プロが教えるわが家の防犯対策術!

▲ (アウグスティヌス:《心の欠けなる傷》について) ~~~
 かの全能者は 
 最初の人(アダムとエワ)からであれ 
 その後に加えられたわたしたちの意志からであれ
 わたしたちに起こっている悪を
 その満ちあふれる恩恵によって
 滅ぼしている。
    (『ユリアヌス駁論』1・5 金子晴勇訳)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
☆ のではないか? 
信仰の有る無しにかかわらず。
それでこそ普遍神である。

人間の・おのが能力と努力だけによってはなほすことが出来ない場合がある。という
含みを持たせていますが。

A 回答 (4件)

回答をダブらせてしまいました。


ご免なさい。
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この回答へのお礼

了解です。

お礼日時:2016/03/10 18:57

質問文には「わたしたちに起こっている悪をその満ちあふれる恩恵によって滅ぼしている。

」とありますが、この部分に付いて“恩恵”をどう受け止めるか、というのが私の初めの回答?です。
ぶらじゅろんぬさんの表現なら“やましさ反応”となります。

悪を滅ぼす“満ちあふれる恩恵”は自浄力となって“傷”を滅ぼすわけですが、その“傷”を滅ぼそうという“動機”となるのが罪悪感或いは、やましさ反応で、学ぶという過程を経ずに元々心に備わっている、というところから“恩恵”と受け止められるのです。

最初の回答?への感想は“恩恵”の解釈を広げてしまっているように思います。
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この回答へのお礼

№2を引き継いでのおぎないですが。

つまり 《罪悪感ややましさ反応》などの動機を経て 恩恵がはたらくと
いう筋道もあり得ますが それだと まだなお《有料》であるように考え
られませんか? 賽銭を払っている感じが。

有料ではなく無料だという意味は われわれが知らないあいだにすでに傷
を癒すハタラキは済んでいる。ということになりますまいか。

それでこそ 普遍神のチカラ。神と言う必要のないほどの神とその霊。
一方的に癒してくれる。のだと。

お礼日時:2016/03/10 19:02

質問文には「わたしたちに起こっている悪をその満ちあふれる恩恵によって滅ぼしている。

」とありますが、この部分に付いて“恩恵”をどう受け止めるか、というのが私の初めの回答?です。
ぶらじゅろんぬさんの表現なら“やましさ反応”となります。

悪を滅ぼす“満ちあふれる恩恵”は自浄力となって“傷”を滅ぼすわけですが、その“傷”を滅ぼそうという“動機”となるのが罪悪感或いは、やましさ反応で、学ぶという過程を経ずに元々心に備わっている、というところから“恩恵”と受け止められるのです。

最初の回答?への感想は“恩恵”の解釈を広げてしまっているように思います。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 最初の回答?への感想は“恩恵”の解釈を広げてしまっているように思い
ます。
☆ いやぁ そうですよ。拡大した解釈ですよ。

つまり:
★ 学ぶという過程を経ずに元々心に備わっている、というところから“恩
恵”と受け止められる
☆ のですから――自覚は必要だと書きましたが その自覚を得る前にす
でに―― 恩恵は享けている。というものです。

あとで それは 恩恵であると気づき自覚も出て来るという意味です。

つまり:
★ その“傷”を滅ぼそうという“動機”となるのが罪悪感或いは、やましさ反
応で
☆ あることも マチガイないことだと思います。そういう場合もあります。

ですが そうでなく その《動機》にすら気づかずにすでに心はその傷が癒
されていたという場合もある。と思うのですし そのように言いました。
拡大解釈です。

つまり 恩恵は 《無料》ですので 《動機》といった賽銭もいっさい必要
がない。と考えました。なにしろ《満ち溢れて》います。やましさ反応の以
前にすでに 傷の癒しははたらいていた。と。

お礼日時:2016/03/10 18:57

満ちあふれる恩恵。


この場合の恩恵を神はどの様に人の心に表しているか。
これを私は罪悪感として表した、と見ます。

教えられた訳でもないのに、身に付けています。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

差し出がましいようですが もっと明らかなシルシがあります。
《罪悪感》よりもです。

すなわち 《恩恵・めぐみ grace 》とは 《只(無料) gratis 》と
いう意味があります。

☆☆(趣旨説明欄) 信仰の有る無しにかかわらず。
☆ なのです。つまり 《シルシがない。シルシは要らない》という
最も明らかなシルシです。


★ 教えられた訳でもないのに、〔罪悪感を〕身に付けています。
☆ ちょっと言いかえて:
○ 教えられた訳でもないのに、めぐみを享けています。

☆ ただし そのめぐみを享受するという自覚がないと分からないか
も知れないですね。


《罪の意識》も じゅうぶん分かるご回答だと思います。
しかも 罪を知り悔いたゆえに 恩恵を享けることができるといった
みみっちい恩恵ではなく ――つまり 《只》なのですから――《満
ち溢れているめぐみ》なわけなのだと思います。

こういう手放しの自由についてのお話がしたかった。

お礼日時:2016/03/09 18:10

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