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最近、あの世や輪廻転生を信じる人が多いようですが

輪廻転生ってあるんでしょうか?

あの世って 結局死んだ後のこの世の心の世界の事ではないでしょうか?

その人の心が 死んだ後もこの世の心の世界に生きている

親は子供の心の中で生きているのではないでしょうか?

言葉がおかしければ 子供の心の中に在るのではないでしょうか?

どうなんでしょうか?

A 回答 (11件中1~10件)

死んだあとも生きてるんなら、それは「死んでない」ってことだわな。



ゴタクを並べてる奴がいるが、そもそも日本語にも言葉にもなってない。
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地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上 を六道と言います。

この六道を輪廻していると思います。
お釈迦さまは、生まれられた時に、東西南北に七歩ずつ歩かれて「天上天下唯我独尊…」と仰られたという逸話について、真宗寺院の御法話に参詣されて、質問してみてください。
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最初に科学的なお話を。


そして最後に哲学的なお話を。

この世とは、あなたや、あなたの周りにある様々な三次元の物体が時間の連続の中で存在する四次元の世界のことを言います。

おさらいをしておくと、ゼロ次元とは点です。一次元とは点が集合して線になります。二次元は線が集合して面になります。三次元は面が集合して立体となります。四次元は様々な立体が時間的に連続してこの世となります。

一次元に生きる存在は0次元を異動できますが別の一次元には異動できず、二次元という存在を認識できません。
言い換えると、ある線の中に生きる存在は、点と点を異動できますが、別の線には異動できず、面という存在を認識できません。


二次元に生きる存在は0次元、一次元を移動でき、二次元を認識することができますが、三次元を認識できません。
言い換えると、ある面の世界で生きる存在は点や線を異動することができますが、他の面に行くことはできず、空間を認識することができません。


三次元に生きる存在は0から二次元を移動することができ、三次元を認識することができますが、四次元という存在を認識できません。
言い換えると、ある立体の中に生きる存在は点や線や面のなかを異動することはできますが、別の立体に異動することはできず、時間を認識できません。
別の立体とは、時間の経過によって形を変える三次元空間のことを言います。つまり、1秒前と今とでは、いろんな物体が動いているので別の空間内で別の立体になっているということですね。

だんだん難しくなってきましたが、次が私たちです。四次元に生きる存在は0から三次元を移動でき、四次元を認識できますが、五次元の存在を認識できません。
つまり、私たち生物は、肉体という立体が時間の流れのなかで存在して形を変えながら生きているのですが、線や点や面や立体を移動することはできても、時間を意図的に移動することはできず、時間は認識できますが、この世以外の存在は認識でき無いのです。

そう、科学的には、宇宙から原子の世界まで、この世はフラクタルであり、五次元の存在を否定する根拠は何ら見つかりません。
ということは、四次元の先に五次元があり、五次元の先に六次元があるというのは、当然なわけですね。

で、たて、よこ、たかさ、時間のつぎに現れる概念が五次元を構成するのですが、この規則性からすると、今我々が生きているこの世がいろいろ形を変えて存在しているということになります。
今、あなたが右手を上げたとすると、我々の世界はあなたが右手を上げた世界。しかし、我々の認識でき無いところで、あなたが右手を上げなかった世界が存在しているのです。
無数の種類のこの世が。

ここで大事なお話です。我々は四次元に生きる存在ですが、五次元に生きる存在は、0から四次元を移動でき、五次元を認識できます。
つまり、時間を移動して、様々なこの世を認識できるのです。
我々にとっては、神に近い存在ですね。
この世を想像して形を変えることができるわけですから。

我々はこの世というある四次元において無から有を生み出せません。
しかし、五次元に生きる存在は、我々のこの世において、無から有を作り出せます。
たとえば、未来から今へ一つの本を持ってきたら、今の我々においては無から有を生み出されたことになりますよね。

ビッグバンで宇宙が作り出されたと言っても、無から有はできっこないって思いません?その答えがここにあるんです。

そう、我々の生きる時間と空間、いわゆる時空は、五次元に生きる存在によってもともと作り出され、我々が今認識している以外の時空も無数に存在するのです。

そして、我々にとっての神は、様々な時空を認識して時間を移動できる存在ですよね。その先の六次元に生きる存在も、また神です。神は我々の現実をいくらでも変えることができる。

さて、時空と神の話はご理解いただけましたでしょうか?
あとは、あの世という話ですが、科学的には、我々は分子よりもさらに小さい原子、その原子よりもさらに小さい量子、さらに小さい何かが、様々な規則性に基づいて合体してできており、心というのは脳のなかで様々な電気信号が発生して脳内物質をやりとりして、記憶や感情や思考を存在させているわけで、物体であることには変わりないのです。

残念ながら、我々は死ぬと、こと物体としての様々な生命活動が停止し、脳の中でも電気が流れませんし、脳内物質も動かなくなりますから、記憶や感情や思考もなくなるのです。
残念ながら、私たちの脳はべつの時空=あの世へは行けません。

ただし、物体を構成する要素は死体として存在し、いずれ分子レベルや原子レベルに分解されて、他の様々な物体を構成する要素になるのです。

ひとつ、救いがあるとしたら、脳の記憶は、体の細胞や分泌液の様々な細かいところに分散するということが近年の研究でわかっています。つまり、親の記憶は子供になんらかの形で受け継がれますし、我々の死体が、チリになってまた別の物体を構成するパーツになったときに、私たちの記憶がなんらかの形で、その物体に引き継がれるのです。

さて、ここまでが科学的なお話。
次に哲学的なお話を。

我思うゆえに我あり。
存在論から認識論へ、コペルニクス的な展開をした有名なフレーズです。
つまり、私たちにとっての何かとは、その何かを認識して初めて存在してるといえて、認識してい無いものは存在をしていないに等しいと言い換えることができます。

つまり、この哲学感からすると、我々はあの世を認識することができませんから、あの世は存在してい無いということができるのです。

でも私は、認識論ではなく、存在論を支持します。
五次元の先に六次元があり、その先に七次元、8次元と、もっとすごい世界観がある中で、我々にとってはすごい神のような存在がいて、我々のようなチッポケな存在を心優しく見守ってくれていて、良い行いをした人間は、死んだあとにも愛する人達と暮らせる世界を用意してくれていると。
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あの世事態ないのかもしれません。


僕の場合少しうっすらと前世で死んだ記憶があります。
1度死んで、そのまま魂を他の器である人間のからだに入った記憶があります。なので心でもなく、そう言う世界は存在しないとおもいます
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あの世って言うのは来世の事じゃないですかね。

解脱してない人は未来の世の、そのカルマに応じた相応しい場所に再び生まれる。大昔から信じられてきた世界の観方ですよね。
一方で、修行者と言うのは、この世もあの世も共に捨て去る、とも言われますね。

輪廻があるかって?
それは、あるかも知れない、くらいでしょうか。仏があると言うならあるんじゃ無いの?くらいに思ってます。
私の考えもありますけどね。
人間、人類は想念のネットワークを形成していて、死後は彼の想念だけが残る。みたいな。その想念が想念の海を漂う間に、再び何かと結びついて生まれを生じるのかどうかはわかりません。

中学生の頃は、死ねば無になると思ってました。
ただ大事なのは、来世があろうが無かろうが、今生を全うする事だと思っています。来世を気にして今を生きられない様じゃ本末転倒な気がします。

追記
アーラヴァカと言う夜叉が、憂いなき来世を得るためにはどうすれば良いか、と釈尊に尋ねるシーンが原始経典にあります。これに対して釈尊は四つの徳を説きます。四つとは、誠実、堪え忍び、物惜みしない事、自制すること、ですね。

追追記
親交のあった故人は心に生きている、これは至って自然な考えだと思いますし、事実その通りと思いますね。
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No.4です。


「実際には輪廻転生はないと受け取っていいのでしょうか」
→そう思いますが、信じている人がいてもいいでしょうね。
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この回答へのお礼

ありがとう

そうですね 成る程です。信じてる人は多いようですね昨今。

お礼日時:2016/08/31 15:40

死後の世界とこの世の心の中は全くの別物です。



あの世など死後の世界観を認めるなら魂や精神体のようなものが存在することになりますが

心の中で生きているというのは、あくまでその人の記憶でしかなく
魂・精神体などの証明にはなりません。

記憶を魂のようなものと同義とするなら、その人の知らない故人についての情報が欠落するなど
問題があります。
仮に心の中で生きているとしても、あくまでその人が知っている故人であって
故人本人とは別物と言わざるをえないと考えます。
また故人が誰の心にも残らなかった場合、その故人だけ世界が存在しないというのも・・・
消滅するんですか?


やはり心の中に在るというの無理があるかと。
在るのは、その人の心であり記憶でしかないかと・・・。

輪廻転生の有無については誰も証明できていないので
あるかも知れないとだけ。
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この回答へのお礼

ありがとう

私もよくは知りませんが魂というのは気持ちは在っても名前はないんじゃないかと

精神体というのは精神のことで それが見えるようなイメージで言ってるんじゃないかと

故人の影響は記憶だけじゃなくて 遺品やその人の行った事の様々な影響も在って

故人の跡がこの世界いっぱいに存在してるんじゃないかと それがあの世かなと?

誰かの心に残らなくても影響は残ってるだろうと思うのです。

輪廻転生は在ると言う人と無いという人と居ますねえ。

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/08/31 16:48

「輪廻転生ってあるんでしょうか?」


→輪廻転生は人生や死に対する恐怖感を和らげるために考え出した言葉ですね。
死にたくないと多くの人が思います。
大丈夫ですよ、死んでもまた新しく生まれ変わっていくのです、といえば、多くの人が救われますからね。
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この回答へのお礼

ありがとう

そうですね そう言われると救われる人も多いでしょうね

ただここは哲学コーナーなので 

実際には輪廻転生はないと受け取っていいのでしょうか

どうもありがとうございます。

お礼日時:2016/08/31 09:17

No.2です


一説には地球上空何百キロ辺りらしいですが
いわば宇宙空間ですね。
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この回答へのお礼

ありがとう

地球上空何百キロ辺りにあの世があるんですか。

地上500キロくらいまでが大気圏ですので 大気圏内外の微妙な所ですねえ

その辺にあの世があるのですね。分かりました ありがとうございます。

お礼日時:2016/08/31 09:13

あの世というのは我々の物質世界よりも


波動の細かい世界なのです
なのである意味心(思い)と同じようなものと
考えていいでしょう。
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この回答へのお礼

ありがとう

しかし心は確かに脳を中心に在る様ですが、あの世は何処にあるのでしょうか?

心の中にあるのでしょうか?魂の世界が世界に広がっているのでしょうか?

波動は細かいとすれば 何処かにあるという事ですよね。

お礼日時:2016/08/30 22:29

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