日本における、西洋で語られているような天使や妖精を探しています。それに関する本やインターネットで詳しい情報が載っているページを教えてください!!お願いします。

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A 回答 (10件)

みなさんの回答にあるように日本には妖精神話はないと思います。

東北の童子説話や沖縄に似たような伝説があるようですが(NHK朝のドラマ’ちゅらさん’で紹介された)これらは妖怪物語の部類だと思われます。妖精は西欧から世界に広まっていますが、もともとはケルト族の自然信仰から生まれた説話です。

天使は日本では天女として知られます。
天使は天上界から神によって地上に派遣され人間を守っている位の低い神です。
天女も天上界に属しますが、輪廻の迷いの中にあり天空を飛ぶ神として描かれます。天使がインド、中国を経て日本に到達する過程において羽根が衣に変化したことが壁画等で証明されています。

天女の伝説としてもっとも有名なのが羽衣伝説です。七夕の説話にも天女と牛飼いが現れます。仏教壁画に描かれる天女はそれぞれ名前があり役割があるのでしょうが詳細は知りません。

参考URL:http://www.unitecinc.co.jp/user/hagoromo/321worl …
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます!!日本では「天女」にあたるのですか・・・そうですね、考えてみると「天女」は日本の妖精にあたる存在ですからね。さっそく「天女」と「羽衣伝説」について調べてみたいと思います。

お礼日時:2001/06/29 11:30

まず、天使:



西洋の宗教観では、人間と神は別個の存在で、位の低い神である天使が人間界に派遣されて人間を見守っている、という感覚なのかな?日本の宗教観(主に神道)では人間と神は連続した存在というか、記紀における神代から人代に変わる時期には両面性を持っていたと考えられていただろうから、西洋で言う天使のような存在は「ない」と思います。

次に、妖精:

「木の精」とか「水の精」とかですよね。妖怪というのも理解できなくはないけど「木の神」とか「水の神」とかかな?とも思います。

結論:

日本の場合、「八百萬の神」というくらいで、天使も妖精も何でも「神」かな、と。
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この回答へのお礼

「日本では直接神に伝わり、その中間にたつ天使のような存在はいない」ということでしょうか?妖精の場合だと、happy_peopleさんの説明を読んで日本にも存在するのではと思ったので調べてみようと思います。ありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 12:01

ちょっと苦言を(申し訳無いとは思いつつ・・・)


質問の意味を確認したいですね。西洋の天使や妖精が、日本に伝わって何と呼ばれているか、という意味でしょうか? そうであれば、皆さんの回答の中から概ね目的の内容が得られたと思います。
ただ、日本の文化で西洋の天使や妖精に当るものは何? という意味の質問なら、回答に慎重にならざるを得ません。誤解を避けようと考えると、「日本には天使や妖精に当るものは無い」というのが回答になります。皆さんが言われるように、意味合いから「これに当る」ということもできるとは思いますが、それは似ている側面がある、というだけで、決して同じものではありません。まず、西洋とアジアでは文化的にあまりにも違います。本来キリスト教では神はキリストしかいない(宗派によってちょっと違いますが)一神教です。日本の多神教主義と偶像崇拝OKの風習とは根本的に合い入れません。そもそも神の定義が全く違うのです。確かに西洋も昔は多神教文化でした。しかし、その共通点だけで判断してはいけません。仏教が形を変えながらも東方に伝播したのに対し、西洋には受け入れられなかったのは、文化的に大きな相違があったためとも考えられます。ま、仏教で敢えて神の存在を言うとすると、それは無であって、「存在しないもの」になってしまいますが。因みに菩薩などは神ではありません。人間より涅槃に近い存在、というだけで、容姿や能力は定義されていないはずです。
ハナシが反れましたが、要は安易に異なる文化の表面的な共通点を以って、同一視してはならない、と言いたいのです。エロスとキューピットを同じと言っても良いでしょうが、キリストとゼウスは違いますし、増してやブッタとヤハウェに共通点は有りません。このように、共通点を持って親近感を抱くより、違いを認め合う姿勢が大事だと思います。言いたいことは伝わったでしょうか?
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この回答へのお礼

まず根本的に国どうしの文化が違うので、西洋の天使や妖精と全く同じ存在が日本にいるとは思っていません。しかし、それに遠からず近い存在は日本にもいることがわかったので、そのあたりを検索してみようと思っています。詳しく教えていただき、ありがとうございました。

お礼日時:2001/06/29 11:50

天使は神とこの世を中継するものなので日本で言うとお地蔵様なのでは?

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この回答へのお礼

お地蔵様ですか・・・想像していなかったです。仏教のことはよくわからないのでさっそく調べてみようと思います。ありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 11:41

かなりボリュームのあるHPですが、羽衣伝説についても書いてあります。


興味のある問題だったので、色々調べてみましたがお手上げですね。
どちらかというと星からアプローチすべきかなと思ったのですが、まだまだ薄かったみたいです。
他には水や土、木などでしょうが、どうしても妖怪に近づきますね。
後は”日”が残ったのですが日本人は昔から仏像に天使を見ていたのかも知れませんね。
神道では、仕えるものとして神主、巫女がその役目を務めていると言えるでしょう。
お祭りでは着飾った稚児の踊りが奉納されます。
この辺りが限界でしょうか。

参考URL:http://www.asahi-net.or.jp/~nr8c-ab/tn00.htm
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この回答へのお礼

日本ではやはり、「妖怪」になるのだと思います。他の方に教えて下さった「天女」も妖精にあたるのだとわかりましたので、調べてみようと思っています。ありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 11:36

ちょっと夢を壊すような回答で申し訳無いのですが、


日本において該当するのは「妖怪」「もののけ」などの
類になりそうです。
宗教観などの違いもありますので、西洋的な「天使」や
「妖精」のイメージは期待できないでしょう。

その禍禍しい姿形のために(もっとも、妖怪のほとんど
に目に見える形を与えたのは、かの水木しげる氏なので
すが…)偏見を持たれがちなところはありますが、なに
がしかの神の使い(時には神そのものの化身)、あるい
は非生物に宿る魂…など、位置付け的には天使・妖精に
相当するものです。

現在、京極夏彦氏の影響もあってか、妖怪関連のサイト
はかなりの数にのぼります。「妖怪」「日本」などの
キーワードを中心に検索すると、興味深いデータが得ら
れるでしょう。
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この回答へのお礼

日本に「妖精」という存在はいないだろうと思いつつも、やはりどこかに少なからずいるだろうと期待していたのですが・・・それは仕方ないですね。文化の違いからくるのですから。どうもありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 11:14

「天女」ではだめですか?あと「天狗」とか・・


検索すれば、引っかかります。
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この回答へのお礼

「天女」や「天狗」は想像していませんでした。さっそく検索してみます。どうもありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 11:10

sana24さんのおっしゃる「天使や妖精」のイメージはどんなものなのでしょうか?



「羽のはえた子供」というのは実際にはごく少数派で、スエーデンボリーの「天使学」やケルト神話に登場する「妖精」は精霊世界と人間世界の仲介者である怪物で、これに該当する日本の概念はずばり「妖怪」です(^^;)。
と、言うわけで・・

妖怪世界
http://webs.to/yokai/

NTT東日本:妖精妖怪わいわいランド
http://inpaku.www.ntt-east.co.jp/main/index.html

あと西洋の妖精関係では
FAILY TALES
http://island.site.ne.jp/fairy/
などが詳しいようです。
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この回答へのお礼

私が調べているのはアイルランドにいる妖精で、日本のそれと比較しようと思っていたのです。教えてくださったこのページに接続してみます。ありがとうございました!!

お礼日時:2001/06/29 11:06

妖怪のような気もするんですが....どうでしょう??

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この回答へのお礼

ありがとうございます!!そうなんですよね・・・私も調べていくうちに妖怪のような気がして。でも、日本にもそれに近い何かがあると思うのでもっと調べてみるつもりです。

お礼日時:2001/06/28 13:27

私自身詳しくないのでアドバイスになるかどうか分かりませんが、日本におけるものは、おそらく日本神話に出てくる神様に値するのではないかと思います。


それならば、以下のURLに神の略系図がありますので参考にしてください。

参考URL:http://www.ab.aeonnet.ne.jp/~ark/myths/japan/
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます!!さっそくこの日本神話に出てくる神様について調べてみます。やはり、日本では妖精より神の存在が大きいから難しいですね(~-~;)

お礼日時:2001/06/26 12:29

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Aベストアンサー

すでに、書かれているように、
徳川氏による大阪城攻め(冬の陣・夏の陣)
豊臣氏による小田原城攻め、
他に羽柴秀吉時代の三木も領民抱えの城攻めでした。

どこの国でも、純軍事的な目的で立てられた「城」で戦う場合は、
そこに領民はおりませんし、
経済・政治の中心地の「城」なら、城下町が形成されて、乱世なら、都市民は自治的に城壁を築くでしょう。

日本の場合、
1,そもそも、都市国家から、後漢時代に貴族が従属民を率いて郊外に「村」を作った中国と、村と村を支配する領域国家もどきの中心地の城下町が戦国末期から発達していった日本では、歴史が逆なのです。
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すでに、書かれているように、
徳川氏による大阪城攻め(冬の陣・夏の陣)
豊臣氏による小田原城攻め、
他に羽柴秀吉時代の三木も領民抱えの城攻めでした。

どこの国でも、純軍事的な目的で立てられた「城」で戦う場合は、
そこに領民はおりませんし、
経済・政治の中心地の「城」なら、城下町が形成されて、乱世なら、都市民は自治的に城壁を築くでしょう。

日本の場合、
1,そもそも、都市国家から、後漢時代に貴族が従属民を率いて郊外に「村」を作った中国と、村と村を支配する領域国家もどきの中心地の城...続きを読む

Q「西洋文化には二つの原点がある。それは聖書(キリスト教)とヘレニズム(

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 沿革 ~ 記紀万葉(ききまんにょう)~
 
 日本文化にも二つの原点がある。それは「記紀」と「万葉」だ。
 万葉は「沿=自然」を、記紀は「革=歴史」を伝えている。
 ともに、現代に至るまで継続している点で、諸外国に類を見ない。
 
 ↑
 
── 【記紀】古事記と日本書紀。
── 【古事記】稗田阿礼が誦習し、元明天皇の命で太安万侶が文章に
記録し、和銅5年(712)に献進された。
 
── 【日本書紀】最初の勅撰正史。30巻。舎人親王らの編。養老4年
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歌が収められる。
 
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そこで(ゲルマン人に限らなくていいので)「西洋における森の中での生活や宗教」について、少しでも参考になりそうな文献、HPなど、
ご存知でしたら教えていただきたいです。


よろしくお願いします。

Aベストアンサー

ANo.1です。

「ニューベルンクの指輪」は中世13世紀以前の話のようで、あまり参考にはならないかも知れません。

ケルト人はヨーロッパでも一番古い民族ですので参考になると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
ケルト人の宗教について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%89
ハルシュタット文明
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88%E6%96%87%E5%8C%96
オーストリアにケルト人が住んでいたハルシュタットという世界遺産で七千年の歴史がある場所があります。
ケルト語でハル(Hall)は塩のことです。ドイツにもバートライヘンハル、シュベービッシュハルなどケルト人が住んでいた塩が取れるところがあります。http://www.hallstatt.net/webcam/action/view/webcamId/1/

ANo.1です。

「ニューベルンクの指輪」は中世13世紀以前の話のようで、あまり参考にはならないかも知れません。

ケルト人はヨーロッパでも一番古い民族ですので参考になると思います。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%88%E4%BA%BA
ケルト人の宗教について
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%83%89
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 突然ですが、西洋の騎士などはどうやって敵と味方を見分けていたのですか。

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 それから、題には「中国の」とも書いてますが、これは中国に関しても同時に疑問に思ったからです。確か、以前読んだ三国志の漫画では特に各軍の区別が無かったのをその時に思い出したからです。
 強いて言えば、作中では兜の形が違っていたような気もしますが、現物が手元に無いので定かではありません。

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Aベストアンサー

 
  どの規模の敵を見分けるのかで、答えが違って来ます。例えば、千人からなる軍隊なら、旗も当然掲げていますし、指揮官や士官級軍人の軍装や、軍事装備、武器などを見れば、どこの軍隊か、一目瞭然のはずです。無論、そういう知識のない人には分かりませんが、戦場で、まず、敵味方の区別の知識が最初に重要になります。間違って、味方同士で戦うことほど愚かなことはないからです。
 
  一番基本的な識別手段は、西欧でも中国でも、兵士の纏う「軍装」でしょう。どんな戦闘服を着ているか、どんな目印の布などを首のまわりや、飾りとして、背中にひっかけているか、どんなはちまきをしめているか、どんな武具を持っているかなどです。中国で、「黄巾の乱」というのは、叛乱を起こした叛徒たちが、互いを識別するため、黄色い布を目印に身体に纏ったからです。また「赤眉の乱」というのも、叛徒が、眉を赤く染めて、仲間を識別したので、こういう名が付いています。
 
  「黄巾の乱」や「赤眉の乱」に加わったのは、統制のない農民雑兵で、正規軍兵士ではなかったので、とりあえず、敵味方を分かり易くするため、こういう簡単な識別法を選んだのです。
 
  正規軍の場合は、制服が支給されますし、身分に応じて、その軍装が変化したり、飾りが決まっていたりしますし、武具も、或る程度、整えられた共通のものであったはずで、これは、武具も組織的に支給されたからです。また、身振りとか、戦いの時の態度のようなものも、訓練で、段々決まってきます。「忠臣蔵」で出てきますが、念のため、「合い言葉」も用意していたでしょう。
 
  西欧中世の騎士は、日本の武士と同じで、闘い方に「様式」があります。日本の武士は、「名を名乗れ」とか言って、「我こそは、どこそこの何々なる」とか叫んでいたのと同じで、騎士は、騎士同士で闘います。騎士が普通騎乗であり、その従者は徒です。騎士は、無論、自己の家紋や象徴などを、楯にも軍装にも、それと分かるように示し、従者たちも、それぞれ、騎士の従者だと分かるような印を軍装に付けています。従って、どこの誰かが分かるのです。
 
  ただ、乱戦・混戦・肉弾戦になってくると、誰が誰か分からなくなります。その場合でも、軍装や軍備などで、大体の見当を付けたのでしょうが、間違って、味方同士で闘うということも、乱戦の場合はあったでしょうし、どこの誰か、騎士であっても分からなくなったはずです。チェーザレ・ボルジアが乱戦のなか戦死した時、誰も気づかず、彼が見事な鎧を纏っていたので、戦利品として鎧を剥いで持ち帰った敵兵が、城に帰ってよく見ると、鎧に、「ヴァレンティーノ公爵チェーザレ・ボルジア」とあったので、驚いて敵の指揮官が遺体を探しに行って、夥しい戦死者のなかから、見つけたという話を、塩野七生が書いていたと思います。
 
  しかし軍事戦術的には、意図して、そうする場合は別に、乱戦・混戦になるのは、戦術の失敗です。軍を機能別グループに分け、さっと攻撃して、引かせると同時に別のグループが別の方向から攻撃し、という形で、幾何学的に、整然と軍を動かして戦うので、総攻撃=乱戦=混戦というのは、ドラマではよく出てきますが、そう簡単には行わないはずです。
 
  (「赤揃え」というのが、戦国時代にありました。武装を赤い色に揃えることで、はっきりどの軍かが分かります。大坂夏の陣で、真田幸村麾下の軍は「真田の赤揃え」で戦ったと言われています。幸村は無論、戦死覚悟で、家康の首を奪うことに一戦をかけたので、これはもう混戦覚悟ですが、そのなかで、幸村は見事に部下を統率して、家康は、辛うじて身一つで戦場を逃げ出し助かったと言います。家康を守っていた旗本もみな蹴散らされたのです)。
 
  この戦いに勝機ありと見た時、一気に敵を押しつぶすために総攻撃するか、または、最後の活路を見いだすため、総攻撃するとか、乱戦・混戦になるといくさの帰趨が分からなくなるので、それは一般に、戦術上避けるものでしょう。また、この総攻撃のタイミングの測り方の上手な武将が、勝利したのだとも云えます。
 
  中世西欧の戦争は、名前が有名な割りに、参加戦闘員が少ないということがあります(ノルマン・コンクエスト最大の戦闘は、千人ほどが戦っただけであったか、あるいは、ノルマンの征服というのは、千人ぐらいが、侵攻しただけであったという話もあります。……無論、その後、ノルマン人がかなり大勢イングランドにやって来るのですが)。
 
  日本の「関ヶ原の戦い」でも、東軍西軍で約十万づつと言われていますが、参加大名ごとで陣を敷いていて、更に、軍を小区分して分けているので、内部では、味方かどうかはよく見知っていたということです。また、戦いは、組織的に行うのであり、五十人ぐらいの兵には、小隊長とかその補佐というような、士官・下士官が付いていて、あそこを攻撃せよとか、部下に命じていたのです。「旗さしもの」は、この下士官クラスが付けていたもので、普通の兵は、そんな邪魔なものは付けていなかったし、これは指揮官の印でもあるので、勝手に付けることも許されなかったということです。この指揮官クラスの下士官や士官が戦死すると、小隊は、どう行動すれば分からなくなり、混戦・乱戦になるのです(または、こちらが多いですが、敗走です)。
 
  また、西欧も、中国も、日本も、指揮官のランクが上がると、軍装が華やかになり、敵にも味方にも、それと分かるようになるので、兵士も下士官も、そういう大物を討ち取ることを目指したのだとも云えます。逆に言うと、近代軍隊以前の軍隊は、指揮官が前線で戦いの見本を見せると、兵士たちが付いて来るのであり、また、敵の指揮官を討ち取ろうと戦闘が起こるのです。従って、有力な指揮官が討たれて戦死したりすると、軍が敗走したり、戦いにならないことがあります。
 

 
  どの規模の敵を見分けるのかで、答えが違って来ます。例えば、千人からなる軍隊なら、旗も当然掲げていますし、指揮官や士官級軍人の軍装や、軍事装備、武器などを見れば、どこの軍隊か、一目瞭然のはずです。無論、そういう知識のない人には分かりませんが、戦場で、まず、敵味方の区別の知識が最初に重要になります。間違って、味方同士で戦うことほど愚かなことはないからです。
 
  一番基本的な識別手段は、西欧でも中国でも、兵士の纏う「軍装」でしょう。どんな戦闘服を着ているか、どんな目...続きを読む


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