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1. 孤独からの帰還か 孤独への還帰か?

2. 孤独地獄から生還するというよりは ひとは 孤独に立ち帰っておのが存在たる
ことが出来る。と見るべきか? 


 




3. 孤独とは たぶん 他者とのあいだで ひとが独りであることが切り結びするこ
とである。

4. 孤独とは 孤独関係である。

5. この自己了解から われは いま・ここなるわれに立ち戻って来て 社会的な不
自由や不安やまた広く孤独関係に向き合ってあゆむものか。

6. それとも われが社会にあって孤独関係なるわれに立つとき むしろおのが孤独
なる固有の存在に立ち還っていると見るべきか。

7. 《わが固有なるとき》こそが われのわれたる所以である。か?

質問者からの補足コメント

  • HAPPY

    ★ つまり 「あなたが現にあるがままのあなたであるがゆえに、全人類が唾を
    吐きかけてきた」ら・・・?
    ☆ まづ《唾を吐きかけられるほどの存在》である われは。と思うでしょうね。

    何もしない・現にあるがままのわたしにして それくらいの存在ではある。

    自殺は関係ないでしょうね。するとしたら むしろ人びととつながったという喜び
    のあまりそうするかも分かりません。

    そしてその《気づき》をわたしが得たなら 人びとは目聡い者だと思うのですが
    おそらくわたしの傍に寄って来るのではないでしょうか。おまえは 人間が出来て
    いると思うのでしょうね。

    これで めでたし めでたし! ――てなもんや ですね。

    シオランは あいにく知りませんで勘弁を。

    No.11の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2016/04/23 13:50

A 回答 (13件中11~13件)

No.2です。


「★ しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません
・・☆ ん? そうですかね。
つまり わたしの場合は ひとはもともと孤独である。です」
→もちろん、一人で生まれて一人で死んで行きますからね。

「孤独を感じないでいる状態というのは ただ仕事や日常のことやに心が
紛れて 気づかないだけだとも思います」
→そんなことはないと思います。
私の場合は、孤独の状況でも寂しくないような自分を普段から作っている。そんな人生観です。

「★ 孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです
☆ そうですかねぇ。
 クリスマスツリーの樅の木本体は どっちの人にしても ひとの自然
本性としてまったく同じである。とは思っているのですが」
→すみません。その意図がよく分りませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 私の場合は、孤独の状況でも寂しくないような自分を普段から作っている。
そんな人生観です。
☆ という同じ趣旨で この質問を問うています。よ。

ですから 生活日常にあっても ひとつの基礎は むしろ孤独なるわれという
ことに置いていることが 出来るのではないか。そういう行き方もあるのでは
と尋ねていたのです。

クリスマスツリーの樅の木は 基礎としての孤独なるわれであるという意味で
す。カザリは 極端に言えば どうでもよい。
カザリをつけても 基礎は 樅の木にあるといった感じです。どうでしょう。

お礼日時:2016/04/18 21:04

孤独は多くの人の心に恐怖としてありますね。


しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません。
孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです。
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この回答へのお礼

ご回答をありがとうございます。

★ 孤独は多くの人の心に恐怖としてありますね。
☆ そうですかね。かすかに そういった心の状態にあった時期のこと
が 思い出されるような感じですが。

★ しかし、孤独は自らが招いた結果であることが少なくありません。
☆ ん? そうですかね。

つまり わたしの場合は ひとはもともと孤独である。です。

孤独を感じないでいる状態というのは ただ仕事や日常のことやに心が
紛れて 気づかないだけだとも思います。

★ 孤独でない人と孤独な人の差は、人生観においてとても大きいです。
☆ そうですかねぇ。 

 クリスマスツリーの樅の木本体は どっちの人にしても ひとの自然
本性としてまったく同じである。とは思っているのですが。


ぜんぶ反対してしまいました。
もっとも 逆にすれば ほとんど同じ内容の世界を見ているのかも分か
りません。

お礼日時:2016/04/18 14:48

物質は多数の元素の集まりであるが 一個の原子は独立した孤独な状態であり それがくっつくと物質としての性質を帯びる。


人間も 人一人は孤独で独立した存在であるが これが集まって社会を作り 独自の性質を帯びる。
「全ては個であり 孤独である」は真実であるが これが性質を帯びるには「集団化しなければならない」のだ。
故に 他と切り離し関わらない個は 人間の性質を持てない。

よく人は「自我」と称して自らを認識するが この多くは他の環境から作られた「世界観」の集まりであり 厳密に「自我」といえるのは 実は楽しくおいしく嬉しければ良いという 単純な本能くらいしかないのが本当のところではある。
故に 孤独と向き合った時にもし 楽しくもおいしくも嬉しくもないのなら 自我と反する認識であって矛盾と誤解を抱えている。

今そこに在るものはかならずそこに在った理由があり それ以外のものにも別の時にも 在り得ないもの。
それを固有と呼ぶのも良いだろうが 流転の中 川の流れの1分子を見て 「それが所以」とこだわる事に そんなに意味は無いとは思う。

結果として人間の個の役割としては 「まあ少しは善く在ろうとすれば良い」程度だと思う。
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この回答へのお礼

ろかばうらさん ご回答をありがとうございます。
こちらの見解を勝手にぶつけてまいります。

★ 一個の原子は独立した孤独な状態
☆ こういう言い方をするかなぁ。するとしたら 文学的表現では?

モノ(質量)あるいはコト(エネルギー)は そもそも量子の場そのもの
ではないのですか?

その場が ユラギを起こし 中には個別のモノとして離れて行った状態に
なる。

それを 
★ 孤独な状態
☆ と言うのでしょうか? でも
★ 独立した状態
☆ と見るかは 微妙なようにも思われます。相互の依存関係およびその
相互影響による因果関係のもとにある。とも思われますが?

あぁ 《原子が》ですか。でも どうなんでしょう。



★ 「全ては個であり 孤独である」は真実であるが これが性質を帯び
るには「集団化しなければならない」のだ。
☆ この点はですね。《孤独なる個》がそのまま・つまりその孤独性もし
くは〔相対的な〕独立性を帯びてさらにこれを保ったまま ほかの人たち
と相い交じわる。のではないかという趣旨ではあります。

独立した個であるゆえ 社会という集団をもかたちづくることが出来ると。

つまり 孤独が《孤独どうしの関係》であることにおいてすでに《社会的
動物》としての関係性は帯びており これを意識し自覚するかたちでも持
っている。のではないかと。



★ 今そこに在るものはかならずそこに在った理由があり それ以外のも
のにも別の時にも 在り得ないもの。それを固有と呼ぶのも良いだろうが
☆ この見方とはびみょうに違うという感覚を持ちます。

単純に《掛け替えのないそれぞれのわたし》が 固有という意味だと。

たとえば 孤独である状態は 人間として誰もに同じであるかも知れませ
ん。でもこれを味わう・あるいはおのれの元におさめるといったことは
わが固有の時である。と思われるのです。

われがいま・ここに在る理由があったとしても・なかっとしても そして
そのことが自分に分かったとしても分からなかったとしても われは我が
固有のときをそなえた他の誰でもない人であり存在だと思うのですが。



《自我》についてそれがマヤカシであるとおっしゃっているとしたら 我
が意を得たりと思います。

お礼日時:2016/04/18 10:06

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