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なぜ宗教は禁欲が多いんでしょうか?
仏教とかキリスト教とか発祥が別でも禁欲の習慣があります。
これは、人類社会が貧乏だったり医療が発達していなかったりしたことと関係があるのでしょうか?
先進国では宗教は衰退の一途にあります。

A 回答 (2件)

1、


人間は知恵を使います。
しかしこの知恵を何に使うかというと、およそろくでもないことが多く、要するに欲望を満たすことに知恵を用います。
欲望には金銭欲、性欲などがあります。
こういうものが身近にあると、どうしても人間の精神は、知恵を使って欲望を満たす方向に働きます。
なので、宗教的なこと、人生の意味とか生きる意味とか、を考えるために、欲望の源となるものを遠ざけるのです。

古来の宗教とは、およそ頭の良い人が集まって考え続ける仕事でした。今でいう哲学とか科学とかは、まだ宗教に含まれていた時代です。
なので考えに集中するために、欲望を遠ざけたわけです。
本来は結婚も許されません。

2、
でも時代が下って、文化的規範がたくさんできるようになると、まあバランス感覚があれば結婚くらいはいいんじゃない? と言われるようになりました。
でも人々に道徳を語らなければならない手前、欲望を満たすようなことを毎回やってるわけにはいきません。
平たく言えば、道徳とは欲望を我慢することだからです。
宗教者には道徳的な性しか許されないのです。

3、
また近代ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェは「酸っぱいブドウの心理」を宗教の中心原理であると主張しました。
それは、
貧乏で不幸で不幸で不幸で不幸な人がいたとします。そのひとは贅沢ができません。
ああ、自分も贅沢ができたらいいなあ、と思います。でもできません。
このとき悔しいと思うこともできますが、楽をすることもできます。
それは考え方を変えるのです。
つまり「贅沢は悪いことだ。贅沢をすると地獄に落ちる。だから贅沢をしない私は良い人間であり天国に行けるはず」これです。
考え方を逆転させます。
これを価値転倒と呼びます。
例えばこれを性欲にあてはめると、
「モテない人間ほど善良な人間であり、正しい姿である」となります。
昔の人類のほとんどは貧しく貧乏で贅沢もできなければ、恋愛も自由にできません。
なのでこういう考え方にはまるのです。

これらの観点から、宗教では禁欲が主流になったと思われます。

先進国で宗教が衰退したのは、社会の規範と、宗教が提示する道徳が乖離してしまったからです。
世界の合理性は、科学によって。
社会の道徳は、民主主義や基本的人権といったルールによって決まるようになりました。
よって宗教の必要性が、薄くなってしまったのです。
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