですけどね。

鍛錬→引き締め→スポーツ→活動的→服の買い替え→環境の見直し

これだと、モチベが保てそうです。
イメトレから活動まで引き上げて、アクティブにもなれそうです。

環境からスタートすると「足りてるので満足」で終わってます(^ ^;;;

たどり着くために探せるかってのが、何をやるにもポイントになりますよね。
どんなことでも経験で培う以外、手にする手段は無いですね。


教育の改善は、教育者の教育でしょうね。
生徒・学生にだけのスクールカウンセラーでは無く
教育者のメンタルトレーニングを積極的に取り入れればいいと思います。

教育者のセルフイメージが低く、変化への対応力も低いなら
黒板に向かう以外の教育の「育」が欠落するでしょう。

人間力を定期的に教育するのは、会社だけでなく
教育の現場では重要だと個人的には感じます。
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この回答へのお礼

自分を育める大人ですか。カントアイさんは十分そんな大人だと思いますが、ご自身にとってはまだ覚えることがあるのでしょうか。向上することの根拠、そこに自分を育てるということがある気がしました。

問題は世間、社会に溢れていますね。もう僕には手に負えないなと思っています。ただ、自分がちゃんとした大人になろうと、できることと言えばそれくらいだなと。
おっしゃるように、それがセルフで出来れば、他人にも伝えられると思えました。

教育現場の人材不足は、新たな理念やメソッドでカバーするしかないかなと思います。こんなことを言うと猪突さんには怒られるでしょうか。教育界に関わる方々には期待します。

ルックス磨きの件、ぜひ楽しんでください。僕も昔はイケてたのですが、最近は、、、苦笑。食生活とかから見直さなきゃならなそうです。年をとり代謝が落ちてますから。

お礼日時:2016/01/12 20:27

お礼、ありがとうございます。



おかげさまで運動は好きだったはずが続かないで
結果嫌いな印象が分かってきました。
勉強も同じだったのですけどね(笑)

やる気を削がれる。
この一点。

これはちょっと見直す必要がありそうです。
悲しい結果しか、残らないのでwww


日本人は、おそらく多くのことを認めず
叩くことで根性ができると勘違いしています。
方向を示さず、引き下げるのが常套になりがちです。

伸ばさない教育と言えるかもしれません。

今まで伸ばし方はずっと探してやってましたが
削り方は、ほとんど見てなかったように思います。

すったもんだやってみたいと思います。
奇跡のレッスンを作れますかね(^ ^)
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この回答へのお礼

カントアイさんとのお話は楽しいですねー^_^。カントアイさんこそ聞き上手だと思います。

奇跡のレッスンの主役はコーチではなくレッスンを受ける方です。カントアイさんなら、自分が主役の奇跡のレッスンを作れると思います(^○^)
楽しさはやる気を削ぐのではなく、モチベを上げるものですから。

ところで、根性論は、学校においてはまだ根強いんですかね?でも、印象としては、僕の頃とあまり学校教育は変わっていないようです。
僕の中等教育の母校では、後輩の世代で、教師の誤指導による死者が出るという事件がありました。柔道かなんかで、体調不良を訴える生徒に無理やり練習させたらしいです。この事件を知って、その教師だけでなく学校自体が腐ってるんだと思いましたね。教師にとっては痛恨の極みでしょうが、後悔しても取り戻せません。
この点で、教育を学外に一部委任すると言う案も難しいかなと思います。世間には優れた人もいれば、劣った人もいて、この様な事件が外で起こらないとも限らない。
どうすれば教育は改善するのでしょうね。私には良い考えが浮かびません。

ちと話が逸れてしまいましたでしょうか。

お礼日時:2016/01/12 15:12

no56の方へ。


とにかく一言、アドバイスありがとうございます。
未熟者で、こなれたメリハリの効いた発言までできないのですが
このスレッドでの回答の通り、きっかけの与え合いの輪の中で
ポジティブな何かになれたらみたいな感じでやっています。

ブログのほうも拝見して自分なりの宇宙観の発展にも参考にさせていただきました。
cyototuさんほどのスパイスの効いたやり取りはできませんが
まずは自分なりということから一歩一歩成長したいと思っています。

とりあえず‘まじめ‘がド~ンと出てきている現状からです。
アドバイスいただいた方向というのは
経験に裏打ちされた人間力がないと
ちょっと難しいだろうというのが本音ですが
少なくともそういう方向への向上心も大事だと思います。

ブログも含めて再度ありがとうございました。
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この回答へのお礼

スズメさんの言は純粋で、切れ味が良いです。そこには、若いからという理由があるのかも知れません。

猪突さんの言には熱が入っています。沢山の人に説いてきたと言う経験が厚く、説明をこなすだけの知的体力もある。

どちらも個性的で、私にとっては何方も違う味で楽しめています。
ありがとうございます。

お茶を飲む程度のやり取りから、真剣なやり取りまでが私のQの守備範囲です。スズメさんのお陰で、仕入れた知識に甘んじる所より、少し上を目指しても良いかという気がしました。要するに自分の本当に求めたるところを、明らかにして行ってもよいかなと。

人に教わるとはどういうことなのでしょう。縁によって導かれ、与えられたのが言葉のみだったとしても、そこから自らによって見い出したる智恵をもって、生のなんたるかを知って行く。皆さんの話を聴いて思ったことです。

お礼日時:2016/01/12 02:41

お礼、ありがとうございます。



理由は有りますが、かなり長く閉じた状態に近い形で居たので
特化させる分、他を疎かにした所有りですね。


>ある方が仰っていたのですが、人を喜ばせるよりも、自分も含めて人を悲しませないことのほうがすぐれている、と。

なるほど。
結局は、そちらに近づいて行ってますね。
自分にも他者にも、同等に権利が有り尊厳も尊重も同じですから。

自分を置き去りにしないことは重要ですが
悲しませないより、真に望む方向へ向かうのが
悲しまない結果に繋がると思っています。

望む方向と言うのは、充足ですね。
互いに笑顔が出ることが、充足の方向かなと。

誰かを喜ばせることに重きを置き、無理が生じて崩壊へが
その方の言われる悲しませる方向でしょうかね。


私に必要なイメトレは、見た目です(笑)
外界と接触が減ると駄目ですねぇ。
落ち着いたら、鍛えるところからです。
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この回答へのお礼

お返事ありがとうございます。

真に望む方向へ、、それが結果として誰も悲しませない事になると。これは核心ですね。互いに心底の笑顔で居られるなら、そこがゴールでしょう。スズメさんもこの様なことを言っておったのかも知れません。喜びが全てだと思い夢中になると、無理が生じ破綻する。喜怒哀楽のどれにも属さないニュートラルな状態が鍵になるのかな。

話は変わりますが、私はかつてひどい音痴で歌を歌えなかったのですが、ギターを始めて七年ぐらいかけ、音痴をかなりの程度克服することができ、歌は上手い部類に入る事が出来ました。七年とは短くない歳月です。今は、絵が上手になりたいと思い、毎日少しずつ描いています。これも七年ぐらいかかるのかも知れません;^_^A

何が言いたいかというと、できる、やりたい、と思うところから、全ては始まるのではないかということです。

カントアイさんが健康的な身体でいたいと思い、そうするなら、それはきっと実現すると思います。
余談ですが、僕も、運動不足の解消と楽しみのためにテニスでも始めようかと思案しているところです。

お礼日時:2016/01/12 02:09

相手が喜んでくれると、自分の中で喜びが強くないですか?


もしそうであれば、社会的報酬の方が上まっているからでしょうね。

これもバランスだとは思いますが、私自身無頓着なので基準を持ちません。
金銭感覚だけは、どうやって持てばいいか未だ不明ですね。

一般的に物欲が強いのをどうするかは、話しに上がることが
多いのですけどね。

貧乏だったので、今はすでに十分恵まれていると感じてしまいますね。

今思いついたのは、イメージトレーニングです。
イメージすると、変わる気もします。

仕事が一段落したら、やってみます。
流石に、今のままだと問題ありだと認識はあるので。
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この回答へのお礼

なるほど、カントアイさんでもまだ問題がありますか。
私の場合は、そもそもが問題児だったので、問題は以前より少なくなってゆく一方です。ですがまだ全て解決したとは言えません。

相手が喜んでくれると、自分の中でも喜びが強くありますね。笑顔を見ると嬉しいです。
ところが、ある方が仰っていたのですが、人を喜ばせるよりも、自分も含めて人を悲しませないことのほうがすぐれている、と。これは徳の高いことだなぁと今でも思います。
自分が当事者であって、しかも恩を着せるようなことをせずに、悲しみを防ぎ守ったなら、それは素晴らしいことだなぁと。

イメトレは、するときは、できるだけ現実に近い形で行う様になりました。目標をミニマムにして、実現可能なレベルに設定し、それを目指し達成することで、小さな充足感を積み重ねる感じです。

お礼日時:2016/01/11 23:38

おはようございます。



あほなさんは、ご自身で気がついておられないかもしれませんが
聴き方が上手いのですよ。
相手から引き出す聴き方ができる方です。

多くの情報と体験を持ち、深く思考した相手から引き出せます。

成功したいなら、本田健の路線でも行けるし
磨けば一流の営業マンや、経営者になれる可能性を持ってあると思います。

おそらくリアルで、今でも目上に可愛がられるでしょ?

ご自身の良い面も悪いと認識される面も、すべて認めていくと
相当伸びると考えています。

私は、回答していて自分をまとめ直したり
広がりや厚みがつくのが自分で分かるから
頻繁に回答させていただいています。


そのまま好きな方へ伸びて行ってください。
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この回答へのお礼

ありがとうございます^^

私は、落ち着いてるとよく言われます。自分ではそれなりに紆余曲折に喜怒哀楽があったと思っているのですが、人との接し方が、二十歳の時点で三十代中頃並だと言われたこともありますね。聞き上手も言われたことがありますし、年の離れた目上の人には良くしていただくことが多いです。カントアイさんはお見通しですね。

>ご自身の良い面も悪いと認識される面も、すべて認めていくと

自己の全部を認めることは、一回り自分が成長することだと思います。そんな大人になれるかな・・w?

最近知人に、あほなさんはお金(報酬)もらっても嬉しそうにしないね、と言われました。お金で買いたいものがそれほどないからかな?と答えると、いや、そうじゃない、お金があるということだけで嬉しくなるのが普通です、と返されました。そういえば最近、お金、容貌、能力、それに人間関係もでしょうか、それら人が欲しがるものに対して、興味が薄れてきた自分自身があります。どうしてこうなったのか分かりませんが。お金はなくては困るし、イケメンである方がモテますし、能力高いほうがいい仕事につけるのに。そして人間関係が豊かであれば人生も豊かになるはずなのに。

>そのまま好きな方へ伸びて行ってください。

ありがとうございます。そうします^^

お礼日時:2016/01/11 21:42

私は、夢で閃きは成功したことが無いですね。


完全に起きてしまうと欠けが出るので、半覚醒で書くと
多くは、字が読めなかったです。

あれって、結構試す人が居るんですね。


車の運転中は、絶好調に出ます。
メモを取るか録音します。
風呂と洗い物も、結構いけます。

ルーティンで、意識半分使用中ぐらいが一番出やすいですね。
意識の抑制が、ある程度外れているとき閃きの答えが出てきます。


禅と同じ静かに観るのも有りですが、慣れるのに10年ほど
時間がかかりました。

ん?
使い方が違いますね。
在るものを、観る時だけでした。
あれは、アイデアは出てきませんね。

見つけ方って、人それぞれですね。

しかし、もう少しって所に差し掛かっていると
話している最中に、言葉のきっかけでやはり全体が一気に出ます。
あれは、何度味わっても快感です。

閃きは、慣れて来ると出やすくなりましたが
初めの頃の糞詰まり感は、なんとも言い難いものでした。


あほなさん相手だと、いろいろ出やすい。
私と、おそらくは猪突さんも恩恵に預かってます。
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この回答へのお礼

あら、カントアイさんもリアルタイムですね^^いらっしゃいです。

>あほなさん相手だと、いろいろ出やすい。
私と、おそらくは猪突さんも恩恵に預かってます。<
 
私との会話がそのように役立っているとするなら実に嬉しいことです^^アンサーをもらってばかりでは恐縮しますから。

風呂で出る人は私も一人知っています。車はいいですね~、ドライブの最中とか、散歩の途中というのは多分、頭脳が半分遊んでて、半分働いているみたいな状態なのでしょうね。

ここでのやり取りが、スズメさんの言う有益さで満ちているならば、それは本当に、なんというか、実にめでたいことです。

人それぞれの見つけ方に、人それぞれの関わり方で貢献しあっている、そんな出来事がリアルタイムで起こっているんですね。

お礼日時:2016/01/10 23:46

#55関連で。



suzumenokoxさんの考え方の筋は、大変宜しいかと思います。ここで、理屈畑で飯を喰って来た者の老婆心から余計なことを一言いわせて頂きます。

しばしば文系の方に多いようですが、自分の考え方を伝えるのに、出来るだけ重みのある言葉を使って、非常に込み入った表現を使う傾向があるようです。それを一行一行読んでいると、大変素晴しい言葉が出てくる。でも、それを読んで、ではどうすればそれを読んだ者の役に立つのか、それをどう実行したら良いのかが見えて来ない。自分でも納得ができ、相手も説得させるようにするには、何でもかんでも厳密な言葉で表現したり、形容詞を探したりする前に、どうすれば著者の言っていることが実行できるのか、その部分が判るような文章の構成を考えてみると、文章の構成がしっかりして来るようです。ハウツーを全面に出し、概念の精密化や厳密化は二義的にしてそれに余りこだわらずに角のです。但し、ここと言った場所のみで、精密な概念や適切に形容詞を使って論理構成を緻密にし、だから意識的に複雑な表現にして見ると、納得や説得の効率良くなるようです。

その訓練をすると、suzumenokoxさんの主張に増々磨きがかかって来ると思います。
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この回答へのお礼

あら、リアルタイムですね^^テキサスとの時差はいくら位なのだろう。不思議な感覚がしますね。そもそも不思議な事は、何故ここで一流の学者にアンサーをもらって云々色々の思考の糧を得させてもらえているのだろうと言う事です。以前も言いましたが、学者の意見など本や講演、TVを通してでしか得られないものです。学生時分は違いましたが、大人になってはそんな機会はほぼありません。そして、スズメさんという魅力的な光を放つ原石に出会い、ここをカットすれば良いのではないか、などとその物理学者が言っている。そしてそれをトラック運転手が横から見ていて、(・∀・)イイネ!!ボタンを連打する。実に不思議な光景です(笑。

ここで得られる様々なアンサーとロムの人々、声をかけてくださった皆様との出会いに乾杯!

お礼日時:2016/01/10 22:49

no.51です。

遠慮せずにという言葉に甘えてもう一言。

>役に立つかたたないかは別にして、個性というものを尊重できるようになってはじめて多様性の認められた世界というものが形成される
>誘発された本音と、きっかけから無意味な思惑が除外されて有益性という意味でピュアなものになっていく
 
 有益性とはきっかけの与え合いという軸における有益性ということで
 それはつまり役に立つかたたないかを別にした虚心坦懐なやり取りということを意図しており
 本音が誘発されることでそれがピュアなものになるというのは
 きっかけの与え合いにおいて虚心坦懐な性質が強くなっていくということです。
 そしてそれが多様性を認め合った個性が尊重される世界として
 より進歩したきっかけの与え合いの土台となるという感覚です。
 
 そこからの発展として第三段の「役割分担として・・・」の段落を持ってきていて
 そこでは前傾という意味においてポジティブなあるいはネガティブな方向性は入れないで
 表面的にニュートラルに記述しているつもりです。
(それがちょっとごちゃごちゃしてわかりにくくなっていて申し訳ないですが中立的というのが主眼です。)
>役割分担としての個性の発揮
 群れを成す動物⇒きっかけの与え合い⇒仕事あるいは‘仕事の意味‘ ということで
 その中での個性の発揮を動的にという感覚と矛盾はしていないと思います。

 そのうえでその前傾をいい循環にするということの中に少なくとも
 おっしゃる通りの
「仕事というものの形式は、常に可変の枠組みであり、
 その形式の存在意義はそれを利用する人がいるかいないかで決まる」
 ということも含めているつもりです。

 表現能力が追い付いていないのに変な波紋を投げてしまってすみませんでしたが、
 とにかく結論も同じようですし
 言葉を尽くすとそれほど相違していないと思ったので
 誤解のないように補足しておきます。

 なんて書き進めながらまたわかりにくくなっちゃったかななんて危惧しながら
 さいを投げます。
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この回答へのお礼

虚心坦懐ですか。いい言葉ですね。ある意味覚りですね。
仰ること、有益性のこと、大体合点がいったかなという感じです。
現実の世間は虚心坦懐ではなく、我執の絡むどろどろしたものであるからこそ、そこに吹く一陣の風のような気持ち、すなわち虚心坦懐を得たならば、それはとても貴重なことなのでしょう。

貴重なことですから、それが社会に常在することはおそらく無理だと思います。常に虚心坦懐であるというのは、そこに忍堪などの徳が働く故に、それを保てるのかなと思いました。

>なんて書き進めながらまたわかりにくくなっちゃったかななんて危惧しながらさいを投げます。
 
スズメさんはかなりセンスに頼った回答をするんだなというのが今回わかったことです。以前回答を頂いた時もセンスの良さを感じたのですが、いっそのこと論理を捨てて、センスだけで語っても、おそらくいい意味で伝わるんじゃないかなとさえ思いましたね。

お礼日時:2016/01/10 22:16

#53関連で。



>リアルの体験をすでに持っているので、自身の行動に変換は容易です。

>体験と言葉が同時並行、そうですね、特にスポーツは、そういう意味で人生に関わる大切なことを学ぶいい機会であると思います。机に座って習うことは中々板につくのが難しかった記憶がありますね。

私が小学生から高校生当たりを前に科学の楽しさを教えるとき、こんな話をします:

ある記者がアインシュタインに向って、どんなときに良いアイデアが生まれるかと聞きました。アインシュタインの答え

「そうですね、トイレに座っているときですね」

その後、その記者は何時も出来るだけと入れに座るようにしたそうです。もちろん何の新しいアイデアも出て来なかった。

私自身、そのアインシュタインの話を聞いて自分でも考えてみました。理論物理学者ですから、私の手段は数学を使っての計算です。ある面白そうな事象が題材として見つかったら、今までの自分の経験や知識に照らして、いろいろ当てずっぽうな仮説を立ててその答えの見当をつけ、物理学の基本法則に立ち戻って計算を始めます。物理学の基本法則は微分方程式で表されていますから、その計算のほとんどの部分は積分に費やされます。最終的にどの関数を積分すれば良いかの表現を探すのです。

これが一番難しい。その表現に持ち込むのに膨大な計算が要求されます。始めから仮説が正しければ、それでもなんとかなる。ところが、誰も答えが解らないことをやるのですから、始めからその仮説が正しかったなんて言うはずがない。もしそうなら、既に答えが解っていることになり、未知でも何でもなかったことになってしまいますから。

だから、間違った仮説の下に膨大な計算をすることになる。そのことからも想像できるように、その間違った計算をしている最中に正しい答えが見つかるはずがありません。だから、その膨大な計算のあと、静かにそれを忘れるときが必要なのです。そして、あることが切っ掛けで、突然閃きがあり、仮説の全部とは言いませんが、そのいくつかの部分の修正に気がつき、その修正された仮説の下に再び膨大な計算が行われ、そしてまたそれを寝かせ、次の閃きを待ち、また膨大な計算が始まり、、、と繰り返しながら正しい答が目の前に現れるの時を夢見ながら前進して行くのです。

この、「ある切っ掛け」には、二種類あります。一つは、経験を積んだ科学者(大抵の場合仲間の研究者)に自分の今まで到達してきた論理の流れを説明して、意見を聞いてみる。そうすると、相手のたった一言で、いきなり全体像が見えて来ることがしばしばあります。もし、自分だけでそれを考えていたら、それに気がつくのに数ヶ月かかったかも知れない。ところがその議論のお陰で、数分で大進歩がなされてしまうことがあるのです。その進歩には、もちろんその科学者の一言が大事だったのですが、その前にこちらで膨大な苦しい計算が既にしてあったことが決定的なのです。その準備がなかったら、その科学者も何も忠告できなかったし、その忠告がそんな大事であることも気がつかなかったからです。

もう一つは、先ほどのアインシュタインの例です。上で、「その膨大な計算のあと、静かにそれを忘れるときが必要なのです。」と述べました。その静かなときとは、散歩であったり、トイレに座っているときであったり、睡眠であったりします。

私の場合、ほとんどの良いアイデアは、睡眠中に出てきます。夜中の2時から3時ごろに夢枕に女神様が現れて、

「お前や、答えはこちらにあるんだよ」

というご宣託が聞こえて来ます。その時ガバッと起き上がって、そのお告げに従って計算仕直してみると、その通り、いつも大進歩がなされていたのでした。

スポーツも科学も芸術も宗教的体験も、弛まぬ訓練と心の準備の積み重ねがないところでは、何か驚くような体験は出来ないようですね。
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この回答へのお礼

手に覚えさせるという言葉があります。要するに、神経が仔細にわたって発達し、ものを身につけるということです。猪突さんら学者の脳と鉛筆を持つ手先には、相当の神経が行き渡っておるのだと思います。

たゆまぬ訓練と心の準備の積み重ねは、マグジーの言うところの、セカンドネイチャーとマインドセットと言う事になるでしょうか。私もスケッチブックを枕元において就寝することが以前ありました。夜中に思いついたアイディアを描き留めるためです。しかしその時拾ったアイディアも、後から見直すと大したことがなかったと言う場合も少なく無いですがw

>スポーツも科学も芸術も宗教的体験も、弛まぬ訓練と心の準備の積み重ねがないところでは、何か驚くような体験は出来ないようですね。

新しい世界に踏み出すというのは容易では無いということですね。
私は、無意識に続けてきた努力というものが背後に存在すると思いました。寝ても覚めても飯食ってても、そのことが頭を支配しているということがあると思います。そしてある時、ふとその解決を見る。閃くわけです。そういう、景色の開けた瞬間を、そう言えば最近はしていません。最近は、かつては複雑だった思考回路が整理されてきて、思考に費やす労力も減ってきたように思います。それが退化なのか進歩なのかわかりませんが、今はそれでいいと思っています。

嫌々やる努力は、中々身につきませんが、セカンド・ネイチャーと呼べるくらい板につくには、それが生活と同化するぐらいのレベルが必要になってくるのではないでしょうか。努力が嫌でなくなったら、その世界に入門したと言えるのかなと、今は考えています。生活ということはそこに緩急があります。その緩急の中で生成されるものというのがあるのでしょう。

机に向かってやる勉強は学びに向いてない、みたいなことを先程は言いましたが、それが楽しくなる人というのは、想像力が豊かと言えるのかな。その世界をものにした瞬間というのが、彼らにはきっとあるのでしょう。イマジネーションの翼とか、誰ぞの言うのを聞いたことがありますが。
いずれにせよ、図像を生むというのは大変なカロリーを消費することでもあると思います。未だ見ぬ世界の成り立ちを見い出そうと言う大人も、新たな世界へ踏み出してゆく子どもたちも、その境遇は、新鮮な気持ちを持つべきという意味では同じなのかもしれません。

お礼日時:2016/01/10 21:59
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