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マークピーターセンさんの「日本人の英語」などを読むと

英語では、数や冠詞の概念が重要であるとわかります。

では、なぜ英語では、数や冠詞の概念が重要なのでしょうか?

A 回答 (4件)

● 日本人の英語



実は今回のブログ記事のタイトルはマーク・ピーターセン著「日本人の英語」という本から引用したものです。この本は、英語と日本語の構成と論理の違いからくる日本人の冒しやすい間違いを例として吟味し、どうしたら英語の「頭脳環境」に入っていけるかを説明した本です。

ちなみに、この本は初版が1988年と古いのですが、私が英語を勉強してきた中で最も素晴らしいと思った本です。個人的には、世の中に英語の教材は数あれど、日本人の英語習得においてこれほど優れた本は他には存在しないのではないかと思います。

この本では、著者が見てきた日本人の英語のミスの中で、意思伝達上大きな障害をきたすと思われるものを大別し、重要な順に取り上げています。そしてこの本で最初に取り上げている問題、つまり、著者が最も重大な障壁と考えるのは次の問題です。

冠詞と数。a、the、複数、単数などの意識の問題。ここに英語の論理の心があり・・・

まだまだ英語を勉強しているという人も、あるいはもう英語が結構話せるようになった人も、重大な障壁としてこれが頭に浮かぶ人はどれくらいいるでしょうか?もしこれが頭に浮かばなかったとしたら、その人は殆どネイティブスピーカー並みの英語能力を身につけたか、そもそもこれを重要な問題だと十分認識することができていないかのどちらかです。もし後者に当てはまってしまったら、自分では英語を話せると思っていても酷く不自然な英語を話している可能性が高いです。後者の場合は冠詞の問題を重要なものだと認識するところから始めなければいけません。このように問題を認識するのすら難しいことがまさに最大の障壁である理由なのです。

● 間違いの例 - その3

前回に続いてもうひとつ例を挙げます。以下はこの本からの引用です。

先日、アメリカに留学している日本人の友だちから手紙がきたが、その中に次の文章がいきなり出てきた。

Last night, I ate a chicken in the backyard.

これをみたときの気持は非常に複雑で、なかなか日本語では説明できないが、ちょうどあてはまる英語の決まり文句でいえば、I didn't know whether to laugh or cry (笑ったらいいのか泣いたらいいのか) という気持であった。

これは日本語の感覚でいうと「昨夜、裏庭でバーベキューをしてチキンを食べたんでしょう?どこがおかしいの?」と、何がおかしいのか想像しづらいと思います。実は、この例文は英語では次の意味になります。

昨夜、鶏を1羽(捕まえて、そのまま)裏庭で食べ(てしまっ)た。


夜がふけて暗くなってきた裏庭で、友だちが血と羽だらけの口元に微笑を浮かべながら、ふくらんだ腹を満足そうに撫でている -- このような生き生きとした情景が浮かんでくるのである

これは著者が意地悪して曲解しているのではありません。当たり前ですが英語のネイティブスピーカーは英語をぱっと見たときに「ああ、日本語には冠詞がないからこの a は英語としての意味を持たないのだな」などとは考えません。この例文を英語としてそのまま受け取れば、自然とこのような情景を思い浮かべてしまうのです。

それでも「バーベキューでチキンを食べたと言いたいのは明らかではないか。なぜそのように意味を捻じ曲げてしまうのか、どうにも腑に落ちない」という人もいると思うので、もう少し詳しく説明します。

● ネイティブスピーカーにとって、「名詞に a をつける」という表現は無意味である

これもこの本からの引用になります。これがどういうことを意味するか分かりますでしょうか。これを説明する前に、私たち日本人がどのように冠詞 a の使い分けを学ぶかをおさらいします。

<日本人の冠詞と名詞の覚え方>
chicken はニワトリという意味を持つ名詞である。ニワトリは数えられるので、a chicken、two chickens というふうに言う。でもトリ肉を指してこの言葉を使う場合は数えられない名詞になり、a はつけずにただ chicken と言う。

私たち日本人は、このようにまず名詞に意味を与え、それに a をつけるかつけないか考えます。しかし、英語のネイティブスピーカーはそのようには考えません。

ところが、これは非現実的で、とても誤解を招く言い方である。ネイティブスピーカーにとって、「名詞」に a をつける」という表現は無意味である。


英語で話すとき、先行して意味的カテゴリーを決めるのは名詞でなく、a の有無である。もし「つける」で表現すれば、「a に名詞をつける」としかいいようがない。「名詞に a をつける」という考え方は、実際には英語の世界には存在しないからである。

そして、英文法の参考書に書かれてある典型的な冠詞の説明を引き合いにだして、次のように説明します。

この類の説明では、すでにあった、ちゃんとした意味をもった名詞に、a は、まるでアクセサリーのように「正しく」つけられるものであるかのように思われる。
しかし、本当は逆である。すでにあった、ちゃんとした意味をもっていたのは、a である。そして、名詞の意味は不定冠詞の a に「つけられた」ことによって決まってくる。


つまり、a というのは、その有無が一つの論理的プロセスの根幹となるものであって、名詞につくアクセサリーのようなものではないのである。


「この類の名詞には冠詞をつけない」または「つける」というふうに解説されている「冠詞用法」をみると、実に不思議な感じがする。

これは日本語にはない感覚であるうえに、このことをはっきり教わったことがある人もあまりいないのではないかと思います。この思考プロセスに気付けないでいると、いつまでたってもどこかおかしな英語をしゃべることになってしまいます。

英語の品詞の中で、名詞は意味をとりやすく最も抵抗なく受け入れやすいのではないかと一見は感じられます。他の品詞に目を向けると、例えば動詞は目的語をとるかとらないかも一緒に覚えなくてはなりません。さらに学習の初期段階で覚える簡単な動詞は、実際は副詞(up、down、out、off など)と組み合わされて無数の慣用表現を生み出すとんでもない化け物であることを後々知ることになります。ちなみに著者はこのように言っています。

私は、run と put と get くらいあれば、他の動詞をほとんど使わずに聖書の現代訳でもできるような気がする。

しかし、「冠詞と数の問題」があるために、日本人にとって本当の意味での理解が難しいのは、実は名詞なのです。

英語の名詞と日本語の名詞が概念的にきわめて不均衡な関係にあり、

著者はこのように英語の名詞と日本語の名詞を「概念的にきわめて不均衡な関係にある」と表現していますが、英語を勉強していると、私もこのことを強く感じます。

● ネイティブスピーカーの話し方からみる思考プロセス

英語でものを考えるときは、まず冠詞の有無で意味的カテゴリーを整えて、それから名詞を探すという思考プロセスを辿ります。対して、日本語頭脳のままで英語を話すと、このような2段階の思考プロセスを辿らずにいきなり名詞に飛びついてしまいます。

でも、それって本当なの?と疑わしく思えるかもしれません。実は、英語のネイティブスピーカーは、この思考プロセスがはっきりとみえる形で英語を話すことがあります。例えば chicken という単語が出てこなくて言葉に詰まったとしましょう。

まず、日本語頭脳の思考プロセスで話すとこうなります。

(えーと、トリ肉、それは英語だと a をつけずに言うから)chicken!

(えーと、ニワトリ、それが一匹だから)a chicken!

対して、英語のネイティブスピーカーの思考プロセスではこのように発声されます。

(数えられないモノ)uh...(数えられないモノ)uh...(そのモノの名前はトリ肉だ)chicken!

(一つのモノ)a...(一つのモノ)a...(そのモノの名前はニワトリだ)a chicken!

(あの)the, uh...(あの)the, uh...(いま the で限定されるモノの名前はニワトリだ)the chicken!

uh というのは、言葉に詰まったときに発する音で、口を半開きにして「アー」というような音になります。ちょっとかしこまった場で話すときに出る日本語の「えー」のように、意味を持たずに言葉に詰まったときに無意識に出る音です。umm みたいに m で口を閉じることもあります。また、この場合の a は「ア」とは発音せずに「エーィ・・・エーィ・・・」と伸びた音になります。the, uh は「ザ」ではなくて「ズィーアー・・・」みたいな感じです。

http://oneh.blog.jp/archives/8787597.html
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>では、なぜ英語では、数や冠詞の概念が重要なのでしょうか?


こういうことを考えるには「なぜ日本語には数や冠詞の概念が無いのか?」を考えたほうが早いです。

ピーターセンさんの中にある、ということなので引用します。
Last night, I ate a chicken in the backyard.

この文章を日本人が訳すと「昨夜、裏庭で鶏を食べた」という文章になります。なにもおかしい部分はありません。なぜなら日本語の「鶏」は鶏1羽も鶏肉も含む言葉だからです。日本語はそもそもaとかtheと言った名詞を規定する厳密性がない、のです。

ではなぜ日本語になく、英語にあるのかというと、それは文法構造が違うからです。
日本語は助詞を使った言語であり、動詞も名詞も自由に配置できます。
言葉が足りない、誤解を招きかけないなら自由に「昨夜、裏庭で鶏1羽を食べた」でも「「昨夜、裏庭で鶏肉を食べた」でも変えることができます。
 そもそも日本語は短歌などで単語に多くの意味を付加するような言語でもあり、名詞に(実を言うと動詞も)厳密性がほとんどない、のです。

この点は中国語も似ていて、漢字を使っているせいなのかもしれませんが、英語はこの点真逆です。実をいえば西洋言語のほとんどが、このあたりの厳密性は強くもっています。

そして英語は動詞がものすごく力を持っている言語です。動詞の強力さが名詞の厳密性を決定つけている、ともいえます。
先ほどの
Last night, I ate a chicken in the backyard.
でいえば

Iate が一番基本的な文章であり、この中の動詞「食べた」をどのように規定していくか、が英語の文法の本質であるといえます。

ですから後ろに来る名詞は「chicken:鶏・鶏肉」という漠然としたものでは困るわけです。「もっとズバッと、動詞が表していることを決めてくれ」というのが英語の本質です。だからこそ、aやtheなどの冠詞が重要になるわけです。

実は名詞はなにも目的語だけの問題ではありません。主語にくる名詞も同様に「ズバッと分かるようにしてくれ」という要求があります。
 それはいわゆる「三単現のs」と呼ばれる動詞変化です。元々西洋言語のほとんどは人称によって動詞変化をするか助詞を付けて動詞を変化させています。これらがあることで主語が無くても元々の主語が推測できます。
 しかし英語は動詞変化を失くしてしまいました。(昔はありました)そのため、今の英語文法では「主語を省略できない」ということになっているわけです。
 一人称や二人称の場合はそれほど問題にならないのですが、三人称になるとこんな場合がでてきます。
Chickens eats cone
 英語話者であれば「なんだこれ?」と最初に思ったうえで、三単現のsが動詞についていることで「主語のChickens」は鶏という意味ではないな、と推測するでしょう。これは「Chickens:臆病者たち」というバンド名だったりするわけです。

若干無理があるえいごではありますが、いずれにしても英語は「動詞の厳密性」が最重要な言語であるといえます。どうやっても動詞を無しにできないし、動詞の働きを決めるためならなんでもする(to不定詞も・動名詞も過去形・過去分詞もすべて動詞の動きを決めるもの)わけです。冠詞も直接的には名詞への働きかけですが、その心は「動詞の意味を厳密にするため」ということです。

日本語は動詞をまったく大切にしない言語です。
私は教師です。これは花です。花は美しい。
どこにも動詞がありません。また「私は走っていません」「私は走ります」「私は走った」のように否定形も過去形も動詞には直接関係ありません。だから名詞を冠詞で規定する必要もないのです。

>なぜ英語では、数や冠詞の概念が重要なのでしょうか?
英語は動詞がとても重要で、動詞の範囲を限定化するのに名詞の意味を厳密化する必要があるから、です。

ですから英語では「鶏、1羽たべちゃったよ」「へえ、なに、羽も頭も骨も全部食べたわけ?」「そんなあほな」というような漫才は成り立たないし、成り立たせないように「食べる」という動詞の対象を厳密にしているわけです。
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冠詞があるとなしでは全く意味が違うからではないでしょうか。


「a happy new year」と「happy new year」では全く違うそうです。年賀状として出す場合、前者は間違っているらしいです。

「Do you have a time?」と「Do you have time?」も全く違います。一方は「今何時ですか?」もう一方は「今時間ありますか(ひまですか)?」という意味だそうです(どっちがどっちだったかは忘れました)。

つまり、冠詞の有無が間違っていると自分の言いたい事が相手に正確に伝わらない、という事だと思います。
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最近、知り合いの中学生に英語のテストを見せてもらいました。

中学生といっても親の仕事の都合でカナダに住んでいたことがあり、結構スムーズに英語を話すことができる子です。そのテストでこんな間違いがありました。

(誤) have a lunch

これは「昼食をとる」と言いたかったわけですが、何が誤りかというと、「a」がついていることです。「a lunch」と言ってしまうと、人を集めて昼食会をするとかランチ会議をするといったように何かイベントがあるということになり、ただの昼食とは別の意味になってしまいます。ただ単に「昼食をとる」と言いたいときは、英語では数えられないモノとして昼食という概念を思い浮かべるので次のように言います。

(正) have lunch

その後の会話で、その子が誕生日プレゼントに親から何を買って欲しいかという話になりました。

What do you want for your birthday?
(誕生日に何が欲しい?)

I want the game.
(あのゲームが欲しい。)

ところが、その子は何のゲームが欲しいのかには触れることなく、続いて全然別のことを喋りだしました。そのゲームが何なのか説明せずにただゲームが欲しいというだけのときに「the」と言ってしまうと、聞き手は「あのゲーム?それって一体どのゲーム?」と混乱してしまいます。具体的にそのゲームが何なのか説明する気がなく、ただゲームソフトが一本欲しいと言いたいだけならば次のように言えば良いのです。

I want a game.
(ゲームが欲しい。)

● 間違いの例 - その2

しばらく前の話になりますが、会社で産休から復帰した人が書いたメールにこんな文がありました。

I was gifted baby girl.
(私、赤ちゃんのころ、神童だったの。)

なんとも微笑ましい英語ですが、いつも電話で流暢に英語を話していてすごいと思っていた人のメールだったのでかなりびっくりしました。もちろん状況から「女の子の赤ちゃんを授かりました」と言いたいのだというのは分かるのですが、a が付いていないために、ぱっと見て変なところで区切って読んでギョッとなりました。

● 話はまだ続くのですが

とりあえず、続きはいつになるか分かりませんが、一回切ります。

このような a や the の間違いは、取るに足らない小さな問題のように思えるかもしれません。英語なんて動詞や名詞のような意味のある言葉を並べれば通じるんだから、そんな細かいところは気にする必要はないと言いたくなるかもしれません。

しかし、実は問題を問題だと認識することすらできないというそのような意識こそが日本人の英語における最大の障壁だといったらどうでしょうか?言葉の間違いというものは、普通は間違っていたら間違っていると気づくものです。少なくとも間違いを指摘されたら「ああ、それは間違ってるね」とすんなり理解できるものです。しかし、冠詞の場合、間違いを指摘されてもなお、なぜ修正しなければならないのか腑に落ちる感覚を持てず、冠詞が意味のある言語の構成要素であることを認識できないという日本人はかなり多いのではないかと思います。

日本語は冠詞の概念がすっぽり抜け落ちた言語です。日本語では冠詞は言語の要素として必須な存在ではないため、多くの日本人は英語を使う時に冠詞の扱いが適当であっても違和感を覚えることがありません。私の周りの英語が出来る人達を見渡しても、最初に言語脳が日本語でガッチリ形成されてしまったら、英語では冠詞が言語の要素として重要な意味を持つものだと認識する感覚はもう自然には身に付けることはできないのではないかと思われます。

日本語とは異なり、英語では冠詞は言語の要素として必須な存在です。このためにネイティブスピーカーが英語を話すときは、おそらく一般の日本人が自然に習得することがないであろう、日本語には存在しないプロセスを辿って言葉を発します。続きではこのことについて書きます。多分。

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