
No.8ベストアンサー
- 回答日時:
「異教徒を全部殺せ」とはっきり書いてあるわけではありませんが、それに近い言葉なら、『旧約聖書』のあちこちに出てきますね。
特にモーセは「申命記」で、「街を攻撃するとき、降伏してきた奴らは奴隷にしろ」「降伏しなかったら男は皆殺し、女子供や家畜などは、戦利品にしろ」「でもヘト人、アモリ人などなどは、捕虜にするのも許さん。1人残らず滅ぼせ」
などと、漫画の悪役みたいなことを言っています。「民数記」でも、
「(捕虜になったミデアン人の女子供のうち)男の子と、男を知っている女は全部殺せ。まだ男を知らない娘たちだけは、おまえらのために生かしとけ」
という調子で、やっぱり悪役全開です。
http://toyoda.tv/crist.mujun.htm#
もちろん普通のキリスト教徒なら、「いくら昔の本とは言え、酷いことが書いてあるもんだ」と思うだけでしょう。でもキリスト教原理主義者たちは、「全知全能の神のお言葉だから、疑いをもつことは許されない」と考えます。原理主義者たちが、いまだに「異教徒」相手の戦争を愛してやまないのは、『聖書』の影響もあるのでしょう(単にもともと人殺しが好きなだけかもしれませんが)。
一方イエスですが、たしかにイエスはモーセのような御無体なことは言っていません。「貧しい人々こそが救われる」とか、「困っている人に親切にするのは、私にしてくれたのと同じことだ」とかいう言葉からすると、優しい人だったように思えます。
イエスの言葉から、異教の迫害につながりそうなものをあえて探すなら、
「天上地上一切の権能が、私に与えられた。あなたたちは行って、すべての国の人を私の弟子にしなさい」(「マタイによる福音書」25章18~19節)
「信じて洗礼を受ける者は救われ、信じない者は罰せられる」(「マルコによる福音書」16章16節)
くらいでしょう。でもこれらは、「いったんはりつけで殺されて、蘇った後の」イエスの言葉です。死人が蘇るわけありませんし、後世の信者が捏造したものとみて間違いなさそうです(それでなくても「福音書」の中で、本当にイエスの口から出た言葉は、ほんの一部だとされています。←参考:『キリスト教の本(上)』学研119~128ページ)。
No.7
- 回答日時:
どもども。
生まれた時から宗教家に囲まれていたマニア兼カトリック信者です。まず、「キリスト教」の異教徒並びに異民族殺しは、白人文化に由来します。ノアの息子、セム、ハム、ヤペテが、それぞれ白人、黒人、黄色人の子孫とされ、ハムはちょいとばかりミスをしたために父に子々孫々を呪われます。この考えを元に、多くの白人文化圏のキリスト教徒は異民族を殺しました。ちなみにユダヤ人は白人ですが、白人同士から黄色人種、黒人種は生まれませんので、あとは推して知るべし。です。
んで、「旧約聖書」はどういっているかと言いますと、実はあれは半分以上創作と暗号です。カルトも厨二も大好きイザヤ書に出てくる「暁の輝ける子=ルシファー=ネブカドネザル王」などは代表的なモノでしょう。旧約聖書を読んでいればわかる通り、まあユダヤ人というものは頭も弱い、政治力も弱い、信仰心も弱い、の、三重苦。旧約聖書は日本における古事記などに相当するものですから、戒めのための格言であったり(箴言など)、慰めのための格言(詩編、雅歌など)だったりが集まったものです。日本でも、神風特攻隊というものがありましたよね。元寇のときの神風は、一度目は朝鮮兵の怠慢、二度目は偶然の嵐が正体ですが、戦時中の人々は、このたった二つの偶然を、神が守ってくれた、と、信じていたわけですね。これと同じことが、旧約聖書にも見られるのです。ちなみに、歴史的裏付けができているのはアブラハム以降で、それ以前は様々な地方の神話の寄せ集めです。
んで、旧約聖書で散々『異教徒』や『異民族』がフルボッコにされてますが、少し視点を変えて考えてみますと、上記のような三重苦のある民族がアイデンティティを保つには、思想や血筋というものが非常に大切だったのがお分かりでしょうか。土地を持てば追い出され、働きに行けば奴隷にされ、国になれば属国になり…と、まあイエスの時代まで悲惨です。旧約時代は正確にはバプテスマのヨハネを持って終わりますので、ここまでで一つ、旧約聖書が言いたかったことは、『ユダヤ民族のアイデンティティの確立』であると理解していただけるといいかと。
ん? イエスの血統? んなもんどこにでもあります! 日本国天皇だって天照のご子孫でしょ?(実際はモンゴル経由の血統らしい)
んで、「キリスト」はどういっているかと言いますと、実はこの言葉は多義語なのです。「イエス・キリスト」を指す場合と、「キリスト者(信者)」を含む場合があるからです。
では「イエス・キリスト」はどういってるかと言いますと、先の方々の述べられた通りです。しかしイエスがキリスト(救い主)として、という意味の方がどちらかというと強いですね。私は視たことがないので又聞きで申し訳ないのですが、コーランだったかのイスラム教の資料には、少年イエスが普通の子供と同じように過ごしている話が結構あるらしいです。予想ですが、反抗期がきたらそこそこ反発したでしょうね。何せイエスは父親が分からない、という当時のユダヤ社会において最悪のコンプレックスがありましたから、風当たりはかなり強かったはずです。神殿で商人という名の詐欺師を追い出したこと、ラザロの復活などからわかる通り、イエスは完全な神でありながら完全な人間(=現在のない人間、失楽園前のアダムとエバに相当)ですから、喜怒哀楽はあります。大切なお母さんのマリアを侮辱したり石を投げたりする者がいれば、「人間として」怒り、怒鳴ることもあっただろうし、腕白小僧をやって友達を怪我させたり、ということもあったでしょうね。
じゃあイエスが自分の宗教だけを大切にしていたか、というとそんなことはなくて、福音書に現れる律法学者(宗教界のエリート)から大司祭(ローマ教皇くらいに相当)まで、出るわ出るわ暴言の数々。ところが、イエスはサマリアの女(半分ユダヤ人の異民族であり、信仰形態も違う)、またツロの女(ギリシャ人、異民族)などはむしろ歓迎しています。
つまり、イエスが批判していたのは信仰のあり方であり、その対象はぶっちゃけどうでも良かったものです。そりゃ自分の方向いてほしいのはやまやまでしょうけど、それを強制したりはしていません。
その証拠に、その後パウロはアテネの町で様々な神々の像を見て感嘆し、讃えたうえで伝道しています。つまり、キリシタンが日本でやったような神社仏閣破壊はしていなかったのですね。
んで、狂ってくるのは「キリスト国」の時代になってからです。と言いますのは、原始~初代教会まではローマ帝国にフルボッコにされながらも逞しく続いていたものの、ローマの国教になったことによって政治に組み込まれます。それ以降、政治が力をつける=領土を増やす、領民を回収するという段階になって、他方、破壊をすることも仕方のないことになってしまいます。
ただ、それが一般信者レベルにまであるかというとそうでもなかったりして、例えばもうそろそろお返しが気になる聖バレンティヌスは、元々ローマに逆らい、一般信者と兵士の挙式をして殉教しています。
また、聖ダミアン神父は、まだハンセン氏病が差別されて当たり前の時代、患者たちに拒否されても彼らに尽くしたことで列聖されています。
聖マリア・コルベ神父は、アウシュビッツで命乞いをしたユダヤ人の身代わりになって、ナチス・ドイツ(キリスト教プロテスタントと考えるべきか?)により殉教しています。
最近の例では、イスラエルではムスリムさんたちとキリスト教徒の涙ぐましい友情物語があるらしく、イスラム過激派をムスリムが、キリスト教原理主義をキリスト教徒が妨害し、互いの教会を守っているらしいです。カトリック新聞に載っていたので、そこそこ信憑性はあると思います。
長々と書きましたが、基本的に聖書は言ってることは変わっていません。ただ『言ってないこと』があったりして、それを新約、聖伝が補完しているという形です。
ですので、質問者様の言うとおり、キリスト「教」はまだ謝罪と償いの途中ですが、「イエス・キリスト」はそのようなことは言っていません。
大変詳しく教えていただき、ありがとうございます!でも今全部いっぺんに飲み込めないので、後程読み返させてください
(^^;)ともかく、ありがとうございます。
No.6
- 回答日時:
こんばんは?? お早うございますかもしれませんが、回答失礼します。
基本的にユダヤ教といいますか、旧約聖書は選民思考が強かったですので、異教徒皆殺しというよりは、他の民族よりうまくやれ、上手にやるよう努力しろということでした。
今の日本人が神社やお寺に行って、うまくいきますように…というのが少し大きく強くなったくらいの認識でいいのではないでしょうか?
キリスト教は、そんな考えでは信徒が増えないと思いましたし、増えたところで(ローマ帝国で)意味もありません。
より強力なお寺や教会で、いわゆる”宗教”となるには異民族を多く受け入れる必要がありました(かなりおおざっぱですがw、パウロ書簡より)
旧約聖書の言葉と、新約聖書の言葉はさして違いません。 (これもおおざっぱですが、福音書より)
異民族殺しではなく、ただ他の信仰にある人々を考えるのが未熟だったのからではないでしょうか??
いまは、他の信仰(宗教)も含めて、たくさんの信仰や宗教の中で、同じく悩んでいるのがキリスト教です。 多数派でも、教派が分かれすぎて、今や力のある信仰などありません。
異民族皆殺しは、日本人がやったこと含めて確かにあるかもしれませんが(北海道在住です…)キリスト教の考えでは、出すのが難しいです。
長文失礼しました。 参考までに…
No.5
- 回答日時:
キリストはそういうことを言っていません。
ただし、一神教で、多神教は邪教で天なる神は許容しない、と教えられますから、多神教を信じる人々の魂を救うために、身体を消滅させる、と言う理屈は原理的には成立するでしょう。
原理主義はこわい。
No.4
- 回答日時:
補足について。
キリストが肯定する事を肯定するのが、キリスト教でもなく、キリストが否定する事を否定するのが、キリスト教でもないのです。
で、キリスト自身が異民族異教徒みなごろしを肯定したかどうかを問えば、肯定し得なかったし、否定もし得なかったといえるでしょう。人智を以って善悪を知ることは叶わず、神のみぞ知る、全ては神の思し召し、なのだからね。
No.3
- 回答日時:
キリスト教は、イエスキリストの「教え」ではないという事を、何回言ったら理解して下さるのでしょうかね?
法前仏後であるような他宗教と比較した場合では、キリスト教はイエスキリストの「教え」であるといって差し支えないのかも知れないが、厳密にはそうではない。啓典宗教である一神教は、神前法後です。何よりも神あきりの事なのですよ。「神は有って有るもの」神の実在論に終始するのです。
イエスキリストは、仏陀が真理に到達して解脱するごとく、古代ユダヤ教の教徒やその預言者達がどんな努力をもってしても到達出来なかった、神の命に従う事、神への信仰とは何かという大真理に到達した人です。それが無条件無限が機能する愛(アガペー)です。
イエスキリストは、処刑される間際まで、神の存在を一切疑う事なく無条件無限に神への信仰を貫いた、その事により、復活の奇蹟を発現させた人です。そのセンセーショナルな現象をキリストの弟子たちにより急ぎ伝えられたのが、キリスト教です。キリスト教義は、キリストの弟子達が目撃した現象の証言からなるのです。
No.2
- 回答日時:
>>キリストはそんなこと肯定してないんじゃないですか?
そうですよ。でも、キリスト教徒って、「ここは試験範囲じゃあないから勉強しない」とか「昔の教えは間違っていたんですよ」という考え方で、「旧約聖書は、古い・間違ったものですが、キリスト教の歴史を知るという意味で、とりあえず勉強します」というスタンスではないといいます。
つまり、旧約聖書も新約聖書も「ごった煮状態」で、教えられています。
なので、キリスト教徒は、イエスキリストが改革・改めようとした、旧約聖書の教えも新約聖書の教えと共に学んでしまう間違いをずーと犯してきました。
これが物理や化学の世界なら、
「昔はね、天動説ってのがあって、周転円に沿って恒星や惑星が地球の周りを回ると考えられていたんですよ。でも、これは間違っていました。正しいのは地動説で、地球が太陽の周りを回っているのです。」
と物理の先生は教えると思います。
でも、キリスト教徒は、理系人間じゃあないので、旧約聖書に書かれているような「神の命により、老人から子供まですべて、先住民は皆殺し」「異教徒は人間じゃあないので、皆殺しだ!」という教えも、キリスト教(イエスキリスト)の教えとしてしまいました。
なので、キリスト教徒は、異教徒の皆殺しができるんです。
いや~結局政治に都合のいいように利用されてるってことですよね?一番かわいそうなのがキリストじゃないか?と思います。わかりやすいご解説をいただき、ありがとうございます!
No.1
- 回答日時:
旧約聖書読んだことないんですか?
十戒に、殺してはならない、と書いてありますし、キリストは剣を手にする者は、剣で滅びるから、鞘に納めなさいとペテロに命じて、はりつけで死んでますよ。
キリスト教でなくても、異民族異教徒殺しなどといった宗教はありません。
ただし、原理主義の場合、正義という名のもとに殺してしまいます。
ジョージブッシュが原理主義者でした。
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いや、宗教業界でキリスト教がそうなってる、ということが分かったうえで、キリストはそんなこと言ってないんじゃないですか?という質問ですよ。質問にそう書いてますよね?
あれ、旧約聖書には、異教徒撃退を肯定する場面があるんじゃないですかね?そういう話を何度も聞いたんですが…