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太平洋戦争で 日本はボロボロのサンドバック状態になって、その上、原爆を2発投下されても まだ、アメリカと戦い続けようとしました。
しかし、日本がアメリカに降伏した理由はソ連が攻めて来たのもあるでしょうけど、
ケンブリッジ大学の教科書によると、日本はアメリカがまだもっと原爆を所持していると勘違いをしていたり、戦争負け寸前で政治的な影響力が下がった戦犯ドモ(トウジョウEtc)に代わって影響力を取り戻した天皇がアメリカに白旗を上げたそうですが、日本がアメリカに降伏した最大の理由は何だと思いますか?

A 回答 (8件)

日本がアメリカに降伏した最大の理由は、ポツダム宣言が非常に好条件だったからです。

一般にポツダム宣言受諾は無条件降伏と言われていますが、いやいや当時の日本にとってたいへんな好条件だったのです。

当時、日本の負けは決まっていました。あの状態でだれがどう考えても勝てるわけがない。それは上層部でも分かっていたはずです。質問者様がおっしゃるように原爆、ソ連侵攻、沖縄陥落、東京大空襲、大和沈没。日本にはほとんど戦力は残っていませんでした。あとは少しでも有利な条件で降伏することが、上層部の考えだったと思います。そこにポツダム宣言が出た。これが意外と好条件だったので、受諾して戦争を終わらせたというのが、素直な考え方だと思います。

ポツダム宣言を読んだことがありますか。それには以下のように書かれています。
・日本国民を欺いて世界征服に乗り出す過ちを犯させた勢力(つまり軍部)を永久に除去する。
・日本国の主権は本州、北海道、九州および四国並びに諸小島に限る
・これ以外の選択肢は迅速かつ完全なる破壊があるのみである(つまり天皇の命もない)

これを逆読みすれば、軍部の責任は追及するが、日本の主権と国土は保全するし、天皇の命も助ける(責任も問わない)ということです。
戦国時代でいえば、秀吉の小田原城攻めと同じで、城主をそそのかした家老は切腹させるが、城主とその他の武士、家族の命を助けるというようなものです。

ポツダム宣言を受諾すれば責任はすべて軍部に押し付け、天皇、外務省、内務省、一般国民は責任を問われず、今までどおりの国土で国を維持することができるわけです。

一方、軍部が最後まで戦い続けようとしたのは、ポツダム宣言を受け入れれば、自分たちだけが責任を問われることになるからです。

戦後、白洲次郎が進駐軍に対して真っ向から日本を主張をぶつけ、「従順ならざる唯一の日本人」と言われましたが、ポツダム宣言をきちんと読めば、かれの主張が正しかったことがわかるはずです。
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本土決戦した方が良かったという趣旨の質問かな?


敗戦したドイツを見れば分かるように、本土決戦したらとんでもないことになっていた。
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野性の猿達は、自ら糧を作らず生きようとします。

お金のキルケの魔法に頼り論理的に破滅する過程に向かうのです。地獄を作る閻魔様の生き方が奴隷で生きる生き方なのです。モーゼの十戒が始まり奴隷のいなくなったメネスは、裸の王様で崩壊の危機に遭遇してしまう。論理的結論に導かれるのです。この結果を予測出来れば、地獄生活に切り替え生産物を作っているのが賢いのです。
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松笠君が、『今なら、ヒロちゃんに責任負わせないよ。

』って、言ったからです。

かわいそうなヒデキちゃんに、合掌。
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ソ連の仲介による停戦が消えたから。

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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/15 16:02

燃料(ガソリン、重油など)不足と工業製品(航空機、船舶)の材料不足。

どちらも不足のレベルを通り越し枯渇したためです。ガソリン不足は戦闘機はもちろん操縦士養成訓練もできなくなりました(航空学校では古いタイプの練習機はアルコール混入、頼みの石炭からの人造石油、松根油からのガソリンもできず)。海軍の戦艦も重油不足で出撃もできませんでした(基地近海は機雷封鎖され移動も不可)。戦艦大和の沖縄特攻も製油所のタンクの底の製油所設備ポンプで汲みだせない重油を手動ポンプで汲み出しやっと片道分になりました。

 飛行機材料のアルミは廃棄飛行機を分解したアルミを再生、鉄板に至っては使うことも無くなったオイルタンクを分解してドラム缶を作りました(主要製鉄所とアルミ工場は操業不可)。近代戦に欠くことのできない鉄と油が底をつき戦争継続不可能の事態に追い込まれた8月原子爆弾でとどめをさされました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

>近代戦に欠くことのできない鉄と油が底をつき戦争継続不可能の事態に追い込まれた8月原子爆弾でとどめをさされました。
それでも、日本軍は竹槍で戦おうとしたんですよね。

お礼日時:2016/10/15 16:02

日本は「停戦」を望んだけど、アメリカが「ソ連も原爆開発中」の情報で、ソ連より優位に立ちたいが為に、急いで原爆を実戦使用したのです。



日本はそんな裏事情は知らないので、「こりゃもうだめだ」として降伏したのです。

「原爆が終戦を早めて、結果として多くの命が救われた」などと言われていますが、ホントは「対ソ連」だったのです。

新型爆弾の威力をソ連に見せつけるために広島と長崎が選ばれただけです。

酷い話です。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/15 13:55

ソ連の存在が大きいでしょう。

ソ連が日本に攻め込む前に降伏した。
実際には終戦後に北海道に攻め込んでいます。降伏が遅かったら日本は朝鮮半島のように分裂していたかもしれません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

お礼日時:2016/10/15 13:55

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