架空の映画のネタバレレビュー

自分らしく生きる、自分の人生を生きる、本音で生きる事はリスクが大きいのではありませんか?
アドラーの心理学を解説した、「嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え」という本では、次のように書かれています。

・他者の期待を満たす必要は無い。
・自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか。
・自由とは他者から嫌われることである。
・全ての人から嫌われない生き方は不自由極まりなく、そして不可能。
・対人関係における自由のコストは他者から嫌われることである。


これらは本の意図(自分らしい生き方の奨励)と逆に読むと、自分の生き方というのは多くのコストや困難があると見て良いかと思います。
八方美人と言われようとも、人目を気にした方が楽と言えば楽だし、うまくいく事も多い。
その方が楽しいかもしれないし、ネットの俗語で言うところの「リア充」になれるかもしれない。
それでも、自分の生き方を果敢に生きるべきなのでしょうか。
みなさんは、自分を出して、自分の人生を生きることが出来ていますか。

A 回答 (8件)

人それぞれだと思います。


自分の欲するままに生きているのが、そのまま愛され体質の人もいると思いますので。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/06 23:36

嫌われないようにしようとするから嫌われるんです。


美しいワイングラスを傷つけまいと丁寧に持つがゆえ落とす、みたいな。

自分を曲げ、歪むからおかしくなる。
どんな人間であれ、素直な人は嫌われませんよ。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/11 17:56

リスクもあるが、ベネフィットもある。


要はバランスポイントをどこに置くかだと思います。
充分に強ければ、望むところに置くこともできるでしょう。
でもほとんどの人には難しい。
できる範囲で最善をしよう、ということなんでは。

言うまでもないことだけど、嫌われる自由というのは、ジャイアニズムとは違う。
侵略してもいいわけじゃない。

まあ自分にできる範囲で、あまり不適切でないことをやればいいんじゃないかな。
できるだけ、できる範囲を広げて行きたいとは思ってる。
永遠の努力目標と言ったところでしょうか。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/09 18:22

本音で生きることにリスクがあると思われるのですね。

難しく考える必要はないのではないでしょうか。他人に気をつかうことなく自分が楽しく生きていけばよいのだと思います。他の人が何と言おうと構いません。ただし、他人への思い遣りは必要かもしれません。自分の幸せより他の人の幸せを優先させる事も必要だったりします。私は思うままに生きており毎日が楽しくて仕方ありません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/07 22:16

嫌われることを恐れない方がいいってのはすごくわかる。

結局「最初から言えばいいのに」と言う奴はいるからね。自分がそう思わないことをさも「そう思う」ってのは、胃に穴が空くくらいのストレスだと思うよ。俺は現実世界でも「迷惑です」「イヤです」Noははっきりと言うようにしていても、嫌われないんだなぁと実感したね。言った後何も言われないのも清々しい。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/07 13:24

あなたの仰るリスクとはどういったモノなのでしょうか。


私は自分にできることしかしません。
しかしやると決めたからには最後までやり遂げます。
責任感があるからです。
流されて生きている人には責任を持つ覚悟がありません。
常に恩恵を期待しながら生きることになりますので、裏切られた時のガッカリ感は半端ありません。
そんな人生、私はまっぴらご免です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>あなたの仰るリスクとはどういったモノなのでしょうか。

例えば、好かれにくく、嫌われやすいとか、
自分の生き方を追求する方が人生で失敗しやすいのでは無いかというところです。
責任を持つ覚悟というのは考えていませんでした。

お礼日時:2016/05/07 07:21

波の上をゴムボートでプカプカしてたら楽しいかもしれないけれど、自分の行きたいところに着くとは限らない。


それに嵐がきたら波にのまれて大変ですよね。

でももしあなたにオールがあれば、波を逆らって行きたいところにいける可能性が高くなる。
嵐も避ける術が出てくるかも。
ただボートを漕ぐのはとっても疲れるわよ。

どっちがいい?

といわれたら、どっちがいいですかね?

できたらオールで漕いで自分の人生生きてみたいけど、波にぶつかり未知の世界に漕ぎ出す勇気のない私は、やっぱり世間の波をプカプカ、時々妙なしがらみに巻き込まれても出来ることは半径30センチにグチグチと不機嫌を垂れ流してみることのみ。

波が味方してくれるような人徳のある人間になってみたいです。

不思議な文章ですみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/07 00:37

その本は読んだ時ありませんが



>他者の期待を満たす必要は無い。
「無理をして」他者の期待を満たす必要は無い

>自由とは他者から嫌われることである。
別に自由にしたからといって嫌われる訳ではない
他者から嫌われる=自由だ という事じゃないので

>全ての人から嫌われない生き方は不自由極まりなく、そして不可能。
全ての人から嫌われる生き方も不自由きわまりない

>対人関係における自由のコストは他者から嫌われることである。
対人関係を保つために必要なコストは労力です、他者から嫌われる事ではない

自由という物が無法地帯で野生動物と同じくらいの感じをイメージしてるのであれば通る理論ですが
それは生活するには不自由な状態です

たとえ話になって申し訳ありませんが
500m走をするとします
自由に走っていいです→てんでばらばらの方角に走って行って収集つかない
1レーン直線だけ使用して10人走ります→窮屈すぎてレースにならない
一人1レーン直線、10レーン直線で10人が走ります→適度、だけど競争はある
自由にしていいといっても、混沌になるのは良くないですよね
まあ、適度がいいのではないかと思います

自分勝手で自由にしてもいい、けど同時に、相手の自由も尊重するという事をしなければいけない
相手の自由と自分の自由が同じなら、そういう風に行動すればいい
ただ、自由に行動したら、その結果という責任を受けるのも自由に行動した事の範囲
自由に行動したい場合は、責任取りつつ動くしかないのです
男性が女性を振るのも自由、その女性が腹立てて殴るのも自由、殴られたから警察に行くのも自由 なのですよ
こんな面倒な自由でなくても
男性がその女性が納得するように説得し別れるのは自由、その女性がその別れで悲しむのも自由 なのです

なんだかんだ言って、みんな自分勝手に生きてるもんです
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

お礼日時:2016/05/07 00:35

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