

ゼノンのパラドクスとはおよそ次のような内容のものである。
1.移動することは不可能である
2.アキレスは亀に追いつけない
3.飛んでいる矢は止まっている
ゼノンのパラドクスについてはその意味、その目的が何であるかが問われきました。
私なりの解釈。
一般にゼノンのパラドクスは数学の問題として紹介されますが、これは数学の問題ではなく純然たる哲学の問題であると捉えます。
我々の直感では移動することは可能であるし、アキレスが亀に追いつくことは分かっているし、飛んでいる矢は止まっているのではなく実際飛んでいることは分かっている。
それらのことは現実の問題として既に明確な答えが出ているから分かっていることなのである。
にも関わらずその単純明快な直感的理解に逆行する論理を作り出すことは可能であるということ。
ただし直感的理解は宇宙の法則が示すものであるのに対し、直感的理解に逆行する論理は常に人為的に作り出されるものであるということ。
この2つの違いは本質的であり、この2つの違いをはっきりと区別することが重要であるということ。
そしてこのとき直感的理解を支持すべきか、直感に逆行する論理を支持すべきなのかということ。
このような問題は実は我々の身の回りに絶えず数限りなく存在するのである。
現にキリスト教はあるはずもない奇跡を説いているし、仏教はこの世は無であるなどと説いている。
これらはいずれも我々の直感に逆行する論理であり、人為的に作り出されたものである。
ここでもしも直感的理解を支持するのではなく、直感に逆行する論理を支持するのであれば、我々は常に自分の意に反したことを考え、自分の意に反した行動をとることになるのではないか。
それで良いのかということ。
ゼノンはこの問題をパラドックスによって提示したのではないでしょうか。
A 回答 (8件)
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No.8
- 回答日時:
実生活上での(感覚的)「真実」があり、学問上での(理論的)「真実」がある。
人は必ずしも「正解」の上に立って生きているわけではない。
が、
日々の生活で、自分の依って立つ足場が、必ずしも正しいわけではないという反省は常に必要。
No.7
- 回答日時:
私は哲学的に、物理学的に時間論を研究しております。
未熟なる者ですが、気になりましたので回答させていただきます。その前に、「直感的理解は宇宙の法則が示すものである」と断定されていらっしゃることが気になりました。「直感的理解」は「人間の判断」の一形態を超えないように思えます。「宇宙の法則が示している」と断定されていらっしゃるのですが、信仰に近い勝手な断定のように感じてしまいました。
本題に入ります。ゼノンのパラドックスですが、私たちは「いろいろなものが変化している」ということを知覚します。このことから、変化していることがわかります。「いろいろなものの変化」を経験しています。この経験した「いろいろな変化」から、世界は「変化のあるもの」と捉え、自分の直感や経験を超えて「現象全体」と設定し、この全体を捉える一つの手法として、「時間」なる統一的な範囲概念を頭の中に(社会的にも)設定して、一つの尺度として利用し、統一的に世界を整理しているのではないかと思います。時間概念に方向性の意味を含めることはできますが、統一的な範囲基準として使用しているのですから、時間概念の中に「現実は変化している」という意味を含有することができません。経験した「統一的な現象」なるものは整理することはできますが、「現実は変化している」という意味を時間概念によって表現することはできないということです。「現実は変化している」という意味を表現しようと「変化している時間」を無理やり設定しようともしますが、それは変化している現実の中の「変化している物体」として扱っているだけで、それはもはや統一的な時間ではありません。
このパラドックスは、私たちの使用する統一的な範囲としての「時間」によって、変化している現実を無理やり「時間」の中の範囲部分として置き換えて表現してしまったことから生まれた詭弁論理なのだと分析いたします。見つけることが難しいとは思いますが、詭弁論理には論理の穴があるようです。
私たちが物理学で考えます「法則」なるものも、この「時間」なる尺度を基準にしてしまっているようです。
直感はきっかけになるとは思いますが、直感だけで理解したと断定してしまうのではなく、慎重に精査していくことが重要であると考えております。間違えないために、誤解しないために、身勝手な思い込みを防ぐために「きちんと分析して、正確に理解していく」それを「論理」と呼ぶ、というのはいかがでしょうか。

No.6
- 回答日時:
お久しぶりでございます。
古代ギリシアの数学、(自然)哲学は、「無」や「無限(分割)」を認めない「有」の数学、哲学だからね~。
だから、こんなことになってしまう・・・。
そして、ゼノンのパラドクスのうまいところは、「無限の点を通過する」を「無限の時間が経過する」に巧妙にすりかえているところ。
このことに気づく人は少ないね~。そして、往々にして、頓珍漢なこと、的外れなことを口にする。
ゼノンは「飛んでいる矢は(実は)静止している」と言っているわけではなくて、「空間(や時間)の無限分割を認めると、この様なパラドキシカルなことが起きる。だから、無限分割を認めるべきではない」と言っているんだケロ。ゼノンは、運動を否定しているわけじゃ~ない。
そして、「この無限や無、ゼロを認めない」というのは、直感的なもので、経験的なもの、常識的なもの。むしろ、「ゼロや無限認める」ことの方が人為的で人工的、作為的なもの。
数学者のクロネッカーの
「(正の)整数は神の作ったものだが、他は人間の作ったものである Die ganzen Zahlen hat der liebe Gott gemacht, alles andere ist Menschenwerk.」
という言葉に象徴される。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%82%AA …
ゼロに関するパラドクス(?)として次の有名なものがある。
x=0
x^2=0
x^2 = x
この両辺をxで割る(※)。
x=1
さらに、
x=0
x=x+x=1+1=2
よって、
0=1=2
同様に
0=1=2=3=…
(※)ゼロ割の数学の大禁則を犯している!! このことは、裏を返せば、ゼロという数は(演算)規則に反する例外的な数だということを意味するのではなかろうか。
さらに、ゼノンのパラドクスは、カントールの対角線論法、実無限と可能無限、「無限の階層」といったような話につながってゆく。
カントールの対角線論法
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%B3 …
実無限と可能無限
http://www.geocities.jp/x_seek/quantum_number_th …
無限の階層
https://books.google.co.jp/books?id=7EEtCwAAQBAJ …
人類が数学者が無限を何とか矛盾なく使えるようになったのは、20世紀に入ってからだにゃ。そして、現代の無限という考え方は極めて恣意的なもので、常識や直感や直観に反するものだにゃ。
デモクリトスの原子論は、古代ギリシアの本来的な「無限分割を認めない」、「無やゼロ認めない」という立場、考え方から生まれたものだにゃ。
そして、アリストテレスは「自然は真空を嫌う」と言ったにゃ。
これらもゼノンと共通する古代ギリシアの(自然)哲学の考え方に基づいている。
言っておきますが、たまたま、今日、ここに立ち寄っただけだにゃ。
⑨ネコは、再び、去るにゃ(^^)
No.5
- 回答日時:
>一段階アウフヘーベンするには哲学の問題に焼きなおす必要があります。
アウフセンベーを焼きなすのか。確かに溜りを付けでこんがり焼きなおすと醤油のこげた臭いが香ばしくなって、美味いかもしれん。哲学なんてもったいない。そんなことなんかやってないで、センベー屋をやらせてみたくなるほどの才能の持ち主なんだね人のミチミチミッちゃんは。
ヘーベンて美味しいんですかと猪突言い
No.4
- 回答日時:
無限級数の和が有限になりうることを知らず、さらに微係数の概念を知らず、絶対値の概念だけで現象が説明できると誤解をしていた事から矛盾であると誤解した。
これがゼノンのパラドクスです。人類は無限級数も微係数もゼノンの時代より2千年以上経ってから認識できるようになったんで、ゼノンが頓珍漢なことを言ったからと言って責めるわけには行かないでしょう。それよりも、ゼノンのパラドクスが完全い解決されたあとになっても、未だに人類の思考の進歩について行けずに、ああだこうだと言って取り残されている方がおられることに、お可哀想にとご同情申し上げる次第です。
ゼノンのパラドクスから一段階アウフヘーベンするにはどうしたらよいか。
問題を焼きなおすことである。
直接的な答えは「無限級数の和が有限になりうること」となりましょう。
しかしこれは数学的事実の断片に過ぎない。
これではアウフヘーベンできまへん。
一段階アウフヘーベンするには哲学の問題に焼きなおす必要があります。
直感的真理と詭弁の違いだ。
このように哲学の問題に焼きなおすことで問題の本質が明らかになるのである。
これで一段階アウフヘーベンが達成できるのじゃ。
メデタシメデタシ。
No.3
- 回答日時:
wikiに載ってるよ
ちなみに俺が持ってる広辞苑には「エレア学派のゼノンが、パルメニデスの「一にして不動な存在」を弁護
しようとして、多と運動とを否定するために提出した逆説」とある
No.2
- 回答日時:
パラドックスを整合させるにはどうすると条件に当てはまるのか?
私の答えは、それぞれの定義を1枚の絵に書くことです。
すると……
物体は動くことはなく、アキレスは亀に追い付くことは永遠に叶わず、飛んでいる矢は止まって見えます。
さて、連続する事象の一瞬間を切り取ったことで3つの条件が全て事実となったわけですが、しかし別の人はそれらの絵の解釈を見て真実では無いと言います。しかし絵を書いた人や見た人にとってはそれもまた真実と言うことになるわけで、ここでもパラドックス(相反する命題)が生じるわけです。ここで重要なのはどちらも同じ事象に対して真実を言っているということです。何故ならどちらも事実で、どちらも間違っているからです。
屁理屈ですよね(汗
要するに、同じ事象でも見る人によって真実は異なり、正解は無いということを指すのではないでしょうか。
勿論、解釈が間違っている可能性もありますが。そこは学の無い奴の戯言と笑い飛ばして下さい。
難しい言葉は苦手なのでなるべく分かりやすい言葉や例えを選んだつもりですが、いかがでしょうか?
>屁理屈ですよね(汗
悪いがまともなのはココだけかな。
仮に時間が止まったとしたら、飛んでいる矢は止まるしかないってのは当たり前の話。
しかしそのような話には思想や理念は見当たりません。
哲学には思想があり、理念がなければなりません。
No.1
- 回答日時:
連続性=無限分割=外的な存在、
といったものは、本質的ではない
ということ。(量子的不連続)
無限分割可能であるという真理は本質的であるが、無限分割されたものを足し合わせると無限になるという間違った幻想は本質的ではない。
宇宙連続体仮説
https://oshiete.goo.ne.jp/qa/8409265.html
宇宙は完全連続体である。
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