プロが教えるわが家の防犯対策術!

正月早々、良いテレビ番組を見つけました。「奇跡のレッスン」というタイトルで、一流のスペシャリストが子供達を一週間教育するというコーチングの番組です。
私が見たのはバスケットボールの回でして、「運命は自分でコントロールするんだ」という様な言葉がコーチの口から出ていました。カッコええなぁ、、俺もこんなコーチ受けたかったなぁ、などと思いながら見ました。自信のなかった子供達の表情が明るく変わって行くのが印象的でした。他の回の紹介では、「自分で見つけた答えは一生忘れない」→(子供が自分で答えを見つけるのを待つ)とか、「出る杭は下から押し上げる」と言うのもありました。
当方、いつもこのサイトで回答者の皆様にお声かけていただき、「レッスン」を受けている身ではありますが、あらためて尋ねたいと思います。

良いコーチ、先生に巡り会えた方もそうで無い方もいると思いますが、自分が諭された言葉や、自分なら子供達にこう語る、という言葉を選んで、ご回答頂けると嬉しいです。

質問者からの補足コメント

  • そんな大した大人に離れていません→そんな大した大人にはなれていません

    誤字修正です。

    No.5の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/03 16:25
  • 先祖の話、早速アマゾンでポチりました^^v
    読んでみますね。

    No.20の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/05 01:01
  • 一応、齟齬があるとよくないと思い、冒頭の1〜4についてお答えします。
    1.そういう場合もあるかも知れない事を考慮するが、私自身はそういう事は思っていない。
    2.これは1.に同じ。
    3.良い教師はやる気を引き出すと思っているので、そう思っています。
    4.始め、大体の事は自分でやれないが、できる様になると信じて精進すれば、大体の事はやれるようになる。多くの人から、或いは自分よりも劣った人からも学びは得られる。この様な考え、スタンスです。進度やスピードはまちまちで、一を覚えて十を知る事もあれば、十を教わりニしかものにできない事もある。

    No.30の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/07 01:26
  • 皆様へ。
    この質問は、スレッドが更に伸びないかぎり、来週いっぱいで締め切らせていただこうと思います。どうぞよろしくお願いします。

      補足日時:2016/01/07 22:03
  • 女王先生ですか^^; 
    一話だけではなんとも言えませんが、、、歪な教師だとは思います。生徒を締め付けるタイプのようで、あまりいいとは思えませんでした。このような教師が居て良いのか悪いのか、、現実には変人教師というのは居ますから、それこそサイコロさんの言う距離感でもって対処するのが良いのかなと思います。

    No.64の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/13 01:23
  • ウィトゲンシュタイン関連のご投稿を少しですが咀嚼しました。現代哲学における身体の肯定的な捉え方と、行為へのパースペクティブというものに着目しました。この度の質問は、スポーツのエキスパートが子供達のコーチをするという番組についてでして、身体の捉え方とパースペクティブという観点から繋がりそうかな?と思いましたが如何でしょう。もうちょっとウィトゲンシュタイン関連の方も読み直してみますね。

    No.75の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 14:44
  • サイコロさん、どの職業が偉いとか、そんな話をお礼欄に書いてしまいましたが、流石にそれは無いかと思い直しました。スルーしてください。サイコロさんを侮る様な事を言ってしまいました。

    No.78の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/15 16:00
  • #96の投稿が、残念ながら息をしておりません。
    その全文を保存しておりますが、短い補足のスペースですのでそれを全て掲載することは出来ませんし、運営の方針も尊重したく思いますので、宛先のない短いコメントをして彼が存在したことを記録したいと思います。
    #96に記された内容は、現代教育のあり方と、素敵な歌と、空想の酒席でした。
    褒めることについて生徒が天狗になって後、人ん話をきかなくなり伸びなくなるというVTRの件ですが、私は、出来るから褒めるのではなく、出来ないから褒める、ってのが褒めるタイミングだと思うんです(マグジーもそうしてた)。凹んでいる子のモチベーションや自信を回復してやる効果が得られます。
    カントアイさんと猪突さんの酒席ですか。座を同じくすれば異なる意見もいい肴にきっとなると思います^^あほなも同席させていただければ、そこでもあほなことを言いますよ(笑)。

      補足日時:2016/01/17 22:13
  • すみません。今読んだGOOからのメールに、今回は削除理由が明記されていました。理由は、個人情報だということです。おそらく、他の方のブログのURLを転載したことが引っかかったのだと思われます。

    No.99の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/01/17 23:33
  • えー、ついに2月になりましたね^_^
    月日の経つのは早いです。
    投稿も落ち着いてきたので、そろそろ閉める準備に入ろうかと思います。
    私の感想としましては、多くの方のお話を聞いて、自分自身を振り返るに、友達には恵まれたが、教師には恵まれなかったのかなという事があるも、教師の像というものをこのQAを通じていろんな角度から知ることができ、視野を広げることができました。皆様ありがとうございます。

    BAの選定に数日をかけますので、皆さんから頂いた回答を楽しみながら振り返りつつ、これかなー、というものをBAとしたいと思います。

    ながらくこのQAにお付き合い、盛り上げてくださり、重ねて御礼申し上げます。
    m(._.)m

      補足日時:2016/02/01 17:36

A 回答 (142件中101~110件)

#42の補足



舌ったらずかもしれないので、信長と秀吉について説明を補足します。戦のやり方ですが、単に剣道に喩えただけで、信長は、正攻法、中央突破、右翼、左翼、篭城攻め、夜陰の奇襲、何でも御座れの戦い方ですが、秀吉は篭城攻略や水攻めなどの待ちの戦一本やりの名人だったということです。
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人の会話に横入りする悪い癖のある猪突です。

#41関連で余計なことを言いましょう。

サイコロさんらしい反応だなあと思いました。清談志向型と言い、緻密な論理構成と言い、決め付けと言い、多分それがサイコロさんの持ち味なんでしょうね。でも、偏っている。前にも書きましたがカミソリばかりでなく、ナタを振りまわす筋肉を付けると、ブルドーザー付きのスーパコンピュータ、鬼に金棒になるはずなんだが。

物理の研究でも、ものを探り出すには始めに仮説を立てなきゃならん。だから、決めつけは悪いどころか、決めつけがなければ先に進まないんですよね。先に進めながら、仮説を修正していけば良い。

サイコロさんのアプローチは、始めの仮説の下にいきなり緻密な論理を構築しながら、出来るだけ無矛盾に筋道を立てていこうと言う印象を持ちましたが、当っていますでしょうか。でも、まだ海とも山とも付かないけど、何か面白い世界が見えそうだと言う直感が働いた場合、論理的整合性を問うのはまだ尚早です。詳細は無視して一先ず、全体像の輪郭を組み立てて行かないと、論理的には整合して非の打ち所はないが、現実とは無関係な虚構の構築物を創りかねない。私の印象が外れていれば良いのですが、囲碁に喩えると、布石が終わる前にいきなり、相手の石に絡み付いて陣地の取り合いをはじめてしまっているような印象を受けます。

また、人の生きざまの裏には膨大な成り行きや歴史があり、その歴史は、当たり前のことですが皆全然違っています。だから、同じ事象を取り扱っているつもりでも、互いに重なっている部分は極一部だけのはずです。ぞの僅かな重なりを互いに打つけ合いながら、自分の依って来たる歴史との兼ね合いで、自分の中の世界観に新たな項目なりページを加えていけば良いのではないでしょうか。

わたしなど、この欄で一言する時の基準は、相手の質問にどう答えるかではなくて、相手の質問の中や、他の人とのやり取りを眺めていて、質問のないように無関係に私の琴線に触れたところを勝手に抜き出し、連想ゲームを駆使しながら、自分の中に新しい世界観を築ければそれで良いと思っています。こんな勝手な反応をされると、戸惑う人も、また、そんなこと聞いていないとのお叱りをする方も居られるのは承知で、そんな態度で投稿しています。そんな流れで、私はこの哲学欄で今まで多くのことを学んで参りました。

カミソリの使い手にはナタの訓練を、ナタの使い手にはカミソリの訓練を、ってえのが、まあ孔子様並みの常識的な忠告何でしょうね。

でも、一寸待った。先の大戦が近くなった頃に、名前は忘れたが陸軍大学校の教授だったある陸軍中将が、信長と秀吉とナポレオンの戦の仕方を比較分析していた本を、多分陸軍大学の教科書だと思うんだが、それを書いていた。大分昔早稲田大学の近所の古本屋で手にいれたので、それを読んだことがあります。どこにその古本を仕舞ってしまったか忘れたので、今直ぐ確認は出来ませんが、こんな面白いことが書いてありました:

「信長の戦い方は、剣士に喩えると、刀、槍、長刀、鎖鎌、何でもございで、どんな戦い方をしても、名人だった。それに比べると、秀吉は、刀なら刀だけ、他の戦い方は決して名人とは言えないが、刀を取らせれば誰にも負けない名人の戦い方だった」

サイコロさんも学者として十分チャンチャンバラバラをやって来たんだろうから、もう既に、ご自分は信長型なのか秀吉型なのか判り始めたお歳と創造します。果たして、上の孔子様並みの平凡な忠告で良いのか、俺は、秀吉型で行けば良いのか、ご自分の成り行きで判断されれば良いんですよね。
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この回答へのお礼

ではでは、しばし横でロムっておきますので、この板はご自由にご利用ください^^

お礼日時:2016/01/08 15:54

>私について、どこか誤解されたかなという感は残りますが



 ありがとうございます。私が失敗したと思うのは、あほなさんのことをよく知らないうちに、推測で何かしら本質的な話をしてしまったことでした。重みがないから言葉が上滑りしてしまったようです。あほなさんに申したのと同じように、私の方でも「この人のことを自分はまだ理解できていないのだな」という認識にしております。いずれ理解できるかもしれませんし、理解できないままかもしれません。しかし誤解・先入観はないように、ニュートラルにしておきたいと思っています。お礼と再度のお詫びまで。
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この回答へのお礼

再三のご丁寧な応対ありがとうございます。この様な形で、このQAを穏便にすましていただいた事感謝いたします。
私の方こそ言葉足らずな所はあったでしょう。たださえ人と人の相互理解は簡単ではないこと、ましてネットの、この様なサイトと言う限定の中です。
しかし、お互いの非を責めず、未来のある形でやり取りを仕舞えたこと、嬉しく思います。サイコロさんのお陰と思っています。

お礼日時:2016/01/08 01:34

#2です


少し時間ができたので覗いてみたら、いつもながら盛況ですね(笑)

ご質問にて求められているものは
「ポジティブな学生がポジティブな指導者に出会ったときに、声がけされる言葉の内、修三カレンダーに匹敵する、特に素晴らしいと思える言葉達」
なのでしょうね。

出る杭についても、全面的にポジティブに考えたら、「押し上げてやるから、みんなを引き連れて飛び出していけ!」という解釈になるのも頷けます。まぁ、時代が時代だったら、飛び出していく先が戦場だったりすることもあるんでしょうが。。。と、やはり、多面的に回答するのが当たり前の哲学カテでは、今回の質問はカテ違いでは?と、思わず呟いてしまいたくなりますね(笑)

ところで、#2で引用した私の日記に、今の自分にとってずしんと来る一言がありました。
「子供は、自らなし得る限りの力を使って精一杯生きているというのに、大人は当事者足り得ず、彼らが未だ経験することのない、未来の時間に話をすり替えてしまう。」

ネガティブな私に、ポジティブに生きることを教えようとした結果、上記のような記述に収まってしまったのでしょう。
今、まさに我が子に同じことを言い、我が子が反発している状況にあり、血は争えないなと、妙に感心したりしています。

で、子供が破壊的な言葉を発しつつ反発するとき、どこかで聞いた言葉だなと内心思いつつ、「最後は自分自身の問題なんだぞ」という言葉を入れ込んでいます。また、校則等の違反を咎められ、かつ父のブラック(に見えてしまう)面を知って反発している時には、「他人を信頼するかどうかではなく、大切なのは、他人から信頼される人間になることだ」と言ったりしています。これもどこかで聞いた言葉だなとか、都合のいい話だなと思いつつ、「私の人生はこの先短いが、お前の人生は長いんだ。どうすればいいか、よく考えることだ」とかいった言葉で締めくくったりしています。「締めくくる」のは実は私が決めているのではなく、本人が自分自身の内面に向き合ったと感じる時点になります。

「思春期人(ししゅんきびと)」、私の造語ですが、ネガティブとポジティブ、知性と感性、静と動の両極端へと揺れ動きやすい時期でもあり、何がしかの不動点が必要な時期になるのだと思います。最終的には、自分自身の内面に、そういった不動点を見出していくのだと思っています。
河合隼雄の「宗教と科学の接点」(岩波書店)にて臨床心理学の立ち位置が記されており、聞き手として自分自身の心を不動点にしていると、不思議と患者が落ち着いてくる。といった記述がありました(今、書籍が手元にないので、正確な記述にはなっていないこと、お許しください)

指導者という立場、特に、「一流の」と呼ばれる方々は、こういった「不動点」(というより、確固たる指導していくべき方向性)なるものを心の中心に据え置いておられる方々になるのでしょう。おそらくは、そういった「不動点」があればこそ、出る杭も「出た」のではなく、指導者の視点からは「引っ張り上げるべき」で、皆の視点からは「押し出されるべき」ということになるのかもしれません。

あと、不動点ですが、絶対的な基準という意味とは異なります。自由に彷徨って、暴れまくり、周囲とやり合って、最後に落ち着くところといった方がいいかもしれません。
自身の内面では不動点ですが、他者からすれば自由気ままに動き回る浮動点です。
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この回答へのお礼

再回答有り難うございます。おかげさまで盛況です。

番組では、ポジティブな子もネガティブな子も居ましたが、コーチはどちらに偏るということもなく、生徒に接していたように思います。

実は哲学カテに投稿する前は、人生相談カテに投稿していたのです。しかし回答がつかなかったので、それを削除してこちらに投稿しなおしたという経緯があります。

さて、、、お子さんが同じことを言いますか^^
実は私も最近、もういい年の大人なのですが、性格や思考パタンが両親に似てるなと思う節が出てきていまして、幼いころは自分は自分だと思っていたのですが、今になって、やはり遺伝は大きいなと。

思春期人と不動点については同感できる部分が多くあります。思春期に不動点なるものを心に据え置く事ができる人は一部だと思うのですが、尊敬できる人などを持った人は、借り物ではあるが、その不動点を獲得することが出来るのでしょう。マグジーコーチはその機能を、マインドセットと表現していました。自らマインドセットを持つことで、練習も、持ちえる目標も板についてくる、そのようなことではないかと私は思いました。このような枠組みを自らの内にもつことで、それが不動点の役割を果たすのではないかと。生徒にはこのマインドセットを持って欲しいと、言っていました。これが、自らの運命をコントロールすることに繋がるのでしょう。

河合隼雄さんの話ですが、自らが落ち着けば、周りも落ち着くというのは実際そうだなと思えます。私は、思春期の頃は自由奔放な人間で、少しも落ち着いてなかったし、周りも、同じような感じでした。むしろ、落ち着いてきたのは最近のことです。そういう意味で、文末、色々あって最後に落ち着くところが不動点、というのが、感じとして良く伝わりました。

お礼日時:2016/01/07 17:50

>何に憤られたのか、



 いや、真面目な話、何も憤ってはいないのです。ただ、分かった振りよりは、分からないということを明らかにしておいた方が理知的な態度だ、と思っているし、下で触れるように有益だと考えているというところです。分からないと明らかになれば、後で考えることができます。あほなさんが不自由を感じていないのなら、基本的に何も聞く必要がないだけのことではあるのです。ご自身が特に何が悪かったと考えるような問題ではありません。たぶん同様に私も気にする問題ではないのでしょう。違う意見の人がいるというだけのことです。

猪突先生のお返事>アドバイスとしては、分析された事象よりも目の前の事象との違いの方が気になって、結局どう対応したら良いか判らなくなってしまうってなこともあるかもしれませんね。

 猪突先生のおっしゃる通りでしょう。まず想定している教育が違い過ぎることに限界があったと感じます。そこから話を進めると、齟齬はさらに大きく広がるでしょう。もっとも私にとっては理解されないということによって、自分の限界のようなモノが境界線として浮かび上がって来るので有益ではあるのです。しかし相手が嫌な気持ちになるのはよろしくないのです。雨合羽さんのことはここでは触れないです。と言うのも、どこかで見ていて、ご気分を害されたら気の毒ですから。

 いや、どうも場を荒らしてしまったようです。お詫びしつつ、当分は見守らせていただきましょう。

 なお私は猪突先生のブログから飛んで来たのです。せっかくなので自己紹介を。アカウント名がカエサルの言葉「サイコロは投げられた」なのでサイコロと呼ばれております。職業は学者、文系ですが専門はやや秘密です。学術的に回答する気はなく、雑談をしている感じです。猪突先生とは会ったことがありませんが、足掛け6年以上のネットでのファンということになるでしょう。当初はプリゴジンの弟子とは知らず、私がプリゴジンを説明しようとしており、今考えると実に冷や汗ものでした。巡り合わせは数奇なものです。

 当初は随分と先生に私が叱られたものです。私の反応は全然、生産的ではありませんでした。「うまくいなそうとして、全くうまくいかない。困った人に絡まれた。プロフィールには酒に酔って絡むと書いてあるではないか。自分が理想としていた清談ができない」。でも時間が経って、ふとした時に「どこかで聞いた結論に到達したようだ。あの猪突って人の言った通りだった」と気付いた経験もあったのです。それ以来、すっかりファンです。人との対話って、そういう風に長期的なものでもいいのかな、と思っております。そしてこういう時、分からないことを明確にしておくと、少し違うのです。
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この回答へのお礼

了解です。私について、どこか誤解されたかなという感は残りますが、それはこの際さらりと流しましょう。また機会があれば遠慮なくQAに参加してください。
ありがとうございました。

お礼日時:2016/01/07 17:28

すでに見てあるんですね。



情報収集と分析は、年中無休でやってますからOKです。
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この回答へのお礼

了解^_^

お礼日時:2016/01/07 01:27

お礼、ありがとうございます。



黒歴史、ありますね〜σ(^_^;)
誰でも何かしら有るのではないかと思います。

ふと思ったのですが、洗濯と同じです。

「あ、確かに黒いや」って認めると、白くしようかと考えますが
「いやいや、自分は白く気高いです」ってやってると
黒さが増していきます。

眼をそらすほどに、黒さが際立って行きます。


黒さは白く・弱さは強く、自分を認めると切替が容易です。
人間って、面白いです。

ところでクソさんは、許せましたか?
私は外道を許したら、ずっと軽くなりました。

背負っててもいいですが、降ろすと楽です。
降ろすときは大変でしたが。


次回の奇跡のレッスンは、バスケじゃなかったですが
新春スペシャルが10日にあるようで
振り返りらしいので、少しは見れる可能性有りです。
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この回答へのお礼

黒歴史について、仰るとおりです。

かつての嫌な教師については、許すというよりは、もう過去の事として流してしまった感じでしょうか。それよりも、前にある良い兆しの方に意識は向いています。心の底では許せてないのかも知れませんが、大概の人に愚が潜んでいる事を思うと、仕方がなかったのかなと。大真面目に、宇宙人から指令を受けて教師やってる、なんてのも居ましたね。病気だったのだと思います。

奇跡のレッスンの新春スペシャルの振り返りは、ゲストの話が主で番組の振り返りは少しでした。バスケの回がまるまる再放送される機会があると良いのですが、カントアイさんなら振り返り放送でも十分に良いものを汲み取れるのでは無いかと思います。

お礼日時:2016/01/07 00:08

#26の親父をトラック業界に取られてんの勿体ないね。

物理業界に来てチャンチャンバラバラやってもらいたかった。

>救急車の途中下車ができないことは、痛い思ひをして初めて知りました。

なんて、抽象化の権現様が自転車に乗って降臨なされましたってな図だね。尾形降臨じゃなかった、横山大観あたりに「ポラポティ自転車の後輪に乗って降臨の図」なんてえのを描いてもらいたかった。
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この回答へのお礼

楽しいプラポチさんが今月で居なくなるのは残念な事です。

猪突さんもそうですが、私の人生のこの時期に、色々の有益な示唆をくださった一人です。丁重にお送りしたい所ですが、プラポチさんの事、もっと楽しいお別れが良いと言うかも知れません。

お礼日時:2016/01/07 00:17

#28と#30関連で:



>結局、教わる側にも上手い・下手があると気が付くわけです。

誰に巡り会えるか、その巡り会いが自分の成長にどう生かされるか。誰でも人生は偶然の連続が作り上げて来たので、偶然の中には前持ったシナリオなんてありせん。偶然は何時も人々に岐路を用意する。その度にどちらに進むかの決意が迫られる。シナリオが在る世界ではもう未来は存在してしまっているので、その人は未来の構築に参加できない。偶然の世界のみが、貴方の決意で未来の構築に参加できるのです。貴方の決意が、時間を一歩前に進めているのです。

教わる側の態度としては、どこに進むか判らない状態でも、自分が未来の構築に参加しているのだ、自分の決意で時間が前に進むのだと言う意識を顕在化してみるのも一考かと思います。


サイコロさんのご要望に応えて、思い付くままに無思慮無責任な反応をします。#30のサイコロさんの応対に、もしかしたらサイコロさん専門の業界の文化がにじみ出ているのかなと言う、当るも八卦当らぬも八卦という印象を持ちました。分析は緻密なのですが、果たしてそれを言われて、それを実行できるかどうか。すなわち、既に起こってしまったことに関する分析は的を射ているのですが、これから起こるかも知れない全く未知な状況に関して、分析が微に入り細に入り過ぎてしまい、アドバイスとしては、分析された事象よりも目の前の事象との違いの方が気になって、結局どう対応したら良いか判らなくなってしまうってなこともあるかもしれませんね。

たった今も#33のサイコロさんの意見を読んだところですが、サイコロさんはカミソリで切るように微に入り細に入り過ぎている印象です。それがサイコロさんの持ち味でもあるので、根っからの悪人が善行を施せるようになるのと同じ言で、カミソリを使わずにナタで切ってみる試みもしたら、鬼に金棒になるのではないでしょうか。雨合羽お姉の時もそうだったが、サイコロさん結構あっちでもこっちでも喧嘩してるからね。

歯に衣着せぬ言い回し 偶には木綿豆腐も乙なもんじゃよ
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この回答へのお礼

iactaさんの回答を振り返ると、教師からの圧力というものに対する所作について、私があまり反応しなかった事がよくなかったのかもしれません。私の出会った良くない教師たちは、悪い意味で教師らしからぬ者達でした。しかし子供の私はそれに対して免疫を持っていなかったので、その距離の取り方を誤ったのかも知れません。子供のうちは、そんな教師などバカにしているくらいで丁度良かったのでしょう。

iactaさんの言うように、上手く立ち回ると言うのが一つの所作になるとは思います。それにより、師からの宝の供給量を調整するのが良いと、そう言った類のご意見と理解しました。

ところで、私は趣味で絵を描くのですが、絵の上手い友達に尋ねた事があります。描き始め、大きく形をとるのと、細部から描き出すのとどっちが良いの?と。セオリーは大きく形をとる事なのですが、その友達は、「できるならどっちでも良い、ただ、形をとる時に、幾何形態を意識しないと良い形は取れない」というものでした。できる奴は言う事が違うな、と思いましたね。

お礼日時:2016/01/06 23:52

#31の回答のお礼関連で:



>捻くれてしまった事を環境の所為にすることを、私は非難しません。しかしながら、苦境から立ち上がって真っ当になったなら、それは彼の目が澄んでいて、小さな答えを見つける事ができたからだと思うのです。彼の耳が聡く、小さな答えを聞く事ができたからだと思うのです。

「根っからの善人がある善行を施した。根っからの悪人が、それと同じ善行を施した。さあどちらの行為が優れているか」

これはプルタークの言葉です。彼は、悪人の方だ、と言っています。その善人はこれと言った努力もせずに出来た行為だが、悪人の方は自分に打ち勝ったからだと言っています。

研究生活の経験から、根っからの楽天家でないと研究を続けるのは至難の業だと思うようになりました。だから、私の所にやって来る学生には、自分自身は楽天家だと思うか、それとも悲観的な傾向があるかを聞きます。もし悲観的な方だと言う答えが返って来たら、正直に、楽天的でない人には研究は苦しいよと伝え、それと同時に上のプルタークの言葉を伝えます。

私自身自分の人生は七転び八起き、挫折と蘇りの繰り返しでしたが、挫折の経験は他人の心の痛みを知る大切な機会を与えてくれると思います。と同時に、どんな意味でも良いですが挫折の中に肯定的な意味を見出せず、自らの挫折の状況に自虐的に留まっている人間には、一度は手を差し伸べますが、それにも応じないときにはわたいの脳味噌の中にアドレナリンが放出され、放っておけという信号が出るようです。アドレナリンは血みどろの戦いの最中に痛みを感じない効果を及ぼすのだそうです。

話はそれますが、家の上さんが何で相撲にはくすぐり業がないんだと聞いて来たことがあるんで、アドレナリンの分泌って、もっぱら男性の専売特許なんですね。

女性の抱擁と、男性の突き放し、人を育てるにはこの両方が必要だ。イクメンは国を滅ぼすって唱えている人も居ますからね。
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この回答へのお礼

フォロー、ありがたく頂戴します。
あるマンガに、本物になろうとする偽物の価値は?というものがありました。ご紹介頂いたプルタークの言葉に似ているなと思います。本物を目指すということが、必ずしも現状は偽物であることを言うのではなく、本物になりたいと思った時に、その萌芽が生じているのだと私は思います。彼は自身との闘いの途上でありますが、故に本物になろうとする偽物には価値があると。

iactaさんの事を私はほとんど知らないのですが、英才教育を受けて来た者の気持ちはわかると、そんな感じのことを初めに仰られたので、私はうらやましくなりました。めっちゃ羨ましいかというと、其処まででは無いのですが、英才教育には良いイメージを持っています。

iactaさんがこれを見ているかどうか分かりませんが、自分で培った自信と、コーチングで手に入れた自信と、何方が堅固かと問うたなら、私は前者だと思います。私は私の尊敬する方、これをA氏としますが、A氏からある程度のレベルに達している事を認められた時に、何か荷が降りたような気がしました。それは、私の抱く自信を補完するような作用で、自信を意識に顕在化してくれたのです。出来るはずだと思っていても、出来ていなければ自分との闘いは続きます。実際に出来た時にはじめて自信が固められるのだと思いました。

相撲のくだり、楽しく読ませていただきました^_^
ほっと一息つけるユーモアでした。
ありがとうございます。

お礼日時:2016/01/06 23:01
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