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キリスト教の病人のための祈りとゆー、本を注文しました
僕はキリスト教ではないのですが、願いは叶うのでしょうか?
もう精神病で辛く苦しく嫌な思い出しかありません
救われるのでしょうか?

A 回答 (6件)

キリスト教の根源的な教えは、この世界を創造した神がいらして、彼は、一人一人の人間と、つながりを持とうとしていらっしゃる。

教会に行くのもよいし、人のために働くのも良いけれど、一番、喜ばれるのは、神に祈りをささげることである。祈りをささげることで、神とつながり、生きる喜びを与えられる。そして、その喜びを、いつか、周りの人々と分かち合える日がやってくる。美しい教えなのです。

私は、もうおばあさんですが、父も母も兄弟もなく、家族も皆、仕事でめったに会えることはありません。でも、寂しさに囚われることがないのは、神と繋がりがある、という信念があるからです。楽しいことを、ほかの人と分かち合う、そんな、気持ちでいますので、一緒に笑い合える人たちが、簡単にできるように思います。

誰もいなくなっても、神がいてくださると思うので、楽観的になります。それが、救われた証拠かもしれません。

朝夕に、一月ほどお祈りをなさってみて、貴方自身が変わるか、変わらないか、試してみても損はないと思います。心の中の種子に、お水をあげる気持ちで、祈るのが、コツといえば、コツです。
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>救われるのでしょうか?


救われないと思います。


キリスト教では駄目ですね。「弱者の宗教」だからね。

仏教、できれば曹洞宗などの禅宗の教えを学ぶのが良いのではないかと思います。
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芸術心理学から申しますと、人は、神社にしても、寺にしても、教会にしても、他宗教及び宗教と言うものは、祈り(願い)から、希望が、希望から、信じること、信じることから、(人・神様)との信頼関係、それによって、人間関係の愛情、愛情より大きなものが絆なのです。

宗教と言うものは、神様からの愛なのです。ようするに、神様から見た人間が、平等であると見るのです。ですから、その平等というものが、絆なのです。宗教上は、大きいものは、神様の愛なのですが、人間関係では絆なのです。宗教と言うものは、信じるから、叶う、そういうものではありません。叶うとか、叶わない、不幸であるとか、幸せであるとか、それ自体の自分自身を神様及び、宗教の祈りから認めることです。願いが叶うのではなくて、叶うことを願うのです。それが、祈りなのです。神社、寺、教会などそうですね。あてして、神社にお金入れたり、献金したりしてはいけません。貧乏でお金がなければ、いれなくてもいいのです。宗教とは、信仰及び(信じること)なので、そこから、「上に書いたように」、神様の愛を信じて、人間関係の絆を通して、祈ることです。祈るとはそういうことです。それでしたら、よくお考え下さい。あなたの願いが全て叶いましたら、(例 お金が全部ほしい)、ほかのかたのお金がなくなり、貧乏になりますね。わたしも、てんかんですからいいますが、単純に幸せが本当の幸せか、不幸がほんとうの不幸かかんがえていただけますか?救わるのではなくは、祈ることによって、信じること及び(信仰)によって、神様の愛から、人間関係の絆へとつながるのです。それが、わからないから、人は、戦争を起こしたりするのです。それが、罪です。No.1さんのおっしゃりたいことはそうであると思います。花はなぜ咲くのか、枯れるから咲く、太陽がなぜ晴れを作るのか、雲の雨からですね。単純に、ゆずの「Hey和」をお聴きください。神に求めるのではなくて、神様に祈ったことを、日常生活に求める、ですから「君のために何ができるのだろう?」と歌詞は書いてあります。よく、歌詞を聴き、読みながらお聴きください。
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No.2です。



人の生命状態というのは見る事が出来るのですよ。(十界互倶、一念三千)
そして、その生命状態が根本となって、あなたの体をコントロールしているのですよ。(色心不二)
そして、そのコントロールにより様々な事があなたの身の回りに起きるのですよ。(依正不二)

要するに、全ての悩みの原因は自分自身にあるという事ですし、そこを変革しなければ永遠に
幸せは訪れないという事です。

この教義は釈尊の法華経を根本に、歴代の高僧が見出した結論なのです。
人間が人間として生まれてくる因まで説かれています。

※とりあえず、さわりだけ説きましたが興味があれば自身で研鑽して見てください。

【十界】

・地獄界・・・苦しみの境涯
・餓鬼界・・・欲深い境涯、どのような状況でも常に満たされない状態。
・畜生界・・・本能のおもむくままに生きる境涯。⇒以上、三悪道
・修羅界・・・憎しみが強く、争いを好む境涯。⇒以上、四悪種
・人界・・・一般的な『人間』の境涯。
・天界・・・喜びの境涯。⇒以上、六道。六道輪廻の六道です。
・声聞界・・・悟りを求める、求道の境涯。
・縁楽界・・・自然現象などから、物事の真理を悟る境涯。⇒声聞、縁楽二つの境涯を併せて『二乗』といいます。
・菩薩界・・・悟りの道を開いて、人々を救おうとする境涯。
・仏界・・・究極の真理を悟った覚者の境涯。

この十の境涯が一人の人間の生命には等しく具わっていて、瞬間瞬間何かの縁に触れ移り変わっていく
ものなのです。それによって、他人の態度、表情、性格等々変化していきます。

そして法華経は、最終的に衆生を仏へと導く『法』の存在を明らかにしているのです。
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>願いは叶うのでしょうか?



・叶いません。

>救われるのでしょうか?

・救われません。

そもそも人間の幸せを神などに求めてはいけません。
先ずは、自分自身の生命を良く見る事です。

何なら説いてあげるが、、、。
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この回答へのお礼

説いてください

お礼日時:2017/01/29 20:14

スコセッシ監督最新作『沈黙』を見てもわかるように、


キリスト教では誰も救われません。
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